結の巻
※注意:この物語は数多ある忠臣蔵の物語をご都合主義でアバウトに参考にしております。杜撰な歴史考証での赤穂事件の取り扱い、悪者じゃない吉良上野介は認めない方は今すぐバックだ、ノーミュージック・ノーライフでお願いします。ナカタさんとの約束だぞ!
※ノーヒット・ノーランとか野球に毒されすぎ、それを言うならノーミュージック・ノーライフだろうと近所のにーちゃんから指摘があったので今回より訂正しました。
上野介が目覚めると見知らぬ天井があった。思い出したように肩と額の傷がずきりと痛む。
そうか、儂は失敗したのか。宿命とは人がいくら足掻こうと変えられぬものなのだな。おそらく浅野は既に切腹を終えこの世にはおらぬだろう。
この時点では儂も御咎め無しだが、やがて外圧に耐えられなくなった上様より屋敷替えが命じられ、あの忌まわしき炭小屋の前で首を討たれる。
全てが無駄だったのだ、もう・・・よい。せめて儂に付き従う家臣だけでも可能な限り死なぬ様に取り計らってやろう。
上野介は全てを諦め、悟った様に天井を見つめて時を過ごした。
やがて気力もなく床に伏せる日々を過ごす上野介の元に、上様から体調を気遣う書状と方々から様々な情報がもたらされてきた。
浅野内匠頭は切腹が行われ、その死に際して怨恨であるとも乱心であるとも語らず、なぜ凶行に走ったかは一切不明。
ただ、死の前に寵臣であった守富助右衛門が面会をしている。
赤穂藩は改易される事となった。遺臣の一部が怪しげな会合を繰り返し、町民の間では逆恨みした赤穂の家臣が吉良邸へ討ち入るなどと噂され賭けの対象にまでなっているらしい。
以前見た夢との違いは上様からの書状がさらに儂を気遣う内容になった事、町民は逆恨みだと言い上野介の評判は悪くない事、そして何より大石内蔵助から長々とした詫び状が届いた事であろうか。
大石の詫び状によれば二十名余りの家臣が内蔵助を立てて討ち入りを行い、浄瑠璃坂の仇討ちのように亡き殿の無念を晴らして赤穂藩を再興、もしくはどこぞの藩の家臣として取り立てられる計画が持ちあがったとあった。
大石はこれに反対し、なんとか止めさせようと奔走しているとあったがおそらく止めきれまい。
「浄瑠璃坂とはなんとも浅はかな考えを持ったものだ、たとえ儂を討ったところで仇討ちとして認められるわけが無かろうに。」
上野介は大きくため息を吐くと、方々へ文を送るために筆を取った。
夏のさなか、吉良上野介は江戸中心部の呉服橋屋敷を離れ、郊外の本所一ツ目の屋敷へと移されていた。
というのも、日に日に煩くなる町人たちの噂だけでなく、事情を知らぬ幕臣の中にも喧嘩両成敗であろうなどとのたまう輩が増えたためである。
事態を憂慮した将軍綱吉が「吉良の翁には暫く静かな屋敷で静養してもらおう。」と屋敷替えを進めたのだ。
屋敷に着いた上野介は家老の小林平八郎に命じ、蔵の中で古く埃をかぶってた武具を手入れさせた。赤穂の遺臣達の討ち入りに対する準備と見た平八郎は金子を使って浪人や用心棒を集めようとしたが、上野介はそれを強く止めた。
「平八郎、そのような金があるなら吉良の領民のために使え。黄金堤もまだまだ盤石に広げねばならぬ。塩の製法も道半ばで下人を雇うにも金子がかかろう。
儂は指南役を引いた、家督も嫡男の左兵衛に譲ることとした。もはや隠居の儂がすべきことは多くない。」
「しかし、殿が討たれてしまっては。」
「馬鹿者、いつ死してもおかしくはない老人が数年生き延びたとて何の足しになろう。儂は天下の強欲爺と恐れられた吉良上野介義央であるぞ。」
そう言うと平八郎共々くくくと笑い合った。
その年の冬、瀬尾孫左衛門と名乗る大石からの急使が宵の討ち入りを知らせるべく吉良邸へと飛び込んできた。
「ほう、来年にでもなるかと思うていたがだいぶ早かったな。平八郎、儂の具足を持て。皆も戦支度を済ますように。東の表門、土蔵の前にて迎え撃つ、蔵に火鉢を運んでおけ。」
顎をさすりながら落ち着いて言い放つ上野介に家臣らがいきり立ち、胴丸を羽織り太刀をかつぐ。
支度を終えて広間に集まり、忘恩の徒は一人も生きては返さぬと息巻く家臣らに上野介は静かに告げた。
「このいくさ、儂一人で出る。其方らはこれからの吉良家にとって欠かせぬ臣よ。儂が大石に勝負を挑み、例え討たれたとしても仇討ちなどしてはならぬ。
後の事は上様、伊達殿、今枝殿含め儂が関わって来た様々な方々に頼んである。嫡男の左兵衛を支え、吉良領を支えてくれ。
其方らに具足を纏わせたのは赤穂の者共が儂を討った後其方らにまで斬りかからぬ様にするためよ。
大石かその後の者か、儂は一人のもののふとして戦い、討たれてやる心算だ。敵が儂の首を取ったら、そのまま無事に帰してやるがよい。」
水を打ったように静まり返る広間に末席から一人の声が響く。
「いくら殿の御下命だとしても承服できませぬ。それがしも死出の旅に御供致します。それが叶わぬならこの場で腹を切る所存。」
清水一学であった。元は農民であったが、剣の腕を見込まれ吉良家の用人になった若人である。上野介は忠に厚い一学を気に入り何かと目をかけていた。
「死出の旅路の供がが一学のみとは先祖に顔向けもできませんなあ。この平八郎も連れて行ってくだされ。武士として老い衰えてゆくよりもここでひと花咲かせて見せましょうぞ。」
「小林殿、このような事は若輩に譲るべきですぞ。殿の御供にはこの多中こそがふさわしい。」
次いで名乗りを上げたのが家老の小林平八郎と、同じく家老の松原多中であった。多中は若輩などと言っていたが平八郎と歳はそう変わり無い。
次々に我も我もと名乗りを上げる家臣達に上野介は嬉しく思いつつも、其方らは吉良家を傾けるつもりかと叱り付けてすったもんだの末、先に名乗りを上げた一学と平八郎のみが共に戦う事と相成った。
数刻後、吉良邸を奇襲するべく火消し服とその下に鎖帷子をまとい、月明かりを頼りに吉良邸へとたどり着いた赤穂藩の遺臣十九名は完全武装の武士の一団に囲まれ邸の東門をくぐった。
雪がちらつく暗い夜空をかがり火が煌々と照らし、雨戸を開け放たれた屋敷の中には弓や槍を手にした一団が静かに座っている。
蝋燭の明かりが揺れる土蔵には大鎧に身を包んだ老人二人と、額当てに胴丸を付けた軽装の若者が床几に腰かけ火鉢を囲んで温まっていた。
「大石殿、このような夜更けに何用か。」
蔵の中から上野介がわざとらしく問う。
「我が殿、浅野内匠頭の仇討ちに参りました。」
「相分かった。此方はここに居る三名でお相手しよう。他の者には手出し無用と言うておる、安心めされよ。」
「忝く存じます。」
内蔵助は絞り出すような声でふかぶかと頭を下げた。
土蔵の中から一学が進み出ると、二刀を抜き放ち上段と下段に構える。
「我が名は吉良家用人、清水一学義久。討ち手の中に中山安兵衛が居るな。この様な大義なき仇討ちに加担する忘恩の徒よ、堀内道場の同門として恥ずかしいわ。切り捨ててくれるから出て参れ。」
「我が名は堀部安兵衛武庸、赤穂藩馬廻役である。忘恩の徒の誹りは受けよう。しかしもののふとして大恩ある亡君が命を懸けて討とうとした相手を討つために参った。」
安兵衛は二刀の鞘を抜き捨てると半身になり正眼と後方脇に構えた。一学が敵を食い千切ろうとする虎の様な荒々しい構えなら、迎え撃つ安兵衛は鳥が羽根を休めるような優美な構えである。
互いにじりじりと距離を詰め致死の間合いに達した時、空気を震わせる覇とした裂帛の気合と共に一学が唐竹に刀を振り下ろす。
安兵衛は頭を割らんとする斬撃を刀の鍔元で受け止め、空いた胴を逆袈裟に薙ぎ払おうと脇に構えた刀を振り上げた。
しかしそれは一学の狙った誘いだった。胴丸の硬い部分を滑らすように振りあげられた刀を受け止め、横腹をわずかに斬られながらも下段から喉を目がけて突きを放つ。
衆目にも安兵衛が首を貫かれ討たれたと思われた瞬間、不自然に一学の体が傾ぎ、喉を狙った刀は首の皮を削ぎつつ致命には至らなかった。
一学の肩から肺を深々と貫くように短槍が突き立てられていた。横槍を入れたのは間十次郎であった。
「危のうございましたな。ささ、早うこの者の首を取りましょうぞ。」
血を吐き力無く崩落れる一学のもとに駆けより脇差を抜き放つ十次郎であったが、突如その胸から刃が生えた。後ろから刺した安兵衛は武士の誇りを穢した十次郎を一瞥することもなく、一学に駆け寄りその体を抱えて土蔵で待つ上野介の前に横たえ深々と頭を下げた。
「この勝負、それがしの負けでござる。」
上野介は頷くと命が消えゆく一学に最期の言葉をかけた。
「一学よ、実に見事であった。お主こそ真の忠臣よ。」
荒かった呼吸が小さくなり、ひとつ大きく息を吐いて命が尽きる。しかしその顔には死への恐怖など無く、戦いきった満足感と誇りだけが残されていた。
一学を看取った平八郎が槍を手に床几をきしませて立ち上がる。
「さて、それでは殿、逝って参りまする。ひとりふたり道連れにできればよいのですがな。吉良家家老、小林平八郎央通。我はと思う者は出て参れ。」
「武林唯七隆重、参る。」
打刀を手にした唯七に対し突き、払いの猛攻を仕掛け数多の手傷を負わせた平八郎であったが、その動きは徐々に鈍ってゆく。
やがて肩で息をするようになると槍を取り落とした。
「殿、歳は取りたくないものですなあ。この者くらいは道連れにしたかったのですが、もはや腕も上がりませぬ。一学と共にあの世でお待ち申しております。」
そう晴れ晴れと言うと震える手で兜の緒を解き振り捨てて首を差し出した。
「御見事。」
言葉少なに唯七が首をはねると、吉良家の者から手渡された首桶に丁寧に収め合掌する。
しばし瞑目していた上野介は控えていた小姓から四尺余の肉厚な大太刀を受け取ると、老人に似合わぬ大音声を発した。
「儂は吉良上野介義央。赤穂の遺臣大石内蔵助よ、亡君の遺言に従い儂の首を取りに来たのであろう。持って行って墓前に供えるがよい。
しかし儂は浅野内匠頭に強欲爺と怖れられたほどの者、只ではくれてやれぬ。命を懸けて取りに来い。」
「赤穂藩家老、大石内蔵助良雄と申す。吉良様に恨みは無けれど亡き殿の御遺言に従い討たせて頂く。」
打刀を中段に構える内蔵助に対し、上野介は大太刀をこれでもかとばかりに大上段に振り上げた。大太刀の切っ先が天を突いた瞬間、上野介は防御も捨てて突進する。
意表を突いた捨て身の突貫に数瞬呆けた大石は慌てて打刀を持ち上げ、頭頂目がけ振り降ろされる大太刀を受け止めるべく守りに入った。
きん、と甲高い音が二つ鳴った。上野介の体重と全身全霊の生命力を乗せて振り下ろされた大太刀は打刀を砕き、篝火に反射した鉄片が鈍い輝きを放ちながら舞い落ちる。
内蔵助の鉢金は真っ二つに割れ、額からは鮮血があふれだす。大太刀は肩口を切り裂きながら手甲を削って止まっていた。
上野介がす、と太刀の握りを引くと太刀は中ごろから折れていた。弾け飛んだ切っ先は土蔵の壁に深々と突き立っている。
「ふん、太刀が兜で折れて生き残りおったか。だが儂と似た傷を負うとはざまあ無いのう。
誰ぞ、儂の鎧を解け。これ以上は重くて体がもたぬ。このいくさ、其方にはまだ脇差もあろう。武器も折れ気根も尽きた儂の負けである。
死出の旅への支度をするゆえ首を斬って持ってゆくがよい。時に、内蔵助よ、儂がかち割ったその兜、いくさも知らぬ愚息への自慢にするゆえ譲っては貰えぬか。」
そう言うだけ言うと、小姓にさっさと鎧を解かせ白装束を羽織り床几にかけた。
「さあ、持ってゆくがよい。儂は罪人では無い故こうべは垂れぬぞ。」
強い眼力で睨み付ける様にこちらを見る上野介に、がたがたと震える手で脇差を抜いた内蔵助は、額から流れ出た血が左目を塗りつぶし、親に叱られた幼子のように委縮して誰かの救いを求めていた。
「内蔵助よ、所詮此の世は白昼夢のようなもの。生きるも死ぬも誰かの書いた物語のように進み、抗うことさえ意味を為さぬのかも知れぬ。
しかし儂は決められた結末に抗った。誇り無く罪人のように斬り倒される未来がどうだ、太平の世にありながらもののふとして戦い、命を懸けて雌雄を決した男の手で逝く事が出来る。
たとえ何度生をやり直す事が出来ようと、これ以上の結末などあるまい。
内蔵助、いつまでも震えておらず斬れ。儂を斬り浅野の墓前に白髪首を供えて見せろ。」
残り僅かな胆力をもって手の震えを止めた内蔵助は、御免とつぶやき脇差を横に振るった。上野介の顔は死して尚不敵な笑みを湛えていたという。
その後の話である。
泉岳寺の浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供えた赤穂の遺臣達であったが、吉良邸に討ち入りを知らせた瀬尾孫左衛門と御役目についての書を遣り取りした寺坂吉右衛門はいつの間にか消えていた。
侍に嫌気が差したため赤穂に帰って刀を捨て、帰農したとも言われているが定かではない。
大石内蔵助、堀部安兵衛は吉良の首供養を住職に頼むと墓前で詫びながら腹を切った。忠臣たるその遺骸は主君浅野内匠頭の傍に葬られたという。
仇討ちを成功させたと幕府に届け出た守富助右衛門らであったが、浪士らは毛利家、水野家などの大名預かりとなり幕府の協議が終わるまで罪人として扱われた。
幕府は浪士の仇討ちを認めず、徒党を組んで押し込みを働いたとして武士の体面も無く斬首を言い渡された。彼らの遺児達も伊豆大島への遠島を申し付けられ、宝永三年に大赦令が出るまで伊豆大島に流された。
浅野家の改易後、赤穂藩は永井直敬が引き継いだが、吉良上野介の遺言により、浅野家の遺臣の討ち入りに参加しなかった家臣家のうち希望する者は仕官を許された。赤穂藩で負い切れぬ者は仙台や加賀などに引き取られ、家名を繋いだ。
吉良上野介の考案した流下塩田であったが1972年にイオン交換膜法が導入されるまでの間、かん水を持ち上げる足踏みの人力水車がネーデルランドから図面を取り寄せた風車に変わり、機械化されポンプに変わり、日本の製塩を長く支える礎となった。
庶民の間でも塩が安価に入手できるようになった事による経済への影響はさほど大きくなかったが、製塩と共に吉良上野介の名が広く世に知れ渡り、土蔵の前で吉良と共に殉じた忠臣二人、浅野に殉じた忠臣二人の物語も含めて『忠臣蔵』として後の世で長く親しまれたという。
※なんだよー、みんなして適当言ってー。ノークレーム・ノーリターンじゃんかよー。