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深を知る雨  作者: 淡雪みさ
第八章
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血 ③




約束通り、次の休暇に一也は橘家にお呼ばれした。


妹は中学生になったばかりでまだ学校にいるからと言い、優香は一也に3時のおやつとお茶を出した。


人前で食べるのが苦手な一也はお茶だけを飲んでリラックスしている風を装い待っていたが、その実心臓の鼓動は酷く速くなっていた。


期待してはいけない、と思う。


期待外れの人間だった時、今度こそ自分はきっと立っていられなくなると不安に思う。



しかし同時に、次こそはと期待する気持ちも確かに在ったのだ。



「………誰?」



―――その時の衝撃を、一也は今でも忘れない。


そこにいたのは普通の少女だった。


年端も行かぬ普通の少女。


見知らぬ一也に、愛想を振る舞うこともなく、寧ろ不審者を見るかのような視線を向けてくる少女。



優香と出会った時の比ではなかった。


優香に対しショーウィンドウの向こう側にある宝石のような魅力を感じたとするならば、哀花に対するそれは――すぐ近くで寒い思いをする捨て猫を甘やかしたくなるような、しかし逆にくびり殺したくもなるような、そんな感覚。


まるで一也の中に流れる血が哀花の血と1つになりたいと叫んでいるようだった――血を分けてもらったあの頃のように。



(――――見つけた)



一也はごくりと唾を呑む。



(見つけた。僕に、奇跡を起こした人)



しかし、「誰?」という言葉から察するに、当の本人は一也を覚えていないようである。


少し残念に思いながらも、一也はできるだけ優しい声で自己紹介した。



「一ノ宮一也です。泰久様の護衛を務めています」



少女は暫く一也を見つめた後、ちらりと優香の方を見る。


何故泰久の護衛がこの家に来ているのか、と聞きたげな目だった。



「哀花に言いたいことがあるそうよ。自己紹介してもらったんだからちゃんと自己紹介しなさい」

「あっ……た、橘哀花です!初めまして」



姉に言われハッとしたように慌てて名乗る哀花に対し、一也はやはり無力な小動物を見ているかのような愛しさを感じた。



 たちばな あいか



その名前を反芻した。


酷く聞き心地の良い、綺麗な名前だと思った。



「えっと……言いたいことって何でしょう……?」



「私の夜のサンバがうるさすぎて隣まで聞こえてるとか……?」と意味の分からないことを小さく呟く哀花に対し、言いたいことは沢山あった。


しかしどれも喉まで来ては引っ込んで行き、何度も言葉を選んでいるうちに、一也は自分が緊張していることに気付く。


結果的に一也が漸く口を開いたのは、長い沈黙の後となった。



「会って……くれませんか」



自分の弱々しい言葉に対し、哀花が首を傾げるその姿にすら、奇跡を感じる。



「たまに、こうして。僕と会ってくれませんか」



一也はその時の哀花の不思議そうな表情を、今でも忘れていないのだった。




それから、どういうわけか一也と哀花と優香と泰久の4人は、自然と一緒にいることが多くなった。


寮暮らしとはいえこまめに帰ることを提案する優香の目的が妹の様子を見に行くことであることは、一也にも何となく分かった。


常に何重にも仮面を被る優香だが、妹思いなのは事実のようであった。


一也が少しでも荒い運転をすると、「ちゃんとした運転しなさいよ!哀花乗ってんのよ」と運転席を後ろからドスドス蹴りながら激怒する程である。



軍に使われることの多い優香には頻繁にあちらこちらに出掛ける用事ができ、実家へ帰れないことが多々あった。


そんな時、優香は必ず一也に優香の家へ向かうように頼んだ。


哀花の様子を見に行けと言うのだ。


一也にとっては好都合であったが、何故そこまでして哀花の様子を見たがるのか疑問でもあった。


とはいえ聞きはしなかったのだが、何でもお見通しの優香は一也の表情からその疑問を汲み取り一言だけ言った。


「あの家にずっと1人にはしておけないわ」と。




一也がその意味をうっすらと知ることになったのは、1人で哀花の家を訪れて数度目の事だった。


哀花の両親はすっかり一也を見慣れ、家に入ってきても「こんにちは」と愛想良く挨拶してくるだけだ。


その日哀花は自室にいるようだったので、一也は初めて哀花の部屋のある階まで上った。


部屋のドアをノックすると、「はーい」と哀花が応える。


以前は優香と共同で使っていたらしく、部屋の中には勉強机が2つ、反対方向を向いて並んでいた。


どうやら入って右側を哀花、左側を優香、という風に1つの部屋を分けて使っていたようである。



一也が気になったのは、優香側にある沢山のトロフィーだった。


スポーツの大会、書道、ピアノ、超能力戦、検定……優香はあらゆる分野の賞を取っているようで、沢山の表彰状が壁に飾られている。


哀花側にもいくつか表彰状があったが、優香の側の量と比べればうんと少ないものだった。


何も言わず壁を見つめていると、哀花が苦笑する。



「親がね。こういうの飾るの好きな人なの」

「……そう、なんですか」



一也は何と言っていいか分からなかった。


この状況が、哀花にとって良いものなのか悪いものなのか分からなかった。


圧倒的な差。それを毎日見る気持ちはどんなものなのだろうと一也は思う。


これを目指して頑張るという気になれるのだろうか――どう見たって追い付けないのに。


一也にはその部屋の状況が、哀花と優香の差を浮き彫りにする悲しいものであるようにしか見えなかった。




――その時。



「哀花!」



金切り声にも似た、殺人事件でも起きたのかと疑う程の声が、哀花の名前を呼んだ。


その声が苦手なのか、哀花の体が一瞬びくりと揺れる。


しかし次の瞬間哀花は椅子から転げ落ちる勢いで急いで降り、「ごめん、ここで待ってて」と部屋から走り出ていった。


さっきの呼び声が哀花の母親のものであることを、一也は遅れて理解した。


待っていろは言われたものの、いつも自分に挨拶してくる時の声とは全然違ったため、一也はやはり何か起きたのかと思い隠れて様子を見に行った。



「これはどういうことなの?」



よく見えないが、哀花の母親が手に持っていたのは自身の端末で、そこに表示されているのはおそらく……保護者向けの生徒の成績表だった。



「すみません」

「いや、すみませんじゃなくてね。3位ってどういうこと?この間は1位だったじゃない。お母さん期待してたのに。運動能力テストも……これはだめね。何、どうしたの?これ」

「すみません」

「まあ、そう言ってやるな。何かあったんだろ。哀花はできる子だもんな」

「……何か悩み事でもあるの?」

「ありません、すみません」

「はぁ……。まだ中学になってそう経ってないとはいえ……。優香の通ってた中学よりレベル低いとこじゃない。それでこんな成績しか取れなくてどうするの」

「すみません」

「優香はあの中学で1位譲ったことなかったわよ。勿論どのテストでもね。見習いなさい。お母さん期待してるわよ?あなたは原石なんだから。分かった?」

「はい」

「あとね。前々から言いたかったんだけどあんたの友達の…えーと、何だっけ?明美ちゃん?飛鳥ちゃん?……まぁどっちでもいいわ、あの子やめといた方がいいわよ」

「……」

「すっごい成績悪いじゃない。だめよ、だめだめ。馬鹿とつるんでたらあなたまで馬鹿になるわ」

「……そんなこと、」

「口答えするくらいならそれ相応の成績取りなさいよ。実際成績下がってんじゃない、明美ちゃんと関わり出してからじゃないの?ねえ」

「……すみません。私の責任です」


「まぁいいじゃないか、そんなに怒らなくても。そんなことより父さんは超能力レベル診断の結果の方が気になるな。上がったのかい」

「それもDランクなのよ。やっぱり超能力のランクってそう変動するものじゃないのね」

「……そうか……。Dか。このまま伸びなければ就職にも影響してくるんじゃないか?」

「どうして優香と哀花でこんな差ができるのかしらね」

「まぁ、これから上がるんだろう。なあ?哀花。父さん期待してるぞ」

「……はい」



哀花の両親の哀花に向けた生産性のない説教は一時間ほど続き、一也は呆然とその様子を眺めていた。




哀花の両親の話が一段落した後。


階段を上ってきた哀花と目が合い、「部屋で待っててくれてよかったのにー」と笑いながら言われた一也は、また何と言っていいか分からなくなった。



「……あれは何ですか?」

「いや、今日親の端末に成績通知届く日だからさ。ちょっと注意されちった」

「……大丈夫ですか」

「え?何が?あ、怖くなかったかとかそういうこと?だいじょーぶだいじょーぶ、あの人ら今日は怒ってなかったから。……しっかし次のテスト結果返ってきたらヤバイだろーなー。いや、ここだけの話ね?私そのテスト5位以下だったの。範囲違うとこ勉強しててさ。あーヤバイヤバイ」

「あなたがあんなこと言われる筋合いないでしょう」



ヘラヘラ笑う哀花を見て無性に苛立ち、その苛立ちが何に対するものなのか分からないまま、一也の語気は少し荒くなっていた。


すると、哀花はきょとんとして一也を見上げる。



「……何で?」



澄んだ瞳で見つめられ、一也は思わず黙った。



「全部あの人たちの言う通りじゃん」




心から不思議そうな目で、当然のように哀花は、




「能の無い私が悪いでしょう?」




己の力不足が悪いと言う。




その時。


一也には、哀花があの時何故自分を助けたのか分かった気がした。


自分の血が誰かの生命を救ったなら、自分の存在意義を感じられると……哀花はきっと、そんな予感の元動いたのだ。


出来すぎた姉がいるため常に劣った立場にいる哀花は、無意識に自分の存在理由を探し求めている。





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