春までもう少し
来ていただいてありがとうございます!
「今日はメイリーさんとブラッドリー殿下の姿を見かけましたわ」
二人を見た時、最初は心臓をギュッと掴まれるような気持ちがした。戻ってきた二人とは会わないし会話もない。ブラッドリー殿下はともかく、メイリーの方は学年も違うし本来なら殆ど接触は無い。
「そう。そろそろ二人とも精神的に落ち着いて来たからね。許可が出たんだろうね」
当たり前になった温室での二人きりの昼食。近頃は大分寒さも緩んで、温室の中は晴れていると上着無しでも大丈夫なくらい。それでもまだ温かいお茶が美味しい。わたくしの最近のお気に入りはマーロシロップ入りのミルクティーだ。人気で学生食堂にも提供されるようになったのが嬉しい。アステル様はストレートの香茶。
「ブラッドリー殿下に復縁を迫られた時は驚きましたけど、きっとまだ悪魔の影響で錯乱なさってたのですね。二人はお揃いのチョーカーをしていて、仲良くしているみたいで良かったですわ」
本当に安心したわ。全て完全に元通りとはいかないけれど、二人にも平穏な生活が訪れればいいと思う。王太子殿下の元で働きながらという事にはなってしまうけれど。本当に愛し合っているのなら大丈夫よね。……ちょっと羨ましいわ。わたくしもアステル様とお揃いの物欲しい。
「…………」
アステル様は静かにお茶を飲んでいる。少し、ほんの少しだけ雰囲気が鋭くなった気がする。気のせいかしら?
わたくしは話題を変えることにした。
「今度のお休みにおばあ様の家へ行く約束を取り付けました。色々とお話を聞いてこようと思っています」
もっと学ぶことにしたの。それがわたくしにできることだと思うから。アステル様から悪魔の仲間がまだたくさんいるって聞いたから。わたくしにもサシェの事以外にも出来ることがあるかもしれないもの。
「へえ、そうなんだ。僕も一緒に行っていいかな?おばあ様に頼みたいことがあるんだ」
アステル様が翡翠の瞳を輝かせた。良かったいつものアステル様だわ。さっきのはやっぱり気のせいね。後でおばあ様に手紙を送ろう。おばあ様はアステル様のことをとても気に入ってるからきっと歓迎してくれるわね。
「はい。もちろんですわ。あ、それにおばあ様から魔術の先生も紹介していただくことになりました」
わたくしは張り切って報告した。
「先生?どうして?その先生って男?」
「はい。男性だと聞いてます。わたくし、もっともっと、勉強をして知識を身に付けてお役に立ちたいと思いまして」
「……無理をしないで。リネットはもうあまり魔術とか悪魔とかには関わらない方がいい。生半可な知識は危険だよ」
「そ、うでしょうか……でも……」
どうしよう……要らないって言われてしまったわ。どうしたらいいのかしら。心なしかまた少し空気が張りつめている気がするんだけど、どうしてかしら?アステル様、怒ってる?どうしよう、何か……。
……そうだわ!もう一つあったわ!わたくしにできること!
わたくしは姿勢を正した。
「アステル様、わたくし、お伝えしておきたいことがありますの」
「どうしたの?そんなに改まって」
魔術の勉強ともう一つ思い付いたわたくしにできる事。決意を伝えるべくわたくしは息を吸い込んだ。
「あのっわたくし頑張って、たくさん子どもを産みますね!」
「ブホォっ!」
アステル様が盛大にお茶を吹いた。
「っごほゴホゴホっ……」
「大丈夫ですか?アステル様っ」
わたくしはハンカチを取り出してアステル様の口元へ。
「ゴホゴホっり、リネットっ?!い、いったいなにおっ?!」
アステル様はハンカチごとわたくしの手を掴んだ。アステル様の声が裏返ってるわ。こんなに動揺してる姿も珍しいんじゃないかしら。
「あ、あの、前に血筋が欲しいと仰ってたのを聞いてしまったので……。王太子殿下とお話をされていた時に。アストランディアの魔術師の血筋を残されたいのかと思いまして。……でもわたくしのような傍系の更に外れの血筋で良いのでしょうか……」
言ってて不安になって来た。そうなのよね……。わたくしよりもっと相応しい方がいるんじゃないかしら……。でも、アステル様がわたくしを望んでくださるのなら頑張る。
「前に……血筋……って、…………あ、ち、違う!違うよ!そうじゃないよ!犬だ!狼犬!ノースポールの血筋が欲しいってヘンドリー殿下と話していただけなんだ!」
「え?ノースポール?ですか?」
あのふわふわの狼犬は悪魔と対峙した時大活躍だったけど、もうおばあ様の元へ帰ってしまった。寂しいわ。もう少しいてくれても良かったのに。
「ノースポールはたぶん普通の狼犬じゃないと思うよ。魔力を持った特別な狼犬だ。あの場で悪魔の影響を受けなかったのはリネットとあの狼犬だけだった。リネットを守ろうとする強い意思のようなものも感じた。だから是非子孫を残したいと考えているんだ。おばあ様に頼みたいのはその事なんだ」
「そうだったんですか……」
なんだ、そうだったんだ……。わたくしは聞き間違いをしてしまったのね……。胸の中の重さが遠くの空へ飛んで行った感じがするわ。あら?じゃあどうしてアステル様はわたくしと婚約を?まさか本当に夢で逢えたからなの?わたくしのことを運命の人だと思ってるからなの?
「…………」
「…………」
コホンと一つ咳払いをしてから、アステル様はテーブルに手をついて立ち上がった。わたくしはアステル様を見上げる形になる。
「…………僕が、僕がリネットと結婚したいのは君を好きだからだよ」
「そ、うなのですか……?」
好きって言ってくださった?今?わたくしの事を?今度は聞き間違えじゃない?
「何で、そんなに意外そうな顔……?僕は君を気に入ったって言ったじゃないか。そりゃ、その、将来的には子どもは欲しいけど……そんなにたくさんじゃなくても……まだ二人きりでって、そうじゃなくて……。ああ、まさかそんな誤解をされてるとは……」
アステル様は片手で顔を覆った。
わたくしは誤解して……って、………………わたくし今、勢いで何かものすごく恥ずかしいことを言ってしまったわよね……?
「………………」
「………………」
アステル様、顔真っ赤。わたくしの顔にも熱が上がってきて、もうアステル様の顔が見られない。でも、嬉しい……。
「わ、わたくし、とんでもない誤解をしてしまって、申し訳ありませんっ。……でも、わたくしのことを好きって言っていただいて嬉しいです……」
「え?もしかして、僕の気持ち伝わってなかった?」
「えっと、まさかそんな風に思っていただけてるとは思ってなくて」
「…………」
アステル様は愕然としている。おもむろにわたくしの手を取って立ち上がらせた
「……っ僕はリネットを好きだよ!……愛してる。君の血筋は関係ないよ」
アステル様はわたくしを抱き締めて頬を寄せた。「愛してる」の言葉が頭の中をこだまする。あ、駄目。涙が零れる……。
「わたくしもアステル様の事愛してます。ずっと一緒にいたい……」
わたくしも背中に腕を回して抱きしめ返してみた。あったかいわ。アステル様の腕の力が強まった。
「結婚しよう。卒業したら直ぐに」
「…………はい。嬉しいです」
耳元でささやかれてくすぐったい。でも本当に嬉しい。
「ああ、殿下の事を言えないな、僕も。卒業まで我慢できる自信がないよ……」
アステル様は苦笑しておでこをこつんと合わせてわたくしを見つめた。綺麗な新緑色の瞳。そしてゆっくリ顔が近づいて来た。わたくしは目を閉じた。そっとあたたかな唇が重なった。
今、温室の中はスノウグラスの白い花が満開で甘い香りを漂わせている。クリアセインの花は蕾が付き始めている。甘い香りに包まれて何度も口づけを受けながら、わたくしは途方もない幸せを感じていた。
おばあ様のとっておき アステル視点
リネットと馬車に揺られていた。リネットのおばあ様に会いに行くために。最近は二人でいる時はずっと手を繋いでいる。
「え?王太子殿下が?」
「うん、そうなんだ。狼犬の雌を見つけてもらえたんだ。それでノースポールのお見合いにどうかなって思っていてね」
「相性が合うといいですわね」
「うん。まず会わせる前におばあ様の了解を得たくてね。もしも仔犬が産まれたらヘンドリー殿下も一頭引き取りたいと仰ってるんだよ」
「ノースポールの仔犬……きっと可愛いでしょうね」
うっとりするリネットが可愛いな。でも僕はあの時のリネットの言葉を思い出してちょっと困っていた。
『わたくし子どもをたくさん産みますね』
あの時までは僕は非道な男だと思われてた。よく婚約を受けてくれたなと思うよ。自分でも馬鹿だったと思う。一番大切な言葉を伝えてなかったなんて。何してたんだ。
「そういえば、以前おばあ様からとっておきのサシェを教わりましたのよ。今度作ってみようと思ってます」
「へえ、どんなサシェなの?」
「円満のサシェ、素直な気持ちになれるサシェなんですって」
「……そうなんだ」
「子宝にも恵まれるかもしれないって……」
あ、それ駄目なやつだ。
「それ、作らないでね。大丈夫だから」
「え、でも……」
即答した僕にちょっと不満顔をしたリネット。うん、そういう表情も可愛いな。
「ほら、僕達には必要ないよ!なんでも相談し合って、たくさん話して、ずっと円満でいるつもりだからね」
「まあ!アステル様!そう、そうですわね」
リネットは感激した風だ。良かった、誤魔化せたみたいだ。
「はあ……」
リネットのおばあ様は何て物を教えたんだ。全く何を考えているんだか……。僕は頭を抱えた。たぶん円満のサシェはそういう雰囲気にさせる類の物だろうな。リネットは気が付いてないみたいだけど。
今の僕がそんな物を渡されたらどうなるか。ただでさえ色々我慢しているのに。
リネットはしっかりしているようで子供っぽいところがあるなあ。この先ちょっと困るかもしれない。まあ、彼女の純粋なところは可愛いからいいか。ブラッドリー殿下の誘惑に乗らずに可愛げがないなんて言われていたけれど、全くそんなことは無い。逆に僕にとっては可愛くて面白いと思うんだ。
ただ、円満のサシェは他の人にも作らないようにさりげなく誘導しておいたよ。後でおばあ様には釘を刺しておかなければいけないかもしれないな。
「参ったな……」
魔術の事にしか興味が無かった僕がこんなに誰かの事で頭が一杯になるなんて考えてもみなかった。
「どうかなさいましたか?」
風邪をひいて寝込んで以来、やりすぎなくらい心配してくれるその顔も愛おしくて、駄目だと思っててもつい構ってほしくなってしまう。改めなくては。
「何でもないよ」
笑えば安心したような顔。どんな表情も僕一人のものにしたい。
「アステル様、もうすぐ着きますわ。おばあ様のお庭ではクリアセインの花がもう咲いていますわ」
リネットの笑顔が僕に向けられる。今度はどんな驚きを与えてくれるのか。それが無くてもこの笑顔をずっと見ていたい。守ってあげたい。二度と曇らせたりしない。春が近づく日差しの中で一生の誓いと持て余している独占欲を胸に秘めた。
ここまでお読みいただいてありがとうございます!




