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二十二

 やがて食べ終わり、食器を下げ、一息ついたときだった。駅前に動きがあった。

 熊さんが僕たちから見える場所へ走り出てきて、腕をぐるぐると回している。事前に決めていた「敵が来た」の合図だ。このサイゼが戦闘に巻き込まれるおそれあり。ついに、か。僕は心臓の鼓動が速くなるのを感じた。

 比売神様が身振りで「こっちに来い」を伝える。それに気づいた熊さんが道の向こうの黒猪に合図を出し、二人ともこちらに向かって走ってくる。

「颯太、形は何でもいいからスイッチのイメージを思い浮かべてくれ」

「はい」

 僕はどこにでもありそうな白い四角いスイッチを思い浮かべた。するとスイッチがパチンと音を立てて反対側に切り替わるイメージが頭に浮かび、同時に店内の灯りが消えた。

「おお?」

 まるで脳をハックされたかのような不思議な感触。

「なにかしました?」

 比売神様はうなずく。

「君をトリガーにして時空の隙間に働きかける方法をいろいろ試してきたが、わりとスマートにできるようになってきた。君の叔父さんの家でもそうだったように、あらかじめ君が明確なイメージを持つと私が操作しやすくなるようだ。ここからの行動で役に立ちそうだから、覚えておいてくれ」

 そこへ熊さん、次いで黒猪がやってくる。

「比売神様、敵、来ましたよ。地下からです! いや敵が来ただけなら比売神様の言ったとおりなんですが、五十人くらいいます。近鉄電車に乗って一気にウワーッて! もうちょっとしたら改札から出てきますよ!」

「近鉄から……」

 比売神様は少し渋い表情を浮かべた。

「颯太、飛鳥時代人を少し馬鹿にしていたかもしれないな。彼らが電車の乗り方に気づくとは考えなかった。徒歩ならせいぜい十人に満たないくらいだと思っていたが、電車ならもっと大勢送り込める」

「このままだと俺たちは敵中に孤立することになります。かなり危険な状況かと」

 と、熊さん。

 比売神様はうなずく。

「早くここを出よう。それと問題は……」

「隊長と高市麻呂の隊ですね。駅から出た敵が南北へ向かうと挟み撃ちになる……」

 と言ったのは黒猪だ。

「そのとおりだ」

 比売神様がそれを引き継ぐ。

「作戦変更だ。吹負と高市麻呂には急ぎ撤収を指示しよう」

 そして地図をテーブルの上に広げる。

「吹負は東へ。奈良女(ならじょ)の南を通って奈良県庁へ後退する。高市麻呂は三条通りを東へ退却し、興福寺(こうふくじ)まで引く。いずれも近鉄奈良駅を避けて東へ行き、敵を西に見る形を取る。これで少なくとも挟まれるのは避けられる」

「なるほど」

 熊さんがうなずく。

「では急ぎ連絡が必要ですな。俺と黒猪が行きます」

「頼む。私と颯太は東向(ひがしむき)商店街を通って興福寺へ行き、そこで高市麻呂の隊を待つ」

「了解しました。俺は駅ビルを出たところまでは先導します。黒猪は?」

「東向商店街の途中まで一緒に行きます」

「よし、それでいこう」

 四人はすぐさま行動に移った。熊さんと黒猪を前にして階段を降り、駅ビルから出た。

 外に人の気配はなかった。まだ敵は地下から出てきていないようだ。

「では、俺はこれで」

 はじめに熊さんが別れ、昼にピザを食べた駅西側の交差点へ走っていく。

 残った三人は噴水の脇を抜け、東向商店街のアーケードに駆け込んだ。

「そのまま走るぞ」

 ひとけのない商店街を走る。灯りはついているにもかかわらず、廃墟のように静まり返っている。そのうちに行こうと思っていた柿の葉すしの店も、数日前にうどんを食べた食堂も、一休みで入ったミスドも、すべてひとけはない。

 アーケードの途中にある交差点の手前で先頭の黒猪が言った。

「では、私はこのまま三条通りへ出ます」

 左右に細い道が出ている十字路だ。ぱっと見ただけでは商店街の路地のようだが、左へ曲がれば興福寺へ行く抜け道である。

「よろしく頼む」

 比売神様が答えると、黒猪はうなずき、まっすぐ三条通りへと走っていく。

 僕と比売神様は十字路を左へ曲がり、ゆるやかな坂道を走った。上りきったところが興福寺境内である。左手には北円堂(ほくえんどう)がある。進行方向の正面には最近再建された、赤く大きな中金堂。

「どこか建物に入りますか?」

 走りながら僕は尋ねた。走るだけでも精一杯で、この短い質問をするのはほとんど限界に近い。

東金堂(とうこんどう)へ行こう。西側が開けているから高市麻呂や敵が来ても見つけやすい」

 東金堂。興福寺の主要な建物のひとつで、それ自体が国宝でもある。内部に安置されている仏像も国宝や重要文化財ばかりだ。

 中金堂の前面にあるだだっ広い広場を抜け、僕は回廊跡の礎石に躓いて転びそうになりながらもなんとか立て直し、拝観受付も素通りし、東金堂へ駆け込んだ。

 僕はその場にへたり込み、ぜいぜいと呼吸する。それに対して比売神様は涼しい顔だ。走って乱れたスカートの裾を直している。

 堂内は古い木の匂い、それからお香がかすかに漂い、薄暗く、本尊の薬師如来(やくしにょらい)脇侍(わきじ)の日光・月光(がっこう)菩薩の光背が金色に鈍く光り、暗がりに姿を浮かび上がらせている。他に人のいない静かな空間では、まるで仏像たちが本当にそこに生きているかのように重い存在感を放っている。いっぽうで鋭い視線に監視されているかのようでなんだか落ち着かない感じもする。

「ここで待ちますか?」

「そうしよう。高市麻呂と合流して態勢を立て直したい。興福寺はあまり防御向きの建物がないから、攻撃を受けると面倒だが……」

 比売神様は周囲を見回す。

「それまでになにか使えそうなもの探して準備しておきたいな。時空の隙間に干渉して敵の攻撃を防ぐようなものを」

「あ、サイゼのスイッチみたいにして操作する感じですか」

「そうだ。君が動作をイメージできると良い」

 僕も堂内を見回してみる。が、目につくのは仏像くらいのものである。

「仏像を歩かせて敵を殴るとかは?」

 これはもう、適当な思いつきだ。

「できればかなり強そうだ。ただし、そんなチート技が簡単に出せるとも思わないが」

 と比売神様は言った。

「だが何ごともやってみてから結論を出すべきだな。イメージできるか?」

「ええと、そうですね……」

 とりあえず、一番ボスっぽさのある本尊薬師如来で試してみることにした。この大きな像が立ち上がって歩くところを想像した。それ自体はまあ、普通にできることだ。

「どうですか?」

 と、僕は尋ねた。比売神様は腕を宙にさまよわせ、難しそうな顔で「うーん」と唸った。

「動かない」

「やっぱりだめですか」

「イメージに取っ掛かりがない。つるっとしていて操作できないんだ。それでもスイッチくらいの大きさなら普通に手に取ることができるが、このサイズの仏像だとなんというかこう、重い」

 比売神様は両手をろくろを回すような形にして説明した。要は大きなものは動かせないということのようだ。

「イメージにざらつきがあれば多少は操作できそうなのだが」

「それはどうすれば?」

「わからない」

 比売神様は敷居をまたぎ、東金堂の外に出て、賽銭箱の角に腰を下ろした。

「考えてみてくれ」

 僕は堂内に放置されていた折りたたみ椅子に座って仏像を見上げた。イメージの中で歩かせたり、走らせたり、パンチを繰り出したりするのを想像した。想像するだけなら簡単だ。しかしざらつきというのがどういうものかはわからなかった。

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