2201.01.22 ⑦
遊の方向を見られないまま複合ビルの出口まで着いた頃、飛行タクシーが一台止まっていた。
薫と里緒、一也は既に乗車しているが、小雪は何故か外に立ってる。寒いのに。
「関東方面行きのタクシーは今利用者が多くて、5人乗りしかないんだって」
5人ってことは……1、2、3……7人いるから、2人余るのか。
「ちょっと歩かない?俺、哀と話したいことがある」
「え?お、おう」
「じゃあお言葉に甘えてあたし達は先に帰ってるわね。まだ暴動収まってないみたいだし、あんた達も気を付けて帰るのよ」
「…うん、分かった」
プレゼントの箱を抱えた私とコートを着た小雪以外を乗せた飛行タクシーが、空へと飛んでいく。
二人乗りタクシーはいつでも呼べるのだが、小雪が歩きたいらしいので私も付いていく。
話って何だろう?
「久しぶりだね、こうやって二人になるの」
「あ、そう言われてみれば……」
「哀、怒って話してくれなかったもんね」
「そりゃ怒るよ、捕まる覚悟で軍のお偉いさん殺そうとするんだもん」
「うん、ごめん。もうしない。今日は、連れてきてくれてありがとう」
「……ありがとうはこっちの台詞だと思う。小雪は手伝ってくれたんだから」
「うーん、まぁ、そうなんだけど。仲直りのチャンスを貰えたのが有り難くて」
「ほんとに一生逃げられると思ってたの?」
「……ちょっとだけ……。ご飯も食べられなくなって、雪乃に心配された」
友達に無視られるだけでご飯食べられなくなるのか!重いな愛!
「あと、さ。……哀さ、紺野芳孝に何か嫌がらせされてない?」
「え、別に何も?」
「ほんとに?何かされたら言うんだよ?あいつ今度は妙に哀のこと気に入ってるみたいで……」
「大丈夫大丈夫、私強いから」
そう言ったところで、隣を歩いていた小雪が立ち止まった。
樹路林がライトアップされていて、夜だというのに街は明るい。
小雪は暫く黙っていたが、遠慮がちに口を開いた。
「……哀は、やっぱりSランクなの?」
「……」
「あの女の人、Sランクじゃないとあの電波には押し勝てないって言ってたよね」
「……」
「今の“強い”って、そういう意味で言ったの?」
意外だった。
小雪はこういうこと聞いてこないと思ってた。
聞かれたら私が困ることは感じ取ってるだろうから、絶対に聞いてこないと思ってた。
「――――…違うよ」
嘘だって分かること分かってる。
だからこれはSランクであることを否定するための言葉じゃない。
小雪を突き放す言葉だ。踏み込むな、と。
私は分かってる。
「……そっか」
こう言えば、小雪はもうこれ以上踏み込んでこないことを。
ごめんね。
心の中だけで謝罪した。
小雪の友達は千端哀だ。橘哀花じゃない。
本当のところを言うと、小雪のためを思って境界線を引いてるわけじゃない。
私は自分のために自分の正体を隠そうとしてる。
小雪の前で千端哀で居続けられることに執着していると言ってもいい。
だって私は何より嫌いなのだ、橘哀花が。
千端哀として振る舞っている間だけは、自分の中の橘哀花を捨てられる気がする。
お姉ちゃんを殺した橘哀花を、自分とは別人だと考えられるような気がする。
小雪と私の間に沈黙が走った――その時だった。
ぞくりと、久しぶりに悪寒がしたのは。
――――いる。
――――近くにいる。
――――“あいつ”がいる。
「……小雪、ごめん。先帰っててくれない」
「え?」
「ちょっと用事思い出した」
「……用事って何?危険なこととかじゃないよね?」
「ナプキン」
「へ?」
「生理用ナプキン買いに行きたいの」
「……あ、そ、そっか。ごめん」
ちょっと頬を赤くして謝ってくる小雪を置いて、私は走り出した。
逃げなければ。
幸い周囲には沢山の建物がある。
建物を利用した接着能力で逃げるしかない。
小雪からこちらが見えない距離まで走った私は、目視できる範囲で最も遠い高層ビルと自分を接着させる形で、全力で能力を発動させる。
かなりのスピードが出ている。
“あいつ”の気配が遠退いていくのを感じた。
逃げ切れるのでは――と思った時、ずしゅっと気持ち悪い音がした。
血が。血の矢が勢いよく私の二の腕やら足やらを掠めたのだ。
痛みで力が抜けた私は、急速に地面へと落下する。
落ちる直前に集中力を取り戻し、接着能力を利用して衝撃を和らげたが―――まずい。来る。
“あいつ”が来る。
「相変わらずだね、哀花ちゃんは」
いつの間にこんなに距離を詰めてきていたのか。
こちらへ近付いてくるのは、ルーズパーマの明るい茶色の髪と青色の瞳を持つ英国人―――お姉ちゃんの、もう一人の元彼。
「相変わらず、弱い」
こいつの前で血を流したら終わりだ。今こいつは私をいつでも殺せる状態になったと言っていい。目視できる血を操作できるこいつならば、私の体の血を抜くことだって可能だろう。
そんな恐ろしい能力の持ち主だから、西洋の死神なんて呼ばれてるんだ。
「いやー、まさか近付いただけで逃げられるとは思わなかったな。俺の気配に感じちゃった?敏感だね」
「……帰ってください」
「冷たいなー自分の能力の育ての親に向かって。誰のおかげでSランクになれたと思ってるのー?」
お前なんか育ての親じゃない。
ああ、何でだ。何度も何度も、こいつと会っても平気なようにイメージトレーニングしたのに。強気でいられるよう練習したはずなのに。―――震えが止まらない。
「日本の国土に、立たないでください」
「俺が怖いー?まぁそっか。俺を見たらその国は終わりだって言われてるらしいね、他所の国では。でもまぁ今は戦時中じゃないし、それは当てはまらないよ」
「…何の用なんですか?」
「日本が大規模なサイバー攻撃を受けたって情報が入ったからさー、哀花ちゃんがいるのにおかしいなって思って。でも、寧ろ哀花ちゃんがやってたんだ?ダメだよ、下手に国を混乱させるようなことしちゃ」
私に絡まって凝固した血液が縄のように私の体を拘束していて、身動きが取れない。
「どうしてあんなことしたの?無理な超能力開発を受ける子供たちを助けたかった?あっまいなぁ哀花ちゃんは。反吐が出るほど甘い。優香なら絶対に見捨てるよ、“多少の犠牲”なんて。その方がお国のためだしね」
「あなたには関係ないでしょう」
「関係なくないよ。哀花ちゃんに何かあったのかと思ったじゃん。心配させんな」
「あ、なたに……!心配してもらわなくたっていい……ッ!」
「そーんなこと言われても、気になっちゃうのが親心だよー?“親の心子知らず”って、よく言ったもんだよねー」
ガッ、と、優しくゆったりとした口調とは裏腹に乱暴な片手が、私の首を掴んだ。
「なぁ、聞けよ。哀花ちゃんには、次の戦争まで生きててほしいんだ。でないと俺がつまらない」
今にもこちらを縊り殺してきそうな冷たい眼に、またぞくりと全身に寒気が走る。
「俺が哀花ちゃんを殺してあげるから。―――他の奴に殺されたら許さねぇよー?」
支配したいのだ、この男は。
私の人生を狂わせて、私の弱味を握り続け、あまつさえ私の生き死にをも支配しようとする。
「あとー、俺が近付いたからってすぐ逃げるのは感心しないな?ショックだったからあと1回いじめとくねー?」
「……ッ、」
ずしゅ。今度は血の矢が脇腹を攻撃してきた。
と同時に、私を拘束していた血の固まりが消えていく。
どしゃり、と地面に倒れ込む私と、くすくす笑いながら姿を消すクソ野郎。
私はクソ野郎が消えた後も暫くその場に寝転がっていた。
幸い周囲に人がいないから、騒がれる心配はない。
刺された箇所に常時持っている止血用の塗り薬を塗りながら、地面に落ちた時どこかへ飛んでいった靴の箱を探す。
案外すぐ近くに落ちていた箱を拾い上げ、そっと開いて中を見る。―――靴は、無事だった。
「……ふっ……」
どうしてだか涙が出た。
私はさっきまで、なんて優しい世界にいたんだろう。
まるで普通の人間みたいに皆の隣を歩いて。
靴なんてプレゼントしてもらっちゃって。
友達と仲直りなんてして。
あいつと会う度思い知らされる―――私は罪人なのだと。
こんな、優しい世界を生きていていい人間ではないのだと。




