悪魔の姿と聖なる血統 アステル視点
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「リネット?」
肩と腕に軽い衝撃と温かな感触。リネットの淡い金色の髪がさらりと落ちる。魔術についての話に夢中になりすぎるのは悪い癖だと彼からは何度も注意をされたっけ。
「またやってしまったな……」
僕は苦笑する。そしてリネットの顔を覗き込んだ。
「小さな子みたいだ」
白い肌。優しい金色の髪。無垢でやわらかな表情。頬に、髪に触れたいと思った。けれど意識のない彼女の顔をこうして見ることも本当は嫌がるだろうな。そう思って我慢した。その代わりそっと肩を抱き寄せて頭をリネットに預けた。こんなに無防備な姿を見せた罰だよ、と心の中で言い訳した。
話の途中で眠ってしまった自分を責めてるリネット。頬に触れて顔を上げさせた。驚いた顔で僕を見つめる彼女。さっき我慢した欲が復活してしまった。もっと触れたいと、より大きくなって。
「僕のこと、嫌?」
卑怯な聞き方をした。拒絶されなかったのをいいことに僕はもっと彼女に近づこうとした。彼女はまだ僕のことを許してはいないだろう。それでも完全に嫌われてはいないと思いたい。
可愛い……触れたい……
彼女がどうしようもなく可愛いと思う。僕の話を一生懸命に聞いてくれる。大切な友人を守ろうとして孤立する。学業を怠らず、みんなの為に魔除けのサシェを作り続けてる。健気で誇り高い人だ。
僕はそっと顔を近づけた。
突然の嵐。急激な変化。この場に似つかわしくない邪悪な気配が現れた。何故メイリーとブラッドリー殿下がここにいる?
いつもなら、こんな事が起きれば愉快に思ったに違いないけれど、今日の僕は酷くイラついた。
「どうしてあなたがその香り袋を持ってるのですか?」
リネットは男爵令嬢が手にしているサシェを見て怒ったように尋ねた。不思議とリネットと僕の周囲は青白い微かな光が包んでいる。守るように。
「お借りしたのですわ。私どうしてもこれが欲しくって。ちょっと色は違うけど……。リネット様ケチなんだもの!」
メイリーがサシェをつまんでフルフル振った。
「アンリエッタ様とマリアンヌ様から奪い取ったの?」
「いいえ。アンリエッタ様からお借りしただけよ?人聞きの悪いことを仰らないで?」
嘘だな。おおかたアンリエッタ嬢の婚約者を使って取り上げたんだろう。
「そうだよ。君のような意地の悪い人間はそうそういない。快く貸してくれたよ」
ブラッドリー殿下がメイリーの肩を抱いて加勢する。彼はこんなに嫌な表情を浮かべる人間だっただろうか?
リネットの友人のサシェを取り上げて、この場にずかずかと踏み込んできた。運命の人に会えるという夢見のサシェがどう作用したのか、どういう原理なのかと疑問がわいた。しかし、邪魔をされた、この清浄な場を汚されたという怒りの方が僕の中では大きかった。
サシェはメイリー・ダンバード男爵令嬢が持っているもの一つだけ。ブラッドリー殿下は持ってはいないようだ。殿下がこの場にいる意味を察した僕は更に不快感が増した。婚約者でも憚られるというのに。そうじゃない男女がこんな深夜にサシェを共有しているという事は……。
「吐き気がするな」
王子とは言え、こんな男にリネットを渡さずに済んだ。そのことは悪魔にも感謝したくなったほどだ。幸いリネットはそのことには気が付いていない。ずっと気が付かなくていい。
「運命の人に会えるんですってね?面白いですわね。やっぱりブラッドリー様と私は運命の恋人同士だったんだわ!でもどうして私達があなた方と会ってるのかしら?」
「リネットは私に未練があるのだよ。可哀相に。性格がそこまでねじ曲がっていなければ、妾くらいにはしてあげられたのに」
ブラッドリーの言葉に殴りかかりそうになった僕の腕をリネットが掴んで止めていた。僕を見上げて無言で首を振っている。
「ブラッドリー様ったらお優しいのね!ソウ、やっぱり私達の邪魔をしに来たのネ。ウウン、チガウノ。ワタシガサガシテタノよ」
なんだ?男爵令嬢の様子がおかしい?
「ソレハネ、マリョクヲタドッタカラ、私ガ会いたいとオモッタカラ……」
メイリーと別の声が重なる。不協和音のような、不快な音。
「アナタ、ジャマだったノよね。あなたなんて身分が高いだけじゃない!ブラッドリー殿下のこと好きじゃないでしょう?私はズットブラッドリーデンカのことが好きだったのよ。舞踏会で転んでしまった私に優しくしてくださったの……ずっと見てたわ……ずっとずっとずっとズット……」
メイリーの両手が顔を覆う。身をかがめながら。反比例するように憑りついた影が大きく上に伸びていく。黒い影は笑顔を浮かべた男の姿になった。
「ダカラ、ワタシガヨバレタノダヨ」
「っ」
「あれが彼女に憑りついた悪魔の姿か」
メイリーとブラッドリー殿下の体は力が抜けていて、表情も虚ろだ。糸に釣られた人形の様だ。
「ワタシハヤサシイカラ、アナタノイノチマデハトラナカッタ。マチガイダッタ。クリアセインノイエノムスメダッタトハ」
「……クリアセインの家?確かにわたくしのおばあ様の家の家紋は星とクリアセインですけど」
「そうか!リネットのおばあ様はあのアストランディア家のご出身か!」
「え、ええ。ご存じでしたのね、アステル様」
「魔術研究家でその名を知らない者はいないよ!!すごいじゃないか!」
感動した!!大体の魔術書にはアストランディアの紋章がついてるんだよ。つまりアストランディアの家は魔術研究の先進的な一族なんだ。
「ええと正確にはおばあ様の母方の家がそちらの傍系だと……」
「それでもだよ!それでか……!リネットのサシェがそんなに強力なのは!アストランディア家はトアル大陸で名を馳せた大魔法使いの血統なんだよ!今度リネットのおばあ様のお話をお聞きしたい!ご挨拶もかねて。そうだ、次の休みにでも…………」
「あ、あのアステル様、今はそれどころでは……」
「ワタシヲムシスルナ……タイコノムカシカラ、ワレワレノテキデアッタソンザイ」
あ、しまった。つい興奮して存在を忘れてた……。黒い憎しみがリネットに向けられている。メイリーと悪魔両方の。彼女の体が恐怖に竦んだのを見て僕は彼女の前に立った。これ以上リネットを傷つけさせない。
「アステル様」
リネットの両手が背中に当てられた。微かに震える手に心が痛む。こんなものとリネットは独りで戦ってきたのだ。僕はわざと明るく笑って見せた。
「大丈夫だよ。任せて」
僕はメイリーとブラッドリ―殿下に、いや悪魔に向き直った。
「こんなこともあろうかと」
僕は準備してあった小瓶をこの場に取り出した。コルクの栓を抜く。キュポンと音がした。中身を悪魔に向けてぶっかけた。キラキラとした光の粒が舞い散る。
「ウウッ」
ゆっくりと、しかし確実な害意を持って僕達の方へ向かって来ていた悪魔が歩みを止めた。急速に黒い影は薄れてメイリーの中へ戻っていった。
「アステル様、今のは?」
「魔術書に書いてあった、破邪の薬だよ。材料がなかなか手に入らなくてね。この量しか用意できなかったんだけど、効果は抜群だったね」
倒せはしなかったけれど、弱らせることはできたようだ。
「さあ、リネット、次は彼らにもお帰りいただこう」
「え?」
「ここは君の世界だ。君が望めば彼らを追い出すことができるはずだよ」
僕がこう考えるのには理由がある。彼女の友人である二人には手紙でサシェについて問い合わせてあった。
二人とも夢の中で人の姿を見ることはあっても、僕達のように話すことはできないのだという。夢の中は真っ白な空間なだけで、こんなに美しい花畑ではない。
僕が最初に三夜続けてリネットの夢を見た時も同じだった。この場所は特別なのだ。リネットの自身にこの力があり、サシェはそれを引き出す魔術道具であるというのが僕の推論だ。
「わたくしが望めば……」
戸惑っていたリネットが決意したように彼らに向き直った。
「ここはわたくしの世界……あなた方はどうぞお帰りください。ごきげんよう」
リネットは優雅にスカートをつまんでお辞儀した。
メイリーとブラッドリー殿下は抗議する間もなくこの場から消え去った。
「本当に消えた…………」
やや呆然と呟くリネット。
青空と花畑。静かで穏やかな清らかな空間が戻ってきた。そう、ここはまるでリネットそのもののような姿だと僕は思った。
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