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十七

 サイゼに戻ると、吹負は全員に就寝を指示した。店内を回り、今夜はもう終わりだと告げていく。もっと飲んでいたかったと冗談交じりに言う兵もいたが、みんな素直にテーブルを片付けていく。そしてある者は椅子に、ある者は床に寝転がる。寝るなら灯りを消したほうがいいだろう、スイッチはどこにあるかな、と僕は考えていたが、誰かがスイッチを操作したのか、それとも例によって念じるだけでそうなったのか、灯りが落ちた。

 店内は一瞬にして暗くなり、非常口の表示だけが鮮やかに輝いている。やがて寝息が聞こえ始めた。何度も戦場を経験した武人たちはこんな見知らぬ場所でも平気で眠れてしまうものなのだなと、僕は目を瞑ってぼんやりと考えた。それに対して僕はといえば、眠ろうとしても今日一日の出来事が頭の中に浮かんではぐるぐると回り、一向に寝付けない。時を超え、戦場を命からがら逃げ延びて、かと思えば地球外生命体とともに時空の隙間などという異空間へ飛び出してしまった。明日も無事でいられるのか、それとも死んでしまうのか、実感がない。なんだかじっとしていられなくて気持ちが休まらなかった。

 しばらく時間が過ぎたが、どうにも眠れなかった。僕はそっと起き上がった。テーブルを挟んだ反対側の椅子では比売神様が安らかな子供の寝顔で眠っている。四次元生命体でも眠るという事実にちょっと不思議な感じがする。とはいえこの姿は三次元に投影した影絵のようなものに過ぎず、もうひとつ上の次元にある肉体は今も起きて動いているのかもしれないが。

 近くでは吹負はあぐらをかいて座ったまま、椅子に寄りかかって眠っている。考え事をしているのか眠っているのか見た目ではわからないが、僕が目の前で動いても反応がないことからすると眠っているのだろう。何が起きてもすぐに動き出せるように備えた武人の眠り方なのだろうか。

僕はみんなを起こさないようにそっと店を出て、階段を降り、夜の街へ出た。夜とはいえ夏の熱気が残り、薄く立ち込めた霧のせいでよけいに蒸し暑く感じた。街灯があちこちにぼんやりとした光を投げかけている。

 駅前の噴水の前まで行ったところで人影があった。近鉄奈良駅前にある人影といえば奈良時代の伝説的仏僧・行基のブロンズ像を思い浮かべるが、今そこにいるのは行基像ではない。柱に寄りかかって座り、駅前の建物を見上げて物思いにふけっている様子である。僕が近づくとこちらに視線を向けた。

「ああ、颯太さんですか」

 高市麻呂だ。

「眠れませんか?」

 と、彼は言った。

「ええ、なんだか落ち着かなくて」

「それはそうでしょう、初めて戦場に出たんですから。私も初陣の日の夜は興奮してしまって眠れなかったものです」

 僕も隣に座る。地面はひんやりとして、夏の暑気を少しは紛らしてくれた。

「周辺を歩いていろいろ見てきました」

 と、高市麻呂は言った。

「見たことのないものばかりです。目に入るものすべて、何のための物なのかさっぱりわかりません。わかるものといえば、東の方にある大寺と社くらいのものです。それとて私の知る寺よりもはるかに大きくて驚くばかりですが」

 東大寺と興福寺、それに春日大社のことも含まれているかもしれない。

「大寺へ行く途中にある石造りの建物もなかなかのものでした。あれは堅固な造りだ」

「道の反対側の?」

「ええ、そうです。道が地の下に潜るあたりです」

 奈良県庁のことだろうと僕は思った。

「西へ行くと私たちの乗った走る箱の通り道がありました。これまた堅固な橋の上に鉄が敷かれて大層立派なものです」

 JRの高架橋のことか。

「あの鉄の道は南北へつながっているんですね」

「はい、南は斑鳩や耳成山のほうへ、北は京都……乃楽山のずっと先まで続いています」

 僕は飛鳥時代人の高市麻呂が知っていそうな地名を選んで答えた。うなずきながら聞いていることからすると、きっと理解できたのだろう。

「いやあ、すごいものですよ。(やまと)はすばらしい国になりました」

 高市麻呂は柱にもたれかかり、楽しそうに言った。

「千三百年の間に多くの人が努力したんでしょう。そしてその努力が繋がってすばらしい国になった。私がやっていることも無駄ではないってことですよね。そう考えると、なんだか励みになります。頑張らないと。今日の戦では六名が命を落としましたが、彼らの死も無駄にはならなかった。ちゃんといい国になりました。繋がってるんです」

 街灯の光が高市麻呂の瞳に映って輝いている。好奇心と希望、という言葉がよく似合う横顔。

「でもね、颯太さん。生きましょう。生きるって大事ですよ、本当に。私は武人だから死ぬのも怖くはありませんが、死ねばそこまでです。将来のために頑張ることはできなくなる。まして颯太さんは千三百年よりさらにその先の将来のために力を発揮すべき人です。だから生きましょう。生きて倭をもっといい国にしましょう」

 高市麻呂はおもむろに立ち上がり、笑顔で言った。

「颯太さんは初めての戦場ですが、大丈夫ですよ。あんな短時間で馬に乗れるようになったんです。すごいです。大抵のことはきっとなんとかなります」

 そのポジティブさにはなんだか笑ってしまいそうになる。でも、そういう前向きな考え方ができると、きっといろんなことがうまくいきそうな気がする。

「さて」と、高市麻呂はゆっくり背伸びして言った。「私は戻って寝ようと思います。颯太さんは?」

 僕も、と思ったが、やっぱりもうしばらくは眠れそうになかった。

「しばらくここにいます」

「そうですか。あまり夜ふかしにならないように気をつけてください。明日は頑張らないといけませんので」

 そうして、高市麻呂は笑顔で手を振って近鉄奈良駅ビルへと入っていった。階段を上り、姿が見えなくなるまで僕は見送った。

 僕はひとりになった。

 静かな街明かりの下で、噴水の流れる音を聞いた。高市麻呂と同じように柱にもたれかかり、霧に煙る街を見た。僕たちの時代は飛鳥時代の人からみたらすごい時代なんだなあと、いまさら思う。そりゃそうだなという感じだけど、そういうありがたみというのは今まで考えたこともなかった。現代人の感覚で現代を見て、別になんとも思わないし、つまらないとか古臭いと思ったりもする。大学で勉強していることもきっとすごいことなのだけれど、嫌々講義に出席していたりする。そんなことじゃだめだな。もっと前向きになろうう。高市麻呂みたいにポジティブに。

 僕は柱にもたれて座り、目を閉じた。頑張れそうな気がして、世界が明るくなる。

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