ぼくとしては例えば目の前の信号を青で通るような努力みたいな
やぁ、ぼくだよ。車の運転について、ぼくは若い時は謎に軽自動車で山道を攻めたり、登りで煽ってきたスポーツカーを下りで120出して煽り返したりとかそんなアホなこともしていましたよ。さすがに今はするわけないし、なんなら速度上限の下回って走るもんだから、ドライバーによってはいい迷惑って運転かもしれない。ゆったりダラダラ運転するのが今は好きなようで。安全運転に越したことはない。運転で誰かをイライラさせる可能性はあったとしても、傷つけることは絶対にない。
とある日、仕事が終わって娘の保育園の迎えに行くときのこと。職場から保育園までは、スムーズにいけば20分程度、混雑につかまれば30~40分程度の道のり。大体いつもの通りゆっくりダラダラとした運転で移動していた。目の前の信号はおよそ100m先で青。歩道側の信号が点滅し、数秒もすれば赤に転倒。それから1秒カウントで車道の信号は黄色、赤へ変わる。そこまで見こせば、別に急いでるわけでもなければ飛ばす必要もないぼくは、車道の信号機が黄色になる前から減速の用意をしはじめる。そんな瞬間にふとした考えが頭をよぎった。
- この信号を青で通っていたら、どれくらいの得があっただろうか -
赤信号の長さなんて場所で違うし数えてもないけれど、大体1~2分程度だろうか。早起きは三文の徳、という言葉もあるがそれにも及ばないこの時間から得られる得とは何だろうか。娘の迎えが数分早く到着できる。いや、この信号を青で通れたら、次の信号もかからずに通ることができたとしたら、さらに数分の得があるかもしれない。5分以上早く動けたら。コンビニでも寄って一服休憩をして心身リフレッシュしながら充実させることができるかもしれない。その他にも、いつもと違う道を通って少し冒険気分を味わったり、使える小道を見つけることができるかもしれない。気になってたラーメン屋の下見ができるかもしれない。そう思うと、たった1~2分かもしれない時間の得というのは、思ったよりも大きな影響を及ぼすのかもしれない。そう考えた瞬間があった。
なにか目的をもって行動し、そのための準備期間にあり、その時にできる限りの努力をしたか。そういう話をあげるとしたら、ぼくは看護師試験のことを話すだろう。
大学時代4年次。卒業論文のゼミのメンバーにはとても恵まれたが、当たった先生が個人的に合わなくって、月に1回のゼミ会の、ぼくは2か月に1回しか顔を出さなかった。やりたい研究をやりたいようにさせてもらえないなら適当な文献研究をします、という理由を付けていく頻度を少なくしていた。最初から最後までやる気はなかった。卒業さえさせてくれればよいという姿勢で臨んだ卒論には特にこれといった思い入れもなければ思い出もない。つまらなかった。その卒論発表会が終わったのが確か12月。翌年の2月には看護師試験が待っていた。しかしぼくのやる気はあまりにもなかった。普段から勉強をするタイプでもなく、成績は良くもなかった。しかしなんというか、スライディングだけはとても上手だったことからこれまでのテストや試験は全てパスしていた。しかしこの時は少しだけ焦ってはいた。さすがに3年次から勉強をしている人は多くいたし、そもそも不真面目だったぼくは、4年次になって模試なんか受ける日には周りとの差を実感するだけのつまらんイベントになっていた。その中でもいわゆる、『頑張りましょうメンバー』にも選ばれてしまっていた。それでもぼくはあまりにもやる気がなかった。『頑張りましょうメンバー』は模試には必ず参加し、なんなら持ち回りで試験監督などをさせられていたが、ぼくが試験監督の時といえば、教卓に自分のPCを置き、試験時間約2時間の間たっぷり、イヤホンを付けてアニメを観ていたのだ。今思い返してもひどいな、何で看護学校に来たんだコイツ。
とはいえずっとそんな態度でもいられないし、どこかで切り替えは必要であると、どこかで感じてはいたんだと思う。12月に卒論が終わったぼくが考えたのは、
1月から本気出す・・・・・・。
12月はやらないんかい。やらないよ、やる気がねーんだからよ。やるわけねーだろ。
12月は本当にやらなかった。卒論の発表会が終わってから年末まで、朝起きて車で2時間のゲーセンまで移動してエクバしていくつかゲームして昼過ぎ夕方に帰って夜遅くまでアニメを観るっていう廃人みたいに過ごしていた。振り返ると当時毎日が楽しかったなぁ~。もうできないもんな~。
そして迎えた1月、覚醒の時・・・・・。
その日からぼくは、アニメを絶った。本当に1話も観ていない、どころか数秒も観ていない。しばりをちゃんと付けた。
・アニメを絶対に見ない。アニメ映像を見ない。
・TVでもリアタイでも見ない。
・アニソンを聴くのはOK
・アニソンのイベントなどのライブ映像などはOK
・ドラマCDはダメ、などなど
なので勉強時間はアニソンを聴きながら、アニソンのライブ映像を音声だけ流しながら、毎日16時間の勉強を行った。寝る時間と風呂トイレ、食事を摂る、作る時間以外は全て勉強にあてた。でもなるべく、家族の食事のための買い物と料理と、父との晩酌はほぼ必ず時間を確保した。勉強以外の時間も大事にしていた。それというのも、卒業後は地元を離れて県外に出ることを決めていたから、家族と離れることが決まっていたから、せめてまだ一緒にいられる時間は大切にしたいという思いがあったんだと思う。
毎日の勉強はやってみると、いや楽しくはないけど。テキストとともに自分と向き合う時間になった。得意不得意を感じたり、どういう学習が自分に合っているのか模索している時間は、不毛とはとても言えない時間だった。ここで出会った自分の勉強方法として、答えを出すときは当てずっぽうせずに自分なりの経緯を言語化する。すると間違っていても修正がしやすいからだ。あと勉強に疲れたら休憩、ではなく教科を替える。すると意外に集中力はリセットされる感があった。なのでノンストップで勉強自体はできる。これで長時間の勉強時間が確保できた。そして、間違えた点を徹底的にノートした。それ以外は理解している、とある意味自分の自身にもできたし、そのノートを見れば自分の苦手な傾向を見つめることができるからだ。そんなところかな。今思い出せるのは。
そんなところで、ぼくはこの努力の1か月半をもって結果無事に看護師試験を合格に持っていけましたとさ。ハッピーハッピー。
先にした青信号の話に戻ろう。信号機が試験やテストだとして、そこを赤になる前に通る努力を勉強としたとき、今のぼくはその努力かもしれないなにかを、なにもしていないのではないか。あの時あの信号機からこの考えがよぎってから、信号を青で通り抜ける努力。普段からできる小さな努力。小さななにかが生まれるかもしれない、努力に似たなにか。これを普段からできたら、ぼくの人生はどれほどにか変わっていたのかもしれない。もちろん変わらないかもしれない。やるだけ無駄でないのなら、やるほど何かを得られるかもしれない。そう考えるようになってからは、信号機を見るたびに考えが浮かぶようになった。今のぼくは、信号を青で通るための努力ができているだろうか。その小さな努力が自分になにかを与えるかもしれない、ということを考えて生きられているだろうか。もちろん四六時中ではないさ。たまーに、考える。ずーっとエンジン全開なんてのはぼくの意に反する。気の抜き方が上手なのがぼくの強みなのさ。
車の運転から考えるようになった普段からできる小さな努力について。できることは、しないといけないことは頑張りますが、そうでないことは、できる範囲で頑張ります。車にのって信号機に当たるたび全部じゃないけどたまーに、ぼくは今頑張れてるかな?やりたいことのための努力をし忘れてないかな~と、考えるようになれた。この感覚は今後とも大事にしていきたい。きっとぼくの今後に役に立つ。上手く言語化できてたらいいな。
今回はここまで。自分のできる努力は限られるので、他人に左右されないでできることを頑張る。この繰り返しをできる範囲で頑張る。無理したっていいことなんて少ないから、ゆるっと頑張りましょう。
また時間がとれる時まで、またノシ




