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三十六日間の忘れ物  作者: 香澄翔
一.初めてみる再放送
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記憶の中の見知らぬ少女

 夢を見ていた。そう、これは夢だ。その事を僕は知っている。

 その夢の中で誰が駆けだしていた。だけど僕はその子の事を知らない。


 ぼんやりとした輪郭の誰かは、それでも女の子だということだけはわかる。真白なセーターとチェックのマフラー。そしてスカートが少しだけ潮風に揺れる。


 彼女ははしゃぐようにして空中に浮かんだ何かをつかみ取っていた。


 それがジャグリング用のボールだという事に気がついたのは数瞬後のこと。いくつかのボールのうちの一つを奪い取ると、そのままさらに向こう側に逃げ出していく。


「まてこらっ!? 人の芸を邪魔する気かっ」


 背中から響いた声はどこかで聞いた事があった。誰だろう。知っている声だ。

 少し思い起こすと、すぐに思い当たる。ああ、そうだ。今日の昼間に出会った彼。祐人の声だ。


「あはは。うん、そうだね。その通りだよ」


 そう答えたのは誰だかわからない少女の声。彼女ははっきりとは見て取れなくて、ただ女の子だという事だけはわかる。あれは誰だろう。美優だろうか。


 はっきりと見て取れないのは夢の中だからだろう。僕は夢を見ている。なぜかそれだけは理解していた。

 夢の中の二人ははしゃぐようにして嬌声を漏らす。


「いてこますぞ。こら」


「きゃー。犯されちゃう、友希(ともき)くん助けて」


 少女は慌てて僕の方へと駆け寄ってくる。

 でもそこにいる僕は僕であって僕ではない。僕の夢の中の僕だ。


「君、相変わらずだね」


 夢の中の僕は呆れた声と共に、大きくため息をもらしていた。


 同時に目覚まし時計の音が響き、僕ははっきりと目を覚ます。


 変わらない僕の部屋。すでにカーテンの隙間から夏特有の強い日差しが差し込んできている。

 夢を見ていた。だけどそれは夢ではない。忘れていたけれど、確かに現実にあったことだ。祐人に会ったことで失われていた記憶が刺激されたのかもしれない。今ははっきりと思い出せる。


 僕は確かに祐人(ゆうと)を覚えている。まだそれは空気の張り付くような冬の出来事。失ってしまった記憶の中であった日常。


 だけど一緒にいた彼女の姿は思い出せなかった。ぼんやりとした輪郭は女子のものだということはわかる。ただ誰なのかまではわからない。


 とはいえ学校の外で僕と一緒にいる女子なんて美優(みゆう)以外にはいない。女子の友人が全くいない訳でもなかったけれど、学校外で会うほどの親しい相手はいない。


 何にしても今日美優と会って話せばはっきりするだろう。


 土曜日の朝。これから始まる休日の朝は、いつもより少しだけ柔らかに感じる

 今日は半ば強制的に美優の買い物に付き合わされる予定だったけれど、それはそれで楽しい一日になると思う。


 美優にはいつも振り回されてばかりだったけれど、呆れる事はあっても、それを心の底から嫌だと思った事は一度も無い。なんだかんだいっても、僕は美優の事を嫌いにはなれない。むしろ僕は美優の事が好きなんだと思う。


 美優とは一緒にいて楽しいと思う。いろいろと好き勝手な事をいうし、たまに奢らせられるし、引き回されるけど。それを楽しいと思っている自分は否定できなかった。


 こうして過ごしている時間がいつまでも続いたらいい。不意に思う。

 もちろんいつかは二人の道も分かれて、いつかは離れてしまうのかもしれなかったけれど、それでも少しでも長い間一緒にいられたらいいと願う。


 カーテンをあけて、僕は空を見上げる。


 まだ時間も早いけれど、もう日はだいぶんと高くて、強い光が僕を照らした。

 だから僕は、大きく朝の空気を吸い込んでいた。







「おそい。遅刻。減点一」


 待ち合わせ場所に辿り着くなり、美優は僕にそう告げた。


「いや、遅くもないし、遅刻もしてないから」


 僕は溜息と共に応えると、ちらっと携帯電話で時間を確認する。


 十二時四十八分。まだ待ち合わせの時間までは十分以上ある。これで遅いと言われるなら、何分前に来いというのだろう。


 もっともこう見えて美優は時間にうるさい。だいたい時間の十分前にはついているし、滅多に遅刻する事はなかった。


 (ひじり)の姿はまだない。逆に聖は時間にはルーズで、時間通りに現れる方が珍しかった。


「言い訳はよろしい。じゃあ、いこ」


「いや、聖まだ来てないから」


「いいよ、置いていっても。聖だし」


「いや、そういう訳にもいかないだろ。まだ時間にもなってないんだし」


 呆れた声を漏らすが、置いていったとしたも携帯に電話が掛かってくるだけだろうから、あまり問題はないだろうけど。僕は声には出さずにつぶやいて、それから美優を横目で見つめる。


「はぁ、しょうがない。これで狙っていた水着が売り切れてたら、友希殴るから」


「いや、なんで僕だよ!」


「友希が待てって言ったからに決まってんじゃない」


「あのね」


 途中まで告げかけて、しかし続く言葉を飲み込んでいた。どうせ言っても聴く相手でもないし、実際見た限りは本音で怒っている訳でもなさそうだ。それよりも聖がいないうちに聴いておきたい事があった。


「まぁ、いいや。それより、美優」


「ん、なに? いっとくけど奢らないよ」


「それは僕の台詞だよ。そうじゃなくて、美優さ、海浜公園の辺りでさ、大道芸やってる奴って知ってる?」


 昨日出会った祐人の事を訊ねてみる。夢で見た女の子は祐人ともかなり親しげに話していた。もしもあの子が美優なのだとしたら、当然美優は覚えているはずだ。


 しかしその何気ない問いに美優はあからさまに目を開いて、僕の方へと詰め寄ってくる。急に詰められた距離に僕は慌てて一歩下がっていた。


「思い出したの!?」


「少しね」


「……そっか。そうなんだ」


 僕の答えに何か思うところがあるのか、美優は少しうつむいて目を伏せる。

 それから不安そうに僕をのぞき込んで、大きく息を吸い込む。どこかためらうような口調で、おずおずと僕へと語りかける。


「どこまで思い出したの?」


「思い出したというか、夢で見たんだ。女の子と一緒に彼の芸を見て、彼の芸を邪魔して。でもそれが誰だかはっきりとはわからなくてさ。一緒にいたのって、美優?」


 僕の言葉に美優は驚いたように目を開くと、それから軽く息を吐き出す。


 美優の表情がどこか悲しそうにも、あるいは悔しそうにも見えたのは僕の目の錯覚だったのだろうか。

 だけど美優はすぐにいつも様子に戻って、僕へと笑いかける。


「友希に私以外に女の子の友達なんている?」


 意地悪な質問に思わず僕は息を吐き出す。もちろん答えはわかりきっている。美優の他には特に親しい女子なんていない。


「やっぱりそうか。僕は美優以外で女の子とどこかにいくなんて事ないもんな」

「そうそう。寂しい奴だもんね、友希は」


 美優は笑いながら、僕の肩を叩く。

 事実だけどなんだか少しむかつく。でも言い返すと余計に酷い事になるので、続く言葉を飲み込む。


 だけど一緒にいた女子が美優だという事に、僕はどこかほっとして胸をなで下ろす。どこか僕の胸の中でざわめいていた気持ちが少し溶けていくようだ。


「うるさいな。どうせ僕は寂しい奴だよ」


「ま、でもそのかわりこんなに可愛い子が一緒にいるんだもの。十分おつりがくるじゃない」


 楽しそうに笑いながらばんばんと音を立てながら僕の背中を叩く。

 確かに美優は可愛いとは思うけれど、性格はあまり可愛くないと思う。少なくとも僕にはもう少し優しくしてくれてもいいと思う。


 そんな気持ちが表情に出ていたのか、少しだけ眉を寄せて口元を膨らませていた。


「何か言いたいことありそうだけど」


「……特にないよ」


「うそ。絶対何か思っている。顔は良くても性格は悪いとか」


 思ったままの事を当てられて、慌てて顔を背ける。


 これは殴られるか、と少し身構えるが、しかし美優はすぐに機嫌を直したようでいつもの楽しげな表情に戻っていた。


「まぁ、いいか。許したげる。でも、こんど言ったら殴るからね」


 美優は手を握りしめて、僕の頭にこつんと拳を当てた。

 いや特に何にも言ってはいないんだけど、とも思うけれど、内心考えていた事は間違い無いのでそれ以上は口を挟まないようにした。


 それと同時に背中側から聞き慣れた声が聞こえてくる。


「友希さんは殴らないんですか。不公平です。殴るべきです。俺だったら絶対に殴られます。美優さんは友希さんに甘いです。殴ってください。いや、殴るべ」


 そこまで聞こえた瞬間、美優が僕の視界から消えて。同時に激しい打突音が聞こえてくる。


「い、痛いです。殴るのは、俺、違います。友希さんで」


 声が言い切る前に、今度はさらに鈍い音が響いた。

 背中で行われているから見えなかったけれど、声だけでわかる。聖が美優に殴られた音だろう。


 すぐに美優は僕の隣に並んで、それから僕の方に満面の笑顔を向けていた。


「じゃあ、友希。いこ」


「いまものすごい音してたけど」


「聖だから平気」


「それもそうだね」


 僕はすぐに納得して、すでに歩き始めている美優を追って歩みを早める。


「ちょ、ちょっとまってください。あんたら、ひどいです。あんまりです」


 背中から聖の叫びが聞こえてきていたが、美優はもちろん僕も何も答えずに歩き出していた。

 いつもと変わらない日常の風景が今はまだ続いていた。

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