追放聖女、魔王の嫁になる
朝、目覚めたら神父と目が合った。私はベッドにいて、彼は私を見下ろしている。
「リリー。貴女をクビにしなくてはなりません。住民で署名運動が起こり、司教からも命令が下りました」
「奇跡を起こして教会の宣伝塔になれなかったからですか? たくさん寄付金を集めなかったからですか?」
「違います。僕も大変心苦しいのです」
「えーっと、そもそもどうして私の部屋にいるんですか? ここ、修道院ですよね? 教会に出勤してからでも良かったのでは?」
「あぁ、それは夜這いしようと思ったからですよ」
ばっと身を起こした。良かった。ちゃんと服を着ているし、乱れてもいない。
「安心してください、未遂ですから。寝坊してこんな時間になってしまったんです」
「神父が聖女にそんなこと言っていいんですか? 教会内恋愛は禁止でしたよね」
「ええ、もう聖女じゃないから良いかと。というのは冗談で、僕がここにいる本当の理由は……」
彼は緑色の瞳を窓の方へ向けた。太陽の光に、緑色の髪がキラキラと輝く。こう見ると普通の好青年だな、と呑気に考えていると、外から罵声が聞こえて来た。
『リリー、出てこい! 殺してやる!』
『なにが聖女だ? 魔物の手下め!』
『お前のせいで畑がむちゃくちゃだ! この村から出て行け!』
神父はやれやれといった様子で首を振り、私を見た。
「貴女が外に出ることは、死を意味するからです」
「それを初めに言って下さいよ」
どこか抜けている神父様である。教会で最も若くして出世したから、すごい人なのだろうけど。
「あの人たちはなんであんなに怒っているんですか?」
「貴女が魔物を呼び寄せていると言っています」
「そんな。誤解です。呼び寄せたりなんて、していません」
「確かに呼び寄せてはいませんね。誰かがデマを流したんでしょう」
バンバンバン!と、ドアが叩かれる音が部屋に響いた。どうやら力ずくで押しかける気らしい。
「ひとまず国を出た方が良い。今から国の外に飛ばしますね」
彼は私に手をかざした。緑色の光が出現して、だんだん大きくなって私を包み込む。あたたかく、ほのかにミントの匂いがした。彼の「はー。最高……」と呟く声が聞こえた。
「え?」
「いえ、今のは忘れてください。着いたら、まずは月桃の木に行って下さいね」
「どうしでですか?」
「聖女の職位がないと、魔法は使えないでしょう。外では危険な魔物も出ますから。知人に面倒を見てもらうように頼んでおきました」
「ありがとうございます」
「まがいなりにも神父です。人助けが仕事ですよ」
彼は微笑んだ。あたたかく、深い笑みだった。孤児で盗みを働くことしか知らなかった私を改心させて、聖女にまでさせてくれた。まさに神父の鑑のような立派な人物だ。どこか黒い一面があるのではと勘ぐっていたけれど、勘違いだったかもしれない。
「では、また。『ワープ』!」
目の前が真っ白になる。
「本当は僕が司教に出世したら役職を売って、そのお金で貴女と駆け落ちするつもりでしたが、作戦変更ですね。まあ最後に魔法をかけたので、良しとしますか……」
……どこか不穏な言葉が、聞こえた気がした。
・・・
村の外にも、国の外にでるのも初めてだった。見渡す限りの草原で、今いるところから500mくらいの場所に、大きな木が立っている。おそらく月桃の木だろう。歩いていくと、どうやら木のふもとには魔物がいるようだった。
「うわ、ドラゴンじゃん。どうか気付かれませんよに」
私はその場にうつ伏せになった。草たちに隠してもらい、ドラゴンが去るまで待とうと思ったからだ。しかしドラゴンはこちらに近付いてきた。
「もう終わりだ……」
ぎゅっと目を閉じた。18年か、短い人生だった。なるべく痛くないように逝かせてください神様、と最後の祈りを捧げた。しかし恐れていた衝撃はやってこなかった。頭にぽん、と手が置かれる感覚があった。
「大丈夫か? リリー、こんなところで寝て」
「え?」
おそるおそる目を開けると、ドラゴンは消え、青年が立っていた。金色の髪、金色の瞳、見るからに位が高そうな服を着ている。
「さっきのドラゴンは、あなただったんですね」
「あぁ、俺だよ。この姿の方が慣れていたか。驚かせて悪かった」
「どうして私の名前を知っているんですか?」
「良い質問だ。追って説明するけど、人間界の言葉では『誰かにやさしくすれば神様はきっと見ている』、そんな感じだよ」
ちっとも分からないままだったが、とにかく私は彼に手を引かれて立ち上がった。この動物的で悪魔的な魅力のある青年は、一体誰なんだろう。彼は私をまじまじを見つめた。
「ローランの言っていた通りだな。気品、美貌、知性、すべて申し分ない」
「神父とお知り合いですか、だから私の名前も知っていたんですね。そう言ってくれれば良いのに」
「うーん。知り合いというか、腐れ縁と言ったところかな」
魔物と知り合いだったなんて、やっぱり裏があったんだな、あの神父。
「パーティーは今夜だから、それまでに準備しようか」
「パーティー?」
「あれ、ローランから聞いていないのか?」
「何も。ただ『知人に面倒を見てもらう』とだけ……すみません」
彼は「謝る必要はないよ」と、また私の頭を優しく撫でてくれた。
「人間界で開かれるパーティーに招かれてね。普段は行かないんだが、どうしても行かなきゃいけない。そこで、君には俺の相手役を務めてもらう」
「どうして私を? 他の魔物に変装させれば良いじゃないですか」
「君でなきゃダメだ。だいたい、魔物は人間のマナーを知らないからな。骨付き肉が出たら、骨まで食べかねない。ローランに相談したら『相手役ならリリーは適任者ですね。聖女を解雇された魅力的な女性です。彼女のボディガードもかねてお願いします。あ、でも手を出したら許さないですからね? 生まれ変わっても続くレベルの呪いをかけますよ?』と」
彼が教会の偉い人を務めていて、色々と大丈夫なんだろうか、あの村は。
「でも私、村から追放されたんですよ。もしバレたら大騒ぎになります」
「大丈夫だよ。あの村からは遠く離れた、大きな街だから。誰も君だってわからない。ローランみたいなストーカーは別だけどね」
「だからって恋人役はさすがに荷が重いというか……」
「もちろんタダではないよ」
「いくらですか?」
聖女になってから「金に卑しくなってはいけない」と言い聞かせていたが、どうしても貧しかった子ども時代の癖が出てしまう。彼から金額を聞いた時、私はすぐに承諾した。1年分遊んで暮らせるほどの金額だったからだ。
「よし。そうと決まったら早速、城に行こう」
「城?」
「そのローブを着たままパーティーに出るつもりか? 確かに似合ってはいるし、俺の好みではあるけど。立場的に、正装をする必要があるからな」
彼が指を鳴らすと、頭上からドラゴンが舞い降りて来た。先程の彼と同じ金色だが、彼の方が輝いていたような気がする。城とかドラゴンとか、ひょっとしたら彼は偉い人なのかもしれない。
彼に助けてもらって、ドラゴンに乗った。そういればまだ名前を聞いてなかったことを思い出した。
「あの、お名前は?」
「リリーといると退屈しないね。俺に名前を聞いたのなんて、君が初めてだよ。そうだな、レオと呼んでくれ」
レオ、と言うと、それに答えるかのようにドラゴンが空高く舞い上がった。私はレオにつかまり、振り落とされないようにしているのが必死だった。
「これにも慣れてもらわなきゃな。これからたくさん乗ることになるから」
彼の言葉は本当で、城に着いた頃には日が暮れていた。パーティー会場も遠いのかもしれない。この言葉の意味が別の意味だったと、後に気づくことになるのだが。
・・・
城に入るとすぐに、メイドが書類を持ってきた。契約書にサインをしてほしいのだという。レオは用事があると去っていき、私は案内された部屋のデスクに腰を掛けた。するとメイドが、どさっと机の上に紙の束を置いた。
「これ全部、契約書?」
「はい、そうです。リリー様」
「確かによく分からない人間を城に入れるわけないけどさ、量が多すぎない?」
「サインいただく場所は、約30箇所でございます」
めんどくさいからよく読まずに、メイドに言われるがままサインをしていった。
そうして最後のサインを終えると、やっと念願のお風呂に入らせてもらえた。部屋のバルコニーにはジャグジーがあって、入った時からずっと気になっていたのだ。メイドが一緒に入ると言い張ったが、気を使うので、彼女には外で待っていてもらうことにした。
「あー、幸せ……」
ぶくぶくと出てくるシルクのような気泡に溶けそうになっていると、ゆれる湯気の向こうからレオが現れた。腰にタオルを巻いているが、もちろん裸である。私が慌てて身体を隠すと、彼のたくましい身体はこちらへ近づいてきた。
「な、なんですか? 私、すぐに出た方が良いですか?」
「いや。人間は恋人同士で、一緒に風呂に入るものだと学んだのでね」
「そうですけど、私たち恋人同士じゃないですよ」
「パーティーで自然に振る舞うためには、普段からそういう風にしておいた方がいいだろう」
半日を過ごして分かってきたのだが、彼は言い出したら聞かない性格だ。欲しいものはなんでも与えられて育ったタイプだ。こんな大きな城で、たくさんの家来に囲まれていたら、そうなるのも仕方ない。
「じゃあ、せめてタオルを巻かせてください」
少し残念そうな顔をしながら、彼はバルコニーの寝椅子の方に歩いて行った。そこに置かれたバスタオルを遠くから投げてくれて、私は受け取って身体に巻いた。いいですよ、と言うと彼はお風呂に入ってきて、私を後ろからぎゅっと抱きしめた。
「……これも教科書で学んだんですか?」
「いや、したくなったからしただけだ」
夜空には星がキラキラと輝いていた。今夜のパーティーが終わったら、もう彼と会うことはない。信じられないけれど、それにどこか寂しさを感じてしまっていた。
風呂上がりに『人間の歴史』という教科書を見せてもらったら、確かにお風呂に入っている王様が描かれていた。王様は裸の美女たちをはべらせている。どうやらレオの言葉は嘘ではなかったようだ。
「これ、かなり誤解を生む絵ですから改変した方が良いのでは?」
「そうか、教えてくれてありがとう。今から人間界に行くし、他にも色々と確認したいこともある」
彼は部屋を出て行き、代わりにメイドが入ってきた。私は着せ替え人形のように、あっという間にドレス姿にさせられて、髪と顔をきれいにしてもらった。
エントランスに向かうと、レオがはっとしたような顔をした。
「きれいだよ、リリー」
「ありがとうございます」
まるで本物のカップルみたいだな、と思いつつ、彼に手を引かれて馬車に乗った。車を引いているのがオオトカゲだったので馬車と呼ぶのかは分からないが、しばらくしたらこの魔物たちとの関わり合いもなくなるから、名前を聞くことはしなかった。
「ところで、今から行くのは何のパーティーなんですか?」
「人間界では『黒ミサ』と呼ばれているパーティーらしい」
「黒ミサ!? それ悪魔崇拝ですよね、だから招かれたんじゃ!?」
「そうか? とにかく父上が行け、ってうるさくてさ」
名簿を見せてもらうと王族や貴族、教科書で見たことのある学者や作家の名前も並んでいた。大丈夫か、人間界?
・・・
パーティー会場は、見るからに怪しかった。大きな街の教会で、明かりはステンドグラスから差し込む月の光だけ。みんな黒いローブを羽織っている。ローブの下にはきちんとした服や髪型が見え隠れしているから、やはり出席者は地位の高い人ばかりなのだろう。
レオと最前列に着席すると、壇上にいた黒いローブを来た老人が話し始めた。
『お集まりいただいた諸君! 我々はついに魔王との接触に成功した!』
教会内にざわめきが起こる。興奮する声や、嘆く声も聞こえた。
『お静かに!皆さんが驚く理由も分かりますぞ。我々は魔物との戦争に勝利して、彼らを国の外に追いやった。しかし最近では砦が老朽化し、国全体の魔力が低下したことから、国に魔物が入ってくるようになってしまった』
知っている。だから聖女や神父が魔法を使い、彼らを撃退する役目だった。そのはずだった。
『そこで魔物の王、魔王と交渉することにした! 大魔王は我々の呼びかけに応じなかったが、息子である魔王をよこしてきた。あいつは来たがらなかったが……』
老人がニヤリと笑い、人差し指を天にかざした。すると、そこにはある映像が浮かび上がった。大量の檻に、所狭しと様々な種類の魔物たちが入れられている。彼らは鎖で繋がれて、悲しそうな目をして、うめき声を上げていた。
『この映像を魔王に送り付けた。この黒ミサに来なければ、こいつらの命はないと添えてな』
私の働いていた教会の地下にも檻はあった。魔物をとらえて地下の檻に置いておくために、神父と聖女は膨大な魔力を与えられたのだ。
映像の残虐さに耐え切れず、目をそらして隣に座るレオの顔を見た。彼の顔は怖いくらい無表情で、何の感情も読み取れなかった。
『今回は特別に魔王にお越しいただいている! 彼から誓いの言葉をもらおうと思う! 二度と国に魔物を入れないと!』
彼は表情を欠いたまま立ちあがった。
「ローランから話は聞いていたが、ここまで愚かだったとはな」
「……え、レオ?」
レオがすたすたと壇上に上がる間も、老人は嬉しそうに話し続けていた。
『ここにお集まりいただいた皆様は、魔物から国を守った英雄として、歴代に名を刻まれ、褒美も与えられますぞ!』
「人間たちよ。お招きいただき感謝する」
レオが話し始めると、辺りは静まり返った。彼の発する何かがそうさせたのだ。
「魔物たちが人間たちの国に入ってしまった件は、管理が行き届いていなかった。魔王としてお詫び申し上げる。だが……」
彼から、すさまじい怒りのオーラが発せられた。
「なぜ俺たちの仲間を虐待した? 交渉すれば良かったじゃないか。老人、答えろ」
『は、話が通じないだろうと……前にも戦争になりましたぞ!』
「何千年前の話だ? その間に俺たちも進化してきた。違う、お前たちが弱いからだ。自分の方が弱くて、相手に叶わないと知っていたから、こんな卑屈な手段を使ったんだ。人間がそういうパターンの行動をすることは、学んできた」
誰もが死を覚悟して、息を潜めていた。しかし彼はふっと表情をゆるめて、私を見た。
「お前たちの国を滅ぼしてやっても良かったが、中にはまともな人間はいることに気が付いた。魔物を保護したり、こっそりと砦の外に出してやったり、傷を癒している、やさしい女性だ。彼女は決して報われることがなかった。それどころか、国を追放された」
教会内の視線が、私に集まった。彼は続けた。
「魔物をみんな開放しろ。俺は彼女をもらう。それで今回の件はチャラにしてやる。だが次にバカな真似をしたら、人間界は終わりだと思え。彼女がいない世界に、未練はないからな」
彼は壇上から降りて、私の手を取った。
「さ、行こう。俺たちの城へ」
・・・
教会の外では、日が昇り始めていた。太陽は見覚えのある緑の髪を照らしていた。
「ローラン、何か用か?」
「黒ミサの名簿と映像を国王に渡して、出席者が裁きを受けるように手配した恩人に言いますか?」
「報酬は払ったはずだ。やけに高い金額のな」
「魔王の癖にケチですね。リリー、こんな自己中男からは一刻も早く離れた方が良いですよ。村に帰りましょう」
レオは私の腰を抱き寄せて、言った。
「そうはいかない。彼女はもらっていくからな」
「僕との約束では、リリーは相手役を務めるだけのはずです」
「彼女との約束では、それ以上の仲になると契約も交わしている」
神父は私を見た。私は真っ青になった。あれだ、あの契約書だ。
「貴女、本当にそんなことをしたんですか?」
「た、たくさんサインをしなくちゃならなかったから……」
「はあ、仕方ないですね。どうせ中身も分からずにサインしたのでしょう」
図星の私が俯くと、レオが頭を優しく撫でてくれた。
「かつての部下をそんな風に言うな。上司の教育がまずかったんじゃないか?」
「あぁ、もう二人とも! やめてください! 契約書にサインをしてしまったのは私です! だから責任を取って城には戻ります! でも何年かの契約期間が終わったら、また教会で働きます!」
二人はにらみ合い、戦いの火蓋が今にも切って落とされそうだ。今にも土下座しようとする私に、神父は言った。
「貴女、魔物のことをよく分かっていませんね。彼らは何百年も生きるんですよ。おそらく契約期間も百年単位です」
「え?」
「ま、いいです。僕も同じようなものですから。今の言葉、覚えていますからね。僕のところに戻ってきてくださいよ? そうじゃなくても、迎えに行きますから」
神父は緑色の光に包まれて、消えて行った。それはレオが指を鳴らし、彼に炎に発射したのとほぼ同時だった。
「あいつ、次は殺す……」
「仲がいいのか悪いのか、よく分からないんですけど」
「俺は都合が悪いものは排除する質だ。大切なものを奪われるのは我慢できない」
彼は私の手をしっかりと握った。大きくて、あたたかい手だった。
「でもレオ様、演技が上手いですね」
「何の話だ?」
「あたかも私が本当に好きな人間の女性だって風に話してくれたし。あれ、ぜんぶお芝居ですよね? イケメンだし、俳優とか向いているんじゃないですか?」
彼の私を握る手がどんどん強くなっていった。痛いほどになり、それを訴えると、彼はぱっと離した。
「あれは全て、君に向けた言葉だ」
「え?」
「人間の良さは、自分でない誰かにちょっとでも優しくできることだろう。リリーはそれができていた。だから好きになったんだ」
「あぁ、本当に私のことだったんですか……いや、そんな憐れんだ目で見ないでください。褒められることに慣れていないんです」
すると、目の前に馬車が現れた。彼に手を引かれて、私はそれに乗った。乗ると、彼は私の肩を抱き寄せた。
「よく分かった。人間は口で言っても伝わらないらしい。そういえば『体に教え込んだ方が早いし、家でない場所だと、より燃える』とも読んだことが……」
「朝っぱらから不穏なことを言わないでください!」
「夜なら良いのか?」
「ああもう、そういうわけじゃなくて! 『人間の歴史』の教科書、今すぐ改変してください!」
私たちは彼の城に向かって行った。到着した後は魔王の嫁として歓迎されて、彼の溺愛の下で、破天荒な毎日が始まるのだった――