私のエッセイ~第五十弾:三島由紀夫VS東大全共闘 (※)追加情報が、最後にあります。
こんばんは!お元気ですか・・・?
今宵は、また三島さん関連の話で申し訳ないのですが・・・三島さんと東大全共闘との対談の様子を、文章でお届けします。
これは、十数年前にYouTubeに上がっていた動画から、当時の東大生の皆さんや三島さんがしゃべった内容を、できるだけ一字一句正確に、私が逐一、ノートに書き取り、それをまとめたものです。
なぜ、このような面倒なことをやったかといいますと・・・東大生の「ハチャメチャな」理論を分析し、どこが論理的に「破綻」しているのかをじっくりと味わってみたいなぁ・・・なんていう、くだらん動機からでした(苦笑)。
おそらく、ぼーっとして聞いている方は、「さすが、東大生! あっしにゃー、まるで理解できないッ! ブラボー、秀才軍団!!」なんて、手放しで賞賛するんでしょうけど・・・この「なろうサイト」の賢明な皆様には、そんな線香花火のようなパフォーマンスなんて、もちろん通じませんよね(笑)。
あまりにも、論理破綻の度合いが大きすぎて、皆さんもあきれると思いますよ。
文章にしてみますと、さらにそれがはっきりしますので、面白いです。
以下の文章は、三島由紀夫さんが、1969年5月13日に、東京大学の「900番教室」という巨大講堂で、「東大全共闘」と対談した様子を、文章で再現したものです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
三島さん:「・・・わたくしは、安心してる人間が嫌いなんで、実はこんなところで、私が無事にこんなことをしていられる状況はあんまり好きじゃない。(会場の笑い声)仄聞するところによりますと、これは、なんか100円以上のカンパを出して集まってるそうですが・・・私は、図らずも諸君のカンパの資金集めに協力していることになる。(会場爆笑)私は、こういう政治的状況は、好きじゃない。できれば、そのカンパの半分をもらって、私の『楯の会』の資金にしたい。(会場の笑い声)」
三島さん:「わたくしは、つい最近も、ある自民党の政治家の先生から頼まれて、『暴力反対決議』ってのをやるから、署名をしてくれ、と。(会場笑う)わたくしは、生まれてから一度も暴力に反対したことはないから、署名は出来ませんと言った。(会場笑う)ただ、わたくしは、今まで、どうしても日本の知識人というものが、思想というものにチカラがあって、知識というものにチカラがあって、それだけで人間の世に君臨してるっていう形が、嫌いで嫌いでたまらなかった。これは具体的に例を挙げれば、いろんな一般の先生方がいるんで、そういう先生方の顔を見るのが、あたしは嫌でたまらなかった。」
三島さん:「これまでの、諸君がやったことの全部は肯定しないけれども、ある日本の大正常用主義から来た、知識人のうぬぼれの鼻というものを叩き折ったという功績は、絶対に認めます。(会場拍手)」
木村さん(全共闘A):「残念ながら、僕らの方の提起するところの『暴力』というものは、単にそうした、感覚的な原点だけに頼っているのではない、ということなんです。つまり、それはたしかにさっき、『戦後知識人』の問題として、三島先生がその・・・三島さんが、あのう、ここで『先生』という言葉を思わず使っちゃったんですが(会場爆笑)、しかしながら、この東大にウロウロしている教師よりは、まだ三島さんの方が、僕は『先生』と呼ぶに値するだろうと・・・それで僕が使ったってことを、評価していただきたい。しかしながら、まだこれだけでは、三島さんと僕らの対決姿勢というものは、出てこない。それはおそらく、『他人』というものを介在することによって出てくるだろう、と思うのです。つまりですね・・・自己が一方的に『暴力』を提起する。つまり、たとえそれが知性の極限下において『暴力』を提起するとしても、いずれ僕らは『ゲバ棒』の中で、そういう問題を持っているわけですね。つまり、ゲバ棒を持って、相手の頭に振り下ろす、そのときに相手の目なり顔なり見たときに、どういう感情が自己に起こるか・・・」
全共闘Bの学生:「僕たちが直接的な手段を否定する際の、こう・・・いわば『妨害物』になるところの、『ブルジョワジー』あるいは、『反動』といわれるものたちとは、断固戦っていかなきゃならない、そういうふうに考えるわけであります。」
芥さん(全共闘C):「・・・だから、自然っていうものは分かんねぇんだよ、ぜんぜん。」
三島さん:「・・・あ、誰が分からん? 君のは、日本語でね、『主格』が省略されて、いい日本語なんだけども、誰が分からんっつってんの・・・?」
芥さん:「日本が無ければ、存在しない人間。」
三島さん:「そりゃ、僕だ。」
芥さん:「・・・ですか。」
(会場大爆笑)
芥さん:「ところが、僕の祖先は日本の中にも見つからんし、どこにも見つからん。」
三島さん:「あ、そう。」
芥さん:「・・・期せずしていたら、僕が『違法人』になっていたんじゃなくて、周りが違法になっていたわけだから。」
三島さん:「なるほど。」
芥さん:「それで、すんなり、21世紀に入っちゃうわけですよね、われわれは。」
三島さん:「なるほどね。」
全共闘D(後年、自殺):「(芥さんに向かって)そういうふうにね、無規定に関係ということを捨象してね、そのー、論を立てたところで、関連界のお遊びなんだよ。つまりね、そのー、人間がね、人間が、他者がいるってことは事実なのさ。それに対して、自分がどんな論を立てるかってことは、それは君の勝手だよ。」
聴衆の一人:「バカヤロー、『関係』なんてのは、一番、卑猥なんだよ!」
芥さん:「(そいつに向かって)関係立てたとこから、それを逆転すんのが『革命』じゃねえのか、バカヤロー!!」
全共闘D:「(芥さんに向かって)違うよ。」
芥さん:「あー?」
全共闘D:「だからなあ、現実的ななあ、実際的社会的『ヒショカンケン(←意味不明)』ってものがまず先行する。で、それに対して、意識においてどのような転換をするかっていうことが問題になるわけじゃないか。そこで、おめーさんはな、他人の『空間的並存』ってことを捨象して、問題を立てているだけにすぎねえじゃないか。そういうことを言ってるとなぁ、東大全共闘の名が廃れるぜ。東大全共闘ってのは、違う!!」
(会場大爆笑)
芥さん:「(タバコを吸いながら、三島さんに向かって) あなたは、だから、日本人であるということの限界を超えることはできなくなってしまうということでしょう?」
三島さん:「ああ。できなくていいんだよ。」
芥さん:「あ、いいんですか?」
三島さん:「うん。僕はね、日本人であって、日本人として生まれて、日本人で死んで、それでいいんだ。その限界をぜんぜん僕は、抜けたいと思わない。僕自身。だからまぁ、あなたから見りゃあ、かわいそうだと思うだろうが・・・」
芥さん:「思いますけどね、僕は。」
三島さん:「しかしやっぱり僕は、日本人である以上の、日本人以外のものでありたいとは思わない。」
芥さん:「しかし、日本、日本人というのは、どこに『事物』としてあるわけですか・・・?」
三島さん:「事物としてはね、外国へ行きゃあ分かりますよ。あなた、どんなにね、英語しゃべってると、自分が日本人じゃないような気がするんだ、多少うまくなると。そしてね、道を歩いててね、ショーウインドウにね、姿が映ると、このとおり、『胴長』でね、そして鼻をそう高くないし。『あ、日本人が歩いてるぞ、誰だろう・・・?』って思ったら、テメーなんだな。(会場笑う)これは、どうしても、外国行くと痛感するんだ。」
芥さん:「しかし、人間すら、『事物』にまで行かない限り・・・無理ですよ。」
三島さん:「あぁ、そのー、国籍を脱却することは。」
芥さん:「脱却と言うより、むしろ最初から『国籍』はないんであって・・・。」
三島さん:「ああ。あなたは、国籍がないわけだろう? で、あなたは『自由人』として僕は尊敬する、それでいいよね? だけども僕はだね、国籍を持って、自分が日本人であることを、自分ではのけられないんだよ。これは僕は、自分の宿命であると信じている。」
芥さん:「それは一種の『関係付け』でやられてるわけですよね。」
三島さん:「そうそうそう。」
芥さん:「だから当然、歴史にも、やられちゃうわけだし。」
三島さん:「ああ。やられちゃうっていうか、つまり、歴史に『やられたい』。」
芥さん:「そういうことに?」
三島さん:「そういうことに、喜びを感じる。」
芥さん:「幻想の中で?」
三島さん:「ああ。幻想の中で。」
芥さん:「(半笑いで)だから、『人殺し』になったときから、動きだすってわけでしょう。実際、動くかどうかは、分からないけれども。」
三島さん:「そう。分からんけれどもね。そういうふうな、つまり、精神構造になってしまうんだな。」
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上記の動画を後年見せられて、芥さんは次のようなコメントをしています。当時、芥さんは、「演出家・俳優」と紹介されておられましたね。当時、42歳でした。
「もしね・・・だから、三島が、ずっと生きてたとしたら、まぁ、精神病院の中で脳軟化症かなんかになって、完全に『自殺防止装置』がついた中でね・・・いるだろう、と。まず最初に感じたのは、それだな。ま、かなり『感情』の部分ね。『愛』というより、『感情』なんだろうなぁ・・・。そこでは、かーなり、やっぱりなんていうのかなぁ、頼みもしない意味を、そこへ、たえず持ってきた、ような気がするね。特に彼が・・・一応、『自決』を決めてからね。」
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小阪さん(全共闘E):「三島にとっての『天皇』と、我々にとっての『国家』と、ま、そのへんの関係から話していって・・・少し何か見つかると思うんです。」
三島さん:「わたくしが今、天皇、天皇と言うのは、今まさに『表札』されたように、今の天皇は、非常に、わたくしが考える天皇でいらっしゃらないからこそ、言える。(会場爆笑)そしてこの、あたくしの考える天皇にしたいからこそ、あたくしは言ってるわけで。ところが・・・天皇というのは、それほど堂々たる『ブルジョワ』ではないんだ。もし天皇が、このだらけきってるような『堂々たるブルジョワ』であったなら、革命というものは、もっと容易であった。それでないからこそ、革命は難しいんじゃないか。そして、その難しさの中でだね・・・諸君は闘い、僕だって闘っているんだ、それはね、日本の民衆の底辺にあるものなんだよ。それを『天皇』と呼んでいいのかは分からない。たまたま、僕はそこに『天皇』という名前を与えるわけだ。それをキャッチしなければだね、諸君も成功しないし、僕も成功しない。」
三島さん:「・・・そんなこと言うと僕はね、もう、揚げ足取られるから言いたくはないんだけどね・・・ひとつ、個人的な感想を聞いてください。というのはだね、僕らはつまり、戦争中に生まれた人間でね、こういうとこに陛下が立ってて、ま、座っておられたんだが、3時間、ぜんぜん微動もしない姿を見てる。とにかく、3時間、ぜんぜん『木像』のごとく、微動もしない、卒業式で。で、その天皇から、私は時計をもらった。そういうね、つまり個人的な『恩顧』があるんだな。・・・こんなこと、言いたくないよ、おれは。(会場爆笑)言いたくないけれどもだね、人間の個人的な歴史の中で、そういうことがあるんだ。そして、どうしても否定できないんだ、おれの中でね。そりゃあ、とても立派だった。」
三島さん:「・・・もう、ここまで来たらだね。えー、これはね、あなたがたに『論理的』に負けたってことを意味しない。つまりね、『天皇、天皇』と言ってだね、諸君が一言いってくれれば、おれは喜んで諸君と手をつなぐのに、言ってくれないからいつまでもね、『殺す、殺す』って言ってるだけのことさ。そういうことさ。(会場爆笑)」
三島さん:「『天皇』っていうことを口にするのもけがらわしかったならば、この2時間のシンポジウムの間に、あんなに大勢の人間が、たとえ悪口にしろ『天皇』なんて、たくさん言ったはずがない。『言葉』は・・・『言葉』を選んで、翼を持って、この部屋の中を飛び回ったんです。この『言霊』が、どっかに、どんなふうに残るかは知りませんけれども、その『言葉』を、『言霊』を、わたくしは、とにかくここに残して、ここを去っていくんで・・・これも、『問題提起』にすぎない。わたくしは、諸君の『熱情』は信じます。・・・これだけは、信じます。他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるってことを、残したい。」
三島さん、会場の全員に一礼し、ゆっくりと会場をあとにします。
あとには、鳴り響く拍手の嵐でした。
とにかく、一本筋の通った三島さんのカッコよさばかりが光っていたような気がするんですが、いかがだったでしょうか・・・?
長くなりましたが・・・こういったエッセイも、たまには、いいんじゃないでしょうか(笑)では・・・。 m(_ _)m
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(※) 追加情報です。
一見すると、ハチャメチャな理論を展開していたかに見える「芥さん」ですが・・・実は、三島さんとの対談の最後の方で、ゾッとするような「予言」を一言残していました。それが、これです。
芥さん:「(半笑いで)だから、『人殺し』になったときから、動きだすってわけでしょう。実際、動くかどうかは、分からないけれども。」
まるで、三島さんが翌年の同じ頃に、自衛隊の市ヶ谷駐屯地にて総監を人質に取り、割腹自決する場面を予見していたかのような発言じゃないですか・・・!
「動く」「動かない」というのは、もちろん、三島さんが「決起」を呼びかけた自衛隊のことに他なりませんもんね。
私ね、さんざん芥さんのことをボロカスに批判してきましたが・・「東大随一の論客」という異名は、やはりダテじゃなかったんだなぁって、あらためて見直しましたよ。 m(_ _)m




