第2章 崩れる職場
翌週の月曜朝。
フロアの一角ががらんとしている。
経理部の井川のデスクだ。
まだ復帰の見通しは立たず、椅子だけがぽつんと置かれている。
「井川さん、辞めるんじゃないかって噂です」
佐伯が小声で言った。
俺は頷くだけで何も言えなかった。
あの日の鬼塚の言葉が頭から離れない。
——自己管理不足だ。仕事と関係ない。
指先が冷たくなる。
モニタの光が、やけに眩しい。
昼休憩、人事部の若手社員が休憩室で缶コーヒーを飲んでいた。
珍しく顔を合わせたので声をかける。
「最近、退職者多いですね」
「ええ……経理も営業も、人が足りなくて回らないんですよ。
中途採用も応募が来ないし、このままだと部署ごと潰れますよ」
苦笑しながら言うが、目は笑っていない。
コーヒーを飲み干し、深いため息をつく。
「労基に駆け込むやつが出てもおかしくないです。
でも、誰も最初の一人になりたがらない」
その言葉が胸に刺さった。
——誰かが最初の一人にならなきゃ、何も変わらない。
午後の会議。
鬼塚は今日も声を張り上げるが、反応する社員は少ない。
空気がどこか冷めている。
同僚たちが机の下でスマホを握り、匿名掲示板を覗いているのが見えた。
〈この会社、もう終わりじゃね?〉
〈部長が飛ぶまで耐えるしかない〉
〈誰か内部告発してくれよ〉
画面を閉じ、俺は深く息を吐いた。
胃が重い。
だが心の奥で、何かがゆっくりと形を持ちはじめていた。
その週の金曜。
営業部の同期が突然退職願を出したという噂が流れた。
休憩室で鉢合わせした彼が、ぽつりと呟く。
「悪い、山田。もう限界だ。家族に止められたんだよ、このまま働いたら死ぬって」
言葉が重く落ちる。
俺は何も言えず、ただ肩を叩いた。
夜。
終電を逃し、誰もいないオフィスでひとり残業をしていると、経理部の村瀬が資料を抱えてやってきた。
「……また数字いじれって言われた」
疲れ切った顔。
椅子に腰を下ろし、机に額を押し付ける。
「私、今日、はじめて“辞めます”って言いそうになった。
でも言ったら誰も止めてくれない気がして」
「止めないだろうな」
俺も笑った。
自分の声が、やけに乾いて聞こえた。
「……でも、変わるかもしれませんよ」
村瀬が顔を上げる。
俺は胸ポケットを叩いた。
「明日から、ちゃんと録る」
村瀬の目がわずかに見開かれ、そしてゆっくり頷いた。
帰宅後、布団の中で眠れずにスマホを開く。
匿名掲示板をスクロールすると、会社のスレッドが上がっていた。
〈もうやめたい〉
〈鬼塚マジで消えてくれ〉
〈でも誰かが声を上げなきゃ変わらない〉
指先が止まる。
心臓がどくんと鳴った。
——俺だけじゃない。
——みんな、限界だ。
その夜は眠れなかった。
けれど、不思議と目は冴えていた。
頭の奥に、赤いランプがともり続けている。