表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/29

二十三

 しばらく時間が経過した。比売神様も僕も何を話すでもなく、堂内は静寂だけがあった。僕は仏像が動くのを想像するのはやめていた。この静かな空間で、仏像が厳かに存在している、その事実のほうが、仏像が動くことよりもよほど意味があるような気がする。目に見えないパワー。言葉にしにくいけれど、なんとなくそんな感じなのである。いやいや、非科学的な。

「来たか」

 ぽつりと比売神様がつぶやいた。はじめ、僕は何のことかわからなかった。相変わらずあたりは静まり返り、比売神様の小さなつぶやきすら唐突に感じられた。外を見ても変化はない。

「何がです?」

 と僕は尋ねた。

「おそらく高市麻呂だ。人の声や足音が聞こえる」

 僕にはまったく聞こえなかったが、比売神様は四次元存在だから耳がいいのかもしれない。しばらくすると僕の耳にもかすかに人の声が聞こえてきた。五重塔の向こう、三条通りのほうからだ。

 やがて、三条通りから境内へひとりの兵が駆け込んできた。

「比売神様! いらっしゃいますか!」

 比売神様は賽銭箱から立ち上がって答えた。

「こっちだ」

「よかった、ご無事で!」

 駆け寄ってきた兵の顔を見ると、黒猪だった。ずっと走ってきた様子でかなり荒い息をしている。

「敵はかなりの数で押し寄せてきています。高市麻呂が上手く指揮しているので幸い死人は出ていませんが押される一方で……いやそれどころかほとんど逃げるしかないような状況です」

 黒猪はときおり苦しそうに呼吸を挟みながら喋った。

「ここでは開けすぎているかもしれません。なにしろ数の差が大きいですからできれば身を隠しながら戦えるような場所がよろしいかと思います。特に木造の建物は……」

 黒猪がそこまで話したところで、二十人ばかりの兵がなだれ込んできた。黒猪が叫ぶ。

「こっちだ!」

 その中には高市麻呂もいた。高市麻呂が何か指示すると、三人の兵が五重塔の背後に身を隠して矢を構えた。その後にさらに十人ほどが続いてやってきて、三条通りからの入口付近に身を潜ませて応戦している。

 と、そのとき、三条通りの上にオレンジ色の光が一閃した。どんよりとした暗い曇り空が一瞬燃えたように見えた。

「火矢か」

 比売神様が言う。

 油を染み込ませた布を取り付けた矢だ。木造の建物が火矢で攻撃を受けると火災が発生して防御施設としての用をなさなくなる。

「黒猪、言いかけていたのはこれか」

「そうです。この建物だと防げません!」

 また火矢が通りの向こうから放たれ、今度は五重塔の上層に突き刺さった。さっきよりも近い位置から射られたように見える。敵は近づいている。

「東金堂に籠城するのは辞めだ。後ろの国宝館に移る。あっちはコンクリートの耐火建築だ。颯太、いいか?」

「はい」

「黒猪、高市麻呂に知らせてくれ。北隣の建物だ。あっちは燃えない」

「承知!」

「走るぞ」

 比売神様が言うのと同時に僕は走り出した。背後で矢羽の音が連続し、どよめきが起こったのも聞こえたが、振り向かなかった。

 興福寺国宝館はその名の通り興福寺が所蔵する仏像や経典など貴重な文化財を収めた建物だ。外観は奈良時代の食堂(じきどう)を再現したものだが、文化財を保護するため鉄筋コンクリートの耐火建築になっている。

 僕たちは国宝館に駆け込んだ。中は暗く、ほとんど何も見えない。

「灯りをつけよう。スイッチをイメージしてくれ」

 僕はスイッチを想像する。するやいなや、そのイメージのスイッチがパチンと動き、照明が灯った。

「良い感じだ」

 比売神様が奥へ進んでいくので、僕も続く。通路に沿って国宝や重要文化財などたくさんの仏像が並んでいる。大きな千手観音像は東金堂の薬師如来と同じく厳かに佇んでいる。異形の八部衆像はそれぞれに独特の存在感を放つ。特に有名は阿修羅(あしゅら)像は、三面六臂(ろっぴ)の異形ながら、その表情は憂いを帯びて物哀しい。

 ふと、この像なら動くかもしれないという考えが浮かんだ。

「試しにやってみてもいいですか?」

 と僕は言った。すると比売神様はうなずいた。

「ちょうどそれを考えていた。動かせそうなイメージのものはあるか?」

「明確な感じではないですけど、阿修羅像とかは動いてもおかしくないかなと思います」

「よし、やってみよう」

 阿修羅像は興福寺の像の中でも特に有名なものだ。元々はインドの太陽神だったものが、仏教に取り入れられて守護神となった。三つの顔と六本の腕を持ち、興福寺のこの像は憂いを帯びた表情で有名だが、本来は怒りや戦いの神だ。

 僕は目を閉じて阿修羅が歩くところを想像してみた。六本の腕をどのように動かすか迷ったが左右の三本ずつをまとめて同じ動きにしてみた。すると、想像の中の阿修羅像が奇妙な動きをし始める。まるで踊りのようでも、拳法のようでもある。あるいは操り人形か。そう思ったとき、操り人形の紐がぐっと引っ張られた気がした。

「よし、掴んだ」

 比売神様の声に目を開いてみると、阿修羅像は実際に動いていた。僕の想像の中と同じく奇妙な踊りを踊っている。それから、右の三本の手と右の三本の手を交互に動かし、脚を開いて力士のすり足のように歩き始めた。さらには腹ばいになり、六本の腕と二本の足を使い蜘蛛のように歩く。正直なところを言うと気味が悪い。

「これ、大丈夫ですか?」

「危害を加えてくる意思は感じられないが……やはり掴みどころがないな……」

 僕たちが見ている前で、腹ばいの阿修羅像は室内をひとしきり歩き回り、やがて電池が切れたおもちゃみたいに動かなくなった。

「駄目か……今はこれが限界だ。いいところまで行ったんだがな。しかし私の力には余裕があるから、トリガーの側の問題のようではある」

 つまり僕にはまだ改善の余地があるというわけか。とはいえ、どうしたらいいのかはわからない。イメージを比売神様が掴みやすくする方法とは。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ