夢見のサシェ
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「すまなかった!君を誤解してた!」
わたくしはせっせと針を進める。ああ、スノウグラスの良い香り……。スノウグラスは冬の花。少し透き通った白い多弁のお花でほのかに甘い香りがするの。穏やかな冬の昼下がり、今日もアビントン王立学園は平和だわ。
「あ、あの、僕を許せないのはわかるけれど、どうか話を聞いて貰えないだろうか?リネット・クレイトン侯爵令嬢……」
「あ、え?わたくしに仰ってるの?」
ええと、この方どなただったかしら?わたくしは針を止めた。
「……ああ。君がメイリーに酷い嫌がらせをしてるとずっと非難していたが、全て誤解だった!本当に済まないっ」
こう言って頭を下げたのは…………あ、そうだわ!思い出した。この金色の髪に緑の瞳、いつも微かに笑っているような顔の方は、殿下のご友人の一人、ムーアクロフト侯爵家のアステル様だわ。良かったわ。思い出した。危ない危ない。わたくしってどうでも良いことって頭からすっこーんと抜けてくのよねぇ。
そして先程名前が出てたメイリーは彗星のように登場した王子殿下のお気に入りのダンバード男爵家のご令嬢ね。あ、殿下っていうのはつい最近までわたくしの婚約者だったこのサンストーン国の第二王子のブラッドリー殿下のことなのよ。
「それは何をしているの?」
どうして隣に座るのかしらこの方。わたくしはさりげなくベンチの端へと距離を取った。
「縫物ですわ」
「そ、それは見れば分かるんだけど。いい香りだね」
ちょっと、覗き込むのはやめていただきたいわ。あまり近づかないでいただきたいのですけれど……。いくら野外とはいえ婚約者でもない男女がこんなに近くにいたら噂になってしまうわ。面倒だからさっさと説明して帰ってもらおう。
「夢見の香り袋ですわ」
「夢見?」
「この香り袋を枕の下に入れて眠ると運命の人と夢の中で会えるんですのよ」
「おまじない?」
「……まあそんなところですわ」
アステル様は怪訝そうな顔をなさる。
「本当に夢が見られるの?」
「さあ?でも皆さんが欲しいと仰るので作って差し上げてるのですわ」
この香り袋にはスノウグラスの花を乾燥させて入れてある。それから、魔術の媒体にも使われるクリアセインというハーブ。そしてわたくしが魔力を込めて縫い上げるので、結構高い確率で夢が見られるらしいのだ。
「面白いね。僕にももらえる?試してみたいんだ」
「どうして友人でもない貴方にわたくしがそんなことを?」
あまつさえ、この方って殿下と一緒になって散々わたくしを見下してきた方々の中にいらしたわよね?
「…………」
あ、俯いちゃったわ……。そういえばムーアクロフト侯爵家のアステル様といえば、珍しい魔術の収集が趣味だって聞いたことがあるわね。
「……はあ、いいですわよ。今作ってるものを金貨三十枚でお譲りしますわ」
「金貨三十?!高っ!!」
金貨三十枚といえば、この国の大臣クラスの月収の約三分の一程だ。まあ、友人には差し上げてるけれど、この方は友人ではないしどうでもいいだろう。金額に納得できずに怒り出すなら二度と話は聞かないし、サシェを渡せば満足して話しかけられることも無くなるだろう。
「分かった。明日にでも侯爵家へ届けさせるよ」
え?買うんだ……。こんなものに大金使うんだ。筋金入りの魔術バカね。
「では、これをどうぞ」
わたくしはちょうど縫いあがった匂い袋をお渡しした。本当ならちょっとした刺繍をするんだけどこの方には必要ないだろう。
「ではわたくしはこれで……」
「あ、ありがとう」
はあ、約束してたアンリエッタ様には謝ってもう少しお待ちいただこう。侯爵家の方にお売りしなければならなかったって言って。ぜーんぶあの方のせいですからね。
「クレイトン侯爵令嬢!夢を見たんだ!すごいよ!!あのサシェ!!」
え?また来たわ。あれから三日ほど経ったかしら?この学園の東側の温室は人があまり来ないお気に入りの場所なのに……。どうしてわかったのかしら?前は中庭のベンチにいたけど、アステル様に知られてしまったから場所を変えたのに。あーあ、また違う場所を見つけなきゃ……。
「君の夢を三夜続けて見たんだよ!僕の運命の人は君だった!だから僕は君の家に婚約の申し込みをしたよ!」
「はぁ!?」
なーに目をキラキラさせて言ってるんですか?!
「お断りしますっ!!貴方はわたくしに何をなさったのか覚えてらっしゃいますか?」
「うん。でも、君は弁解もせずに全てを受け入れてたよね?」
「そ、それは……!何を言っても誰も信じて下さらなかったから!」
そうなのだ。不思議なことに殿下の周りの方々は誰も、わたくしの話を聞いてくれなかった。わたくしは何もしていないというのに、子どもの頃から親交のある方々も一方的にわたくしだけを責めた。だからわたくしは諦めたのだ。
ブラッドリー殿下に婚約破棄を告げられた時にはホッとしたものだ。だってもう何もしていないのに貶められることが無くなったのだから。そして、ブラッドリー殿下の女性に対する不誠実な噂は今回だけの事ではなかったから。
「おかしいよね?」
「え?」
「どうしてあのメイリーの言葉だけをみんな受け入れて、君の言葉は受け入れられなかった?」
「…………」
「僕はおかしいと思ったんだ。だから殿下達から離れてみたんだよ」
「え?」
「そしてこれを持つことにしたんだ」
そう言って見せてきたのは大きな石のついた銀細工の飾りだった。どうやら強い魔除けのお守りの様だ。
「まあ綺麗」
「うん、やっぱりね。君はこのお守り石を美しいと思えるんだね」
だってこの夕日色の石は透き通ってて光を放ってるみたいできれいだもの。
「殿下達に見せたら、嫌がるそぶりを見せたよ。メイリーにいたっては払いのけた」
「それって……」
「うん。彼らには悪魔が憑いてる……のかもしれない」
「そ、そんな……!…………まあ、どうでもいいですわね」
わたくしは針仕事に戻った。アンリエッタ様をお待たせしてるし。
「え?!そこはみんなを助けなきゃとかには……」
「まったくなりません。なさりたいのならご自由にどうぞ」
その後わたくしは香り袋を仕上げてアンリエッタ様にお渡しすることが出来た。良かったわ。さあ、次はマリアンヌ様の分を作らなくては!
って頑張ってたら何だか眠くなってきちゃったわ。
我がクレイトン家の屋敷の自室で縫物をしてたはず……。気が付いたら綺麗なお花畑にいたの。
「ここはどこかしら?綺麗な所」
「綺麗だよね。君と同じくらいに!」
ああ、聞き覚えのある声だわ。振り向きたくないわ。
「ここは夢の中だよ。君もあの香り袋を使ったんだね」
ああ、そう言えばわたくし、サシェを作ってて……。多分その上で眠ってしまったんだわ。
「ほら、やっぱり僕達は結ばれる運命だったんだよ!こっちを向いて僕のリネット!」
「誰があなたの、よ!!」
あ、しまった……。
「やっとこっちを見てくれたね」
優しく笑うアステル様。蜂蜜のような金色の髪が春の日差しを受けて輝いてる。エメラルドのような瞳が嬉しそうに私を見てた。今は冬なのに。
「しかし凄いな……君の魔術は。二人で使うとこんな風に夢の中で会えるんだね。研究のしがいがある!」
「ああ、そういうこと……。それでわたくしに婚約を申し込んだのね。魔術の研究のために……」
結局両親は殿下に婚約破棄されたわたくしを心配して話を受けてしまっていた。わたくしは絶望したけれど、理由がこれなら何とかなりそうだわ。良かった。
「研究には協力いたしますから、どうかこのお話は無かったことに……」
「え?違うよ?僕は君が気に入ったから婚約を申し込んだんだよ?」
何言ってるの?みたいに言ってるけど、それはこっちのセリフよ!
「慎んでお断りいたしますっ!!」
わたくしはそう言って会話を打ち切って目を覚ました。なんかおかしくない?この言い回し……。
はっと目をさましたわたくしは、縫い終わった香り袋の上で眠ってしまってた……。え?ちょっと待って、わたくし今あの方の夢を……。ってことはつまり……。
「いやあああああああああああっ!」
わたくしは深夜にもかかわらず、大声を出してしまった。起こしてしまった家族と使用人の皆様ごめんなさい……。でも、誰かわたくしの絶望を分かって……。
翌朝、学園へ登園しようとしたわたくしは愕然とする。見知らぬ馬車が屋敷の前に横付けされてる……。何も見えないっ見えないわっ!屋敷のエントランスでわたくしの両親と談笑してるのは……。
「アステル様……」
「やあ!おはよう!!今日からは一緒に学園へ行こうと思って、迎えに来たよ!!」
朝から無駄にテンションの高い彼にうんざりする。
「…………」
無視だ、無視しよう。わたくしはなるべく悪い印象を持たれるべく、挨拶をせずに通り過ぎようとした。そして無視して自分の家の馬車に乗ろうと思ったけど、駄目だった。
「さあ、行こう!」
わたくしの手を取ったアステル様は、ムーアクロフト侯爵家の馬車へわたくしを先導した。両親も表面上はニコニコと
「せっかく迎えに来て下さったのだから」
と、後が無いんだから、分かっているね?という無言の圧力をかけてくる。結局一緒の馬車で学園へ向かうことになってしまった。
「あの、もうこういう事は止めていただきたいのですが……」
繋いだままだった手をそっと離してわたくしは切り出した。
「何故?昨夜は夢で会えたよね?つまり僕達は運命のこい」
「いいえっ!それはあくまでおまじないというか、偶然というか、そう!きっとお互いの魔力が反応しただけなんですわ、きっと!」
アステル様の言葉を遮って熱く説明したわたくしを何故かアステル様は不思議そうに見てる。
「どうしてそんなに頑ななの?この話は君にとってもそう悪い話ではないと思うんだけど」
「…………あなたがあちら側にいた方だからです」
思えばブラッドリー殿下との関係は可もなく不可もなく。いたって普通の婚約者同士だった気がするわ。でも、殿下とわたくしが十五歳になって、同じ学園に通うようになってから見えてきたものがあったの。それは殿下の女癖の悪さ。でも殿下は表立って女性を誘うようなことはしないのよ。相手を夢中にさせて遊んでるの。本当は、殿下と婚約してるのは嫌で嫌で堪らなかった。でも誰にも相談できなかった。殿下の外面の良さがそれをさせてくれなかったの。
だから本当はメイリーが現れてホッとしてた。初めて殿下が、夢中になった人。殿下からアプローチしていった人。それがわたくしでなかったの少し残念ではあったけれど、婚約破棄を言い渡されて心底嬉しかったの。負け惜しみじゃ無いのよ。
メイリーの取り巻きにされた婚約者を持つ女の子の友人だけはわたしくしのそばに残ってくれた。攻撃の標的になったのはわたくしだけだったから、表立って仲良くすることはできなくなったわ。
無実の罪で責め立てられて誰にも分かってもらえないのは辛かった。思い出してしまうのよ。だから、だからあなたは無理なの。
学園へ向かう馬車の窓から見えるのは乾いた木々と灰色の空。
お読みくださってありがとうございます!