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未来という名の命の輝き




死んだ方がいい命というのは、必ずある。



そしてそれ以上に、生きるべきだったという命がある。




命の価値は平等ではなく、必ず差があり、違いがある。




ぼくにとっては消えた方がいいという存在にも、愛してくれる誰かはいる。




それでも、やはり命の価値には、必ず差がある。










 呼吸器をつけた発達障害をもつ4歳の女の子。ぼくの働くデイサービスは週に数日利用し、午前中のみ呼吸器を外しての訓練を行っている。発達的課題が多く、寝返りはうてない。そして下半身を上手に使えず、うつぶせにしても四つ這いがとれずハイハイができない。移動はできず体をくねらせることで行きたい場所へ、興味のあるものの場所へ近づく。目は見えているようで、大好きなスタッフや家族がいることに気づくとそこをじっと見つめたり目で追うことができる。ご飯を食べることが大好きで、テーブルでお弁当の準備をしているとそこを見つめ続けご飯が出来上がるのを、文字通り首を長くして待っていることが毎度のことである。

 そんな彼女が今頑張っているのは、自分で呼吸ができるよう、一日の中の元気な時間で呼吸器を外し、自発呼吸を安定化させる訓練である。呼吸機能に課題のある人に対して、『気切きせつ』と呼ばれる喉に直接穴をあけた空気の通り道が作られる。彼女にはそれがある。その穴に直接つながれている呼吸器を外すと、肺内に溜まった痰が噴き出すようにして出てくる。ゴロゴロとした肺内雑音が聞かれ、呼吸状態は良いとは言えないが、血液的な酸素状態は悪くない。そのため、定期的な吸引手技が必要となる。呼吸して吸ったを道具で外部に吸い取られる手技であり、どう考えてもされる側は苦しみを伴うものである。それを痰が少ない時で5分に1回、多い時には2分程度に1回程度と頻回になる。それを2時間程度、呼吸器を外している間行われる。



 それでも彼女は、笑うのだ。



 彼女はよく笑う子である。大好きなスタッフを見つけたとき。ご飯を準備しているのに気付いたとき。そのご飯が目の前に用意されたとき。気に入ったおもちゃがあったとき。お母さんのお迎えに気づいたとき。スタッフの笑顔に囲まれたとき。彼女はよく笑うのだ。その愛らしさ、無邪気さ、世界は優しくキレイで美しいものだと疑わない眼差しは、ぼくを含めたスタッフにはとても眩しく、輝いていた。このまま育て~。まわりに愛されればこれからも助けられて生きていけるぞ~、愛される方法を学べ~。周囲からはそう願われていた。

 家族もとても良い人たちだ。送迎の際に家に訪問させてもらい、よく挨拶していた。若いながらに育児に奮闘するお母さんの姿は、ただ若いだけでない強さを感じさせた。お父さんはたびたび単身赴任で家を空けることはあっても、家にいるときには一生懸命にお母さんを支えているようであった。ぼく自身が重症心身発達障害、という枠の人の入院する場所で働いていたのもあり、発達に課題のある子の育児に向き合うことの大変さというのは、想像できないほど大変だと思っている。

 そんな家で暮らす彼女のこれからの目標として家族と話し合ってできあがった課題は、やはり呼吸器のことである。2年後には小学校に通い始めるため、『日中の時間帯は続けて呼吸器を外せるようになること』。これが目標になった。どこもそうなのかはわからないが、授業が行われる時間帯に呼吸器が必要になると、入学が難しいとかなんとかあるらしい。そのため、我がデイでは2時間程度の呼吸器の離脱が行われているが、これを延長していくのが今後の目標となった。しかしその課題はなかなかに難しかった。呼吸器を外すと痰が増える、痰が増えると吸引が必要になる。前記した2時間の呼吸器の離脱は、昼食前には呼吸器をつけて安定させてから食事が行われる。食事や水分が入ると、気切をもつほとんどの人が唾液や痰の量が短時間で増加するからである。食事などで胃の中が貯まると、吸引したときの刺激で嘔吐の危険があり、その嘔吐による窒息のリスクが生まれる。彼女はまだ幼い。嘔吐があったときに窒息にいたるリスクが大人よりも大きい。そんな中で食事の時間を挟んで呼吸器を外し続けられる方法を模索するにはどうしたらいいか。その模索や検討を、うちのデイや彼女のかかりつけ医と協力して進めていた。約2年後には学校。そのときのための目標とはいえ、時間がかかりそうなことだ。今から考えたっていくらでもいいことばかりだ。










そして彼女は死んだ。







死んだ。












 ある日の朝、呼吸器が外れていたそうだ。お母さんが朝起きたその時に、すぐ隣で冷たくなっていたそうだ。呼吸器のアラームは、機械的に、無情に、鳴り響いていたそうだ。



 詳しい状況や情報は聞かなかった。聞いたって意味がないと思ったから。人が死んだ。ずっと一緒にいた彼女が死んだ。それだけだった。



 


 ぼくはこれまで何人かの死を見送ってきた。多くはない、5~6人くらいかな。看取りの入院患者が数人と妻の身内と、父方のじいちゃんと、母。母の死の時には時間を空けて自分でも引くほど泣いたりしたが、それ以降というか、死に慣れたわけではないがそこまで心は動かなくなった。しかしこの時の彼女の死はこれまで出会ったものと明らかに違っていた。




 彼女には、未来があった。





 余命。予後。。5年後生存率。。。10年後生存率。。。。様々な呼ばれ方をする命の終わりのサイン。それがある程度近いとなると心構えができる。その時の準備ができる。終わりの準備ができる。彼女には未来があった。そして彼女の両親にも、未来があった。彼女と共に生きた先でいられた場所やその景色。味、匂い、感触、音。そのすべては彼女に蓄積されるものであり、その家族にも分け合える価値だった。どういう風に成長し、どういう大人になり、どんな人生を歩み、どんな人になるのか。すべてがこれからの人間だった。その全てが、まだなにも見えないほどに眩しく輝いていたのだ。その全てが、ぼくにとって、ぼくの周りの人間にとって、彼女に関わる全ての人間にとって、眩しく輝く価値のあるものなのだ。






命の価値は平等ではなく、必ず差があり、違いがある。






彼女を知る者にはとてもかけがえのない価値を持つ彼女の命は、


彼女を知らない者にとっては、あまりにも無関心であり価値のないものだろう。


それでもぼくにとっては、ここにこうして文章を残したいと思えるほどに、


彼女は価値のある人間だった。




命には価値がある。もちろん値段とかの話ではない。

それは魂個人のようなものではなく、



だれにとってどれだけの価値があったか。



みんな違っている当たり前だ。 ぼくは彼女を知っている。だが世界のほんの0.000001%の人間すら彼女を知らない。世界の人間の中でほとんどの人間にとっては彼女は価値のない人間かもしれない。





しかしぼくにとっては、膨大で数えられなく存在する命の価値について改めて教えてくれた、




数少ない価値のある人間だった。


















一応言っとくけど、



さすがにほとんどフィクションだかんな?

個人情報は出ないようにコンプライアンスは守ってるからな?

いろんな事例を掛け合わせたキメラエピソードですのでご安心を。


このしばらくでぼくの周りで亡くなった人がいる。その時にこういうことを考えた。



このエピソードの真実はこの程度、あとはそれを伝えたいがためのキメラ物語なので、悪く思わないでくりゃれ。




命の価値。


考えてみてくれ。


面白いぞ。






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