決戦、破壊の君主と冒険者(中編)
執筆者:ういいち
◆中編◆
「霧川様、エレーナ様、お二人も下がってください」
言いながら左右の手に大振りのナイフを握り、魔獣へと単身突っ込んでいく。サイキック組を後退させるまでの時間稼ぎとして、獅子の注意を引き付ける矢面に立ったのだ。
無駄のない歩法で軽やかに接近すると、リリナは首下へと素早く潜り込む。黄金の鬣が揺れる太い首筋を直上に捉える位置へ達し、そこから貫通魔力が付与されたアーミーナイフを切り上げた。魔力で強化された強靭な刃が魔獣の外皮を傷付け、腕動に合わせて一筋に切り裂く。生まれた裂傷へ別手のコンバットナイフを切り込み、初手に負けぬ速度と正確さで一息に斬撃を加えた。
綺麗に開いた切断面から黒い体液が流れ出てくるが、リリナは構わず両手のナイフを同時に突き出す。二刃を傷口に捻り込むと、力任せに押し遣って更に体奥へ食い込ませた。太い刃の根元まで埋没したところで、彼女は両腕をそれぞれ逆方向へと全力で振り抜く。二つのナイフは切れ味に物を言わせ、強固な巨獣の首肉を猛断。深々と大傷を刻んだ。
「先刻の借り、返させていただきます」
新しく作られたばかりの損傷部を見上げ、リリナはナイフを狙い放った。
二本は正確に目標部分へ到達し、朱肉の剥く傷口へ突き刺さる。それを見届けながら、リリナのスカートが閃いた。左右大腿に巻かれたベルト、此処へ差された小振りなナイフを両手に四本ずつ、計八本を瞬時に引き抜く。繋げての照準と投擲まで要した時間は一秒弱。八つの特殊鋼製ナイフが一斉に裂け口へ吸い込まれ、内肉を喜々として抉り進んだ。
「エレーナさん、掴まって」
「はい」
リリナが攻撃を行っている間に、禾槻は炎の攻め手を中断しエレーナの手を取った。
褐色のそれを副えると、白皙の五指はしっかりと握り返してくる。重ねた手を強く握り合わせ、二人は仲間の許へと下がっていく。
「援護は任せろ」
言って大型狙撃銃のスコープを覗くのはレリオ。慣れ親しんだ狭窄と集中、ピンポイントでクローズアップされた世界に意識を張る。
彼が捉えたのは真紅の眼球。たとえ急速に再生するとしても、少しの間だけ視覚を奪えればそれでいい。幾多の修羅場を潜り抜けてきた戦士達にとって、僅かな隙は充分な反応の余地なのだ。
レリオの指が自然体でトリガーを引く。轟音が響き、銃口から強力な一弾が解き放たれる。それは一瞬で標的に肉薄すると、不可避の速度で魔獣の左目を貫通した。飛び込んできた弾丸は眼球を粉砕し、原型の知れぬ肉片に変えて飛び散らせる。
「アウロ婆さんの知恵袋。複数の敵を相手にする時は、確実に確固撃破すべし。そうでなければ思わぬところで反撃に遭い、足元を掬われる」
走りながら呟いて、アウロもまた消音機能を持たせたスナイパーライフルを覗いていた。
長年の逃亡生活と賞金稼ぎとの戦いを経て、移動しながらの狙撃すらも磨き上げた老兵の業である。動きつつ攻撃箇所を探り、最良のポイントで引き金を絞る。次には移動の再開と次撃準備、そして敵の捕捉を同時に行う。
贅肉を極限まで削ぎ落とし洗練された熟練の一動は、自身も仲間達への合流を目指しつつ後退者達を援護した。彼女の類稀な狙撃力は多角的に獅子を襲い、注意力の散漫化と牽制に多大な効力を発揮する。それでいて狙った弾は一発として外さず、怪物の頭部を中心に数箇所へ弾痕を生んだ。
次々と繰り出される冒険者達の波状攻撃に、魔獣の喉が獰猛に唸る。痛みを感じている風ではないが、積み重ねられる攻勢の手に怒気は確実に増しつつあった。遥かに小さく取るに足らぬ様な者達だが、何度打ち据えようと執拗に立ち上がり向かってくる。その執拗さが怪物の闘争本能と破壊衝動を限界まで刺激していた。
突如として魔獣は四肢を張り、上体を反らして天を仰ぐ。遠く高い天蓋を彼方に見て、巨大な顎を開いて咆哮した。地震か山鳴りに等しい大絶音が、古代の施設全体に際限なく轟き渡る。耳を塞がねば耐えられない程の遠吠え。空気層を激震させ、アストライアメンバーの肌が総毛立つ。
暗殺者時代に培った危機感地能力の警告に従い、反射的にリリナも後退した。主君と仲間達が待つ方向へ素早く戻り、表情をそれまで以上に硬くする。
凄まじい絶咆を引き結ぶと、未だ残響の消えぬ中、巨獣は敵対者9人を改めて睨み据える。かつて起こった血みどろの大戦で闘いと争いに明け暮れた滅びの牙獣が、全身の金毛を一気に逆立てた。次いで全身が大きく震え、鬣が眩いばかりの光を放つ。
何事かと息飲む一同を余所に、獅子の背面外皮が剥離。順次、浮遊を始める。暗灰色の外皮は一枚一枚が鱗状をしていた。大きさは木の葉程度。ただ数が多い。何百という外皮の群が、巨獣の周囲へ漂う。それらは各々に明光を宿していき、静かに空間へ滞空した。
が、獅子の一鳴きが空気を食むと同時に、急遽前進を開始する。光ながら直進し、そうかと思えば歪曲し、様々な軌道を無秩序に描いて、鱗皮は冒険者達へと恐るべき速度で襲い掛かった。
「アウロさん、セルシアさん!」
「あいよ」
「はい!」
迫り来る光弾の群体を前に、禾槻が目配せするとアウロとセルシアも頷き返す。
三人共に考えていた事は同じ。ハウエンツァから譲り受けた指輪型防御機構を作動させ、高電磁力のエネルギーシールドを発生させる。
青年と老女と女性が同時に展開した電磁シールドは9人を囲い、飛来した光の激突を寸前で防いだ。輝く外皮はシールドに接触すると爆発し、内在した破壊力を四散させて跡形もなく霧消した。一つだけでなく、次々と激突してくる鱗状の外皮全てが同じ末路を辿る。
起爆剤としての魔力を封入された外皮群は、それら全てが高性能な爆薬と化していた。何かに接触する事で作用し、溜め込んだ破壊魔力を解放する。シールドへの着弾を機に爆滅する様子からして、一撃で人の手足を消滅させるだけの威力は秘められているらしい。
高電磁シールドの蔽いが無ければ、既に全員跡形も無く消え去っていただろう。想像するに恐ろしい結果を予想して、レリオとエレーナは自分の体を抱くようにして身震いする。
「確かこのシールドってよ、10秒かそこらしか保たねぇんでなかったか?」
障壁の外側で連続する大量の爆発を眺めながら、スキンクは素朴な疑問を口にした。
小型軽量化と高性能化の代償として、シールドの継続時間はかなり短く設定されている。しかも一度使用すると再起動まで10分以上の充電時間を必要とする。防毒面の下から漏れる彼の声は、その重要な事実を深刻さの欠けた調子で皆へ送った。
「マジ?」
「ウソ――」
知らなかった情報を伝えられ、愕然としたのはレリオとエレーナ。二人はスキンクを振り返り、捨てられた子犬のような目で顔色を失くしていた。
「『其の力、我が声に応え王陣の護りを敷け。天の五芒に従いて大いなる担い手たらん。銀糸の囲いに碧き輩を添らし、荒ぶる霊光に立ち向かう猛き勇心の護法となれ』」
戦慄する二人が危機感を絶頂へ運ぼうという時、ノイウェルの幼いが凛とした声が通る。
少年の詠唱が終了して光の守護膜が一同を包むのと、電磁シールドがエネルギー残量を使いきり消失するのはギリギリの差だった。
「ふぅ。危ないとこだったね」
恙無く防護陣の交代を終え、アウロは一息吐く。
元より高電磁シールドのみで全ての攻撃を防げるとは思っていない。確かに防御能力は無敵に近いものがあるものの、連続使用が出来なくては戦略の中核を成すなど難しい。シールド展開はあくまで本命の魔術防壁構築まで、皆を護るのが目的であった。この中で一番若いノイウェルの双肩に、全員の命を預けるのは彼女としても心苦しい。けれど状況からして他に手段がないのも事実。極限状況に於いては利用出来るものを徹底的に利用する、それが長生きと困難打破の秘訣である。
「頑張っておくれよ、艦長さん」
「任せるがいい。皆は余が護ってみせる」
アウロの激励に、ノイウェルは生真面目な顔で顎を引いた。
先に二度とも魔法を破られているため、精神的な余裕は感じられない。それでも弱音を吐かず、及び腰にならないのは、ひとえに彼の持つ責任感と誇り高さ、気概の強さに縁る。
「……もう一手」
緊張した防御内の空気を、ラグナの愛想ない声が掻き混ぜた。彼女は白衣のポケットに手を入れ、中から透明な球体を取り出す。
「魔法石ですね」
セルシアが確認すると、ラグナは無表情に頷く。
彼女が今冒険に持参したそれは、組み上げられた魔力の連なりによって更新される超自然現象「魔法」を封じ、任意に発動させられるマジックアイテムだ。
ラグナは魔法石を掲げ、掴んでいる指先に意識を集中した。
「……発動」
所持者の意思とキーワードを鍵として、魔法石は内包していた術式を外界へと送り出す。力の流動を全員が感じると、光の守護膜の上へ新たに青い半球状のドームが形成された。
ノイウェルの作った防御魔法を更に覆い、外部からの攻撃を請け負う第二陣。大海を思わせる青い防壁は、人間に作れないレベルの高位結界魔法である。ノイウェルと魔法石の二重構造になった防御魔法は相乗効果で強度を倍化させ、より堅固に魔獣からの爆裂弾斉射を泰然と受け止めた。
「この魔法、誰より授かったのですか?」
光に透ける青を見詰めてリリナが問う。
「……先輩」
ラグナの返答は素っ気無く、極めて簡潔だった。リリナも相当愛想はないが、ラグナも負けず劣らずである。
「リーナさん、こんな魔法も使えたんだ」
頭上を見上げ、禾槻は素直に感心した。それと共に救護班へ所属する女性の顔を思い浮かべる。
同班勤務でラグナの先輩になるリーナ・シュペルスワンは、魔法の扱いに長けた妖魔族の中でも、特に水や冷気と親和性の高い水魔である。人間以上に長命で強力な魔法を自在に使う一族の例へ漏れず、彼女は卓越した魔術の使い手として秘めたる実力を持つ。そんなリーナが可愛がっているラグナのために魔法石へ封じたものこそ、水魔伝来の強固な防御魔法であった。
極限まで練り上げられた魔力を高水圧の剛壁へと変換し、外部から及ぶ衝撃へ対する鉄壁の護りとする。重い圧力の掛けられた水質は全ての動きを間断なく遮り、魔力庇護の下で熱と電荷の無力化を促して、冷気さえも寄せ付けない。
ノイウェルには未だ真似出来ない最上位の護りが、巨獣から放たれる猛撃を耐えて凌ぐ。水膜に衝突して爆散する光弾は、高次の破壊力と衝撃波のみならず火の粉一欠けらまで完全に防がれている。一切の弊害を断ち切る強靭な盾は、その中に収めた9人を動じずに護り続けた。
「さっき魔物に触れて、分かったことがあります」
多重結界の防衛力が当面の安全を確保したため、作戦会議の様相でエレーナが口を開く。
「是非、聞きたいもんだ」
全員を見回して取得した情報の開示を企図する彼女へ、スキンクは腕を組んで興味深げな視線を送った。防毒面の下に素顔は隠れているので、マスクの眼部が向けられるだけではあるが。
「あの魔物を構成しているのは、生体金属でした」
「生体金属? なんだろ、それは」
聞き慣れない言葉に禾槻が首を捻る。隣のレリオへ顔を向けて目で問うが、彼も掌を上向け降参のポーズで応じた。
「昔、聞いたことがあるね。古代の科学と魔術が融合して生まれたっていう、生きている金属のことだよ」
年長者のアウロは顎に手を当て、掘り起こした過去の記憶を口にする。老女の言葉にエレーナは首肯した。
「はい、その通りです。3000年前の大戦時代に作られた無機生命体、それが生体金属です。あの魔物は毛の一本に到るまでが細胞サイズの生体金属群体なんです」
「元々が金属であるのだから、どれほどダメージを受けても痛みは感じないわけですか」
自分達の攻撃に対してまったく怯む気配のない魔獣を思い、セルシアは苦々しい顔をする。まるで水や風といった実体ない存在を相手取るような徒労感が、彼女の四肢にはこびり付いていた。
「頭を撃ち抜いても、あの通りピンピンしてるってのはどういうことなんだ?」
「構成物質の一つ一つに直接、複合形成情報と活動目的、戦闘システムの全てがプログラムされています。ですからあの魔物は、体全てが脳と同じ作用をしているようです」
サイコメトリで獲得した情報を教えられ、疑問の晴れたレリオは「どうりで」と舌打ちを零した。
知らなかった知識を得られる喜びより、状況打開の方策が思い描きないことに落胆を覚える。何時までも窮地に甘んじていられない戦士としての心理が、目に見えて焦燥を募らせていく。
「私達、炭素ベースの有機化合物から発生した炭素生命とは異なり、珪素を主体として多様な鉱物結晶を取り込み形成された生体金属は、大気中の魔素をエネルギー源としてほぼ無尽蔵に自己増殖を繰り返します。細胞レベルの生体金属全てに自動修復機能が備わっているので、残念ながらどんな損傷も短時間で復元してしまう」
「やはり個々人の攻撃では有効打にはなりませんか。あれではこちらが消耗するばかりです」
障壁越しに魔獣を見遣り、リリナは冷めた麗貌へ厳しさを含めた。
爆裂する魔力を乗せ、即席の弾頭とした外皮を連続射出する巨獣。先ほどから防御陣を削り取ろうと滅鱗の放射に従事する敵勢は、一定距離を保ったまま代わらぬ姿勢で存在している。変化があるとすれば四肢や顔面の傷が跡形もなく修復され、メイドが裂いた首の斬傷も綺麗に消えているということだけ。
「……どんなに万能に見えても、所詮は人が作ったもの。どこかに必ず突破口がある」
「同感だねぇ。あんな化け物を作っちまう昔の連中が神様ばりに優秀だったら、滅んじまうのはオカシナ話だ。どこぞに欠陥や間違いがあったから、瓦解してなくなっちまったのさ。そんな連中のワンちゃんなら完全無欠にゃ程遠いだろうぜ」
ラグナの発言を支持するスキンクは、肩をすくませ軽妙に笑う。
終始一貫して揺らがない軽薄な雰囲気は、追い詰められている自覚が抜け落ちていた。尤も。この場合にあってその余裕は不謹慎というより、皆の緊張を解すある種の清涼剤のように作用する。
「それなのですが、あの魔物を構成する生体金属の各個連動は、統御機関であるコアによって保たれているようなんです」
「コア? 心臓みたいなものかな?」
再度首を捻る禾槻へ、エレーナは頷き返す。
「はい。魔物の体内深奥部に、全ての生体金属の連携を統括する制御コアがあります。それを破壊すれば、魔物は今の形を維持出来なくなり崩壊する筈なんです。ただ問題が……」
「重要な装置なら他の部分以上に強力な護りがあるだろうね。おそらく再生力も高いだろうさ。生半可な攻撃じゃ、どうしようもないようなレベルで」
暗く翳るエレーナの表情が、アウロの告げた危惧の正しさを物語る。歴戦の猛者は目を細め、攻撃の手を緩めない魔獣の威容を眺め見た。
アウロの言葉は、魔法壁内の空気を重くさせた。セルシアの直接攻撃も、禾槻の炎も、レリオとアウロの銃撃も、リリナの剣戟も、スキンクの小細工も、どれ一つとして魔獣に致命傷は負わせられない。一時的なダメージとはなるが、即時修復され無意味に終わっている。外部の構成物ですらそうであるのに、更に大きな再生機構を備えた中心核を突破出来るのか。冒険者達の不安は切り崩せない現実の前に、暗雲の如く胸中を曇らせた。自然と皆が口を噤み、乗り越え難い困難を前に複雑な顔となる。
絶望感がじわじわと敗戦色の根を伸ばし、一同の心に侵食を始めた時。
「なにも恐れる必要などない」
会話の絶えた空間へ、力強く真っ直ぐな声が走った。希望の明かりを手放さない前向きな声に、表情へ影を落とす面々が顔を上げる。そのまま声の主へ、全員の視線が集められた。
冒険者の艦アストライアに乗船するメンバーが見たのは、彼等のリーダーである若き艦長。ノイウェル・フォン・アルハルトの何者にも屈すまいという強健な意志が表れた、堂々たる姿だった。
「一人一人の力で足りぬならば、皆が力を束ね立ち向かえばいいのだ。簡単な話ではないか」
ノイウェルは全員の顔を順番に見遣り、自信に満ちた笑みを浮かべる。
自分達ならばこの危機を脱し、立ち塞がる強大な敵を退けられる。そう確信して疑わない、強い輝きが双眸へ宿っていた。まだ若く幼く弱々しい少年であるが、ノイウェルには誰よりも清く誠実な覚悟と、仲間達への絶対的な信心がある。それは一つのカリスマ性として彼を照らし、同志一同に再起の光明を分け与えた。
「ノイウェル様の仰るとおりですね。私達にはまだ、やれる事が残っています」
最も早く賛意を示したのは、ノイウェルの忠実な従者であるリリナだった。
彼女は主君の揺るがぬ姿勢へ眩しそうに目を細め、成長の喜びに微笑を刷く。自分の主は彼しかいないのだと改めて確認し、その結果へ満足気でもある。
「行動を起こす前に、気持ちの面で負けてしまうところでした」
「艦長さんに気付かされるとは、私もまだまだだね」
「俺も半分諦めてたが、目が覚めた気分だ」
「そうだよね。まだ勝負はついてない。これからだよ」
「……まぁ、正論」
「何が出来るか分かりませんが、私も皆さんと一緒に頑張ります」
「そうそう。早いとこ終わらせて帰んねぇと、昆虫料理教室を見逃しちゃうからね~」
少年の抱く信念と精悍な意識は、戦士達の闘志を相次いで奮い立たせた。一度は萎えかけた各自の戦意だったが、ここにきて活力を取り戻し全員が前へと向き直る。
にじり寄っていた濃厚な敗色の気配は何時しか払拭され、誰もが敢然たる勝利を見て気持ちを一心していた。
「それで実際にはどうするんだ? 目標は体の奥にあるんだろ」
「強引に穴を開けるより、元から繋がってるものを使えばいいんじゃないかな」
投げた問いに思案顔で返す禾槻へ、レリオは具体案を視線で求める。
これへ応じたのはラグナだった。
「……口がある」
「名案だね。それなら体内へ直接通じてるでしょう」
アウロの同意で作戦の方向性が固まり、他の面子も計画を詰めていく。
「では皆様が攻撃を仕掛ける間、魔物の動きは私が止めましょう。セルシア様」
「なんですか?」
「私が足止めをしますので、貴女は奴の口を抉じ開けてください。貴女の力ならば可能な筈です」
「分かりました。なんとしても成功させてみせます」
早速名乗りを上げたリリナと、彼女に指名されたセルシアは、互いに役割を取り決めて頷き合った。
前衛戦闘の最先鋒は後の流れを決定する重要な役割である。失敗は許されない。語らずともそれを理解している二人は、致命的なミスを起こさぬよう注意深く、それでいて素早く準備を開始した。
右手の五指を握り、また開き、セルシアは何度も拳を作っては解いてを繰り返す。先頃、雷撃に打たれた体は普段と大差ないよう見えているが、実際にはかなりのダメージを蓄積していた。稼働率は完調時と比べて六割程度にまで減衰し、とても万全とは言い難い。しかし最後の決戦へ挑むにあたり、限界まで力を引き出す必要がある。今の状態で無理をすれば、本当に躯体が壊れてしまうかもしれない。賭けとしてはリスキーに過ぎる。
「例えそうだとしても」
誰にも聞こえぬ声で、セルシアは己に呟いた。静かに前を見詰める彼女の顔は、覚悟の色こそあれ迷いがなかった。
自身の総てで似って仲間の活路を拓く。我が身を顧みぬその意志は悩むべくもなくとうに決まり、不動の戦意と結び付いて胸郭奥にて脈動へ等しい駆音を奏でる。
アストライアの仲間達は、生身を捨て機械となった自分に他者と変わらない態度で接し、受け入れ、対等の人として付き合ってくれてきた。そのさりげない優しさがどれほど嬉しく、どれほど心強かったか。血の通わない体になってからの、堪え難く無情な孤独。これを埋めて満たしてくれた彼等には、言葉では表しきれない感謝がある。
そんな彼等の為に働くことへ躊躇いなどあろう筈もない。自分の力が求められるというのなら、喜び勇んで応じよう。大切な仲間達の誰一人としてこんな所で命を散らせなどさせまいと、揺るぎない決意の下でセルシアは両の拳を固く握った。
「こうして皆さんの力になれることを考えれば、戦闘に耐えられるよう体を調整してくれた彼に、感謝しないといけないわね」
厚顔無恥且つ唯我独尊を地でいく研究者、ハウエンツァの姿を脳裏に浮かべてセルシアは苦笑する。
自分勝手で人の話を聞かない横柄な男だが、持ち前の技術力だけは超一流。彼のメンテナンスがあるからこそ、セルシアはこうして戦っていられるのだ。水と油のように反発しあう性格から嫌悪感を抱かないではいられないが、自称天才科学者の実績は確かなもの。その裏方的活躍を素直に認め、少々癪だが帰還の暁には謝意を送ろうとも思い始めていた。
「余はこれから指向性を排し、威力のみに特化する魔法を紡ぐ。禾槻は余の魔法に出来る限り強力な炎を合わせてくれ」
「魔術と超能力を融合させるんだね。考えてもみなかったよ」
ノイウェルの提案に微笑みかけ、禾槻は了承の形へ顎を引く。眼前に居座る巨大な障害を打破し、誰一人欠けることなく冒険を成功させようという、言外の気概が両瞳に漲っていた。
「レリオはロストアームを持っておったな」
「ああ、此処にあるぜ」
ノイウェルに聞かれ、レリオは懐から掌に収まる程度の球体を取り出した。鉄に似た光沢を見せる、黄土色をした球体だ。表面には微細な紋様が隙間なく彫り込まれ、独特の存在感を湛える。
「それを使い、余達が設けた術式を敵に放ってくれ」
「こいつを起動させて魔法だか超能力だかをぶっ飛ばせばいいんだな? 面白いぜ。やったことはないが、任せとけ」
少年の要求に異を唱えるでなく、レリオは親指を立てて快諾した。かつてない試みに臆さぬ頼もしさへ、ノイウェルも信頼の笑みを返す。
「アウロにエレーナ、ラグナとスキンクはサポートを頼む」
「了解したよ」
「はい、頑張ります」
「……分かった」
「それはいいとしてだ。どうやってゴールデンハッスルメンの攻撃を掻い潜るつもりかね?」
スキンクの指摘に全員が結界外部へと目を向けた。
青い光の防護膜には延々と爆破皮鱗が激突を続け、衝撃と熱波を多段的に積み重ねられている。守りの一歩外、無防備な空間へ巨大な破壊の圧力が渦を巻き、あらゆる被造物を灰塵に帰すべく暴れ回る。
僅かな隙間もなく連鎖を解かない滅びの意志が蠢動する中、担い手たる金の王獣は四肢を張って巨体を低め、9人の獲物を見据えて動かない。堅牢な守護の防陣を突破すべく大火力の集射を止めない魔獣の紅眼は、当初から委細変わることのない徹底した敵意と殺意に爛々と輝いていた。疲労や諦観は絶無であり、執拗で狂猛な闘争心に翳りはない。冒険者達の護りを完全破壊するまで、同じ攻撃を間断なく継続させる腹積もりなのだと、容易に知ることが出来る。
「確かに、このままでは近付く事が出来ませんね」
冷めた顔に口惜しげな気配を僅かに乗せ、リリナは唇を引き結ぶ。
仮に我が身の負傷を厭わず立ち向かっても、一歩と進む前に肉体が消えてしまうだろう。それほどの攻勢が、容赦なく繰り返されている。
「あの魔物は、僕達をこの場に縫い付けておくつもりみたいだね」
「結界が切れた瞬間に、俺達は木っ端微塵の大合唱てなわけだ。唯一の救いは、葬儀屋が死に化粧を施す手間が省けるってとこか」
覆し難い状況に頬を掻いて息吐く禾槻の傍、スキンクは憤懣やるかたない様子で鼻を鳴らした。ただ防毒面に遮られ、鼻息は誰の耳にも届かないが。
「この防御魔法は、あとどのくらい保つんだい?」
「……もう少しはいける筈。でも、あまり余裕はない」
「絶体絶命ってことか」
アウロとラグナの問答に、レリオが表情を強張らせる。
戦う意思を呼び起こしても、実際問題として身動きが取れない。進むも退くもならない膠着した状況は有限で、何時までも燻っていては敗北必至。勝利の為の一手を誰もが模索し、焦燥ばかりが悪戯に募っていく。
「鬣さえ破壊することが出来れば」
「あやつの鬣がどうかしたのか?」
エレーナの呟きを聞き拾い、ノイウェルは爆煙の先を指差した。厚い炎と黒煙が立ち込める奥に、こちらを狙う魔獣が佇立している。
「はい。あの魔物の鬣が、魔力の制御と魔法の構築を行う機関なんです。だから鬣さえ壊せれば、一時的であれ魔法を封じられるのですが」
「そいつはイイことを聞いた」
突然、スキンクが大声を上げた。何事かと全員が防毒面へ視線を集中させる。
当人は気にせず自分の背中へ手を回し、襟首の中に手首までを突っ込んだ。そしてすぐに引っ張り出す。手にはしっかりと柄を握り、それへ繋がる長剣が軍服と体の狭間から滑らかに現れた。
誰も予想しない場所から予想しない代物を平然と抜き出すスキンクへ、驚愕の眼差しが四方より刺さる。一同が注視するのは、防毒面が手に持つ一振りの剣だった。何の意匠も施されていない無味乾燥な握りと鍔、銀色の光を鈍く返す両刃の直剣。何の変哲もない、どこの武器屋でも売っていそうな大量生産品。無銘のブロードソードにしか見えない。それを彼は鞘でなく、自分の背中から抜き放った。全員が驚くのも無理ないだろう。
「ど、どこから出すんだ」
「なんだか手品みたいだね」
「……やっぱり変人」
若干引き気味のレリオと、暢気に感心している禾槻、考えるだけ無駄だと思考を放棄したラグナ。他の面子も似たような反応を見せている。
「ほれよ、メイドさん」
各自の疑念と好奇は意に介さず、スキンクは自前の刃をリリナに差し出した。
得体も意図も知れない勧めに、ノイウェル付きの武闘派メイドは怪訝な顔をする。
「なんですか、これは」
「見てのとおり、少々常識の通用しないヤバイ得物だ。投げても捨てても気付いたら手元にあるんで、なんか呪われてるのかもしれん。が、業物だぜ。先陣きって特攻掛けるなら、ちっとはタシになるんじゃないかと思ってね」
今は少しでも多くの戦力が欲しいところ。スキンクの申し出へ逡巡もなく、リリナは一度だけ頷いた。
速やかに手を伸ばし、見た目は普通でしかない剣を受け取る。その直後だった。指を、掌を通じ、奇妙な感覚がリリナへ伝わる。皮膚を透過し、筋肉を伝播して、神経へ直接感じるもの。小さくも強かで、確固たる不気味な鼓動だ。その長剣は密かに脈打っている。
眉を顰めたリリナを見て、スキンクはマスクの下で唇を吊り上げた。
「命吸われそうだし、危険な臭いがプンプンするから俺は使いたくねぇんだよな。正面きって戦うタイプでなし、後は任せた」
厄介な代物を押し付けられた感に目を細め、リリナは剣と防毒面を順に見た。しかし固まる闘志は萎える兆しもなく、続く言葉とてないまま長剣を構える。
その後姿を見送って、スキンクは懐からボールペン程の円柱体を取り出した。
「さぁて皆様、お立会い。奴さんの攻撃に隙を作るぐらいは任せてもらおう。どうやってとは聞きなさるな、見てりゃぁ分かる。各々方は好機を逃さず、奴の喉笛に喰らい付いてくだされよ」
歌う様に口上を述べた矢先、スキンクは円柱体の先端を親指で押し込んだ。それと同時に魔獣の鬣へ絡まっていた不発手榴弾が反応し、収めていた炸裂機構を発動させる。
装填火薬が瞬間的に起爆して、凶々とした爆熱を外周目掛けて発散させた。炎は波状の衝撃と連動して一気に拡散し、赤熱の魔手で黄金の剛毛を焼き尽くす。爆発点では紅蓮の球泡が急激に膨張しながら、周辺の大気を道連れにして獅子の硬皮も深々と抉り取った。
「策ってのは、二重三重に用意しとくもんだぜ。不肖、この私スキンクの抗議を静聴有難う御座いますです」
手榴弾を遠隔爆破させた円柱型のリモコンはそのままに、貴公子然としたわざとらしい御辞儀を決める。
そんなスキンクの前方では、張られた結界への集中攻撃が停止していた。魔力の循環変成と詠唱構築を成す主要機関の欠損から、爆裂散弾の掃射が不可能になったのだ。それまで続いていた皮鱗の襲撃は完全に止み、9人と魔獣を遮る物は何も無い。
変転した状況に即座対応したのは、自らの宣言通りにリリナである。彼女はスキンクから譲渡された長剣を下段に構え、前傾姿勢で一気に駆け出す。二重の防護膜が自然消滅する中を抜け、弾幕の残滓に煙る空間を全力で走った。巨躯の獅子を真正面に据えて、ただ只管直進する。
「古代の遺物よ。ノイウェル様の為に、私の力となりなさい」
走りながら、リリナはメイド服の袖口から黄土色の球体を手へ落とした。レリオが持ち込んできたのと同じ、携行型万能兵器ロストアームである。
彼女の戦意に呼応して精神パルスを読み取り、太古の戦闘遺物は光り輝いて瞬間的に原型を失う。質量の全てを光の帯へ変換し、それは緩やかにうねりながらリリナの握る剣へと纏わり付いた。光はすぐに長剣全体を覆い尽くし、消えない光で形を埋める。
時間としては一秒にも満たない。リリナが次の一歩を踏むより早く、光は失せて剣の姿を外気へと解放した。そうして露となったのは、直前までは似ても似つかない巨大な刃。柄だけでも持ち主の半身程もある。幅広の鍔は左右へ大きく張り出し、翼のように視覚出切る特異な形状へ変化していた。刃根元は前後に膨れ、内部に蒼い結晶体が確認出来る。刀身に至っては最初期の数倍へ及び、恐ろしく長く肉厚の刃が精悍な迫力を茫漠と投射した。全長にして3m近くはあろうか。刃先から柄頭までが白亜で統一された姿は、彼女達が活動拠点とする高機動魔導飛翔艦アストライアに酷似している。
使用者の意識に反応して自在に形を変え、個人専用の唯一兵器へと再構成される古代遺産ロストアーム。それがスキンクから手渡された長剣と結合し、人間が扱う物とは思えない常軌を逸した特大の巨剣へと、著しくも非常識な成長変化を遂げた。
もはや自身を倍する程に巨大化した白剣を、だがリリナは軽々と持ち、重さなど感じさせない足取りで進み続ける。彼女の筋力が人並み外れて発達しているわけではない。使い手だけの武装となったロストアームの変換形態は、使用者に一切の負担をかけないのだ。まるで一片の羽が如く重さを失くし、使役する存在へ最大限の加護を与える。太古に設計された最優兵器が持つ有能性は、三千年の時を経て尚正常に働き、確実にリリナの助けとなった。
見た目の大きさとは裏腹に、まったく重さを感じさせない剛剣を携えて、リリナは自らの定めた行路を直走る。剣のみならず自身の体重さえ忘れたように軽快な走行で、敷かれた鋼板を踏み越えていく。遮蔽物のない平らな世界を直進すれば、然程も時間など要さずに目標へと辿り着く。眼前にはもう、金の巨獅子が仰げる程に迫っていた。
敵勢の接近に対し、魔獣も迅速な対処を開始する。床を踏み締めていた右前肢が振り上げられ、次にはリリナ目掛けて豪速で打ち下ろされる。体毛の下で膨れる隆々とした筋肉が風を切り、鋭利な爪が空気を裂いて襲い掛かった。
「私は、負けるわけにいきません」
迫り来る豪肢を瞳に映しながらも、リリナは回避行動を取ろうとしない。変わらぬ直線進路を突き進み、真剣な面差しで冷静に告げる。
零される吐息に興奮はなく、静かに調節された普段通りの起伏のみ。その息遣いは乱さぬまま歩を止めると、肩幅に脚を開いて腰も大きく捻った。両手で強く握る巨剣は上体ごと後方へ絞り、向かい来る魔獣の肢を見詰めて、両肩へ力を注ぐ。
「ハッ!」
呼気は浅く、けれど鋭く。巨大な猛威が頭上から被さるよう落下する最中、リリナは溜め込んだ力を解放した。
全身のバネを活かして打ち振るわれる上半身。固く握られた大刃が獣声さながらに撓り吼え、体動と共に正面空間へと引き戻る。巨剣は彼女の歩み以上の速度で疾り、上空から落とされる進撃を斜め上段への斬り上げで迎え撃った。
怪物の太い肢を、リリナの巨大白剣が打ち据える。降下軌道へ側面から割り込み、魔獣の前肢へと激突した。豪快な反発作用が生じるのは半瞬後で、これを押して更に腕を振るったメイドの一閃が、魔性の右肢を弾き飛ばす。
大きさのみならず威力も格段に向上している斬撃へ阻まれ、獅子は獲物を踏み切れない。肢が上方へ押し返され、企図せぬ隙が合間へ生まれた。リリナはこれを逃さず、一度振り抜いた剛剣を再度逆振りする。自ら描いた軌跡を反対になぞり、巨剣は盛大な唸りと脅威の速度で魔獣の肢へ跳び掛かった。
最初とは反対に位置付く側面部へ、白刃が外皮を穿って減り込む。確かな手応えと肉裂く感触、そして抵抗がリリナへと伝わった時、躊躇なく込められた力は一息に障害を断つ。巨獣の内を白い剛剣は疾走し、足首から下を綺麗に切断した。切り離された部位からは黒い体液が噴き、空中へ放り出される肢裏は五指を含んで落下していく。
「視界を奪わせてもらいます」
見事に切り飛ばした魔獣の肢へは既に興味も示さず、怯まぬ敵を睨んでリリナは冷たく言い放った。
一歩進んで両手に掴む白亜の柄を再び振り、今度は真横へ新生巨剣を薙ぎ払う。先撃から硬直なく続けられた連動は、白い刃先で魔力も空気も境界なく蹴り散らした。回避を許さぬ速さと間合いで肉薄し、剛剣は獅子の目尻へ刃を埋める。そこから更に暴力的な軌道で走り、厚い外皮を潰し裂いて紅眼まで切り払った。
巨大な刃は感情なく二つの眼球を真横から撫で斬り、透明な眼膜と紅い瞳孔を横断する。ギラついた凶眼は突然の襲撃に恐れの類を浮かべなかったが、抗う事も出来ぬまま分厚い刃に中心を抉られていく。異物の侵入に冒された柔らかな眼球は、水分を有し潤んだ部位から掻き裂かれ、微細な飛沫を噴出させて砕け散った。すぐに機能どころか形状そのものが欠損していき、無惨な肉塊の片々と化す。壊された残骸の一部が蕩け出すと、目玉の名残の固形物を滴らせて床へ弾ける。
容赦せず駆けた巨剣に顔面の上半分が削り取られ、亀裂状の裂傷が双眸へ変わり生み出された。リリナは宣告を忠実に守り、魔獣の視力を眼部一帯ごと消し去ったのだ。
右前肢と目を潰された金の獅子は、痛みに呻くことはない。無機物を基礎とする体は一切の痛覚を宿さず、故に平然と反撃行動へ移る。後肢と左前肢で巧みにバランスを取りながら、十五の指と体動で巨躯を回転させた。独楽回しのように。
体の中心点を主軸として、怪物は視認に難い高速度で大回転を実行する。金の体毛が一斉に同一方向へと揺れ靡き、金色の大円を描き出す。それによって太くしなやかな巨尾が地上を走り、周囲に立つあらゆるものを吹き飛ばした。主に散らされたのは爆煙の濃い噴幕。長い強尾に打ち払われ、全てが事も無げに掻き消える。その中に、リリナの姿はない。
的確な攻撃を決めた彼女は、大振りの横薙ぎをやり終えた足で床を蹴った。前に行く為ではなく、上へ跳ぶ為に。メイドの狙った次撃と、魔獣の放った回転尾撃が重なったのは偶然に非ず。数々の死線を潜り抜け、実地で危機感知能力を研ぎ澄ましてきたリリナは、培ってきた感覚から敵が大掛かりな攻勢へ来ると読んだ。そもそも魔力を用いた攻撃の封じられている状態で、獅子が選択する行動など限られてくる。そこから当たりをつけ、彼女は高らかに跳躍した。
空中へ跳び上がった一瞬の後、それまでリリナの立っていた場所を巨獣の大尾が駆け抜ける。行動が僅かでも遅れていれば直撃を受け、彼方まで吹き飛ばされていただろう。それどころか低くもない確率で、絶命していたかもしれない。
「この一太刀を勝利に繋げる」
静かに口ずさみ、リリナは足場無い虚空の只中で前傾した。腰を曲げ、上半身へ重心を置く。跳躍時に働いた重力へ逆らう浮力を纏い、高度を落とす事無く体が回る。ぶつかる物がない空中ではメイドの肢体が軽やかに前のめり、スカートを閃かせて一気に前転運動を開始した。
上空で素早く一回転するリリナは、無論、巨剣を手放してなどいない。握った白刃は豪快に一転し、メイドの動きそのままに猛牙を振るう。前から入り、下へ行き、後ろへ回って、上へと昇る。巨大過ぎる両刃が轟音を伴い車輪型へ激走し、間合い内の全てを寸断した。
回転運動で破壊力が増大している巨剣は、床上での回転を止めた魔獣の左前肢へと食い込む。胴体と肢を繋ぐ肩口へ刃は沈み、下方へ掘り進んで肉と皮を半分以上こそぎ取った。ついでに血管類を断ち切り、黒液の循環を妨げ、骨格も裂いて巨躯の支えへ弊害を誘発させる。白亜の大剣が黒液を散らせて肩肉から抜け出すのと、右肢の首下及び左肩の繋がりを奪われた魔獣が、雄々しい体躯を右方へ傾けるのは殆ど同じタイミングだった。
流石に両前肢を連続して破損させられては、正常な体勢を維持出来なくなったらしい。獅子は床へ半身を近付けて斜めに沈む。それによって左肩が前方へと突出し、リリナにとって丁度良い足場を提供した。
「フンッ!」
空中回転を経て体向が跳躍時のそれへ戻ったメイドは、勢い良く突き出てきた異形の肩口に、巨剣を上段打ちで叩き込む。分厚い刃が外皮を削り深く減り込み、強く安定性を確保する。
肉と骨の狭間に打ち込まれ、揺るがない係留索となった巨剣。その柄を支えにリリナは再度一転し、鉄棒回りの要領で勢いをつけ、軽々と魔獣の肩上へ飛び移った。新たな足場に乗ると腕を引き、深く刺さった剣を獅子の身から引き剥がす。
「これからが本番です」
誰にともなく呟いて、リリナは魔獣の背上を走り始めた。
握る巨大剣を斜めに下げて、厚い切っ先を金毛へと埋める。そこから刃を下方へ押し込み、力任せに外皮を擦り、削り、抉り、裂いて、長胴を下半身目掛けて疾走していく。
硬い鋼板の変わりに堅固な筋肉の上を踏み拉き、鋭く太い刃先が進行に応じて皮肉を食い刺す。刻み破れた肉体の狭間から黒い体液を溢れさせ、飛び散る肉片が方々へと付着する。その間にも白刃は淀みなく斬り進み、外皮の守膜を打ち砕いた。
生い茂る金毛掻き分け背肉を傷付け、リリナは巨獣の上を南下する。狭まらぬ歩幅は全力による快走であり、沈下した刃を率いて突撃と呼べる勢いで邁進した。足裏に魔獣の脈動を感じつつ、失速せぬまま辿り着くのは下半身域。腹部の真上に相当する。
何者の妨害もなく順調に道程を踏破して、目的地に一歩を乗せてメイドは止まった。走りながら傾斜に自身を導いて、怪物の右脇腹上部へと位置付く。そこへ到達すると巨剣を両腕で高く振り被った。刃先を足元に向けた形で、弓なりに背中を反らし、腰を目一杯伸ばして、限界まで腕を振り上げ、リリナは身長以上ある白亜の剛剣を掲げる。
「全ては、ノイウェル様の勝利が為に!」
声高に謳い、リリナは脚力を解放した。外皮を蹴り、真上へと跳び上がる。後腰と腹部の間となる背面部に双眸を固定し、その一点を正確に狙う。
体が重力に掴まり跳躍力が奪われると、落下する途上で手にする刃を下向けた。振り上げた腕を一息で振り下ろし、自重を上乗せ高所から標的部分へ衝突する。接触と同時に巨大な剣は魔獣の身へと切っ先を突き、驚くほどスムーズに埋没していく。外皮は勿論のこと、犇く筋肉にも通行を乱されず、進路にある組織を次々と切り裂き押し潰した。
生物に酷似した構築様式を巨大な異物は躊躇なく破壊して、線維の一つ一つまで余さず力尽くで突破する。侵入体に抗おうとする内部活動もあったが、リリナの強靭な精神力を糧として形成された刃を止めるには至らない。分厚い両刃は獅子の脇腹を一直線に降下して、柄へ届く根元までを飲み込ませた。これによって反対方面、魔獣の腹部端を突き破って刃先が現れる。
巨剣は更に推し進み、逃れ難い圧力で怪物を床面へと平伏させた。元々前肢の支えを失くして安定の欠いた巨体に、反動を生む余裕はない。下腹を鋼板に密着させると、腹部を貫通した白亜の刀身は、古代材質をも貫いて床へ沈む。人の身を数倍した剛剣の刃は、魔獣の体と床とに全てを沈埋し、外観の一切が見えなくなった。金獅子は身動きが出来ないよう、標本箱の昆虫同様に串刺しとされたのだ。
「セルシア様、今です!」
「はい!」
リリナの叫びへ、既に駆け出していたセルシアが応じる。彼女は行動を抑制された魔獣へ突進し、床面に接する巨大な顔へと正面から躍り掛かった。
かつて出したことのない速力を発揮し、一気に距離を詰める。眼部の裂けた王獣の顔前に全身からぶつかり、速度と体重、慣性、腕力、全て注いで両腕を大口の中へ叩き込む。頑健なガントレットに覆われた左右の腕は、渾身の力で鋭い犬歯を上下共に粉砕した。
砕けた牙が飛び散り向かい来る事にも構わず、セルシアは右腕を上顎、左腕を下顎へと即座に宛がう。それぞれに獅子の両顎を掴むと、上下別々の方向へ腕を動かしていく。
小細工は必要ない。ただ持てる力を限界まで引き出し、無理矢理にでも口を抉じ開ける。技巧も才覚も用いず、単純にして純粋な力によって障害を取り除くのだ。自分に与えられた役割を全力でこなす。セルシアが今考えるのは、それだけだった。
ここにきて過度の使用に耐えかねたように、両腕は悲鳴めいた軋みを上げる。脚の踏ん張りも、当初に比べれば随分と弱い。一瞬でも気を抜けば、立っている事さえ出来なくなるだろう。セルシアは漠然とだが、絶望的な自分の状態を把握していた。
ここで倒れればもう、自力で動く事など望めはしまい。紛い物の身は眼前の魔獣と違い、再生機能などついていないのだから。今膝を折ってしまったら、かけがえのない仲間達の期待に応えることは永遠に不可能となる。自分が再起不能に陥るだけでなく、彼等全員がこの途方も無い怪物に蹂躙されよう。
「絶対に、やらせはしないッ!」
セルシアは両目を見開き、怒号を発し、全身から更なる力を汲み上げる。
四肢が極限を訴え、体の内部では幾つかの配線がショートを始めた。そこかしこから小さな火花が散り、ギシギシと無機的で鮮やかさの欠片もない、不快な騒音が零れ出る。
気付けば視界が赤く染まり、聴覚にはノイズは混じって正常さを失っていた。今まで自在に動かしていた体が、急激に意識から遠ざかっていく。本当の終わりがすぐ傍にまで迫ってきた。このまま無理を押し通せば、どうなるのかもう彼女自身にも分からない。
だというのに。
「知るかァッ!」
絶叫しながら、セルシアの腕が動く。右腕は上へ、左腕は下へ。それぞれが魔獣の大顎を上下に押し開き始めた。
唸る腕動に従い、固く閉ざされていた口腔が僅かずつ動いていく。機械の腕は閉口力を上回る働きで、上下の顎を筋肉骨格総じて引き剥がす。力任せに開かされる大口では粘度の高い唾液が糸を引き、口角から濁った流液が滴り落ちた。零れる唾液をまともに受けてしとどに着衣を汚しながら、それでもセルシアは力を緩めず挑み続ける。