夜会沙汰
「エリザベス! 貴様との婚約は破棄だ!」王太子であるエドワードが、声を張り上げて言った。
華やかな夜会での出来事だった。
エドワード王太子が婚約者ではない女性を伴って現れたかと思えば、己の立場の優位性を誇示するかのように、階上から一人の令嬢を見下ろしている。彼の傍らには王太子の私設騎士団筆頭騎士のカーライルと、可憐な見目のハリエットが控えており、そして正に婚約破棄を告げられた美しき令嬢――エリザベスは、その様を冷めた目で見上げていた。エリザベスにとって、王太子の口から出る言葉よりも、彼の周りで物々しく武装している騎士たちの数を確認する方が、余程興味深かった。
「剣をお貸しいただけますか」エリザベスは一番近くにいた騎士に声を掛けた。
しかし、騎士は素直に従うはずもなく、腰に差した剣に守るように手を遣ると、エドワード王太子に視線を向けた。
エドワードは鼻を鳴らすと、「何を言う、エリザベス。その様な真似――」認められるはずもない、と続けようとしたところで、「エリザベス様に剣をお渡しください」と、ハリエットの弦を弾くような凛とした声が遮った。
「何をするつもりだ、ハリエット」王太子は言った。少し困惑した声色だった。
「私とエリザベス様は常に剣の腕を競ってきました」ハリエットは一度もエリザベスから視線を外さないまま言って、「ならば」と、その視線のままに隣にいる騎士へと右手を出した。「終わりも、剣で決めます」
騎士たちは伺うように王太子を見た。王太子は少し考えた。王太子も2人が剣を習っているのは知っている。しかし、所詮は女がお遊びでやる剣術で、そう大袈裟なものでもないだろうと侮っていた。最後にその程度で納得ができるのならば、好きにさせてやった方が面倒も無くて良いと考えた。これだけの騎士がいて、さらに自分が最も信頼する側近の騎士カーライルまで傍に連れているのだから、大事になる前に止められるだろう、と。
さらに、この様子を見ていた夜会の出席者たちは、良い余興だと囃し立てている者もいる。
わざわざ場を白けさせる必要もないと、王太子が騎士たちに頷いてみせると、それを受けてそれぞれの令嬢の傍に居た騎士は無言で剣を差し出した。ハリエット、そしてエリザベスがその柄に手をかけ、剣を抜いた瞬間――
2人が同時に騎士へと斬りかかった。不意を衝かれた騎士はその頚を易々と切り裂かれ、その場に斃れ臥した。
少しの間をおいて、会場は悲鳴に包まれた。何が起きたのか――王太子がそれを理解するよりも早く、騎士達は即座に王太子を守るように囲み始め、それを確認したカーライルも即座に剣を抜き、エリザベスへと向けながらゆっくりと、1段ずつ、警戒を強めながら階段を下ってきた。
その様子に王太子はただ狼狽えた。エリザベスがこの様な凶行に出るのは、まだ理解できた。エリザベスは聡明な女性だったが、この様な沙汰を下せば抵抗の一つでも見せる事は――実際に騎士が斬られるまでするのは予想外だったが――予見していたのだ。やや過剰ともいえる数の騎士を連れてきたのもその為だ。しかし、ハリエットまでもが、何故、騎士を斬る必要があるのだろうか――と。ハリエットは自分を好いており、このまま自分の新たな伴侶となる事を望んでいるのだと。そう信じて疑っていなかった。
恐慌し、参加者たちが散り散りに逃げていく会場の様子を目に、王太子の焦りは募っていった。
「乱心したか!」王太子はハリエットに向かって叫んだ。
「乱心?」騎士に剣を振るいながら、ハリエットが鼻で笑った。「私の心は、最初から決まっておりましたが」
王太子にとって、ハリエットの返答は晴天の霹靂だった。「私を好いていたのではないのか!」困惑を隠さないまま、金切るような声を上げた。
「汚らわしい勘違いを!」それを聞き、ハリエットの振るう剣がさらに重さを増した。「私があなたに惹かれた事など、ただの一度たりともありません!」煌めいた白刃に、1人、また斃れた。「元より、この身も心も、リズ様に捧げております!」
ハリエットの言葉に、王太子は眉を顰めた。「何?」
彼女の口から出た、思いがけぬ名前に。リズ――エリザベスに。女同士であるだとか、そういうこと以前に、王太子が知る限りにおいて、二人は事あるごとに張り合い、嫌い合っている筈だった。エリザベスがハリエットに対し、また、ハリエットがエリザベスに対し、侮蔑や敵意が混じった視線を向けるのを、確かに王太子は認めていた。
「この純潔だって、既にエリザベス様に捧げているのですよ?」驚愕の表情を見せる王太子に、ハリエットは侮蔑を含んだ笑みを見せた。「いくらあなたが矮小な存在でも、付け入る隙などありません」
「貴様!」ハリエットの言葉に王太子は激昂した。
それを制して、騎士達は王太子を守ろうとする。「殿下、お引きください! ここは我々が!」
騎士に逃がされるまま、王太子は何故このような事になったのかと、混乱に思考を支配されていた。
実のところ、元々ハリエットとエリザベスがお互いを嫌い合っていた、という事に間違いはない。
ハリエットの実家は武門の家系であり、代々優秀な騎士を輩出してきた。ハリエットは幼い頃より父や先代の武勇伝を良く聞かされて育っており、自らも剣を執りたいと思うようになるのに時間はそれほど必要としなかった。
父からの指導は決して優しいものでは無かった。しかし、幸いにもハリエットの才覚はその指導の全てを余すことなく己の糧とすることが出来た。男に混ざって討ち合っても勝ち越してしまうくらいには。
仕合いでは女だからと侮られる事も少なくなかった。女だからと、所詮は結婚までのお遊びだろうと、侮蔑の込められた視線と共に投げかけられる悪意。しかし、そういう男達は、例外なく彼女の剣技の前にひれ伏した。
このまま、誰に何を言われようと、喩えそれで自分の女としての名誉に傷が付いたとしても、剣士としての名誉を守れればそれでよい――彼女はそんな風にさえ思っていた。
しかし、そこで出会ったのがエリザベスだった。
エリザベスの実家は、ハリエットの実家のように武功だけで爵位を賜った下級の貴族とは違う、王族が降嫁してくることも多々ある由緒正しき家柄だった。
ハリエットは最初、それこそ貴族の令嬢がお遊びで剣を振るっているだけだと思い、エリザベスを軽んじていた。剣を振る時こそ結わえられていたが――胸元よりも長くのばされた髪も、少し捻れば折れてしまいそうな程に細い腕も、とても剣術に打ち込んだ者とは思えなかった。彼女のような者がいるからこそ、自分のように真剣に剣に打ち込む者まで見下され、謂れの無い嘲りを受けるのだと。エリザベスの家柄や、麗しい見目に対する嫉妬も混ざっていたのかもしれない。ハリエットも整った容姿こそしていたが、エリザベスに比べると、美人と言うよりは可憐であり、また、どこか垢抜けていない様子だった。
しかし、エリザベスに関してもそれは同じだった。エリザベスのような完璧な高嶺の花よりは、ハリエットのように少々野暮ったい方が男受けは良いものだ。また、刺々しいエリザベスに対して、ハリエットはまだ柔らかく、男女差を感じさせない接し方をするところがまた良かった。そうして数多の男を勘違いさせてきたハリエットの姿は、エリザベスの目には男を侍らせる為に騎士を目指しているというふうに映った。
お互いに、いつか思い知らせてやろう、などと内心で敵愾心を燃やしていると、果たして、その機会はふたりの想定よりもずっと早く訪れた。ハリエットとエリザベス、2人がそれぞれ師事する流派の親善試合があり、そこで2人は剣を交えたのだった。
そして、数刻の討ち合いの結果――剣の才に関して分があったのは、僅かにハリエットの方だった。エリザベスの老獪ささえ感じさせる戦術に苦戦こそ強いられたが、それをハリエットの純粋な技量は、ほんの紙一重分だけ上回り、エリザベスに勝利した。
仕合を終えたハリエットの胸に湧いたのは、不思議な充実感だった。本気で討ち合って、その上で勝利を収められたから。日頃手合わせをしている同輩の男性騎士とは違った。彼らはハリエットと本気で討ち合おうとしなかった。ハリエットを見下し、手を抜いて、そして、負けた時の――決して口には出さないが――言い訳を残しておくのだ。「女相手に本気は出せぬ」と。エリザベスは違った。きっと、彼女の持ちうる全てを使ってハリエットに挑んでいた。その事がどれだけの充足感をもたらしたのか、エリザエスには考えもつかなかったろう――
そして、視線を向けた先に、その美しい顔に悔しさを隠そうともせず、自らの不甲斐なさに震えているエリザベスの姿を見たとき、ハリエットは己の愚かしさを悟った。自分が男たちに向けられ、煩わしさを感じていた視線を、同じようにエリザベスに向けてしまった事を悔やんだ。見た目や肩書で決めつけて、その者の本質を全く見ようとはしなかった。髪を伸ばしていようが、腕が細かろうが、エリザベスはしっかりとそれを補う戦い方を身に着けていた。それも、剣を愛していなければとても思いつかないような戦い方だった。
自分の知らない強さを持つエリザベスに、ハリエットはすぐに惹かれていった。そして、それはエリザベスも同じだった。今まではどこかで「女だから」と言い訳をしてきたが、それさえも通じない、同性で、同じ年代の者からの敗北は、エリザベスの思考に確実な変化をもたらした。エリザベスはしなやかなハリエットの身体に見惚れる事が増えていった。ハリエットはエリザベスが溌溂と剣を語る姿に憧れを抱いた。それから2人は時間があればある分だけ剣を交えた。そして、その分だけお互いを知るために語り合った。未知の事柄を知っていく事を大人になるというのなら、彼女らはここでまたひとつ大人へと成長したのだろう。2人にはいつしか、お互いを想う時、水面の落ち葉よりも穏やかで、時に燃えるように獰猛な攻撃性を見せる感情が芽生えていった。それが恋心だと知るのに、そう時間はかからなかった。そして、今日に至るまでにその想いは確実に成長していった。ハリエットは何かと自分を気にかける王太子を疎ましく思ったし、エリザベスは自分の婚約者への興味を――元々ただでさえ少なかったのだが――最早殆ど失っていた。
エリザベスと対峙するカーライルは、元々この茶番劇のような婚約破棄には乗り気でなかった。エリザベスとは幼少の砌より親交があり、令嬢の身なれども剣を振るう彼女に対して好感を覚えてもいた。もっとも、王太子の命令に背いてどうにかしようと思うほどの思い入れも義理もない。王太子は愚かだと思っているが、それでも彼にとっては仕えるべき主人であり、敬愛すべき君主なのだ。
「腕が鈍りましたか? カーライル」エリザベスは剣を振るいながら言った。「女性に押し負けるとは、御父上の名が泣きますよ」
そのコンプレックスを刺激するような物言いに、カーライルも静かに覚悟を決めた。「手加減は出来んぞ」
「では、これは如何でしょう」エリザベスはそう言って、構えを上段へと移した。
カーライルは警戒した。エリザベスの剣は、彼もよく知っている。その中に上段の構えなどなかった。エリザベスが剣を持つとき、ほとんどは青眼に構えており、他の構えを見た事など無かった。カーライルは一層エリザベスに注目し、どのような動きにも対応できるよう、神経を更に尖らせた。この時点で、カーライルの中では、エリザベスがあのような構えを取るのは奇策にあると見ていた。純粋な技量に不利があるが故に、奇策に頼らざるを得ない悪あがきだと。そして、その様に付け焼刃の奇策に後れを取る筈がないという自負もあった。しかし、次の瞬間に彼を襲ったのは、背部に走る重い衝撃だった。階段の上部にいるハリエットが騎士を一人突き落とし、それがカーライルに偶然か――或いは、彼女は元々エリザベスを援護するつもりで――その隙を突いたのだ。彼がそれを理解したと同時に、エリザベスの剣は心臓を貫いていた。彼が最後に見た景色は、自分をつまらなそうに一瞥するエリザベスの瞳だった。
カーライルが斃れた事でその場には緊張が走った。筆頭騎士の敗北、死亡――それは、この婚約破棄という一連の出来事を単なる茶番劇と捉えていた騎士たちには、余りにも重すぎる事実だった。
浮足立つ騎士達に出来る事など、必死にこの場から王太子を遠ざける事くらいだった。ハリエットは殿役を務める騎士達を斬り伏せながら、逃げる王太子を尻目に捉えた。だが、それでも、飽くまでも冷静にその様を見送っていた。
つい数刻前までは華やいでいた会場が、今はその面影もなく、惨澹たる様相を呈していた。
「お手を」ハリエットが左手を差し出した。「私の、ただ一人の愛しい人」
エリザベスは微笑んで差し出された手を取り、二人は悠然と王太子の後を追った。
その様は、一対の赤い悪魔と見紛うほどだった。
オワリ




