七
神たち――と、ひとまずは呼ぶことにする――は大きくはふたつの派閥に分かれている。派閥の名称は神の固有語で名付けられているため人間の言葉に翻訳するのが難しいが、無理矢理に訳せばそれぞれ「萌葱」と「黒鼠」というあたりだろうか。つまり色のイメージが派閥名を表している。
比売神様は「萌葱」派閥に属しているが元来そういう政治的な駆け引きに興味はなく、人間の営みを観察したり、ときには人間と交流したりすることに関心を持っていた。このようなスタンスは神の間では特別なことではない。神は世界の仕組みに多少の干渉をすることはできても争いごとに使えるような大きな攻撃力を持つわけではなく、基本的には地球上では人間などと共存して生きている。その共存相手に興味を持つのは自然なことだ。
さて様々な背景があるのだが、この二派閥は最近になって強く対立するようになってきた。その過程で「黒鼠」派閥は徐々に先鋭化するようになった。すると、世界の構造に干渉することで自らの派閥にとって有利な状況を作り出そうとする強硬な意見が力を増し、世界に干渉可能な歪みが生じるたびにそこで小競り合いが起こるようになった。ただ、さきにも言った通り、神は大した攻撃力を持たない。自らが直接戦闘に加わるのではなく、人間に情報と戦略を提供することで歴史を改変しようというのだ。そしてその可能性をちらつかせながら「萌葱」派閥に圧力をかけ交渉を有利に進めようという狙いもある。この世界を破壊されたくなければ言うことをきけ、という脅しである。
「神の世界も人の世界も同じようなものですな」吹負がぽつりと言った。「大友皇子様も、わが大海人皇子様も、お互いに憎んでいたわけではないのです。わずかな不信が対立になり、追い込まれてはついに戦になる……」
このたびの壬申の乱が対立の舞台になったのは偶然にすぎない。たまたま颯太と吹負がトリガーの役割を果たして両者の時空が接することで通路が開いてしまった。「黒鼠」は通路の存在にいち早く気づき、それを使って過去へ飛び、歴史改変の準備を始めた。それに対して「萌葱」はひそかに事態を察知し、時空通路を発生させたトリガーである颯太と吹負を特定し、「黒鼠」の接触を断つとともに近隣に新たな時空通路を開いて対抗策を構築してきた。この任に当たったのがこのあたりをテリトリーとする比売神様である。
「黒鼠」の一員として過去に移動し改変工作を行っているのは稲荷神、すなわち現代では「お稲荷さん」として崇められる神である。彼らの戦略は次のようなものだ。
まず現実の歴史においては、乃楽山の戦いで大伴吹負の軍は近江(大友皇子)方の将、大野果安によって打ち負かされたものの、吹負や多くの臣は命を保ち、東の伊賀方面へと敗走した。一方、吹負の奮戦が目に焼き付いていた大野果安は敵の反攻を恐れて進軍速度を上げられなかった。
伊賀まで落ち延びた吹負はここで本隊から送られてきた援軍と合流する。将はかねてからの知人である置始菟(変わった名だが古代では動物の名を付けること自体はおかしなことではないらしい)。援軍を得た吹負は勢いを盛り返し、反転攻勢に出る。近江方を次々に打ち破り、ついには大和の制圧を完了する。これにより吉野(大海人皇子)方は士気が上がり各地で戦果を積み重ねていく一方、近江方は拠点を確保できなかったばかりか人的な損害が多く、結局その後は劣勢を覆すことなく敗北へ向かうことになる。
さてこれで我々が置かれている状況の重大さがわかるだろう。もしこの戦いの流れを変えるとすると目をつけるのはここ乃楽山での戦いである。吹負を伊賀まで逃してはいけない。捕らえるか殺して援軍との連絡を断つべきだ。吉野方の有力な将である吹負が死ねば士気も下がる。歴史を既に知っている稲荷神は大野果安に勧めるはずだ。当初の予定よりできる限り多くの人数を使い、完全に包囲した上で押し潰せ、と。