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二十

 しばらくして階段を上がる足音。入口のドアが開き入店チャイムが鳴る。

「申し上げます! 一条通りの総合庁舎付近に近江軍が出現! 隊長の部隊が南に誘い込み、佐保川を挟んで戦闘しています!」

「ほう」

 比売神様が感心した様子でつぶやいた。

「あのあたりは細い道が多いうえに、佐保川に掛かる橋は少ない。少数で防御するにはうってつけだ。うまく誘い込んだな」

 一条通りは、市街地の北を東西に走る二車線道路だ。二四号が市街地に南下して最初に分かれる大きな道なので、近江軍はそこで東へ向かう隊を分けたのだろう。佐保川は一条通りの南を東西に流れている川だ。一条通りと佐保川の間は一車線の狭い道が入り組んでいる。

 伝令の兵が一礼して出ていこうとするのを、比売神様が呼び止めた。

「吹負のところへ戻るか?」

「いえ、いちど高市麻呂のところへ参ります」

「そうか、ちょうどよかった。高市麻呂に伝言を頼む。『知ってのこととは思うが線路を通って敵が来る可能性あり』と」

「はっ。『知ってのこととは思うが線路を通って敵が来る可能性あり』承知しました」

 兵はもういちど頭を下げ、チャイムの音を残して全力疾走で出ていった。

「さて状況のおさらいだ」

 比売神様は席に戻り地図を指差す。

 僕は向かいに座ってそれを見る。

「少なくとも敵は三方向に分かれている。北は一条通り、西からは大宮通り、その間の奈良線だ。もしも予期せずただ待っていたとしたら挟撃されてひどい目にあっていたところだが、吹負と高市麻呂が上手く対応して今のところ大きな被害はない。北は総合庁舎付近、西はJR高架付近で足止めに成功している。ただし奈良線の敵が追いつくと高市麻呂は退却せざるをえない」

 比売神様が三ヶ所を指差す。

 僕はうなずく。

「退却した後はJRの奈良駅で籠城するか……いや、それでは高市麻呂の隊が戦力として計算できなくなるな。さっさと駅を出て三条通りに逃げ込みたいところだ。そのへんは考えているだろうが」

 比売神様の指はJR奈良駅から東へ進み、三条通りに入ったところを示した。それから、大宮通りの敵本隊がいるらしきあたりに戻る。

「もうひとつ注意しなければならないのは、敵が分かれたのは果たして三方向だけかという問題だな。大宮通りのひとつ南にある三条通りや、さらにその南にも二車線道路はある。こっちに敵が回り込むと高市麻呂は危なくなる。吹負にしても同じで、総合庁舎から東側にあるやすらぎの道に回り込まれると佐保川を渡られてしまう。これらを注意すべきことは次の早馬で知らせておこう」

 ふと、地図を見ながら思いついたことがある。

「比売神様」

「なんだ?」

「近鉄の線路を通ってくることはないでしょうか?」

 敵がJR奈良線を通ることを思いついたのなら、近鉄の線路を通ることも考えるはずだ。

「そうだな……」

 比売神様はテーブルに肘をつきしばらく思案している様子だ。それから、メロンソーダを手元に引き寄せ、ストローで吸った。鮮やかな緑色に泡がぷつぷつと浮かんでいる。

「可能性はある。JRの高架と違って狭い空間をかなりの本数の電車が行き交っていることを考えると大軍は通れないだろうが、試みていてもおかしくない。これはどうするかな……。見張りを地下も回すようにしようか。颯太、伝言を頼めるか」

「はい、了解です」

 僕は立ち上がり、店を出て階段を下りた。開戦前からずっと落ち着かない気分だったが、戦が始まり早馬で情報がもたらされるようになると、敵が攻め込んでくる様子が頭に思い浮かんで余計に落ち着かない。二千年を生きている比売神様とは違うのだ。気分を紛らすためには多少でも動いていたかった。

 駅前に出ると外は相変わらず雨が降り出しそうな薄暗さだ。僕は近くにいた黒猪に、それから道の向こう側にいた熊さんに、地下の見回りもしてくれるように頼んだ。ふたりとも余計な仕事が増えて嫌がるかと思いきや、意外にも快諾だった。

「見張りってのは暇そうに見えるかもしれないけどな、結構いろいろ考えてしまうんだ。物陰から矢を射られるかもしれない。大軍が一気に押し寄せてきてなすすべなく殺されるかもしれない。そんなことばかりだな。動いていたほうが緊張がほぐれてちょうどいい」

 僕は熊さんと黒猪と相談し、二人が交代で地下と大宮通りを警戒し、僕も危険でない限りはたまに様子を見に来てもいいということになった。地下から敵が来た場合の連絡方法も決めた。

 その後しばらくして、高市麻呂隊と敵との交戦が始まったことを熊さんがサイゼまで知らせに来た。近鉄奈良駅前の大宮通りからは、JRの高架付近までは直線で見通せるため、高市麻呂隊の様子を多少うかがうことができる。それから早馬が来て、吹負や高市麻呂が慎重に敵の進行を食い止めていることを知らせ、比売神様の意見を伺ってそれぞれの持場へ帰っていった。

「吹負も高市麻呂もさすがに優秀だ。圧倒的な兵力差にもかかわらず上手く時間を稼いでいる」

 と、比売神様は言った。

「しばらくは戦況は膠着しそうだ。いまのうちに早めに昼を食べておけ」

 僕はあまり食欲が湧かなかったが、

「腹が減っては戦はできぬと言うだろう。いまは本物の戦の真っ只中だ。先人の知恵をみくびってはいけない」

 という比売神様の勧めはもっともだ。昼に黒猪と熊さんにコーラを持っていく約束をしたことを思い出し、せっかくなら外で一緒に食べようと思った。そして、コーラといえばピザだ。ピザを念じてカウンターに出し、それと三人分のコーラをトレイにのせる。

「颯太は酒もな」

「ああ、”力”を働かせるための……」

 比売神様にすすめられるままにワインをひとつ追加する。時空の隙間に働きかける力を保つために多少の酒を体に入れておいたほうがよいというアドバイスだ。

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