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三十六日間の忘れ物  作者: 香澄翔
二.終わりのない歌を願う
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初デート

 朝だ。朝は必ずやってくる。

 あああっ、くそ、朝なんてこなければいいのに。僕は思わず声には出さずに叫ぶ。


 今日からまた学校が始まる。当然、いかなくてはなせない。しかし学校にいけばもちろん美優(みゆう)と顔を合わせる事になる。


 僕はいったいどういう顔をして美優に会えばいいんだろう。


 僕は美優の彼氏になったのだから、今までと一緒じゃいけないよな。手とかつなぐべきなんだろうか。

 いや、それは恥ずかしいし。そもそも想像が出来ない。考えてみると僕から手をつないだ事はない。あるとしたら美優が僕をひっぱり回す時くらいのものだ。


 しかし美優の意向に合わない事をして、機嫌を悪くするのも恐ろしい。これからつき合っていくとなると、当然、美優に殴られる回数も増える訳で。


 ……やっぱりいまのうちに別れるべきかもしれない。

 って、そんな事考えてるがわかったら、半殺し決定だよ。


 僕の中にいくつも考えが浮かんでは消える。冷静になって思えば、やっぱり僕も浮かれていたんだと思う。

 今まで彼女なんてものがいた事はないし、いくら相手がよく知っている美優だとはいっても、今までと異なる関係性に心は弾む。弾んだ分、何かと殴られるかもしれなかったが。


 ああ、どうして僕は美優に殴られる事ばかり考えているんだろう。なんといってもつきあい始めたんだから、もっと楽しい事を考えればいいのに。


 とりとめのない事ばかりが浮かんでは消えていく。美優は幼なじみだから、彼女の事は良く知っている。だけど今までと違う関係に照れくさくて、気持ちが変な方向に向かってしまう。


 そうこうしているうちに時間は過ぎていた。やばい、このままじゃ遅刻だよ。


 僕は慌てて鞄を手にとって外へと向かう。いつもと同じ通学路が、妙に色鮮やかに映る気がしていた。

 しばらく歩くと見知った顔もちらほらと見えてくる。この辺りになると、もううちの学校に向かう人以外は殆ど見ない。


「おはようございます」


 ふとかけられた声に、慌てて振り向く。


「なんだ、(ひじり)か」


「なんだって、友希(ともき)さんも最近ひどいです。せめておはようくらい言ってください」


 聖はどこか不満そうに口をすぼめていた。


「いや、そういう訳じゃなくて。美優かと思ってさ」


「美優さんはこんな時間にはこないでしょう。いつも学校はぎりぎりですし。予鈴に間に合う事自体が、奇跡に近いかくり」


 ゴス。

 皆まで言い切る前に鈍い音が伝わってくる。


「こんど言ったら殴るから」


 いつのまにいたのか、聖のすぐ後に美優の姿があった。


「いや、いまもう殴りましたっ。言う前に殴りましたっ」


「気のせいよ。それより、おはよ。友希」


「ああ。おはよう、美優」


 普段通りに答えながらも、内心では心臓がばくばくと揺れていた。

 彼女である美優に対して、僕はどう振る舞うべきなのだろうか。今までと同じでいいのだろうか。それとも何かを違えるべきなのだろうか。美優がどう望んでいるのかがわからない。


「さてと、いこ」


 しかし美優は、僕の内心など気がつかないかのように、いつもと変わらずに歩き出していた。

 ちょっと拍子抜けしつつも、僕もほっとして隣に並ぶ。いつもから急に何かを変えなくてもいい。美優はそう言っているのかもしれない。


「ちょっ。俺、無視ですか。ほっとくんですか。あんたら酷いです」


 その背中から、聖が駆け足で追いかけていた。

 本当に普段と変わらない、だけど何かが少しだけ変わった時間に僕はただ心を弾ませていた。





 放課後。

 次第にクラスの皆も、一人また一人と教室から姿を消していく。気がつくと教室に残っているのは日直や掃除当番を除けば僕と美優の二人だけだった。


 聖は恐らく先に帰ったのだろう。そもそも聖はいつも一人で帰る事が多い。


「じゃ、友希。行こ」


 美優は本当に普段と変わらない。これではまるで意識しているのが自分ばかりの様で、余計に照れくさい。

 学校を後にして街の方へと向かう。素直に帰るなら方向が違うが、やはり美優もつきあい始めてから初めての登下校だけに一緒にいたいと思ってくれているのだろうか。


「えーと、まずはキタミ亭でチョコパ。それからは、友希にお任せする。ついでにお勘定も友希にお任せね」


 美優は僕の肩にぽんと手を置いて、それからにこやかな笑顔を僕へと向けていた。

 美優はいつもこうして表情をころころと帰るけれど、それでもいつもと違うように思えた微笑みに、僕はほっとしていた。


「まぁ、初デートのお金くらい出すけどさ」

「うん、当然」


 悪びれない美優に僕は軽く苦笑を浮かべると、美優はくすくすとささやかな笑みを漏らした。

 それからキタミ亭に向かって、パフェを注文する。もっともパフェを食べるのは美優だけで、僕はコーヒーを注文した。パフェが嫌いという訳ではなかったけれど、一つまるまる食べたいとは思わなかった。


「んー、美味しい。キタミ亭のチョコパは他のどこよりも美味しいよ」


「そっか。それはよかったよ。その分、他の店よりも高くつくけどね」


「あ、それは友希が出すから平気」


 ぱたぱたと手を振るう美優に、僕は深く溜息をつく。やっぱり美優とつき合いだしたのは、間違っていたかもしれないと心の内で思う。


 しかし美優はそんな僕の気持ちを見透かしているかのように口角を上げて告げる。


「あ、いま『こんなことなら美優とつき合わなければよかったよ』とか思ったでしょ」


「え? い、いやっ。そんなことは」


「安心して。つき合わなくても、どうせ友希は私に奢る運命にあるから」


「……あのね」


 もういちど息をこぼして、それから諦めてコーヒーをすする。ある意味で美優の言う事は正しい。ここでパフェを奢るのは、つき合う前からの僕と美優の言葉にはしていない約束事だったから。


 いつの頃からそうだったのかはわからないけれど、いつの間にかそう決まっていた。そういうのが幼なじみっていうものなのかもしれない。


 実際には美優は必要以上に僕にお金を使わせたりはしないだろう。それでもキタミ亭のパフェだけは僕がおごる。それはいつの間にか二人の間に出来たルールのようなものだった。けど美優がそれ以外の事を僕に要求してきたことはない。


「あ、振り返れば君がいたやってる」


 ふと聞こえた美優の声に、顔を向ける。美優の視線はキタミ亭のすみに置かれている小さなテレビに向けられていた。


 いま放送しているのは、少し昔に流行ったドラマの再放送のようだった。テレビで見慣れた女優が一生懸命走り続けている。


「あ、紫堂瑞穂っ。もーっ、相変わらずむっちゃ可愛いっ。私、このドラマ欠かさずみてたんだ。このシーンも良く覚えてるよ」


 紫堂瑞穂は美優が特別に好きな女優で、彼女が登場しているドラマや映画は全て見ているというマニアっぷりだ。

 それにしても二枚目俳優などではなく、女優にはまるという辺りが美優らしい。たぶん憧れの存在という事なのだろう。


「あっ、ほら。このシーンはね。大好きな人が遠くに旅だってしまうのに、喧嘩してずっと会ってなくって。でも当日になって祐子は彼を探して駅まで走ってるの」


 美優はいつもよりも、どこか子供っぽい口調でドラマについて語り始める。パフェもそうだけれど好きなものを前にした時だけ美優は子供みたいに変わる。もしかしたら子供のようにはしゃぐ美優こそが、本当の美優なのかもしれない。家庭環境のせいで自分の気持ちを素直に出す事が出来なくなっていて、こんな性格になってしまったのかもしれない。そう思うのは考えすぎなのだろうか。


 美優の言っている祐子というのはドラマの役の名前だ。僕はこのドラマを見ていなかったが、放映している時期には美優から何度と無く聞かされた名前だった。


「それでやっとの思いで電車のホームに辿り着くんだけど、ホームを間違えててね。彼が立っている向かいに出てしまうの。それでも彼の姿が見えたと思ったら、その瞬間に電車が来てしまって、彼の姿が見えなくなるの。それでね」


 美優の話は止まらない。そしてテレビの中では美優の話した通りシーンが展開されていた。見ていればわかるのだけれども、語らずにはいられないのだろう。


「その瞬間、祐子は二人の間で約束する度に何度も歌ってきた歌を」


 そこまで告げてから不意に美優の言葉が止まる。テレビの方に集中してしまったのだろうか。

 テレビの中で美優よりはも少しだけ年上の綺麗な女性が走っている。


 息を荒げながら、彼女は街中を駆けていた。駅についたと同時に乱暴にお金を入れて、お釣りもとらずに切符を手にする。


 慌てて階段を登って、ホームへと向かう。

 探していたのだろう青年の姿が映る。しかしそれは線路を挟んで向かいのホームで、二人の表情が一瞬だけ揺れる。


 同時に列車が二人の間を裂いていた。

 適度に込み合った列車の中では彼の姿を確認する事も出来なかった。


 だけど、その瞬間。彼女は大きく息を吸い込んで歌い始めていた。


 それは優しい歌。柔らかなメロディが、僕の中に染み込んでいく。


 聴いた事のある歌だと思う。どこで聴いたんだったんだろう。もちろんあれだけ流行ったドラマだから、何度も耳にはしているはずなのだけど、でもどこかで僕の心の中に残った時があった。どこで僕はこの歌を聴いたのだろう。


 優しい歌が、僕の中に染み込んでいく。


 そうだ。確か前にこの歌を聴いたのは、すぐそばで誰かが歌っていた。

 僕の中で失われていた記憶が、少しずつ甦っていく。

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