片翼の狙撃手
執筆者:Mr.あいう
東大陸内陸部、大規模農業と大陸横断鉄道で栄えた『ベルトシティ』。その繁華街と言えば、眠らない町として他の大陸にもその名が知れ渡るほどだった。ネオンの明かりを第二の太陽として夜の帳が降りることはなく、今宵も金や女や権力に飢えた人々がせわしなく動き回る。
そんな喧騒の中、夜の闇を切り取ったかのような真っ黒な魔導式原動機が走っていた。
「ヘイ、スペード。本当なんだろうな? 『ヨークシャーホテル』に村一つ買えるほどの大物賞金首がいるってのは?」
腹立たしげに車内で声を上げたのは22、3ほどの若い女。口にはタバコ、胸元がざっくりと開いた赤いドレスを身に着け、開いた左胸のダイヤ型のタトゥーが艶かしく覗く。しかし、その両足は左右で微妙に色が違う、まるで別の人間の足のように。
スペードと呼ばれた男は顔にかかっていた不釣合いに縦長のシルクハットをわずかに上げる。頭にはシルクハット、顔半分を覆うような悪趣味なサングラスを夜中に、しかも車内でかけて、首には毒々しい黄色の蝶ネクタイ、そして爬虫類を髣髴させるようなテラテラと光る紫のスーツという異常な組み合わせを見事に着こなしているその男は後部座席を目一杯に倒して寝転がり、運転席の背もたれに足をかけてふんぞり返る姿勢を一切崩さず、その問いに答える。
「その通りダイヤ、我らがデータベースハート君の言葉を信じれば、買出しに行った際、運良くその賞金首にめぐり合い、そして全くばれずに尾行を成功させ泊まっているホテルを割り出し、その後ホテルのコンピュータにうまい事侵入、そいつが「マダム・フクロウ」なんてふざけた名前で10階の五号室に泊まっているのを突き止めたそうだ。なあ、そうだろハート君? もしそうでなけりゃ、今頃君は愛煙家の俺とダイヤを煙草抜きで二時間も待たせたことのツケを払うことになるわけだが、そのことについて君の意見が聞きたいねぇ?」
一文節置きに運転席にかかと落しを食らわせながらそう言った男の声は到底人間の声帯から出たものとは思えない機械音が混じる。よくよく顔を見れば、男の顔は右半分全てが機械で構成されていた。口の中の歯車が時折かみ合わず、きしんだ音を立てる。
機能性と引き換えに肉体を削ったサイボーグ、俗にアサルトハイトと呼ばれる人間だ。
「そ、そんな……まるで僕が嘘をついているみたいな言い方、止してくださいよ。皆さんも、僕の録画はみ、見たじゃないですか…………」
落とされるかかと落しにいちいちハンドルを震わせながら、気弱そうな声で答えたのはハートと呼ばれた存在。凡庸なジーンズに凡庸なジャンパーを着ていたが、しかし袖口から突き出しているのはモーター音を微かに響かす銀色の腕。人間の脳と機械の体を持つバスターアーマーと呼ばれる存在である。
「……そう苛めてやるなスペード。わざわざ真偽を確認するためにこいつの頭からデータを引き出して上映会をやったんだ……これ以上の証拠が何処にある?」
「へえ、今日は珍しくおしゃべりだなクラブの旦那。なんだ、昔の同僚に会えるってんで高ぶってんのかい?」
「………………」
再びむっつりと黙り込んだ助手席の老人は、右腕の肘から先が甲殻類の如きハサミと化していた。機械仕掛けのそれは、時折本人の意思とは関係なく、咳をするように開閉していた。
シルクハットの男と同じく、アサルトハイトである。
「おいおいだんまりかよ、隠さずに言っちまえ。正直言って、俺は元グロバリナ帝国軍人のクソッタレを血祭りに上げれる喜びでテンションは最高潮にMAXだ! 皆もそうなんだろ? なあ、ロケットランチャーで体をふっ飛ばしやがった奴らの顔を夜な夜な思い出すんだろ? ハート君」
満面の笑みで尋ねられたハートは表情が存在しない顔をうつむけ、ハンドルをきつく握り締める。
「…………僕は、戦争をする奴らが大嫌いなだけです」
「ククク、そうだよハート君、それでいいんだ。なあ、冤罪で利き腕を切り落とされた挙句に無実だと分かってなおぶち殺されそうになったクラブの旦那も、腹ん中はグツグツ煮えたぎってんだろ?」
窓の外を眺める老人の両腕のハサミが何度も何度も空を斬る。
「…………否定は、せんよ」
喋っているうちに興が乗ってきたのか、シルクハットを片手に持って、スペードは高らかに叫ぶ。
「そうだそうだ、そうだよ! それこそ我々、それでこそ我ら『スクラップトランプ』だ!! ダイヤ、貴様の家族と処女を奪った奴らを合法的にぶちのめせる時が来たんだぜ!! さあ、まだ夜は明けない、狩人諸君、楽しい楽しい、狩りの時間の始まりだ!!」
哄笑を闇夜に響かせて、欠落した彼らは走る。
自らの過去を蹴散らすために。
自らの過去を取り戻すために。
そして、彼らを乗せた魔導式原動機はホテルの前にたどり着く。
ポケットの中でチップを数えるような仕草をしていたドアボーイが彼らに気づき、扉を開けたとき、狼と羊とのワンサイドゲームが幕を開けた。
老婆は手に持った携帯端末を置くと、開いていた本を閉じ、そのページにしおりを挟んだ。
そして旅行かばんの中から銃を取り出し、組み立て始める。
「アウロ婆さんの知恵袋、相手の情報を掴んだときは、相手もこちらの情報を掴んでいると思え……」
ヨークシャーホテル、エレベーターホール。
携帯端末を手に持ったスペードが、嬉々とした声で電話の向こうのハートに告げる。
「さて、と。今一度作戦確認だハート、お前は車ん中で俺らのサポートだ。俺らが十階にたどり着いたら、お前は遠隔操作で電源を切れ」
「りょ、了解です…………」
「ほい、んじゃ頼んだ」
今エレベーターホールにいるのはスペード、クラブ、ダイヤの三人。元々戦闘要員でないハートは駐車場の車の中でパソコンと向き合っていると言うのが、彼らのいつもの陣形だった。
誰ともない沈黙の中、ダイヤがおもむろに口を開く。
「ねえ、隠れ家で一応の情報は聞いたんだけど、私達の今夜の獲物、『片翼のアウロ』ってやつの実態がいまだによく掴めないんだが」
「おいおい、ダイヤ、いまさら臆病風か? つーか隠れ家で言ったろ? そのアウロって奴が懸賞金かけられたのは30年以上も前の話で、確かな情報源なんてのはとっくに死んじまってるか、足を洗って姿くらましてんだよ。残ってる中で確かな情報は、その片翼ってのが有翼族と人間族のハーフで翼が片っぽしかなく、腕の立つ狙撃手で、軍に盾突いてとんずらこいたってくらいなんだよ。つーかエレベーター来たぜ」
「いや、あんな高額な懸賞金かけられて30年も生き延びてきたのにはなんか理由があるんじゃないかと思ってね」
エレベーターには他に乗りたがっている客がいるにはいたが、皆クラブのハサミやスペードの顔に怖気づいて乗ってこようとせず、結果エレベーターに乗ったのは三人のみだった。
「ふ~ん。でもよ、それ以外の情報つったらよ。やれ飛竜宅急便で移動しながら地上の標的狙っただとか、やれ真っ暗の中煙草の火を目印に何千メートルも先から狙い撃っただとか、そんな神話チックな話ばっかなんだよな。案外、そんな幻想に踊らされて、今まで殺ろうとした奴がいなかったんじゃねーか?」
身振り手振りを交えながら語るスペードの顔には明らかに嘲りの感情が混じっていた。
だが、苦笑しながら聞いているダイヤとは裏腹に、クラブは渋い顔で話をさえぎる。
「…………いや、あながち神話とも言いがたい」
「ん? なんか知ってんのかクラブ?」
「…………今、思い出した。俺は両腕が現役のころは狙撃手やってたんだが、その時一度奴のうわさを聞いたことがあった」
「…………それで? そのアウロってのは本当に俺が言ったような芸当をやってのけたのか?」
嘲る調子で尋ねるスペードにクラブは首を振る。
それは否定のしぐさだったが、しかし…………
「話によると、その『片翼のアウロ』って狙撃手は、飛竜宅急便で移動しながら、地上の煙草の火を目印に何千メートルも先の標的を狙い撃ったそうだ……」
チン、と軽い音をたててエレベーターが十階にたどり着いたが、しばらくは皆動こうとしなかった。
老婆は息を潜めて、待つ。
手の中の金属の冷たさを噛み締めながら、全神経を研ぎ澄ます。
その顔に狩人の冷たさを宿し、舌で静かに乾いた唇を湿らす。
「アウロ婆さんの知恵袋、追い詰めた敵が一番怖い。なぜなら、向こうは相手が来るのをただ待っていれば良いだけなのだから……」
「よくよく考えりゃあよ。いくら腕が良かろうが相手は遠距離専門のスナイパーでこっちは近距離専門のアサルトハイトだ。やつが狙いを定めてる間にこっちは奴の鼻面に十発は叩き込める。そもそも狙撃ってのは相手に近づかない事に特化した戦術、ひっくり返しゃあ相手に近づけない奴の戦術なわけだ。奴がどれだけ遠くの的を射ぬけようが関係ねぇ、だろ? スコープを覗くまでもない至近距離じゃあ長い銃身が邪魔をする。いうなれば奴は俺達に居場所を突き止められた時点で敗北確定、奴の勝利条件は遠くから俺達を狙い撃つことだったんだからよ? なあ二人とも。事態はかなりハッピーだぜ?」
いつもの調子を崩さずに、へらへらと長口上を垂れるスペード。口調は軽薄だが、彼の言うことには筋が通っている。曲がりなりにもこの男が『スクラップトランプ』と名乗る集団のまとめ役のような立ち位置にいるのは彼が見た目よりはるかに切れ者だからである。
「よし、順序はこうだ。まずハートがシステムに侵入してこの階の電源を落とし、電子ロックのかかったこの扉を開けさせ、且つ暗闇を作り出す。んで、奴が暗闇に順応する前に俺の特注の眼球が奴をとらえる。運が良けりゃあそれで仕舞いだが、あいにくデータじゃ奴はフクロウの特性を持つ有翼族、ご自慢の鳥目で俺の攻撃がよけられるなんて事になるかもしれねぇ。そこでようやくお前らの出番が来るわけだ。クラブの旦那は俺と一緒に室内へ、俺が左右に逃がした場合はその自慢のハサミで首根っこを掴んでやれ。で、もし首根っこをへし折り損ねたらダイヤ、お前がやるか扉を閉めるかしてくれればいい。あと、一つ付け加えるが、絶対にあっさり殺すな。奴が戦争なんて名目で殺しまわった奴らと同等の苦しみを与えてから殺せ。奴に長生きした事を後悔させてやろうぜ」
一拍置いて、彼はあらん限りの憎しみを込めて、呪詛の言葉を吐き出した。
「さあ、俺達の苦しみを、奴の命で拭ってやろう」
そして、十階、五号室の扉の前。スペードが開始の合図を携帯端末にささやいた。
「ハート、暗転だ」
その瞬間、無音で扉の電子ロックが解かれる。すばやくスペードが内側に開く。室内は一寸先さえ見えない暗闇、この部屋の電力供給のみを完全に遮断し電子ロックを無効化、且つ光を奪い相手の隙を突く一石二鳥の一手。この暗闇の中、しかしスペードの目は明晰に室内の状況を捉えていた。
スペードが言った特注の眼球、それは視神経と直結するエコーロケーション機能。コウモリなどの生物が使う超音波を利用した感覚機能を、人間の脳で解析可能にするために視覚とリンクさせ、周りの状況を映像で認識できる機械。それを彼は自らを改造し取り付けていた。
そして、獲物がいると思しき寝室までわずか二秒、一瞬でたどり着き、ベッドの上のふくらみにあらかじめ舌の上で転がしておいた超音波を叩き込む。エコーロケーション機能の応用で、この超音波を食らった生物は一時的に爆音で身動きが取れなくなり、気絶する。
数秒のうちのスペードの必殺の攻撃、だが…………。
「? どうした、スペード」
「いやあ、まんまとババアにしてやられたぜクソッタレ……」
超音波でよく観察してみれば、ベッドの上のふくらみからは鼓動が感じられない。
スペードの放った超音波攻撃は、布団の下の枕に命中し、掻き消えた。
何も見えないクラブにも、彼の発する気配から作戦が失敗に終わった事に気づいたらしい。
一度深呼吸をして、スペードは今一度思考を立て直そうとしたとき……。
リリリリリン、リリリリリン、リリリリリン……。
ベッド脇の机の携帯端末がけたたましく鳴り出し、スペードの視界が不必要な音にゆがむ。
エコーロケーション機能の弱点は、このような高音が混じると視界がぼやける点にある。
その弱点を知ってか知らずか、急に鳴り出した携帯端末に視界をゆがめられながら、しかし彼は冷静に思考をつむいでいく。
(……状況は以前こっちに有利だ。この電話がもし奴の所持品で、急いで逃げたときうっかり落としたものだったらこの電話に出れば奴の居場所を探す手がかりになる、が流石に奴がそんなへまを踏むわけはないだろう。ならばこれは奴からの着信つーことになる。普通ならこんな電話に出るなんざ愚策中の愚策、敵の罠にダイビングするようなもんだが、しかし。俺達にはハートがいる)
ハート、バスターアーマーとして全身を機械に換装した彼はしかし、通常のバスターアーマーとは決定的に異なり、戦闘ではなく諜報に特化した情報兵器として生み出された。
さきほど、この階層の電力供給を絶ったことにも使用された彼の最大の特徴はその異常なまでの電波の傍受機能であり、その電波内の情報全てを管理、操作できる莫大な演算能力にある。
携帯端末の逆探知はもちろん、二十四時間体制でデータを送信し続けているタイプの監視カメラの映像さえ無意識に拾ってしまう感度を持っており、慎重に身を隠していたアウロを見つけることができたのもそのためである。
(やつは十中八九、ハートの存在を知らずに俺達に接触を試みている。……おそらく警告か何かなのだろうが、狙撃手は場所さえ分かればなんら恐れることはない。わずか二秒の通信で場所を割り出せるハートがいれば、傾きつつある戦局はこの一手でひっくり返る!)
わずか数秒の間に考えをまとめ、ここまで戦局を読みきったスペードの才覚は賞賛に値する。
だが、彼はもっとも肝心な事を見落としていた。
自分達が狼などではなく、
狩られる羊でしかないと言う可能性を。
暗闇の中、スペードが携帯端末を開き、液晶の明かりで彼の顔が闇に浮かび上がる。
部屋の中、彼の頭だけが照らし出され……
「今すぐ伏せろスペード!!」
元狙撃手のクラブが危険を察知し叫んだときには、スペードの頭にはすでに風穴が開いていた。
男の頭に鉄の玉が吸い込まれていったことを確認し、老婆はすぐさま地に伏せた。
それから極めて静かに、且つ迅速に銃をしまい込み、次の計略の準備にかかった。
暗闇の中、光もないのにその両眼のみが爛々と輝く。
「アウロ婆さんの知恵袋、敵の所持品にはむやみに触らないこと……」
スペードが床に倒れ伏す前に、クラブは脱兎のごとく窓から離れ部屋の外へと転がり出た。
「……どうしたの?」
いぶかしげな顔でそう尋ねるダイヤ。
その手から電光石火で携帯を引ったくり、彼女の不平不満を待たずに電話越しにいるであろうハートに向かって叩きつけるように叫んだ。
「今すぐこの部屋を狙撃できる地点を探し出せ! 相手は片翼であることも考慮に入れて普通の二倍の半径の中から割り出してくれ。スペードが狙撃された!」
「……嘘、でしょ? スペードが殺されたの……?」
「黙れ、泣き言を聞いている暇はない。今すぐ頭の中かき回してデータ引っ張り出しやがれ!」
返答を待たずに通信を切るクラブ。異常なほどの無表情で、呆然となっているダイヤに目をやる。
「今の状況は理解できたな、ダイヤ。ハートの返答が届き次第、俺達は現場に急行する」
そう言ったまま、クラブは彼女に背を向けてむっつりと黙り込んだ。
何も答えず、五号室の扉にもたれかかるダイヤ。
端正な唇の中で、血がにじむほど奥歯を噛み締める。
戦争時代に体を汚されたコンプレックスからか、元々の肉体が無くなるほど整形手術を繰り返し、違法な人体の『部品屋』にも手を出して借金を重ね、逆に自分が部品として売られそうになっていたところを助けてくれたのはスペードだった。
━━俺も自分の体を改造したくちだから偉そうな事は言えねぇがよ、
━━しかし自分だけはどうやったって取り替えれねぇぜ? お前以外になろうなんざいい加減諦めな。
今思えばそんなことは常識で、別段良い言葉でもなかった。
でも、顔半分を醜く機械に変えてそれでも笑っている彼の姿こそ、自分のなりたかったものではないかとそんな風に思って、それ以来彼女は自分の体を彼の役に立つためだけに造り変えてきた。
自分を変えるのではなく、自分の為に変わろうと思って。
なるべく良く見える眼を、なるべく良く聞こえる耳を、なるべく早く走れる足を。
次第に彼女は、彼と同じアサルトハイトになろうと決意した。
彼の為にと高機能に改造した彼女の耳は、扉越しに聞こえる足音を察知した。
だが、しかし。
むしろ聞こえなかったほうが彼女のためだったかもしれない。
スペードの死体をまだその眼で確認してはいなかったという事実が、彼女の思考を曇らせた。
クラブの、狙撃されたというあいまいな表現も助長させ、単純に、子供のように、ダイヤはスペードが扉の向こう側で笑っていると信じて無警戒に扉を開く。
「生きてたのスペード!」
そうして、彼女は笑顔を浮かべた額を、スペードが生きていると信じたそのままに撃ち抜かれて死んだ。
一瞬遅れて事態に気づいたクラブが後ろを振り向いたときには、もう全てが終わっていた。
微かにその顔に笑みを残したままに額を撃ちぬかれたダイヤと、柔和そうな顔立ちに大理石のような無表情を浮かべた60歳くらいの品の良い老婦人。その右手に持った拳銃から銃弾が放たれるその刹那、彼は最後に思い出す。
片翼、その名の持つ本当の意味を。
(片翼のアウロ、やつの真の恐ろしさはその狙撃技術などではなかった……)
(片翼をもがれ、地を這いずりながらも生き抜くその執念と経験こそが…………)
減音機越しの気の抜けた銃声、暗転する意識の中最後に脳裏に浮かんだものが。
奇妙な事に、スクラップトランプの仲間の顔だったことを自嘲しながら、老兵クラブは静かに散った。
「アウロ婆さんの知恵袋、先入観は真っ先に敵に利用されると思え……」
「さて、と」
アウロは廊下の二つの死体を一瞥し、小さく伸びをする。背中の翼がかさかさと音を立てた。
この死体をどうにかしようにも、飛び散った血痕までは流石にどうしようもなく、ばれてしまうのは時間の問題。それも二、三分の間だろうと計算し、入って一時間もせずにこのホテルを去らなければならない不運に、思わず年相応のため息をつく。
「やれやれ、今日の分の代金は支払済みなんだけどねぇ……」
全く、空気を読まない襲撃者だと嘆息するが、空気を読む襲撃者などただの決闘の相手であると一人孤独に突っ込みを入れておいた。一人旅が長いとこんな悲しい癖が付いてしまう。
アウロがドアボーイから聞いた話だと襲撃者は四人組、一人は外の駐車場にいるらしい。相場の数十倍のチップと最新の携帯端末を握らせて、別れた夫が探偵を雇っているのと正義感の強そうなドアボーイにすがって見せれば即席の協力者の誕生である。
重たい腰を引きずりながら、真っ暗闇の室内に戻る。母方の有翼族、フクロウの性質を受け継いでいるためにアウロは昔から夜目が効いた。それこそ敵兵に「片翼」と恐れられるくらいには。
「それにしても人のコンプレックスをあげつらって……二つ名と言うよりは悪口だねあれは」
一人口の中で呟きながら、彼女は闇を物ともせずにスペードの死体を踏み越え、窓の外にあるベランダまで出て、備え付けておいた狙撃銃を手に取る。
自分の部屋でくつろいでいるアウロが襲撃者の存在をドアボーイから知らされたとき、彼女の取った行動はひどく単純なものである。
窓際の机の上に携帯端末を置き、読んでいた本を閉じ、しおりを挟み、ベッドの脇にあった旅行かばんから自動式拳銃を取り出し減音機を取り付け、銃弾を通常の拳銃弾から減音を目的に特注した特殊なものに入れ替え、そしてベランダまで移動、そこで屈みながら彼らが部屋に入ってきたすぐあとに敵を窓際に寄せるため、且つ極限まで抑えた発射音を相手に聞こえさせないため、携帯端末を大音量で鳴らし、窓に近づいた敵を狙い撃つ。狙撃手を相手取っているという先入観から、窓の外からの銃撃を狙撃だと思い込ませる。ただそれだけの作戦とも呼べない陳腐な策である。
しかし、単純であるからこそ、彼らはまんまと罠にかかった。
狙撃手を相手にしているから、部屋から飛び出しただけで安全と思い込んでいる敵ならば、頭に銃弾を叩き込むなどたやすい。それこそ、60を過ぎた婆さんにも出来る仕事である。
「さて、と。ご丁寧にホテルの人間に駐車場を聞くたあ間抜けな殺し屋もいたもんだ……それで、彼の言ってた真っ黒な魔導式原動機ってのはあれだね? やれやれ、ここらはビル風が強いねぇ。翼を出さなきゃ外しちまうかもしれないね」
静かに着ていたカーディガンを脱いで、服に開けた穴から突き出した背中の片翼を外気にさらす。
この翼は彼女に空を飛ぶ力を与えてはくれなかったが、しかし狙撃手として風を読む能力を授けた。
風速は10メートル、ないし11メートル。西南西からの風にビル風も重なりわずかだが気流が乱れている。意識を風に乗せて、柔らかに息を吐き出し、そして死神が鎌を振り下ろすように、確実に命を刈り取らんと指先に殺意を乗せる。
スコープ越しに、標的の金属製の頭を捕らえた確信とともに、アウロは一人呟いた。
「それじゃあ散り逝く若人に、アウロ婆さん最後の知恵袋、敵の得意な距離では決して戦ってはいけないよ……」
音速を超えた銃弾が彼の金属骨格に覆われた脳の中枢に届き、かき回し、生命の息吹が潰えた事を確認し、アウロは静かに立ち上がる。
「やれやれ、こうも死体を作っちゃうと、こんな小物じゃなくて本丸に感ずかれちまうだろうね……、まったく、この国は気に入ってたってのに、次は北のサルディニアか、南のシュヴァルトライテあたりに隠れるか…………なんにしろ、明日中にトウオウの港から経たなきゃまず軍にぶっ殺されちまうかね……」
こうして彼女は迅速に、かつ一切の痕跡を残さず部屋を後にした。
どこか壊れた殺し屋集団『スクラップトランプ』は、たった一人の老婦人を狙ったがばかりに完膚なきまで敗北し、全滅したのだった。
「全く、ついてないねぇ。いったい何がいけないってんだい…………」
「何がいけないってそりゃあお客さん。魔物ですよ。先日海から上がってきた魔物に港はてんやわんや、大陸移動船なんてもんは二、三日待たないと動きませんや」
あれからタクシーを捕まえて内陸から一気に港までやってきたアウロだったが、船が出ない港に完全に立ち往生だった。
この混乱で軍の暗殺部隊の到着もしばらく遅れるだろうが、それにしても半日程度だろう。
(ええ、ええ、まあ私の人生たいていが裏目裏目の連続でしたからねぇ……)
おもえば、片翼に生まれた彼女は同属の有翼族から「空に忌み嫌われた子供」と嫌悪され、なんとか軍に入ったかと思えば子供殺しの命令を出す上官の下に入れられ、彼の命令に背いて所属部隊を全滅させたはいいが今度は軍に追われる身。
(まぁ、ある程度好き勝手やってきたってのもあるんでしょうけど、ね)
「何とか運行できる船はないのかい? 私はなんとか今日中にこの大陸を出ないと、別れた夫に半殺しにされてしまうのよ…………」
すがる思いでまだ見ぬ別れた夫を引き合いに出すアウロ。
すると、首をひねっていた運転手が何かひらめいた顔をした。
「……個人所有の船なら、何とか動かないこともないと思う。ほら、港のあっち側にとまってるのは全部そうだ。乗組員として雇ってもらえば一隻くらい動かんこともないかもしれんな」
そう言って、手を差し出した運転手に彼女は黙って金を握らせると、彼は笑顔で去っていった。
「どの世界でも、お金ってのは必要になるもんだねぇ……」
そう言った彼女の手には、先ほどの運転手のものと思しき財布が握られていた。
「……とは言ったものの、一体こんな婆さんをどうして雇ってくれるって言うんだい?」
港町の猥雑とした雰囲気の中、旅行かばんを片手にアウロは一人呟いた。考えて見れば60過ぎの婆さんなど面接さえしてもらえないだろうし、狙撃手の腕を売りにするにも、そもそもそんなものを必要としている船があるとも思えない。
「料理には少しばかり自信があるんだけどねぇ……」
そう愚痴をこぼしながらすることも無しにぼんやりと、旅行かばんを道端に下ろしてその上に腰掛けていると、喧騒に混じってなにやら場違いな貴族風の子供の声が耳に入ってきた。
その方向を見ると、十歳前後と思しき、高級そうな服に身を包んだ可愛らしい少年と、鋭利な無表情のメイド服を着た女性という、とうてい港町には不釣合いな二人がいた。
「なぜじゃ! なぜタプカの実を買ってはならんのじゃ! リーナがお菓子作りにいると言っておったのだ!」
「いけません。彼女のお菓子は有害極まりないではないですか。それに、です。そもそもお菓子作りに用いるものが禁輸出植物の払い下げ店の店頭に並んでいる時点でノイウェル様は疑問を持つべきです」
「しかし! リーナはどうしても要るとわざわざ余に頼んだのだ。なにか複雑な事情があるに違いない」
「複雑な事情があろうと関係ありません。乗組員が次々と彼女の自称お菓子を食べて倒れているんですよ!? ただでさえ人員が不足していると言うのに…………なるほど、だからノイウェル様はわざわざ買出しに同行すると言い出したのですね! タプカの実とやらを買うために!」
「……大事な乗組員の頼みを、艦長が聞かぬわけにもいくまい?」
「そんな神妙な顔をしても駄目なものは駄目です。こんな毒々しい黄色の植物を艦内に持ち込むわけにはいきません」
「あの、ちょっといいかねぇ?」
「はい?」
生来のお節介な性格からか、たまらず声を掛けてしまったアウロ。
興味深そうに目の前の老人を覗きこむ少年と、無表情の裏で明確な敵意を向けてくるメイド服の女性。
(……このメイド服の嬢さんたら、まあスカートの中まで武装して。面倒な相手のようね)
一瞥し、戦士として判断を下し、しかしそんな事は表には出さずにアウロは続ける。
「確かに、このタプカの実は禁輸出品だし、爆発物に加工できるという危険な面も持っている。でも、あまり知られてないけどこいつの果肉には体調を整える作用があるんだよねぇ。さっきの話に出てきたノーラさんだけど、ひどいお菓子を作ったお詫びに健康にいいお菓子を作ろうとしてるんじゃないかしらね」
「そうなのか!? うむ、そうと分かれば問題あるまい、リリナ?」
満面の笑みで自らの正当性を主張するノイウェル。その笑顔に押されたのか、引き気味で頷くリリナ。
「ところで、だけど……」
先ほどの話で、彼らが船を持っていて、しかも乗組員が不足しているという情報を得たアウロは柔らかな表情で、しかし打算的に申し出た。
「あなた達の買出し。私が半分の金額で請け負ってみましょうか?」
数十分後、両手一杯に荷物を抱えたリリナを従えて、ノイウェルとアウロは船へと向かっていた。
「礼を言うぞアウロ。本当に予算の半分の値段で、しかも倍の食材を集めるとはな」
「なに、簡単なことさね。昨日魔物の襲撃騒ぎがあったそうじゃないか。そんなときはいくら店をたたんでいてもある程度品物に傷は付いちまうもんさ。そんなものを商品として出すわけにゃいかないから、店は少し傷ついたそれらをすぐ捨てちまう。そんな廃棄物当然の代物を、半値で引き取るって客が現われりゃ、そりゃあ売らない手はないだろう? アウロ婆さんの知恵袋さ」
「そうか。年の功と言うやつだな」
機嫌良さそうにうなずきながら、きわめて友好的に見ず知らずの老人と語らう主の背中を、想定とは倍の量の荷物を持ったリリナは憮然と見つめていた。先ほど、アウロから戦士の雰囲気を感じ取ったリリナは、買出しの間中警戒していたのだが、主だった行動はなかった。今でさえ、今すぐにでも荷物を放り出し主の命を狙うアウロを抑える用意は出来ている。
(しかし、一体何が狙いだ?)
(こちらの敵意に気づいたところを見ると、相応の訓練を受けた軍人のようだが……)
そんな思惑は露知らず、ノイウェルは無邪気にこう続ける。
「そなた、我らと共に来るつもりはないか?」
「そうだねぇ、他にいくところもないしねぇ……」
内心満面の笑みを浮かべながらガッツポーズを取りつつも、表では迷っている様子を見せるアウロ。
しかし、その瞬間にリリナが鋭い声を上げる。
「なりません、ノイウェル様。また初対面の人間を艦に乗せるなどと!」
「なぜじゃ、アウロの知識は役に立つのではないか、それにちょうど調理班が欲しかったところではないか。乗組員も嘆いておったぞ? 『飯が超天才の俺様の口にあわねぇ』とか、『医療班のリーナさんの方が料理がうまいね。お菓子以外』とか、『先輩に調理室をのっとられたらどうしよう……』とか」
「…………しかし」
「一体なぜリリナはそこまで反論するのだ?」
「…………分かりました」
理由を言いたくとも言えない歯がゆさに奥歯を噛み締めながらうつむくリリナ。
「よし、決まりだ。アウロよ。今日からそなたは我がアストライアの一員だ」
「ありがとうねぇ、頑張らさせてもらいますよ、艦長さん」
うむ、と笑顔で頷き、楽しそうに前を歩き出したノイウェル。
ニコニコとそれを眺めるアウロの耳元で、リリナは警告した。
「今はノイウェル様の手前なにも言いませんでしたが、もし、主に危害を加えるようなことがあれば、園ときは容赦なく殺します」
殺意をむき出したその言葉に、アウロも戦士の表情で返す。
「心配要らないさ、艦長さんを殺す理由は今のところ見当たらないし、これからだってそうだろうよ。私もあなたと同じ。子供を救っちまって軍から追われる身でね。もう子供を殺すのはこりごりさね」
「…………………」
沈黙を了解だと理解し、アウロは自らを雇ってくれた小さな艦長の背中を追って歩き出す。
自分でも意外な事に、彼らに危害が及ばないことを、彼女は自然と、心の中で祈っていた。
(この年になって、家族が増えるとは思っても見なかったねぇ……)
こうして、軍から追われた老狙撃手アウロは、調理班としてアストライアに加わった。
居住区の一室に旅行かばんを持ち込んで、時折艦内を掃除しては面倒見のいいお婆さんとして乗組員に慕われている。
が、彼女を追う軍の魔手が、この艦に伸びない保障はなく。
今日も彼女は、武器を磨いて夜を越す。