自己肯定感を維持するのって難しいけど絶対高く持っていた方が得だと思うって話。
やぁ、ぼくだよ。この挨拶はリスペクトを込めてある人のものを勝手に使わせていただいているものだ。「ときめきメモリアルGS」の『三原 色』様である。わかる人にはわかるだろうしわからない人はその出会いを楽しみにしてほしいからあえて詳しい説明はしないわ!刮目して出会え!
その彼がどういう人かって、ぼくがこれまで出会った人や見てきたキャラの中での唯一心ってくらいの自己肯定感の持ち主である。ナルシシズムとも重なるところはあるとも思えるが、なんというか語感的にナルシシズムよりも自己肯定感って言葉の方がしっくりくるのよ。とってもポジティブな意味ですぜ。色様に電話コマンドしたときの応答のはじめが、「やぁ、ぼくだよ」なのだ。これだけで自己肯定感高いのなんか伝わる気がしない?
自己肯定感とはまずなんぞや。文字の通り、自己を肯定すること。自分を正しいと思える、自分を信じられること、自信とも近いか。自信があればどうなるか、自分は正しい、間違いはあるかもしれないが正しいと信じられるから、行動を起こせる。成功するかどうかはまずは関係なく、行動を起こせる。行動しなければ得られないものがあるとき、そのスタートラインに立つことが早い。早いとどうなる、数を起こせる。得られる何かがあるとき、その得られるものは多くなる。自信があれば、得られるものが多くなる。酔っぱらいが頭に浮かんだことをどんどん文字にしてるだけだからあとから自分でこれ読んだらひっくり返りそうだぜぇ。
では自己肯定感がないとどうなるか。自信がない、自信がないから行動を起こせない、先の理論で行くと。得られるものが自身がある人と比べて少なくなる。抽象的な文面ではあるが、しかしこれは間違いなく損失であることは明確である。自己肯定感が高ければ高いほど、良いのである。
そしてここからはぼくの話だ。
これまでのエピソードでぼくのことのそれなりを書いてきたつもりではあるので、まだなら暇なときに読んでみてくれ。文面にするととてもつまらんありふれた一人の男よ。沖縄で育ち、奨学金で大学に通い留年もせず卒業し看護師の資格を取って、いまだに看護師以外の仕事をほぼほぼ知らないつまらん男さ。そんなぼくがなぜに自己肯定感の話をしようって。自己肯定感を上げる方法ってのは、もちろん個人差はあるが、要は簡単な話なのさ。
端的に言おう。TVやTVで流れない多くのタレントやいろんな分野の著名人、有名人がいるね。しかしその中でほとんどの人間は、「医師の指示があっても針を人に刺すことができない」からだ。目黒蓮だってそんなことできはしない。室伏広治だってどんなに凄くても医師の指示があっても人に針を刺すことはできないのである。そう、ぼくは凄い人間なのだ。どれだけ金を稼いていようと体力や芸術に秀でていようと、その大半の人間が。「医師の指示があっても人に針を刺すことはできない」のだ。
自己肯定感を上げる考え方はパッと出てくるもので2種類あると思っている。内的肯定感を上げること、もう一つは比較的肯定感と呼ぼうか。先に言うけど、こんなのちゃんと調べて喋ってるわけじゃないからそんな言葉があるのかとか知らんからな?!文句言うなよ?!
先に書いたものを比較的肯定感としよう。これは他者と比較して肯定感を上げる考え方。大切なのは、どれだけ言い訳をしようとどんな理由付けをしてでも勝とうとすることだ。イーロンマスクはすごい影響力のある人だけどぼくにはアンチが存在しない。ぼくのほうが凄い。会社の同僚は高偏差値の高校大学を卒業してるけど、今同僚ってことは底辺からたどり着いているぼくの方がすごい。Snowmanの佐久間くんは歌って踊れてイケメンで人格者なのにアニヲタとかいう変人だけど、ぼくは茶風林さんの声をスマホなしでも自信をもって答えることができるからぼくの方がすごい。トータルでどっちがなにがすごいのかという話は今していない、どこかで何かがぼくが上回っている。これを自身につなげるのだ。
別の例えとして、例えば、人生のどん底、金もない。人脈もない。体のことで心のことで仕事ができていない。未来が見えない生活が続いている。家族を支えるので精いっぱいでなにも楽しいと思えない。他にもいろんな色んな事情で背負うものが多い人もいるかもしれない。恐らくは劣等感に潰されそうになっている人もいるかもしれない。そんな人が自己肯定感を上げる考え方。それは、「そんな経験をしながらもまだ生きている。ぼくの方が凄い。」これに近い考え方はぼくもたまにやる。こんな経験した人は多くない。先に挙げたようなレアな境遇にいるということは、当事者は辛い思いはあるかもしれないが、自己肯定感は絶対に何かを変えられるはず。信じてくれ。ぼくじゃない。自分をだぞ。
もう一つが内的肯定感と呼ぶぼくのもう一つの考え方だ。そう呼ぶのが正しいのかも知らんけどな。読んで自分で考えな。こっちのほうが難しいかもしれん。これは自分がなにかしらの「努力」をしているときに必ずやっている考え方で、ある意味では自分への許しであり、その分の枷になるものだ。ぼくが高校時代に毎日ジョギングをしていたときにしていた考え方で、『必ず前回の自分を越える。ただし、どんな言い訳をしてもよしとする。』である。
高校時代にジョギングを始めた。学校の年に1回のマラソン大会でクラスの最下位を脱したいと思ったからである。それまで運動能力がうんこちんちんだったぼくは、小中高と最下位だったことしかない。せめて最後の年くらいは最下位を脱したいと思い、ジョギングを始めた。初めの日、家から出てすぐの大通りの坂を上り、多分300mくらいでゲロを吐いた。体力なさすぎワロタ。折り返しの地点を決めていなかったのもあり、その場からトボトボと歩いて帰った。
次の日、ゲロを吐いたポイントまで走って、そこから歩いて帰った。あ、走ったって言ってもスキップより遅い、これは、まぁ、ギリ走ってるんじゃね???って程度のペースをイメージしてほしい。君の思うギリ最低限の走りを想像してくれ、そのちょっと下くらいだ。まぁ頑張って走った。そしてすぐ帰りは全部歩いた。昨日吐いた地点まで吐かずに走った。昨日の自分を越えた。
次の日。ゲロを吐いたポイントの、そこから電柱一つ先まで、およそ数mか、10mとかか、それでも少しだけ長く走った。昨日の自分を越えた。このジョギングをしていたのはぼくがキ〇ガイアニメヲタクになる少し前だったと思う。だから毎日時間だけはあった。それもあって、ほぼ毎日走ることにしていた。どんだけ持久走の最下位が嫌だったんだか。
次の日。ゲロポイントまで走り、そこで立ち止まり、歩いて帰った。昨日の自分を越えた。・・・・。ん?なにが起こったって。しょうがないじゃないかその日はお昼ご飯を食べないまま空腹の状態ではしってしまったんだ。そんなん本来なら走れなくたってしょうがない。それでもゲロポイントまで来れたんだ。完全に機能の自分越えてるわ。火を見るより明らか。
次の日。ゲロポイントまで走り、そこで立ち止まり、歩いて帰った。昨日の自分を越えた。今度はなんだって?この日は走る前にちょっと、ゴニョゴニョってさちょっと欲求吐き出してスッキリしちゃったんだよ。そんな状態で走れるわけないんだって。当たり前じゃねえかよ。それでゲロポイントまで行ったんだぞ褒めてほしいくらいだぜ。
次の日。ゲロポイントを越え、一つ先の電柱を折り返し、家までの距離の半分くらいまで走ることができた。これは完全に昨日までの自分越えてたな。
次の日、また次の日、その次の日、次の日次の日次の日次の日次の日次の日次の日次の日次の日次の日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
半年くらいする頃には、片道5~6㎞程度の道を1時間程度で走れるようになった。
ちなみに、ジョギングを始めた日から一緒に始めていたのが。
ジョギングから帰った後は、腕立て、腹筋、スクワットを順番に、『吐くまでやる』。これは比喩ではなく、本当に読んで字の通り、吐くまで必ず行った。ジョギングを始めた時が確か体重80㎏くらいで、2か月で14㎏くらい減量して、最終的には58㎏まで下がったから22㎏減量か。んで看護専門学校で測った体脂肪率が5%だった。体の健康だったのがこの時が最盛期。当時のクソデブだった自分、本当にありがとう、自己肯定感をあげる最高の経験になった。
伝えたいことうまく書けてるかな。必ず前回の自分を越える、ただどんな言い訳をしてもいい。どんだけダサくたっていい。人に言うものでもないんだ。ダサい言い訳をしたって必ず自分を越える。これをやるときのポイントは、あくまで目標にタッチできる期限を作る。ぼくの場合はマラソン大会。あるいは看護師国家試験日まで、あるいは動物飼養管理士試験日までなどなど。
ぼくの場合は支えてくれる家族がいて、わかりやすい目標があって、それに向かって取り組める環境があった。だからこそできたことかもしれない。それができない環境の人はどうすればいいんだろうな。そうだな。適当な言い訳でも考えてくれ。これがぼくの考え方の根源なんだから。大事なのは「自分を越える」よりも「どんな言い訳をしても良い」だと思っているからね。個人的に。
珍しく長くなってしまった。誰かのなにかに役に立てばなんて傲慢もいいとこだな。酔っ払いの自分語りに付き合ってくれてありがとな。読んでくれたみんな。大好き。誰かの書く文ってのはその人格の欠片が入っている。他人の作為が入りすぎている文でなければどんなものにも意外にも面白みがあるはず。ぼくの文で少しでも楽しんでくれる人がいたなら、これは無駄じゃないんだって素直に思える。
ぼくこの文章知り合いに見られたくねえ~~~~~消さんけどぉぉぉぉ~~~~~~~。
あぁ疲れた。今日はここまでってことで。
また書けるときに。ではノシ




