完璧な二人なはずでした
リィタ・ブランチェ侯爵令嬢は完璧な淑女である。
頭から足の指先まで姿勢を崩すことはない。手入れの行き届いた金色の髪も血色のいい爪もすべてがリィタという女性を美しく見せている。
一瞬たりとも歪むことのない微笑みも貴族然とした振る舞いも教養もすべてが称賛の的であった。
その彼女の隣に立つ男も完璧な公爵家の正当な跡取りとして素晴らしい人物である。
ベイル・フォン・クライシス公爵令息はその風貌と性格からまるで洗練された純度の高い氷の様だと噂されていた。要は冷たい人間だ。だが政治経済、戦闘と全てにおいてその手腕は他の追随を許すことは決してない。そのため最早人間ではないという意味も含まれている。
その完璧な男の隣に完璧な女がいる。このことは他貴族はおろか、王族ですらこの国の未来は安泰を確信させていたのだ。
今日も今日とてリィタは完璧を演じ切る努力を欠かさなかった。
「ベイル様、本日もお疲れ様にございます」
「……あぁ」
本日、最も大きな仕事である王家主催の夜会を無事に終え、二人揃って王城を後にするために城門へ向かう最中、リィタは婚約者を気遣って労いの言葉をかけた。
だが反応は相も変わらずたった一言。
いつもと変わらぬ素っ気ない態度ではあるが、返事がないよりはましである。彼も完璧を求められているため仕方がないとは言えるが、やはり寂しいものは寂しい。
リィタはこの男と婚約が決まった時から陰日向にと懸命に支えてきた。
婚約者として少しでも彼の憂いを取り去り、懸念を感じさせまいと先回りし、隣で出しゃばらずに支え続けた。
完璧な彼にはあまり必要ではないのか感謝の言葉も労いの言葉も、いや、感心さえも向けられることはない。愛はなくともいずれは夫婦となるのだからとリィタなりに向き合おうと幾度となく努力はしたがベイルは変わらなかった。
まさに氷の様に冷たい人。しかし変わらないものは仕方がない。だが貴族の家にしては珍しく家族仲の良いリィタにとって寂しく虚しいと感じるのは事実であった。
勿論表に出すことは決してないが。変わらず反応の薄い婚約者の隣を歩きながら大広間へと続く豪華な階段を下りようとした。
「死ね! クライシス!!」
突如一人の男が短剣を手にベイルへと振り上げた。
「ベイル様!!」
リィタは咄嗟にベイルを庇うために前に躍り出る。
「リィタ!?」
驚くベイルを背にリィタは自身が刺される覚悟をしたが、体が勝手に突き出された男の手を掴んで捻り上げる。だが力が足りない事にまたも体が勝手にベイルから暴漢を遠ざけようと体を反った。そしてそのまま男を道連れにリィタは階段を豪快に転げ落ちていくのだった。
なに、今の? 私どうして
薄れる意識の中、遠くで怒号が飛び交い近くでベイルがリィタの名を呼ぶ声が耳に届くとそのまま意識はゆっくりと暗闇に沈んでいった。
◇
小さな女の子が見たこともない文明の進んだ世界の中を元気よく駆け回っている。
学校、車に電車、飛行機。虫取り、乗馬、ピクニック。
そして女の子は楽しそうに合気道を学んでいた。
あぁ、なるほど。私は合気道が勝手に出たのか。でも、以前の体と違うからちょっと失敗しちゃった。完璧な淑女もまだまだね。
「……え……かん、ぺき……?」
「リィタ!!」
徐々に意識が浮上していくと共に目の中に光が差し込んでくる。そして瞼が勝手に開かれると、自身の周りを今の家族が心配そうに取り囲んでいた。
「医者だ! 医者を呼んできてくれ!」
「お姉様、大丈夫ですか?」
「良かった……良かったリィタ!」
叫ぶ父に、冷静な妹。そして泣く母に、今はどこで私は誰だと混乱した。
「……だれぇ?」
困惑した顔で呟くリィタにその場の全員が凍りつくのだった。
◇
ベイルは受け取った手紙に珍しく不快感を表しつつ困惑していた。
「……婚約を解消だと?」
手の中の物にぐしゃりと力を籠める。確かに大事な息女を危険な目に合わせ、傷物にしたことは間違いない。それについては警備体制に不備があったと王家は真摯に謝罪し、侯爵家側も受け入れている。
あの暴漢は不敬にも領地の収入を誤魔化し脱税を繰り返していたどころか、他貴族にも嘘をつき援助を求めていた盗人猛々しい伯爵家の次男であった。
ベイルの容赦ない追及に恐れをなした者による最後の悪あがきによる犯行もリィタのおかげで未遂に終わったのだが、珍しく自身の詰めの甘さのせいでリィタを危険に晒してしまった。
突然の出来事に心臓が止まりかけたが、医者によればなんとリィタは軽傷で済んだようだ。
安堵するとともにリィタを引き取り看病をと申し出たが丁寧に断られた。そして意識が戻ったと報せを受け再度安堵し、見舞いをと申し出たが返ってきた返事がこれだった。
リィタとの婚約を解消してほしい。代わりに妹のセラを今後、婚約者として迎えてほしいとのことだ。
納得できるはずもない。
命の恩人であるリィタと婚約解消など不義理もいいところである。だがしかし、もしかしたら致命的な怪我を顔に負ってしまったのだろうか。だとしたら尚のこと責任を持ってリィタを迎える準備はしてある。
怪我のことはあくまで想像であるため案にそう書かずにとにかく婚約続行を手紙にしたため侯爵家へと送った。……のだったが。
「突然の訪問、大変失礼いたします。リィタの妹のセラにございます」
「……見ればわかる」
手紙を出して数日後。返事の手紙ではなく妹のセラが公爵邸へとやってきた。何の約束もなく突然の訪問に加え、リィタや侯爵ではなく直接妹を寄こす無礼に久々に怒りというものをベイルは感じていた。
「クライシス卿のお怒りはごもっともです。この度の婚約解消の申し出に加え、突然の訪問重ねてお詫び申し上げます」
客室のソファーに座らず深々と頭を下げる妹セラにため息が出そうになった。だがさすがはリィタの妹。良く教育が施されている見事な礼である。
「私は婚約者を変える気はない。そう伝えてあるはずだが?」
「それは……」
不測の事態を回避するのがまだ未熟なセラは言い淀んでしまう。そしてどうしようもなく目が泳いでいる。何かを隠しているのは明白であった。
「今からブランチェ侯爵家へ行く」
それだけ告げると立ち上がり、従者に準備をするよう指示を出す。そちらが先に無礼を働いたのだからとお構いなしに客室を出ようとしたが、きつく腕に縋られた。
「お、おおおお待ちください! 姉には! どうか姉のことは……!!」
セラのあまりの動揺ぶりに驚く。焦りすぎではなかろうか。
「……やはり何か隠し事があるのだな。責任を取ると言っている」
縋りつくセラの腕を振り払い、足早に馬車に乗り込みすぐさま侯爵邸に向け走らせた。その後ろを慌ててセラも続くが、セラだけでなく従者達も慌てふためいている。なんなのだ。
侯爵邸に辿り着くと馬車を下り、勝手知ったる門をくぐって中庭に足を進めた。ようやく追いついたセラは顔を青くさせている。
「お、お待ちくださいクライシス卿! だ、誰か! 誰かお父様に早く伝えて!」
「余計な事をしなくていい」
ベイルを止めながら従者に叫ぶセラを煩わしいと感じながらも足を止めない。
「ク、クライシス卿!」
屋敷からようやく出てきたこの侯爵家の当主レイリーの前で足を止める。以前とは違ってどこか憔悴した顔をしているレイリーを冷たく見下ろした。
「レイリー、なぜ婚約解消などと勝手な事を決める。私はリィタに不満はない。それどころか彼女は私の命の恩人だ。いくら私でもそんな彼女を無下には……」
「うるさいなぁ」
聞き覚えのある声が頭上から聞こえた。
「リ、リィタ!! どこで寝ているのだお前は!!」
レイリーはベイルの上を見上げて更に顔を青白くさせ、額に大量の汗を浮き上がらせていた。ベイルもつられてレイリーの視線の先を追う。
「リ、リィ……タ?」
「だれぇ? そのひと……」
気怠そうに言葉を返してくる完璧な淑女にあるまじき物言い。そして何より木の上で眠そうに目を擦る婚約者にベイルは生まれて初めて驚きから体が固まった。
◇
「どういうことか説明を……」
客室のソファーに座り頭を抱えるベイルにレイリーは胃をさする。隣では妹のセラがまたも申し訳なさそうに頭を下げた。
「姉は、どうやら頭を打ってしまったようで記憶が混濁しているようなのです。何でも前世の記憶が蘇ったとか……」
よく理解できないとベイルは無言でセラを見つめた。セラも未だに困惑しているのだろう。たどたどしく続きを口にする。
「私ども家族のことは憶えているみたいなのですが、その他の事は記憶がごちゃ混ぜになってよくわからないと……。どうやら前世?の記憶が強いようで、前の自由奔放な生活が恋しいようなのです」
セラは窓の外で乗馬をしながら笑顔で母リズと従者達に手を振っているリィタを心配そうに見つめた。だがどこか嬉しそうでもある。
ベイルは見たことのない楽しそうなリィタの屈託のない笑顔に頭を殴られたような衝撃を人知れず感じていた。そして、目が離せなかった。
「あんな風に笑うことができたんだな、リィタは……」
ぽつりと呟かれた言葉は誰にも届かなかった。レイリーは勢いよく頭を下げると目尻に涙を溜め必死に謝罪した。
「誠に申し訳ございません!! 娘はあの通り、以前の様な振る舞いが難しい上に、医者からは一生あのままかもしれないとの宣告を受けたのです。戻る保証がないとの診断故に……。事情を説明しようとは幾度となく思ったのですが、どこから説明したらいいか困ってしまい、まずは婚約を解消し、セラに任せる他ないと判断した次第にございます」
よほど深刻なのだろう。まだ貴族教育の途中である妹セラにベイルは荷が重い相手ではあるが、優秀さは知っている。そのため時間はかかるが婚約者として、そしていずれは妻として公爵家を支えていけると判断したことは分かった。
しかし、納得できない。
「私の気持ちは変わらない。リィタとの婚約は解消しない」
「で、ですがクライシス卿! リィタはもう貴族としてやってはいけないかもしれないのです! そのような娘を……」
「だからこそ責任を取って私が今後面倒を見ると言っている」
ますます顔を青くさせ黙り込むレイリーだったが、セラはベイルをきつく睨んだ。
「お言葉ですが、責任を取るとはどういったことをなさるのでしょうか。見ての通り姉は外へ出ることも、他の貴族達の前に出ることも叶いません。あなたは責任を取ると頻りにおっしゃいますが、まさか屋敷に閉じ込めて衣食住だけを提供できればいいとお思いですか?」
セラの鋭い指摘に完璧な男はまたも生まれて初めて何も言い返せなかった。
「姉は……リィタお姉様はずっとあなたとより良い関係を築きたいと貴族教育以外の努力も欠かすことはありませんでした。ベイル様と家族となるのだから夫婦として夫を支えられる良き妻になると言っていた姉の気持ちに少しでも気づいたことはありますか!?」
「セラ! もうやめなさい。失礼だろう」
怒りで興奮するセラをレイリーが制止するも、どこか誇らしそうであった。リィタは家族から愛されている。自分がこれから取ろうとしている責任とは、家族からリィタを引き離すことなのだとようやく気づいた。
「……婚約は、解消しない」
だが頑なに婚約解消を拒否し続ける。咎めるように叫ぶセラとその娘を宥める父を置いて屋敷の外へ出た。真っすぐに庭に向かうとリィタに会いに行く。
「ママ、お腹すいた!」
「もう、しょうがない子ね」
リズは満更でもなさそうに馬から下りた娘の我儘を受け入れる。見たことのない子どもの様な満面の笑みで母に甘えるリィタになぜか胸が痛んだ。
「あ! さっきの人」
「こらリィタ! あの方はベイル・フォン・クライシス公爵令息様よ」
「えー長ー」
面倒くささに頬を膨らませるリィタをリズが慌てて叱るが、抜けた役割に更に胸の痛みが増した気がした。
「君の婚約者のベイルだ。この度は危険な目に合わせてしまった事、本当に申し訳ない。リィタが無事で良かった」
ベイルの口から婚約が続いてることを知ってリズは戸惑ったような顔を見せる。リィタは握手しようと伸ばされた手から逃れるようにそんな母の後ろに隠れてしまった。
「……婚約者?」
「そうだ。君の婚約者だ」
警戒を解きたくてぎこちなく口の両端を僅かに上げたが、リィタは更にリズの後ろに身を隠した。慣れないことはするものではないな。
「あ、竹輪ちゃん!」
「……ちくわ?」
薄茶色に白色がほんのりと混ざったような馬がリィタに小走りで駆け寄ると甘えるように頬擦りをする。
「まだ遊び足りなかったの?」
リィタは馬を撫でると再度馬に跨って駆けて行った。こちらを振り返ることはない。
「申し訳ございません、娘が大変失礼を致しました」
変わりに頭を下げるリズに、気にしなくていいと声をかけたがそれよりも気になることがあった。
「ちくわ……」
「あの、どうも前世の食べ物みたいでして。魚をすり身にして練って焼き上げるとか何とか……」
馬の色がその食べ物に似ているようだとリズが苦笑する。あまりにも詳細な説明にどうやら前世の記憶とやらは本当なのだと肩を落とす。
「クライシス卿、お言葉ですが……」
「レイリーにもセラにも伝えたが、私の気持ちは変わらない」
リズの言わんとしていることを嫌でも察して思わずその先の言葉を遮るように答えた。
「今日のところは失礼する」
それ以上何も言えなくなったリズにそう返すと名残惜しさを感じながらも庭を後にする。屋敷を出る前にもう一度リィタに振り返ると変わらない無邪気な笑顔で馬を駆けさせていた。
太陽よりも眩しい気がして目がくらみそうだったのはきっと気のせいではない。
◇
その日を境にベイルは時間を見つけては侯爵邸へと足を運んだ。
始めは警戒心を剥き出しにし逃げ回っていたリィタだったが、優秀なベイルは彼女のパターンを理解し、先回りをすることにも徐々に成功するようになっていった。
そして同じく警戒を見せていたセラだったが、ベイルの誠実さを感じ取るようになると、さりげなくリィタの居場所を教えてくれるようになった。
正直ありがたい。なにせリィタの運動能力は高く、どうやってそんな所に行ったのだと驚かされたのは一度や二度ではない。
「お姉様は食べ物に弱いのです」
真剣な顔をしてセラがまるで罠の様にバスケットに沢山詰め込んだサンドイッチを草原の上に放置する。
「嘘だろ?」
少しすると誘われるようにフラフラとやって来たリィタはバスケットの横に座ると美味しそうにサンドイッチを頬張り始めた。
「お姉様確保ー!!」
「えー!? 捕まっちゃったぁ!」
きゃっきゃと楽しそうにじゃれる姉妹を見つめているとリィタがこちらに気づいたのか警戒心を僅かに向けた。どうやらサンドイッチを取られると思ったのだろう。
バスケットをさり気なく自分の後ろに隠すリィタに我慢できずにベイルは小さく笑った。自然な笑みにリィタの体から力が抜けていったのが分かった。
「取ったりしない。ゆっくり食べるといい」
「……うん」
リィタの隣に座って空を見上げる。こんなにも穏やかな日は生まれて初めてだった。
大貴族に生まれたからには家のため、民のため、国のために尽くさなければならないと言われ続けた。それを苦痛に感じたことはない。当然の役割だと信じていたからだ。
だが結果はどうだ。
人の心がないと言われた。まるで氷の様に冷たいと言われた。あげくの果てに逆恨みとは言え殺されそうになった。
そしてリィタを危険な目に合わせてしまった。
『お疲れ様にございますベイル様』
ふわりと微笑んで労いの言葉をかけてくれるのはいつだって彼女だけだった。
『家族となるのだから夫婦として夫を支えられる良き妻になる』
セラの言ったあの言葉の意味がようやく理解できそうだった。リィタはずっと完璧なベイルのために完璧を目指し、ベイルという夫のために妻としての愛情をずっと向けていてくれたことに。
家族の情というものを知らないベイルのために指摘をすることも咎めることもなく側にいて微笑んで気遣ってくれた。最後には身を挺してまで守ろうとしてくれたのに……。
なぜ、婚約を解消したくなかったのか。それはリィタに側にいてほしかったのだと、あの頃のリィタを失ってようやく気づいた。
「私は、リィタが好きだ」
「……え?」
ぽろりと口から出た言葉に辺りが静まり返った。セラは驚きから口を開け、リィタは手に持っていたサンドイッチを口に運ぶことを止めた。
「……なんなの、それ」
「リィタ?」
震える口から絞り出すようにリィタが呟く。それは明らかな怒りであった。
「今更なんなの!? 記憶喪失だって知って同情したかは知らないけどそうなる前はずっと無視してたくせに!!」
目に涙を溜めたリィタが我慢ならないとばかりに勢いよく立ち上がった。
「お、お姉様……記憶が」
「そうよ、あるわ! ずっと、最初から! でも前世を思い出したのも本当よ。記憶が入り混じってわけわからなくなって、貴族としての生活に嫌気がさしたのも本当。だから、この重責から逃げたかっただけなのに。なのにセラが代わりになるって聞いて罪悪感を感じたわ。でもベイル様は私じゃなくてもいいだろうからセラなら上手くやってくれるって押し付けようとした」
ごめんね、と涙目でセラを見つめたあとベイルをきつく睨みつける。
「なのに婚約は解消しないって言うし、今まで一度も私を気にかけたことなかったくせに侯爵邸にまで来るし! あげくの果てに好きですって!? はっ、過去の私惨めすぎるでしょ……」
「違う……違うんだリィタ」
「何が違うのよ! さっきも初めて笑ってた。そんなに私は滑稽だった? 完璧じゃない私の方が面白かったって? バカにしないでよ! もう十分よ、責任は取ってもらったわ。だからもう他の優秀な人見つけてよ。簡単でしょ? だってあなたは完璧なのだから!!」
過去の私はなんのために努力してきたの、と目で強く訴えた。
「リィタ、私は……」
傷ついた悲しそうな表情を見せるベイルに胸が痛んだが、悟られないようにセラの手を取ると困惑する妹を引っ張って屋敷へ帰った。セラと一緒に私室に入るとようやく足を止め、迷惑をかけてしまった妹を力一杯抱きしめる。
「ごめん、ごめんね。お姉ちゃんのせいで嫌な思いさせて、本当にごめん」
「お姉様……」
震えて泣く姉にセラは抱きしめ返した。この細い体でいつも努力を欠かさなかった大きな姉にいつだって憧れていた。
「謝らないでお姉様。セラはお姉様を悪いと思った事なんて一度もないわ。私の方こそ、ベイル様の気持ちを変えられなくてごめんなさい」
その日の夜、二人は子どもの様に泣いて一緒に眠りについた。ベッドに横になると泣きつかれて先に寝た妹の頭を優しく撫でる。
いくらまだ婚約者とはいえ、次期公爵にあまりにも無礼な事をし過ぎてしまった。やはり前世の記憶が強いのだろう。もし責任を問われるような事があればすべての責は自分にあると妹を守らなければ。
リィタは無理矢理瞼を閉じさせると意識を沈めていった。
◇
ベイルが屋敷に来たとの報せにリィタは以前のように姿勢を正した。これから自分は婚約解消の上、偽証やその他諸々の罪に問われるのだろうと覚悟を決める。
ベイルの待つ客室に通されると完璧な礼をしてみせた。その姿に周りから安堵の息が漏れ聞こえる。リィタは頭を上げると微笑んだ。
ベイルはソファーから立ち上がるとリィタまで歩み寄る。その間もリィタは表情を崩さない。
「え!? クライシス卿!?」
突然ベイルはリィタの前に膝をつくと頭を下げた。予期していなかった行動にリィタは慌てた。
「どうか、ベイルと呼んでほしい」
尚も戸惑いベイルを立たせようと手を伸ばすリィタの手をそっと握った。
「私は愚かだった。完璧なんかではなかった。確かに私は素のままの君に好意を持ったが、そうじゃないんだ。あの頃の君を失って私はようやく気づいたんだ。リィタの優しさと愛情に」
驚くリィタにベイルは続ける。
「以前の君には無礼なことばかりしてしまった。今更勝手なのは分かっている。分かった上でもう一度伝えたいんだ。私にチャンスをくれないだろうか。もう一度君の隣に立つチャンスを……」
ベイルは胸元からリングケースを取り出すと開いて見せた。その中には公爵家に代々伝わる指輪が輝いている。リィタは涙をこらえようと両手で顔を覆った。
「リィタが隣にいると安心できた。君のあの穏やかな微笑みも、屈託のない笑顔もリィタという存在全てが私にとってかけがえのないものだと過去の君を失ってようやく気づいたんだ」
リィタの目からとめどなく涙が溢れ、頬が熱くなっていく。
「どうかやり直させてほしい。完璧ではなかった私をもう一度だけ隣で支えてはくれないだろうか」
「…………はい、ベイル様」
指輪を受け取ると過去の自分が癒されていくような気がしてまた涙が溢れた。ベイルは立ち上がるとリィタを抱きしめる。
「すまなかったリィタ。……本当に、ありがとう」
ベイルの腕の中でリィタは嬉しそうに笑って頷いた。
◇
リィタはその後、無事に社交界へと復帰した。以前と変わらぬ微笑みと姿勢。そして夫となったベイルを隣で支えていた。少し変わったことと言えばベイルの表情から冷たさが僅かに感じられなくなったことだろうか。
「ベイル様、本日もお疲れ様にございます」
「あぁ、リィタもご苦労だったな」
二人は以前より仲睦まじさを見せながら城の外へ揃って出た。そして馬車ではなく二頭の馬へ歩み寄るとそれぞれの馬に跨った。手綱を確認し、優しく撫でる。
「では帰ろうか、リィタ」
「はい、ベイル様」
二人は無邪気に笑って馬を公爵邸に向けて走らせた。




