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二十一

 僕はトレイを持って駅前で見張り中の黒猪(クロイ)のところへ行った。熊さんは姿が見えないことからすると、交代で地下を見張っているようだ。

「あっちで食べましょう」

 と、黒猪は言った。見張り一人では万が一の見逃しがあってはまずいということで、駅前から少し西へ行ったところの交差点で歩道の柵に座って食べることになった。ここは東西方向の大宮通りと南北方向のやすらぎの道が交差しており、東西南北を見通せる。

「高市麻呂さんのほうはどうでしょうか」

「あのとおりです。さっきから応戦中ですが大きな動きはありません」

 黒猪は簡単に言うが、目のいい古代人とあまり目の良くない僕とでは見え方は違う。僕にはJRの高架上に米粒のような人影らしきものがかろうじて見えているに過ぎない。あれが高市麻呂の隊なのだろう。そしておそらく、あの高架橋の向こう側には敵の本隊がいる。突破されれば僕たちも戦場に巻き込まれることになる。

「このピザっていうのは」

 と、黒猪がビザをくわえてチーズを長く引っ張りながら言った。間の抜けた格好だが視線は鋭く遠くを見ている。

「私は好きなんですよ。昨晩も食べました。特に上にのってるこのとろっとしたやつが良いんです。これだけでご飯何杯でもいけそうです。私たちの時代に持っていけるならおふくろにも食わせてやりたいと思いますよ」

 そんなことを喋りながらあっという間に食べてしまう。

「ご実家はどちらですか」

 と、僕は尋ねてみた。

 黒猪はコーラを一気に飲んでから答えた。

「美濃の片田舎ですよ。父は病で死に、いまは弟が跡を継いで嫁とおふくろと一緒に田んぼをやっています。本当は私が継ぐつもりでいたんですが、村の税を飛鳥京(あすかのみやこ)へ運んでいたときに隊長に声をかけられて、それ以来宮仕えをやっています。たしか、そうだ、『お前は見た目の割に足腰が強い』とかそんな理由だったと思います。まあ、私だけじゃなくて田んぼをやってたらみんな足腰は強くなりますね」

 そう言って黒猪は笑った。

「田舎で田んぼをやるよりも得るものは多いですからね、たまに仕送りをするとおふくろが喜んでくれます。それに、おふくろにしてみれば仕送り以上に息子が宮仕えしているのが自慢のようです。普通は氏名(ウジナ)も持たないような人間は下働きができればいいところなのに、大伴連(おおとものむらじ)三輪君(みわのきみ)なんていう人たちと対等に働けるんですから」

「黒猪さん以外にも田舎から来た人はいるんですか?」

「この隊だと熊さんと……あと昨日の敵中突破で死んだ馬万呂(うままろ)というのがいました。皇子様(みこさま)の供回りにはもう少しいますよ。吉野の山奥では人手もなかったんで、家柄に関係なく体力のある志願者を何人も採ったんです」

 黒猪は皿を置き、立ち上がる。

「さて、その熊さんと交代しましょう。せっかくなら温かいうちに食べたほうがいいでしょうし」

 黒猪はすぐに地下へ行くかと思いきや、立ち止まった。どうかしたのかと思い、僕はピザをかじりながら黒猪を見た。JRの高架橋のほうを凝視している。

「どうしました?」

「動きがある……」

 僕には何も動きは見えなかった。人影は同じようにそこにあるような気がした。空はどんよりと薄暗い。相変わらず時が止まってしまったかのようだと僕は思う。

 しかし、しばらくすると高架上の人影が左へ動いていくのが見えた。

「矢か?」

 黒猪が言う。僕は目を凝らすがわからない。

「見えませんか?」

「すみません、見えません」

「左右に矢が飛び交っています。敵が右から来ているのかもしれない。とすると比売神様が言ったとおり、石橋の上をたどってきていることになります」

 しばらくすると高市麻呂隊は左へ姿を消し、右から敵と思われる数人の人影が出てきた。

「敵の数はあまり多くなさそうですね。高市麻呂隊は敵をひきつけながら戦略的に後退しているように見えます。颯太さん、比売神様にこの様子を知らせていただけますか」

「はい、了解です。ピザ、一応置いておきますね」

 僕はトレイを縁石の上に起き、サイゼへと向かった。

 店内はお昼時のいい匂いがしていた。窓際席で比売神様は優雅にパスタを食べている。

「どうした?」

「高市麻呂さんが攻撃を受けているようです。敵は予想通り高架橋の上をたどってきました」

 比売神様はフォークを置き、優雅に口をぬぐってうなずいた。

「なるほど。ところでピザとワインはちゃんと食べたか?」

「ええと……」いきなりの質問に僕は少しとまどう。「半分くらいです」

「それはいかんな」

 比売神様は言った。

「事態は予想通りに進んでいるので問題はない。少し落ち着いて昼ごはんを食べよう」

「まあ、はい」

 僕は言われるがままにグラタンとワインを追加し、比売神様の向かいに座る。

「なんか、高市麻呂さんたちだけが戦って、僕たちが休んでいていいのかという気がするんですが」

 僕がそう言うと、比売神様はじっと僕を見た。宝石のような輝く瞳で。

「それは現代日本人のよくない感性だな。君が今行ったところで戦力にはならない。自己犠牲は美徳とされるがやりすぎると無駄死にを増やすだけだ。君は君の仕事をやれ。出番はまだこの後だ」

 そう言われると比売神様の言うことは全くそのとおりなのだった。僕がまともな戦力になるとは、高市麻呂も吹負も思っていないにちがいない。

 入店チャイムが鳴る。兵が入ってくる。前線からの連絡だ。

「高市麻呂隊、石橋の上から来た敵に攻撃されました! 敵本隊と、駅南に回った隊との挟撃を避けつつ、三条通りに逃げ込んだところです!」

「承知した。戻っていいぞ」

「はっ」

 比売神様が答え、兵が戻っていく。

 それと入れ違いに別の兵が入ってくる。

「申し上げます! 北側の敵が佐保川の渡河を強行しました! 吹負隊は後退しつつ防戦に努めています」

「来たか。高市麻呂のほうも似た状況で三条通りに押し込まれている。無理に押し戻そうとしないように伝えてくれ」

「はっ」

 兵が出ていき、また静かになる。

 比売神様は振り向いて言った。

「さてさて、のんびりするのはこのあたりが最後になりそうだ」

 そしてカウンターから白ワインを持ってきて席に座った。

「戦勝祈願で紅白の乾杯と行こうではないか」

 グラスを僕の赤ワインに並べる。

「そういう縁起担ぎってあるんですか?」

「さてな。まあ何でもよかろう」

 一応は神なのにいい加減なものだ。僕もグラスを手に取りかかげる。グラスを打ち合わせる。

「戦勝を願って、乾杯」

 僕はグラタンを食べ、ワインを飲み干した。比売神様は優雅に白ワインを傾ける。

 どうせ食べるのが仕事のうちならと、僕はデザートとコーヒーも追加してさらに食べた。前線で死んでいるかもしれない兵のことを思うとあまり食欲はなかったが、ともかくこれくらいしかできることはなかった。

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