ぼくのモチベーション。それは、そこにいる君さ!
物語を書くというのは今となってはなかなかできるものではないので、エッセイなんていって自分の人生の欠片を文に落とし込むことをしているが、これがまたやってみると楽しい楽しい。思い出を振り返るのと同時にもう一度見つめなおす感覚。あのときはこう考えてたなー。今思うとどーだなーこーだなー、みたいな。今は過去のことばかり書いてるけど、今後はまた違ったなにかを書けたらなーとは思います。
もともと書き始めた時のテンションをいうとですね。正直週に1個書ければそれなりに気軽で楽しい趣味になるかなーくらいに思ってたんです。それが自分でも意外に、週に1回以上、書けるなら毎日少しずつでも書くってのができてるんですよ。拙く未熟で、お世辞にも読みやすい文でもないのは勘弁してくれ。あくまで趣味の延長なんだ。書くのが楽しいなって思えるようになったのは、もちろん先に書いた自分の表現と自身の見つめなおしの点はある。そこに加わるところがなんと大きいこと。ここ小説家になろうのサイトをあれこれ調べると出てきた、アクセス解析ですよ。
アクセス解析の部分で、見てくれた人の数とか回数とか、何話を見てくれたとかいろいろなものが数字で現れてくれる。ぼくはこういうのは詳しくないので、この数字にどれだけの信憑性というか、喜んでいい数字なのかとかは知らないけれど。
「書けば読んでくれる人がいる」
この事実はぼくのモチベーションを上げるには十分すぎた。ぼく程度を物書きというには大変おこがましいが、少なくとも誰か人が見てくれるかもしれない場所で文を書き残そうとする人間にとっては、読者といえる人がいるのは確実に高揚しえる要素だと思う。こんなところでこんな文を読んでる君なら、この気持ちはよくわかるはずだよな?なぁ、友達になろうぜ、君。
表現したいものがある。 なに? わからない
誰かに伝えたいことがある。 なに? わからない
ぼくを知ってほしい。 なぜ? わからない
みんながそうだなんて言わないけど、実はこういう人もいるんじゃね?とはいえ、物を書くときって別にこんな感じでも悪くないと思うのよね。少なくともこんだけ意識の低いぼくの感覚だと正直こんなもんよ。なにを書きたいのか何を表現したいのかわからないけど。どこの誰とも知らないぼくの欠片たちが。どこの誰とも知らない誰かの中に何かが残れば、もしかしたらそれがぼくの望むことなのかもしれない。めっちゃ傲慢で草。でもでもたしか京極夏彦先生の文に、文面として残すのは誰かに読んでもらうためである、みたいなこと言ってた気がする。ごめん20年前の記憶だから間違ってたらごめん。そこにどんな意図があろうとなかろうと、文字の羅列が並んでいることだけを比較するなら、今ここで生きるぼくと過去の偉大な文豪にそれまでの違いはないのである。
なんかいろいろ書いたけど、ぼくのモチベーションは、そこにいるこれを読んでくれている君のおかげってことよ。まずは飽きるまではなるべく書きます。楽しい間は書きます。読んでくれる人いるなら書いてみます。
眠くなってきました。今日はこれまで、おやすみなさい。なんか思いついたらまた書きます。




