働けど働けど、ぼくがいる意味などあるのだろうかと思い悩む君へ。
さぁ、久しぶりのぼくだよ。というか継続的に現れることの方が少ないぼくだよ。忙しい忙しいと日々を過ごしていると前回の更新がなんと7月だったんだね。いやーあの酷暑を乗り越えて少しずつ秋らしさが見え隠れしてきて、季節を感じられるようになりましたね。
はい、ということでまず先に伝えなきゃって思うことは、タイトルから勘違いの可能性がありますが、
ぼくは凹んでいるわけではないですし元気ですよ!!!
つまらないながら仕事をしながら、考えるんですよねぇ。ぼくはなにしてるんだろうなーって。なにがしたいんだろうなーとか、ここにいる意味ってなんなんだろうなーって。まずなぜそんなことを思うようになってしまったのか。看護師として普通に働いていればそこまでのことは、多分、恐らく、メイビーそんなことにはなりにくいはずなんだよ。そこそこの給料があって、責任の重さが付きまとうから緊張感があって、他人の人生に付き添う場面があるからやりがいの生まれやすい、はずなのに、なぜ・・・。
挙げた順にいこうか。まずは稼ぎだ、はっきり言おう。学校勤めの看護師だが、9時~15:45までのパート勤務である。時給は1600円。時給以外の手当はなし。月曜から金曜の土日祝日は休み。なんなら学校のスケジュールによっては半日の出勤の日だって時々ある。1か月の給料はフルで出たとしても16~17万くらいの手取りだ。確かに少ないが、家庭を支えるための稼ぎとしては決して小さくない頼らざるを得ない稼ぎではある。しかし時期によっては、というか7~8月の間の夏休みなんかはまぁひどい。結局他の仕事をすることもできなかったのもあって手取りは3万くらいとかだった。ほんとよく生きていけたよなと自虐的に感心しちゃう。加えてタイミングによっては子どもが体調を崩してしまう日もあれば余計に稼ぎが少なくなってしまう。
今の職場というのは、正直独立を目標にしていることから長く続けるつもりもない、という旨は上司にも面接の時点で伝えているため、休みを取りやすいという利点はある。妻様が飲食店の職場であり、急な休みがとりづらく、急を要する場合はぼくが休みを取ることが多い、ということで伝えている。すると休みを取る頻度はぼくがやや多くなる。するとどうなる。そう、稼ぎが減るのさ。
この程度の給料のために頑張るのなんでなん???ってテンションになるのはしょうがなくない?!?!?!?!働いたとこでまともな給料にならないならやる意味なくない?!!?!?!?!
まぁ働き方とか、そもそもの給料のことも踏まえて納得していないわけではないんだけど。それでもさ、もうちょっと上手くいってくれよぼくの人生、って思うくらいは自由じゃん?
稼ぎについてはこんなもんとするか、責任とやりがいの部分てのはややつながるのかな多分。責任ある仕事を継続できることで自己肯定感だったりにつながって、それが後々に自信という気持ちの塊になると思ってる。これがねぇ~、今の仕事にですねぇ~・・・ないんですよぉ~・・・・・。
なんとなくで説明しますとぼくのお仕事。支援学校に通う中での医療的ケアを必要とする生徒の対応を主としている。ほんとにザックリだけど、口から物を食べられない子の食事や水分摂取の対応、日々の健康観察、家庭での様子確認をしながら先生との共有みたいな感じ。呼吸器を使っている子で1日中付き添いが必要な子も数名いる。そういう子の担当についた日は1日退屈しないで済むから個人的にはありがたい。では、1日中付き添いの子に当たらなかった日は何をするかって???
なにも、ないんだよ。
これから挙げる仕事を、7人くらいでやるぞ。聞いて驚け。
9時台:
・待機室の清掃。5分くらいで終わる。
・生徒10人くらいが登校し次第、先生からの連絡を受け、教室へ向かい健康観察。体温、脈拍、呼吸音、腹部の聴診、家族からの申し送り確認。が一人あたり移動含めて5分程度。正直3人くらいいれば余裕。半分くらい座ったまま過ごすこともある。
10時台:
・胃ろう(口から食べられない子に作られる胃に直接つながる人口のクチ、みたいなもの)のある生徒の水分補給が5~7人程度。1人あたり3分程度で終わる。終わったらその記録を手書き。
11時台:ぼくはなにをしていたんだっけ??????
12時台:ぼくは、30分かけて、お昼ご飯を食べた。
13時台:待機室に置かれている物品のチェック。3分もあれば終わる。
14時台:胃ろうのある生徒の水分補給、が3人程度。
15時台:授業を終えてバスで帰る生徒の見送りのバイバイお手手ふりふり。
その後15:45までは休憩扱いで、仕事もなく待機室の椅子に座っているだけ。
分かる人ならわかる。これで1日の仕事なのだ。退屈は人を殺す。正直上記した内容の業務量の日だと、1日喋ることもなく半日以上座っているだけで終わってしまう。確かに支援学校ではあり、生きることにや課題や障害を持つ子が多く、普通ではありえない事故や不注意が生死に関わることもあり得る。それはもちろん理解している。しかし、死にそうなほどの退屈を感じることの多い仕事のなかで責任感を常に感じることといいうのは、至極困難である。責任というのは当人の知らぬところにも生まれるものだが、責任感というものは意識しないと保つことはできないのだ。
ちなみに、胃ろうを使っている子の昼食の対応というのは、11時から13時までの2時間の短時間パートさんが対応となるので、6時間勤務の看護師はそこは何もしないのである。だから、なにもしないのである。なにもすることなく、座っているだけである。1日仕事のために足を運んでやることが、半分以上座って何もしないことなんだから、本当に何しに来たんだろうって思っちゃうよ。
それとは別で、ぼくがやる気にならない理由があって。責任感とは全く別なんだけど。
職場で恐らく浮いてるのよね。あまりよく思われてないと思う。当然直接聞いたわけじゃないけど、明らかにぼくにだけ態度違うよね?って人が固定で数名いるんすよね。挨拶しても帰ってこないとか、小さなミスに対してやたら長く説教が入るとか。話すテンションが明らかに低いとかもういろいろよ。
理由はなんとなく思い当たる点はある。
1つは、ぼくはあまり仕事が早くない。開き直るとかではないけど、これには訳がありまして。
仕事を覚えるまでは死ぬほど慎重にやりたいタイプなんですよ。だから疑問に思ったら初歩的なことだろうと個別性を鑑みていちいち確認し続けるし、自信がつくまでは確認する回数が多いからスムーズにもいかない。なくてもいい自信のせいで事故につながるのが怖いから、時間をかけていいものはゆっくりと時間をかけて安全第一に進めたいのだ。仕事を覚えて自信がついたら、質を担保できる回数をこなしてから初めて、早さを求めるタイプなのだ。だから仕事を覚えるのに時間がかかるのである。
もう1つは、そもそもとして急ぐ気がないのである。これについては、ちゃんと前提はあって、急ぐ必要のない処置、対応に限ったことである。胃ろうからの水分注入自体は、急いで短時間で終わらせると下痢につながったりしそれによって十分な栄養や水分の摂取につながらない場合があり、逆に遅すぎない程度にゆっくり行う分にはデメリットはほぼないのである。だから急がない。早く終わらせることにあまりにも興味がないのである。
今いる支援学校では、少しだけ特殊な点があり、授業の合間に水分補給を行ったり、給食の時間の間に栄養の注入を終わらせなければならない。授業に参加することが優先であり、そこの邪魔にならないように各種の対応を済ませなければならない点がある。ぼく自身の正直な感覚として、授業が栄養や水分摂取より優先されるのが全く理解できないため、スピーディーさを意識することが今のぼくには欠けているところだと思う。ある程度は頭をアップデートしないといけないなとは思いつつも、まだ慣れていない。
そういったところで仕事をスムーズに覚えられない、遅いというのが今一つ嫌われる要因になっているんだろうなと自己評価している。別に、職場で人に好かれたいと思っていないから悲しくもないんだけども。ただ、やりにくいって感じは確実にあるね。イメージできるとは思うけど、日々全く楽しくない。
とはいえ一応、ぼくに対して態度が違うなって人はあくまで一部。良くしてくれる人はずっと優しいし気さくに話してくれる。そういう人に限って年の離れたベテランで余裕のある淑女の方がほとんど。若ければ若いほど器が育っていないらしい。
正直仕事量が少なすぎてやる気もモチベも維持が難しいのに、一緒に働く看護師同士ですら仲良くできないんだったらやりがいとか責任以前の問題なんだよな。なにが楽しくてこんな仕事しないといかんねん。
そんな環境で働き続けていると考えるんですよ。
ぼくはなんのために働いてるんだろう。
なんでこんなことをしているんだろう。
そこでとりあえず今のところの答えを決めたんです。
意味なんてないんだ。って。
ぼくが看護師として支援学校で働く意味。そんなものはない。看護師免許さえあれば誰だってできる。ぼくじゃなくてもいい。だれがやったっていい。どうでもいいことなんだって思えるようになった。
ぼくがここで働く意味は、仕事以外の時間のためなんだ。仕事の時間になにも求めていないし、今のぼくにとっては意味を求めてはいけないのかもしれない。
意味を求めると、続ける理由になってしまう。続けることが悪というのではないが、今の職場を続けたいと思うにはあまりにも質が悪すぎる。
ぼくは看護師に向いていない。だから続ける意味を探したくない。他人の人生になんて興味ない。職場で出会う患者さんや生徒が目の前でどうなろうとどうだっていい。そんな自分をこれ以上嫌いになりたくない。だから早く看護師を辞めていい環境になりたい。ならないといけない。
ぼくが働くのは生活のためでありそれ以上にそれ以外に意味はない。
ぼくが生きるのに意味なんてものはない。今生きるぼくがこれからを少しでも楽しく、幸せに生きるためにほんの少し、死なない程度に頑張る。ぼくのためだけに生きる。ぼくのためだけに家族を大事にするし、一緒に生きる努力をこれからもしていく。 他人のために生きるのは間違っているといってもいい。誰もが自分のためだけに生きるべきであり、その結果で自分以外のだれかが幸せになったのなら、それはそれでラッキーだったね、って話で全然いいと思う。
これがぼくの答え。自分のためだけに生きる。自分のためだけに少しだけ頑張る。無理に頑張ることはない。案外大体のことはどうにかなる。ぼくだってどうにか生きている。みんなもきっとどうにかなる。少しの頑張り。少しの幸せを積み重ねられるように、少しだけ頑張りましょ。
相も変わらずとっ散らかった文章だな。読み返しもあまりしないからしょうがない。字を書くのが楽しいだけで上手でも丁寧でもないのはどうかご勘弁を。
ということで今日はここまで。なんか書きたいことが思いついたら現れます。また会える日まで~。ノ




