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三十六日間の忘れ物  作者: 香澄翔
三.さよならは言わなかったけど

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捜し物は何ですか

 終業式はつつがなく終わった。通知票もおおむね良好で、安心して夏休みに入る事が出来る。今は帰る前に鞄の整理をしているところだった。


 (ひじり)はもう教室にはいない。いつも通り先に帰ったのだろう。


 特に今日の聖に変わった様子は無かった。朝あった時もごく普通に挨拶を交わしていたし、馬鹿な話も交えていた。


 だけどどこか遠くに感じられたのは、僕の気のせいだろうか。

 僕自身が無くしてしまった記憶の間で揺れているから、変に気にしてしまっているのかもしれない。だからどこが違うのかと言われれば、答えられない。ただどこか違和感を覚えずにはいられなかった。


 さようなら。ただの挨拶にしか過ぎないのに、昨日言われた台詞が何かまだ胸の中に残っている。


 ただ聖とは今日も普通に話していたし、何が変わったという訳でもない。ただ僕が一人何かを感じているに過ぎない。何がある訳でもないはずなのに、帰り支度がいまひとつ進んでいないのは、そのことを思い出しているからだろうか。


友希(ともき)


 背中からかけられた声に思わず振り返る。

 見慣れた顔が僕をじっと見つめていた。美優(みゆう)だ。


 こうして見ていると、やっぱり整った顔をしていると思う。何も言わなければ優しそうに見えるお嬢様のような風貌は、彼女の才能の一つだろう。こうして目を合わせているだけで温かい気持ちになれる。


 もっとも油断すればすぐに殴られたりするから、決して安心することはできないのだけど。


「美優。パフェなら奢らないよ」


 僕は反射的に答えて、ほとんど丸めるようにして鞄にプリントを詰め込んでいた。

 同時に頭に強い衝撃が走る。みると美優が拳を握りしめていた。ひさしぶりに殴られたと思う。


「なにすんだよっ」

「友希は私の彼氏でしょっ。彼女にパフェの一つくらい奢れる甲斐性がなくてどうするの」


 美優は世の中の全ては私を中心に回っているといわんばかりの勢いで僕に語りかけてくる。


 そんなことを言われても僕の小遣いは有限だ。この間も美優にパフェをおごったばかりだから、さほどお金はない。僕は眉を寄せて、溜息を一つ。それから否定の言葉を変えそうとして口を開きかけたが、美優はそれを遮るようにして話し始めていた。


「って、そうじゃなくて。明日から夏休みだよ。知ってた?」


「当たり前だろ」


「ならどうして。私の予定がたたないでしょ。はやくちゃんとして」


「は?」


 今日が終業式なのだから、明日から夏休みなのは当たり前の話だ。美優が何を言いたいのかわからない。ただ美優の顔は本気で怒っているようで、少しその目がつり上がっていた。


 僕は美優に何かしただろうか。ふと思い返す。


 それと同時に僕の心の中に浮かんできたのは、記憶の中にあった少女ひなたの姿だった。

 僕はひなたの事で気持ちが揺れている。ただそれは失われた記憶の中で何があったのかを知りたい。そんな気持ちであって、美優の事が好きな気持ちが薄れているという訳ではない。


 美優は僕を必要としてくれていた。僕もそれに答えたいと思う。

 僕にとって美優は大切な幼なじみで、ほんの少し前から僕の彼女になった。嘘ではない。本当の気持ちだ。


 だけどそれなら僕はどうしてひなたを探そうと考えているのだろうか。失われた記憶の中で何があったのかを知りたい。それは本当だ。どうでもいいと思っていた記憶の中で、何か大切な事が起きていた。それなのにその記憶だけを失っていた。


 何が起きたのかがわからないと、すっきりとしない。心の中に何かもやのようなものが残って、それを晴らすまでは自分の気持ちすらわからない。


 だから知りたい。そのためにひなたを探したい。

 事故とは何だったのか。ひなたと僕はどうして連絡もとれなくなってしまったのか。どうして僕はひなたのことを忘れてしまったのか。


 記憶の中の僕はひなたに恋をしていた。だから今もひなたのそばにいたいと考えているのだろうか。


 たけどそうではないはずだ。僕はひなたへの気持ちを思い出した。だけど美優への想いが消えて無くなった訳ではない。美優の事も大切に思っている。彼女を支えたいと今でも強く思う。


 だから僕は美優という彼女がいながらも、他の子に気持ちが揺れている訳じゃない。

 僕は自分に言い聞かせるようにそう強く思う。


 しかしそんな僕の内心を知ってか知らずか、美優はもういちど僕の頭を殴りつける。


「はやくしないと殴るから」


「って、いまもう殴っただろっ。相変わらず口より手が早いのな。で、一体何なんだよ」


 殴られて少し意識がこちら側に戻ってくる。気をつけていないと失った記憶の事をつい考えてしまう。どうでもいいと思っていたはずの記憶に僕はただ惹きつけられていた。


 ただ美優が何を言いたいのかはわからない。僕の心の中なんてわかるはずもなくて、つい考えてしまったひなたの事を責めようという訳ではないだろう。だとしたら僕は美優に怒られる理由が想像もつかない。


 しかし美優ははっきりと僕に対して怒りを覚えていた。それどころか困惑すら感じているようで、むしろ心配そうな顔すら僕に向けてくる。


「友希、ほんとにわかんないの。私をからかっている訳でなくて?」


「わかんないよ。美優の言う事はだいたいわかるつもりだったけれど、ここまで唐突ならわかるわけがないし」


 友希は美優へと顔を向けて、それから少しだけ身構える。わからないだなんて言えば、再び殴られる事は十分に想像がつく。


 ただ美優は少し落ち込んだような顔を見せて、大きくため息をもらす。


「友希に期待した私が馬鹿だったのかもしれない。そうよね。友希にそんな甲斐性あるわけなかった」


 ぶつぶつと口の中で文句をこぼしていたが、それでも納得がいったようで僕の顔をのぞき込んでくる。


「明日から夏休みで、私は水着も買ったし、友希は私の彼氏だし。それなら何か言う事あるでしょ?」


 淡々とした声で説明される。ここまで言われて、やっと美優が何を言いたかったか理解していた。確かに僕は抜けていたかもしれない。


 今まで恋人だなんていたことはなくて、世の恋人が夏休みをどう過ごすかなんてわからなかったし、普段も僕からどこかに出かける事を提案する事なんてほとんどなかった。それでもすべき約束はあるとは思う。


「そうだったね。じゃあ、海にでもいこうか」


「うんっ。いつにしようか。早いうちがいいよね。のんびりしてるとくらげでちゃうし。でも明日はちょっと用事があるから、じゃあ明後日。時間は十時でいいよね。決まりね」


 美優はいつも通り勝手に日付まで決めて、僕が答えるよりも前に僕の背中を叩く。これで決まりということらしい。


 特に異論があるわけでもなかったし、美優が勝手に予定を決めるのなんていつもの事だ。実際それで特に文句がある訳でもない。


「じゃ、今日も私は用事あるから先帰るね。明後日あおうね」


 美優は言うなり振りかえり、顔だけをこちらに向けて別れを告げる。「じゃあね」と挨拶だけを告げて、手を振っていた。


 こういう時は僕の意向は基本的には考慮されない。もっとも本気で困るのであれば、僕自身も反論するから、それで困る事があるわけではないし話は早い。


 いつも通りの強引さにため息をもらすが、美優の用事はたぶんバイトだろうから、実際ある程度は予定が決まってしまっているのだろう。それだけに強引に決めざるを得ない面も有るとは思う。


 それに美優と一緒にいく海はきっと楽しいだろうと思う。とびきり可愛い彼女との海水浴デートだ。それに心が躍らない男はいないだろう。


 ただそれでもひなたの事が、どこかで僕の心を揺らしていた。ひなたの事が無ければ僕は純粋にデートを楽しみに出来たと思う。


 だけどこのままどこか中途半端な気持ちを抱えた間までいる訳にもいかなかった。

 真実を知りたい。そう強く思う。


 ただ胸の中が痛い。


 今日は終業式だから、昼で学校は終わりだった。


 美優も用事で先に帰ったから、時間は十分にある。ひなたの事を捜そうと思う。


 昨日のうちに電話局の配布している電話帳は調べてみていた。しかし残念ながら綾瀬という家は見つからなかった。たぶんいたずら防止などで電話帳には載せていないのだろう。そもそも電話帳のサービス自体ももう今は終わっているから、情報としても少々古い。


 こうなると考えられるのはしらみ潰しに家を捜していくしかくらいだ。ただいくらこの町が狭いとは言っても、かなりの時間はかかるだろう。


 それでもひなたがこの辺りに住んでいるという事だけは間違いないはずだ。


 うちの高校の三年生には、綾瀬という名はない。三年生も担当している先生数人に聞いたから間違いないし、そもそも学校が同じであればいくらなんでも四ヶ月の間、全く会わないなんて事はあるはずがなかった。それほど大きな学校ではないし、ひなたのような目立つ容貌をしていればなおさらだ。


 学校が近い訳でもないのに、この辺りに普段からいるという事は、家が近所にあるのだと考えられる。ちょうどこのあたりは校区の境目だから、中学校までは別の校区で出会った事がないのは十分に有り得る話だ。


 もちろんそれは絶対の保証ではない。それでも僕にとってはそのことにかけるしかない。もしも違うとすれば、もう探すあてがないことになる。


 町の地図を広げてみる。昨日のうちにある程度、区域を区切っておいた。校区が違うとして考えれば、ある程度は絞り込めるはずだ。


 もちろん引っ越してきたなんて可能性もあるから確実ではないけれど、今は少しでも探す場所を絞り込んでおきたかった。


 ひなた捜しの一日目が始まっていく。

 まずは公園の近隣から捜し始めていた。田中、佐藤、山口……。表札を一つ一つ眺めていくけれど、残念ながら見つからない。


 それでも僕にとって幸いなのは、この小さな町にはマンションのような集合住宅は少ない事だった。小さな古い団地が一つだけあるが、団地であれば、まだ気軽に捜す事も出来る。都会のマンションのようにオートロック等の設備があれば、勝手に入り込む訳にはいかない。


 ひとまずは一件、一件、家の表札を眺めていく。しばらく歩いただけで、足が棒のようにだるい。


 捜し歩いているうちに、一つの疑問が浮かんでいた。

 どうして僕はひなたを捜すんだ。ひなたと会ってどうするんだ。


 ずっとひなたからの連絡もなかった。連絡先も消されてしまっている。それならこんな風に捜すのは、ひなたにとって本当は迷惑なんじゃないだろうか。冷静になってみれば、少しストーカーっぽい気もする。


 そして仮にみつかったとして、僕はいまさらひなたに何を言うつもりなんだろうか。


 もしかしたら拒絶されるかもしれない。

 そうした時に僕はどうするのだろうか。


 後ろ向きの気持ちが表札を見る度に僕を襲った。それでもその都度、僕は首を振るい続けていく。


 ひなたに会いたい。本当の事を知りたい。

 その気持ちだけが、僕を突き動かしていた。


 他の事なんて考えられなかった。どうしてもひなたに会いたい。そして見つけたかった。


 失っていた記憶と想い。


 僕が求めているのは、その二つだ。僕はどうして事故にあったのか。その時に僕はどんな気持ちを抱いていたのか。それさえ確かめられたなら、この落ち着かない気持ちも元に戻るはずだ。


 僕は失われていた時間を取り戻したい。

 次の家の表札を見つめる。


 だけど綾瀬という名前の家は、結局一件も見つからなかった。

 足の疲れだけを残して、一日目を終えていた。

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