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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

死にたくない聖女は、逃げることにした。

——逃げよう、と。

メリアは決意した。

もう逃げるしかなさそうなのだ。

自分の命を守るためには。


「……メリア。僕は明後日の卒業パーティでね、君との婚約を宣言しようと思ってるんだ。そしてあの悪女……マーガレットに婚約破棄を叩きつけ、君をいじめた悪行を問い詰めるんだ。みんなの前でね。ふふ、大丈夫。明日は父上……国王陛下は所用でいない。つまりあの場での最高権力者は王太子である僕だ。だから、君は何も心配せず、ただ僕の腕をとってそばにいてくれればいいんだよ」


——こいつは、この王太子殿下は、何を言ってやがるのでしょうか。


頭がずきずき痛む。


メリアは、ただの男爵令嬢だ。しかも、出自は孤児で、聖女の力があることを発見されて養女となっただけ。男爵令嬢どころか、元平民の、孤児。


いくら聖女だからといって、王太子と婚約などできる立場では決してない。聖女教育として、貴族との関わりが求められるからと半ば強制的に学院に入れられたのが運の尽きだったのだろうか。


入学してすぐに、第一王子であり王太子であるライト・ルーア・レアモーテル殿下に目をつけられ、言い寄られること1年。1年耐えれば殿下が卒業だから、それまでのらりくらりとかわし続ければなんとかなると思っていた矢先。

突然王子の側近とやらに呼び出され、拒否できず連れてこられた学院の中庭での爆弾発言。聞いた途端に目眩がして後頭部から倒れそうになった。


大体、ライト第一王子には婚約者がいる。非の打ち所のない、完璧な婚約者が。


それが、ライト第一王子が悪女だとのたまった、マーガレット・アルホワイト侯爵令嬢だ。


王子と同学年の彼女は、メリアと同じく聖女である。普段はそれぞれで別の聖女業務をしているために、多くの関わりはない。教会のお祈りの時間に、その姿を見るくらいだ。ウェーブした豊かな長髪は白銀色に輝き、エメラルド色の大きな瞳と調和して神秘的な雰囲気を纏っている。すらりとした美しい長身にはシンプルなドレスがよく似合っていて、メリアはいつも「ほぅっ……」として眺めていた。もう、茶髪茶目で中肉中背(自称)のメリアとはオーラも格も、何もかも違う!


そしてさらには、マーガレット令嬢の浄化の力、癒しの力はすさまじいと聞く。聖女としてメリアが派遣されて、露骨ではないにしろがっかりされることが多いのも、マーガレット侯爵令嬢がいかに優れているかを示していることだろう。


もちろんメリアは、聖女であると発覚したのがついこの間で、まだまだ修行中の身であるから、生まれついての聖女であるマーガレット侯爵令嬢と比べられて落ち込むなんてことはない。スタートもレベルも全く違うのだから、むしろ当然のことだ。


深く尊敬こそすれど、いじめられたなんてありえない。


(あんなに完璧な婚約者がいるのに、この方はどうして私にこだわるのかしら……)


メリアは、自分を得意気に見下ろしにやにやしているライト第一王子を見据えた。太陽に煌めく金色の髪、深い海のような青い瞳、すらりとした長身から輝くばかりの気品を溢れ出すこの美丈夫には、普通の女性なら浮気相手でも構わない、と夢中になることだろう。

しかし、メリアはただただ死にたくないのだ。


いくら常識がわからないメリアといえど、王命の婚約を邪魔するなど、とんでもないことだということだけは分かる。パーティーの後は大丈夫だったとしても、全てが発覚したあとにどんな処罰を受けるかわからない。いいところ国外追放か、下手したら処刑されるんじゃないか。

いくら聖女だといっても、この国にはすでにマーガレット侯爵令嬢がいる。所詮、聖女としてマーガレット侯爵令嬢には及ばず、ただ修行しながら簡単な仕事を任されているだけのメリアの命など、虫けらのように潰されるに違いない。


しかし、この第一王子に真正面から強く反発するのも、それはそれで死ぬ気がする。この国で最上位に高貴な方に真っ向から歯向かう勇気はなかった。

ゆえに、メリアは今までのらりくらりと彼の求愛? を避けてきたのだ。それはそれでたぶん不敬だったが、他にどうしようもなく。


メリアは口をぐっと一文字に結び、目にぐっと力を込めて首を振った。


(あなたの思い通りにはならないわ!)

と強く念じる。


「おお、メリア! 分かってくれたか!」

と、盛大に勘違いをされた。


違う! あなたになんかこれっぽちも興味はない!


さっきからメリアは何も言っていない。

下手に何かを言おうものなら、不敬で処罰されるか、都合よく受け取られるかのどちらかしかない。ゆえに王子と対してる際はいつもなるべく黙ってやり過ごすように頑張っている。しかしながら、その無言の険しい表情を、ライト第一王子は無言の肯定だと捉えてしまったようで、


「では、明後日のパーティの前に、迎えに来るよ。男爵家へ僕の瞳の色のドレスを送ろう。ドレスアップして待つがよい。ははは!」


高笑いしながら去っていくライト第一王子の背中を無言で見送りながら、メリアは固く固く決意した。ごくりと唾を飲み込む。これ以上流されていたら、強制的にパーティに出席させられる。婚約者でもない自分を得意気にエスコートしたライト第一王子がマーガレット侯爵令嬢を糾弾する。自分の尊敬するマーガレット侯爵令嬢はありもしない罪を問われることになる。そして自分は、端から見れば、ぽっと出の男爵令嬢でありながら王子を寝とり、王命に背いて共にマーガレット侯爵令嬢を糾弾する、とんでもない悪女になってしまう……!


「絶対嫌……」


とんでもない悪女の行き着く先は、死だ。


メリアはしにたくない。本当は、育った孤児院で今度は子供たちを守り育てる側として、ずっと生きていくつもりだったのだ。孤児院が魔物に襲われ、絶体絶命の瞬間に聖女としての力が目覚めた。そして、教会からの迎えがきて、自分は国の聖女となったのだ。その際の孤児院への寄付と引き換えにして。


孤児院の先生や子供たちは、聖女となった自分を誇りに思ってくれている。それなのに、悪女として処罰なんかされるわけにはいかない。


「処罰されるくらいなら、逃げるわ」


メリアの決意は固まった。






メリアは教会の自室へ戻り、逃亡の準備を手早く行った。

ライト第一王子は勘違いしているが、メリアは男爵家には住んでいない。あくまで学院に通うための貴族籍をもらうために養女ということになっただけで、ほとんど没交渉なのだ。メリアは聖女修行や勉強に忙しくて男爵家にいる時間をとれない。それに、二度三度会った男爵様夫妻も、元孤児の自分をあまり歓迎していないようだった。ただ王命で引き受けただけで、こんな汚ならしい子どもを邸にいれるつもりはない、と目が言っていた。だから男爵家に贈り物をしたところで意味はないのだが……。

男爵家に受け入れられないならば、それはそれで大丈夫なので、メリアは教会から学院に通っていた。幸い、聖女修行のためという全うな口実がある。メリアを聖女として受け入れてくれた教会は、それなりの待遇でメリアを育ててくれた。お世話になった教会を突然捨てるような所業は申し訳ないが、緊急事態ゆえ仕方ない。


うーん、うーんと唸り悩んだあげく、メリアは手紙に「死にたくないので、野良の聖女になります。聖女としての浄化などは野良でやりますので、ご心配なく。今までありがとうございました」とだけ書き残しーーパーティが迫る前日の深夜、こっそりと裏口を出て、教会を抜け出した。





深夜抜け出したメリアは、明るくなるまでとにかくひたすら歩き、王都のはずれのほうまで来た。さすがは王都。孤児院があった田舎に比べて段違いに治安がいい。深夜歩いてもゴロツキの一人もいないので助かった。途中見回りの騎士もいたが、質素なシャツにパンツ姿で出てきたメリアを、まさか聖女で令嬢だとは思わなかったらしい。平民の家出不良少女とでも思ってくれたのだろう。保護もされずスルーされたのはラッキーだったか。とにかく助かった。


明け方に、開店したばかりのパン屋で、固いパンと水を買えた。深夜からなにも食べずに歩いていたので助かった。もぐもぐと食べながら歩くことしばらく、王都はずれの乗り合い馬車乗り場まで辿り着けた。

どこにいくか宛はないが、とにかく馬車がいけるところまで乗って、また考えればいい。教会預かりだったメリアにはほとんどお金もなかったから、行き着いたどこかのお店とかで雇ってもらって、働きながら情報収集をし、障気や魔物の気配がしたら浄化に行けばいいだろう。簡単な治癒もまだ修行中ではあるができているから、冒険者ギルドや病院なんかを覗いて治癒を請け負ってもいいかもしれない。もちろん、メリアは善良な聖女だから、困っている人は助けよう。それくらいは野良の聖女としての勤めだ。今まで教会でやっていたことと大して変わらない。


「はぁ、眠たい。とにかく逃げられてよかった。馬車にのったら寝よう……あ、来た来た」


王都から、森を抜けて近隣の国へ行く馬車がガラガラと音をたててやってきた。この馬車はどこに行くのやら。お金は足りるかな。そんなことを考えながら、手をあげて止まった馬車に乗り込んだ。


「いけるところまで乗せてください」と御者に頼むと怪訝な顔をされたが、乗り込むことができた。簡単に幕を張っただけの荷台に乗り込む。むわっと埃っぽい臭いがした。少し最初咳き込んだものの、やっと座って落ち着けた。ふと見ると、荷台にはもう一人、痩せた女性が乗っている。深くマントを頭から被り、ぎゅっと小さな荷物を握りしめて静かに過ごしている。この人もワケありなのだろう。こんな早朝に乗り合い馬車にいるのだから。


馬車にのれて安心したのか、だんだんまぶたが重くなってぼーっとしてくる。ああ、でもこれでとりあえず明後日の……もう明日? 今日? わからなくなってきたが、死の卒業パーティからは逃げることができた。


「よかった……」


思わず呟いて、眠気に身を任せようとした時。

先客の痩せた女性が「えっ……」と小さく声を出した。


メリアは眠気に半ば負けつつ、その女性の方を改めて見た。女性がゆっくりと、頭から被ったマントを脱ぎ、顔を見せたところでーー眠気が吹っ飛んだ。


「えっ、えっ……えっ。え? え? な、なんで!?」


白銀色の髪は、ウェーブした豊かな長髪……だったはずが、肩の上でざっくり切られている。しかし、そのエメラルド色の大きな瞳と、透き通るような白い肌に、人形のように整った目鼻は確かに見覚えがあった。


メリアが尊敬するもう一人の聖女。


今日、ライト第一王子から糾弾され婚約破棄される。


「……マーガレット侯爵令嬢様……?」


マーガレットは薄く紅い唇を、そっと上げて言った。


「メリア嬢……」


なぜ、ここに。

二つの言葉が、重なった。






マーガレット・アルホワイトは完璧な侯爵令嬢であり、聖女である。


それ以外を求められず。ただ完璧であることを求められて生きてきた。


アルホワイト侯爵家は古くから続く由緒正しき貴族家である。マーガレットの母は女侯爵として領地経営を守り立ててきたが、マーガレットが15歳の時に事故にあい亡くなった。長女として家を継ぐことを期待されたマーガレットに対し、母は厳しかった。幼い頃からマナーや貴族としての常識、領地経営に必要なことを叩き込まれたが、厳しさの裏に確かな愛があった。さらに聖女としての力にわずか2歳にして目覚めてからも、厳しい教育は平行して続いた。


自身も長女として侯爵を継いだ母は、苦労してほしくなくて厳しくしていたのだろう、とマーガレットは理解していた。そんな母が急に亡くなり、今まで母の陰であまり主張なく過ごしていた父が侯爵代理となった。途端に父は豹変し、母の葬式も終わらぬうちに後妻となる愛人と連れ子を連れてきた。


今まで存在感なく過ごしていた父は、いつのまにか他の家庭を持っていたらしい、と初めてその時に気づいた。


父は、侯爵当主であった母が、仕事とマーガレットの教育に時間を費やし、自分を顧みなかったことに密かに恨みを抱いていたらしい。母の葬儀が終わり、いつのまにか母の部屋だった場所は義母の物で溢れ、義妹に自分の部屋をとられ小さな使用人部屋に追いやられ——


虐げられ過ごしていたある日。当主代理となった父に、母が使っていた仕事部屋に呼び出された。

そして、えらそうにふんぞりかえって言われた。


「マーガレット。侯爵家はお前の妹であるブランカに婿をとらせて継がせる。お前は第一王子の婚約者となれ」


思えば、父の声をちゃんと聞いたのはいつぶりだっただろうか、とマーガレットは思った。


大体、父はあくまで侯爵家代理であり、義妹であるブランカは侯爵家の血を継がないために、継承権がない。そんなことも知らずに堂々と嘯く父に、マーガレットは反論する気も失せたのだった。


「既にお前は婚約者に内定している。これから荷物をまとめて王城へ行け。そのほうが教会へも通いやすいだろう」

「……かしこまりました」

「やけに聞き分けがいいな。お前も私をないがしろにするんだろう」

「そんなことはございません。わたくしは、今までただ、聖女として活動しながら侯爵を継ぐための勉強をしていただけです」

「ふん。お前はあの女に似て意地汚い。お前が聖女など、この国の未来を憂いてしまうな。二度と顔を見せるな。しかし、侯爵家のために完璧な王太子妃となれば、考えてやらなくもない」


——何をいっているのだろう、と。膝をついたままマーガレットはぼんやりと思っていた。


母と自分が必死になって仕事と勉強をし、さらに聖女としての祈りや修行もしている中、この男はただ寂しいという幼稚な本能で他の家庭にかまけていただけだろうに。


母が死んですぐにやってきた義母は、厚い化粧をした長身の女だった。顔つきに意地の悪さがでているのか、常に眉毛がつり上がっている。ずかずかと我が物顔で侯爵邸に来た義母は、


「おまえがマーガレットね。今までずいぶんと調子に乗っていたようだけど、もう終わりよ」と言って、紅い唇を吊り上げて笑ったのだった。


同じく、義母によく似た義妹は、仕事でへとへとになったマーガレットを見下し、「なんてみすぼらしいの。あたしが侯爵令嬢を代わってあげる! あんたは早く出ていって!」とまた笑ったのだった。


父は侯爵代理としての仕事をしなかったためにマーガレットが家令と共に仕事を回してきた。さらに聖女は当代、自分しかいないためにその修行や業務ものしかかる。


(わたくしがいなくなって侯爵家の仕事は回らなくなるでしょうけど、第一王子に嫁ぐならもう関係ないわ。今までやっていたことが変わるだけ……)


むしろ、自分の居場所がなくなったここから出ていけるだけ、まだマシだと思えた。いろいろな思いを抱きながらマーガレットはすぐに自室に戻り、義母と義妹にすべて奪われ小さくなった自分の荷物を抱え、生まれ育った侯爵邸を出たのだった。




王城に婚約者としてやってきたマーガレットは、謁見の間にて第一王子であるライト・ルーア・レアモーテル殿下に見事なカーテシーを見せて挨拶をした。

赤い高級な椅子に深く腰かけたライトは、

「ふん。お前が」と不遜な態度で迎えた。


「学院でお前を見かけたことがないな」

「申し訳ございません。聖女としての勤めと、侯爵家の仕事であまり学院へ行くことがかなわない生活をしておりました。これからは殿下の婚約者として務められるよう、学院へも登校しつつ妃教育にも臨む所存です」


 白銀の髪を床につけんばかりに、深く頭を下げたまま言うと「ふん」と冷たい声が返ってきた。

 

「当然だ。僕は王太子で、お前は王太子妃だ。せいぜい僕のために学ぶのだな。ああ、僕に愛されようなどと決して思うでない。僕は君のような、長身で気の強そうな女は好まないのだ」

「かしこまりました」

「つまらぬ女だな。……おい。そこの者。マーガレットを連れていけ。ああ、そこの書類も持っていけ。その女にこれは任せる」


王子の側近に連れていかれた自室は、王太子妃としての最高級品な家具で揃えられていた。窓辺に設置された白いデスクには、既に書類が山のように置かれてあった。側近がさっさと出ていくのと入れ替わりに、お仕着せを着た女性が静かに入ってきた。


「私はマーガレット様つきの侍女です。スケジュール管理もこちらでさせていただきます。さっそくですが妃教育の一環としてこちらの書類に目を通し処理をしてください。終われば国王陛下への謁見、夕食。夕食後は教師による妃教育。その後入浴。明日朝は聖女としての祈りと活動。その後学院へ。昼食休憩時間は——」


淡々と告げられる詰められたスケジュールを聞いても、マーガレットは何とも思わなかった。今まで完璧な侯爵令嬢だった。明日からは完璧な王太子妃になればいいだけだ。ただ、なにも思わず、なにも感じず、ただこなせばいいだけだ。ただ、無心で。



だから、愛を期待するなと宣った王子が、婚約者である自分以外の令嬢に夢中になっているのを見ても、特になにも思わなかった。



貴族学院での授業は、ほとんどが母から教わったことのあるような内容ばかりだった。それでも、少しずつ最新の情報があり、それを取得するだけでよかったためにマーガレットは無理なく首位をとることができた。授業後、同じクラスのライトが急いでどこかに行くのを、仮にも婚約者として一応着いていってみればこれだ。彼は小柄な令嬢の腕をとって引き留め、必死になにかを話している。


「だから、君にハンカチを拾ってもらって運命だと思ったんだ。どうか、僕を見てほしい」


よく見ると、ライト殿下に絡まれている……? 令嬢は、メリア嬢ではないか。マーガレットは物陰から見守りつつ気づいた。


メリア嬢は、つい昨年聖女としての力に目覚め、教会に連れてこられた少女だ。

聞くところによると、元々孤児の平民らしく、それゆえ貴族教育どころか一般常識さえ危うい方らしい、と。しかし前向きで、弱音を吐くこともなく聖女修行と勉強に励んでいると評判で、マーガレットは先輩聖女としてひそかに応援しようと思っていたところだった。


なにより、今まで一人でこなしていた聖女業務をこれからは分担できるだけありがたいことだ。多忙なマーガレットは彼女に話しかける余裕もなく、

今までただ噂を聞いて心のなかで応援していただけだったゆえ——まさかこんなところで出くわすとは予想外だった。さらに自分の婚約者が、なぜかメリアに絡んでいる。何が起こっているのか……マーガレットはズキズキと頭がいたくなってきた。


「君はマーガレットに迫害されているんだろう」

「……えっ? へ?」


メリアの小さな声が聞こえる。こちらも「えっ」だ。今まで関わる機会もなかったのに。


「マーガレットの妹であるブランカ嬢……君の同学年の子が言っているんだから間違いない。今まで怖かったね。君は聖女業務を押し付けられ、教会でマーガレットにこき使われていると聞いたよ。なんてかわいそうなんだ。僕は君を助けたい」


(……ブランカがそんな噂を)


日々忙しく、義妹のことなどすっかり忘れていたのに向こうはマーガレットのことを覚えていたらしい。さらにありもしない噂を流して邪魔をしている。仮にも義姉であるマーガレットの悪評を流したところで、侯爵家の名を汚すだけなのだが、わかっているのか。


(……わかってるはずがないわ。ただ、わたくしが気に入らないだけ)


それはライト第一王子も恐らく同じ。


気に入らない婚約者の悪評を聞いて、疑いもせずにそれに乗ったのだろう。


それはそれでもう仕方のないことだが、マーガレットはメリアの反応だけが気になった。周りはすっかり悪評を信じているようなのに、メリアは青い顔をしてひたすら首を振っているのだ。大方、身分の違いに萎縮し、言いたいことも言えず黙っているのだろう。そう思うと、なんだかかわいそうになってきた。


(あの子は孤児出身だとかで、色々と言われるかもしれないけれど。少なくとも父や義母、義妹にライト第一王子よりは常識があるわ。きちんと弁えている……)


ライト第一王子は、怖がっているメリアが自分を怖がっているとは思わなかったようだ。


そのまま腕をとり、小さな体を自分の胸に引き寄せ、抱き締めた。


「メリア。もう大丈夫。僕が味方だ」


(殿下。メリア嬢の顔を見て。青を通り越して青黒くなってるわ)


見ていられず、物陰からマーガレットは姿を表した。ライト第一王子はマーガレットを見やり、メリアを抱き締めたまま大きな声を出す。


「マーガレット! 盗み見など、無礼な!」

「何から申し上げればよいかしら……。殿下、メリア嬢を放してあげてください。苦しそうですので」

「ああ……ごめんね、メリア。強く抱き締めすぎたね」


案外素直にライト第一殿下は腕を放す。瞬間、メリアは「す、すみませんでした!」と悲鳴のような声で叫び、駆け出し走り去ってしまった。


置き去りになったライトの怒りはマーガレットに向けられる。


「……マーガレット! お前は許さない。必ず、悪は裁かれるからな!」


捨て台詞を吐いてライトもどこかへ行ってしまった。取り残されたマーガレットに、いつのまにか側にいた侍女が囁く。


「マーガレット王太子妃。ご公務を」

「……ええ」


それも妃教育と体よく押し付けられたライトの仕事なのだが。さすがに大きなため息をついたマーガレットは、その場をあとにした。


それから月日は流れ、なんの改善も進歩もなく、いよいよ卒業が迫ったある日。


マーガレットは、またライトとメリアが会っているところを目撃したのだ。そして、卒業パーティで自分が断罪されることを知る。


——もう、いいわ。


その瞬間、もうどうでもよくなった。


実家からも疎まれ、婚約者からも恨まれ。何のために頑張ってきたのか、急にわからなくなってしまった。思えば今まで無心でよくここまでやってきたものだ。


——逃げましょう。


このまま素直に卒業パーティに出たところで。

婚約者にエスコートされず、自分で用意したドレスを着てやっとの思いでパーティに出たところで、結局はライト王子に断罪されるのだ。


あの場ではライトが最高権力者だ。マーガレットはありもしない罪を問われ、衛兵に捕まり、牢にいれられるのだろう。どれだけ聖女として国に貢献しても、どれだけ完璧な王太子妃として振る舞っても。すべて無駄なのだ。そして王が知らぬ間に毒で殺されるに違いない。


——死ぬために、今まで生きてきた訳じゃないわ。


マーガレットは今、初めて自分の生に向き合った。


さっさと自室に戻ったあとは、疲れたからと侍女を下がらせた。そして護身用のナイフで自慢だった長い髪を切り落とした。


少しの自分の荷物と、今まで全く使わずにいた財と、宝石をもって。


ほとんど着の身着のまま。寝静まった深夜、窓からマーガレットは抜け出し、逃げた。


すべてを捨てて。




メリアは、目をこすった。身間違い? 人違い? それとも幻覚?


マーガレット侯爵令嬢を心配する自分の心が写し出した幻影?


心に引っ掛かってはいたのだ。自分が逃げ出したとて、果たしてあの尊敬するマーガレット侯爵令嬢は無事なのだろうかと。せめて自分が逃げ出したという想定外によって、断罪から助かっていてほしいと。勝手な願いが見せた幻なのだろうか。頬をつねり、もう一度彼女を見る。見れば見るほど美しいエメラルドの瞳が、現実としてそこにある。


「なぜこんなところに、いるんですか。今日……? は、卒業パーティでは」

「そうね。予定なら今日の夜、卒業パーティの予定だわ。でも、日が高く昇るころには大騒ぎでしょうね。教会からあなたは消えてるし、わたくしは王城からいなくなってるし……」


クスクス、と少し悪っぽくマーガレットは笑う。そんな表情を初めて見たメリアは、その妖艶な美しさにどきりとした。


「あの、わたしはたまに寝坊をするので、多分すぐにはバレないと思います。お祈りの時間まで、まだありますし。それまでに国を出れてたら」

「そうね。わたくしも、城ではただ王太子妃として務めればいいって感じで、ほとんど放任されていたから。異変に気づくのはもう少しかかるんじゃないかしら」

「あっそれならよかったですね……?」


なにがよかったですね、なのだろうか。


メリアが硬直していると「よかったら近くに来なさい」と美しく微笑まれる。「では……」と隣に座ると花のような良い香りがした。


馬車は、がらがらと音をたて勢いよく進んでいる。


お尻に直にくる衝撃よりも、目の前にいる美人の衝撃のほうが遥かに強い。


「あの、マーガレットこうしゃ」

「お互い違う名を名乗りましょう。わたくしはガリーと。あなたは」

「で、ではリア、と」

「ええ。誰に聞かれるかわからないもの」

「そ、それで、ガリー……さま」

「様も、敬語もいらないわ」

「うぐ……がんばり……がんばる。えっと、ガリーももしかして、逃げてきた? アイツの計画聞いてたんで……聞いてたの?」


今、この状況は何なのだろうか。

手を伸ばしても届かず及びもしない方と、偽名で呼びあい、親しげにしゃべっている。しかもいま王子をアイツ呼ばわりしてしまった。メリアは冷静になりつつ、あまりそのへんは考えないようにと心のなかで唱えた。


マーガレットは「ふふ」と微笑む。


「リア、賢いわ。正解。だって、死にたくないじゃない」

「わ……わたしも! 死にたくなくて! それで!」


思わず、両手を握ってしまう。大きな声を出してしまった。つないだ白くて細い手は、冷たかった。

 

「死にたくない……こんなことで!」

「ええ。……リアはわたしと同じね。もっと早く仲良くなれたかもね」


花のような笑顔に、メリアの胸が間違いなくきゅんとした。


二人をのせた馬車はがらがら進む。

そのうち、老夫婦と若い男性が乗ってきた。そこからは、二人はただ黙って馬車に揺られた。


二人の手は繋がれたままだった。





その後。


聖女を急に失った王国では、大混乱が起こったそうだ。ライト第一王子は二人の聖女を追い詰めたことが発覚し、責任を問われ廃嫡された。マーガレットの生家である侯爵家も経営が成り立たず、やがて崩壊することとなった。


そんなことは、二人の聖女の知るところではない。


国外に逃げだした二人がたどり着いたのは、とある忘れられた教会。そこで毎朝の祈りは欠かさず行い、時々町に降りては働きつつ、人助けとして浄化や治癒も行いながらつつましく幸せに暮らした。


王国は混乱したが、世界は平和なままだった。

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