6 施し
「ふぅん。そうかい」
ユガと名乗ったその女に対して、キゲルがそう言った。名前なんて別にどうだっていい。知りたいのは余所者が何しにここに来たかだ。なのにそいつはなんて言ったと思う。
「今、お日様は昇ってる?」
そんな風に問うてきた。
四人とも面食らった。そりゃそうだ。日が昇ってるかどうかなんて一目見りゃ分かるだろう。空は晴れててここは外なんだから。
だからお調子者のオットーは馬鹿笑いした。キゲルとエドも笑ってたと思う。俺も鼻で笑った後で「さぁな。空でも見りゃいいんじゃねぇか」と答えた。
すると何が面白かったのか、そいつも少し笑った。そして言った。
「ボクね、目が見えないんだ」
今度は笑えなかった。
何となくバツの悪い沈黙が訪れて、俺はたまらず「今は夕暮れだ。もうじき日が沈む」と教えてやった。
そうしたらそいつは頭をすっぽりと覆い隠していたボロを脱いで見せた。
俺たちはボロ布の奥から出てきたそいつの顔から、目が離せなくなった。
歳はたぶんまだガキだ。見た感じうちの一番上のチビより少しだけ上くらいだろうか。
そんなことより目を引いたのはその色だ。真っ白い肌。真っ白い髪の毛。真っ白い眉毛。真っ白い睫毛に真っ赤な目。
こんな綺麗な人間がいるものかと。まるで雲の上に居るっていう天使様みたいだと。そう思った。
「フードも被ったままでごめんね。お日様の光が苦手なんだ」
「あ、い、いや。別に俺らぁ気にしねぇけど。なぁ?」
「お、おう」
俺たちはしどろもどろになりながらなんとかそう返事した。相手はガキなんだが、まあ大の男が揃って吃っちまうくらいに綺麗な顔してたってことだ。
「実はね、ボク、行くところを探してるんだ」
話を聞くところによると。そいつは目も見えないし日の光にも弱い。その上腕っ節もないし要領も悪い。そんなもんで故郷を追い出されてずっと歩いてきたらしい。
よくよく見れば全身土や砂埃塗れだし、膝小僧は擦り剥けたのか、大量の血が滲んでいた。
目も見えないのに何遍も転びながら歩き続けて、奇跡的にここまで辿り着いたんだろう。
俺達も流石に可哀想に思ったが、だからといって「はい泊めます」とは言えなかった。
「あのね、ボク歌と踊りが得意なんだ」
俺達が黙りこくっていると、そいつは突拍子も無くそんな事を言い出した。
「ボク、頑張って踊るからさ。もしもボクの踊りが凄いって思ったら、一晩だけでもいいんだ。ここに置いてくれない?」
四人で顔を見合わせた。
それから一旦村長のとこに相談に行くことにした。今年は食料に蓄えもあったし、女のガキひとり泊めるくらいはワケ無かった。けど流石に俺達だけじゃ決められない。
それで何人かで話した結果、まあここは辺境だから娯楽も少ないわけだ。踊りが得意だって言うなら折角だしみんなで見てみようじゃないかって話になった。そもそもあの変わった見た目だ。それだけでも一見の価値はある。
すっかり日も落ちたころ、村の広場で火を焚いて、みんなでそいつを囲んで見てた。
煌々と燃える焚火の側で、そいつは随分と楽しそうに踊っていた。
踊りの出来? そりゃあ酷いもんだった。なんせそいつは目が見えないんだ。実際の踊りがどんなもんなのかなんて知らないんだろう。
その上故郷じゃ厄介者の嫌われ者扱いだったっていうんだから、きっと誰も踊り方なんぞ教えちゃくれなかったんだろうな。
なんだか踊りっていうよりぐねぐねした、変な動きだった。
けどまあ歌の方はそこそこだった。音程はめちゃくちゃで歌詞もない変な歌い方だったが、声がいい。よく通る綺麗な声だ。たしかにヘタクソだったが、そんなことまったく気にせず楽しそうに歌ってた。
次第にみんなも盛り上がってきて、俺は仲間達に笛を吹けと囃し立てられた。
俺も満更じゃなかったから適当に知ってる曲を吹いてやると、ガキは健気に俺の笛の音色に合わせて歌おうとする。
ありゃいい気分だった。
一通りみんなで歌って騒いだ。たぶんその場には村の全員が揃ってた。小さな村だが、それでも集まるとそれなりの人数だ。
熱気も少し静まったころに、村長が一本の杖を持って出てきた。あれはたしか先代が使っていたものだ。
「昔はうちももう少し裕福でね。こいつはその時に都の職人に特注で作らせたものだ。古いが、作りはしっかりしている。持って行きなさい」
そう言って杖を手渡した。
「それから、今年は多少の蓄えもある。一晩と言わず、しばらくこの村に居るといい」
そうしてガキの頭を撫でやった。
みんな喜んだ。
なんていうか、あんなガキが割りを食わないといけない世の中はやっぱり間違ってるとみんなが思ってたわけだ。隣に居た妻のハンナなんて目に涙まで浮かべてやがる。
ガキは嬉しそうに杖を抱きしめて、何度も何度も礼を言ってた。
村長め、好好爺然として「構わないんだよ」なんて言いやがって。俺達がガキのころは事あるごとに拳骨を降らせてきたクセに、調子のいい爺さんだ。
「それじゃあ今日の締めに、もうひとつだけボクのとっておきを見ていって」
ほら見た事か。みんなが囃すもんだから、またガキが調子に乗りだした。今度はいったいどんな珍妙な『特技』が飛び出すことやら。
そう胸中で悪態を吐きながらも、俺の心は不思議と期待で踊っていた。
ガキはすーっと、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。みんなほんの少しだけ緊張した面持ちでその様子を見守っていた。
「……いくよ、ぷくぷくー」
まるでその素っ頓狂な掛け声に呼ばれたかのように、あたりに何かが降ってきた。泡だ。掌くらいの大きさの無数の泡が、時折風に流されながらはらりふわりと降ってきたのだ。
みんながそれに目を奪われた。
丸く、透明で、ゆっくりと降りてくるそれは、焚火の橙を写して、微かな虹を内包して、なんとも幻想的な景色を作り出した。
その光景に誰しもが見惚れて動けなくなった。
ただふわふわと降り頻る丸い泡と、あのガキ、いや、ユガだけが楽しそうに笑いながら舞っていた。
「天使様だ……」
言葉と共に、知らず涙が溢れた。
たまに村に来る、牧師のオヤジがなんて言うかなんて知らない。
ただこの時俺には、この光景が。橙の灯を反射して輝くユガこそが、天から降りてきた天使様なんだと、心の底からそう思った。
とさっ。
ふと、左隣でそんな音が聞こえた。ハッと我に帰った俺は、反射的にそちらを見た。
真ん中のチビ、ジャックが寝転んでいた。俺は咄嗟に、ああ、眠ってしまったのかと思った。
小さいガキが急に寝こけてしまうなんてのはよくあることだ。俺は起こしてやろうとその肩に手をかけ、異変に気付いた。
目が開いている。
「ジャック? おいジャック。どうした、大丈夫か? ……おい、ジャック?」
呼び掛けても返事はない。ただジャックは苦しそうに震えながら、おかしな呼吸をしていた。
「ジャック! ジャック! お、おいハンナ! ジャックが!」
右隣に座っていた妻を見やる。
「……ハンナ?」
「ぁ〜〜」
ハンナは項垂れたまま、何やら呻いていた。何事かと思い無理やり顔を上げさせると、焦点の定まらない目でどこかを見ながら、口の端から涎を垂らしていた。
「ぁ〜〜ぅるる〜〜」
「ハ、ハンナ……」
そうして状況を飲み込めないでいると、あちらこちらから悲鳴が上がり始めた。
「見えない! 見えないんだ!! なんで!!」
「母ちゃん! しっかりしろよ! どうしちゃったんだ!!」
「灯りを、誰か、灯りを」
あたりは皆混乱し、しっちゃかめっちゃかになっていた。突然倒れ込む者。訳もわからず走り出す者。周囲の状況に気圧され泣き叫ぶ者、様々だ。
ハッとした俺は、焚火の方を見た。ユガは、あいつはどうなった。
そのとき視界の端で捉えたユガは……。
……別段、どうもなっていなかった。
ただそこに立っていて、何も見えていないその虚な目で、静かに微笑んでいた。
それを見た瞬間、すべてを理解してしまった。
「ぁ、ぁあ……」
涙が溢れた。
変わらない毎日が、ずっと続けばいいと願っていたはずなのに。夢を見た。微かな変化を、僅かな非日常を望んでしまった。
「ぁ、ぁ……そん、な……」
震える声で言葉にする。
もしもあの時ユガを追い出していれば、何か変わったのだろうか。それとも何も変わらなかったのだろうか。
分からない。
けれどひとつだけ、はっきりと間違っていなかったと言える事がある。
そう、このユガと名乗った少女は――
「……天使」
人間では無かった。
ぽわん、と。鼻頭に何かが触れて、軽く弾けた。その瞬間全ての星明かりが一斉に姿を隠し、広場を照らす焚火も夜の闇に呑まれてしまったように、あたり一面が真っ黒に染まった。それから俺の目は、二度と光を見ることはなかった。
◇
とある森の奥深く。膝を抱えて宙に浮いた異形の主は、いつか覚えた詩を朗々と歌い上げる。
――不具の仔、ユガ。
――少女は天より生まれ、翼無きが故に堕とされ、知恵無きが故に疎まれ、光無きが故に穢された。されど死すらも持たぬが故に、永劫の闇に祈り続けた。
――疎まれ穢され続けた少女は、知恵無きが故に恨む術も持たず、ただかつて天に在った者として、万民に自身の持ち得る全てを与えるべくひたすら祈った。
――されど少女は何も持たぬが故に、何も与えることが出来なかった。
――ふとある時、何の奇跡か少女の祈りは何処かに届き、慈愛の祈りは形を持ち、世界に施しの泡を雨と降らしめた。
――人々は初め、その光景のあまりの美しさに、天の施した奇跡だと、天つ空に感謝を捧げた。
――されど少女が与えたもの。それは何も持たぬという、少女にとってただただ当たり前の日々そのものだった。
――施しの泡がひとつ弾けると、ある者達は力を失くした。施しの泡が二つ弾けると、ある者達は知恵を失くした。施しの泡が三つ弾けると、ある者達は光を失くした。そして四つ目の泡が弾けると、かの者達は死を失くした。
――力有る者はそれを虚脱の泡と呼び恐れ、少女の四肢を捥ぎ取った。
――知恵有る者はそれを白痴の泡と呼び恐れ、少女の首をすり潰した。
――未来有る者はそれを無明の泡と呼び恐れ、少女を昏き地の底へと閉じ込めた。
――生有る者はそれを亡者の泡と呼び恐れ、少女が二度と迷わぬよう大地を無数の石で固めた。
――斯くして泡の雨は止み、彼等は再び日の光を浴びた。
――されど爾等、忘れることなかれ。その者は不滅であるが故に、いずれ地上へ這い戻るであろう。
――総てが絶えたにも関わらず。己が主の名を口遊。嘗てと変わらぬ笑みを湛えて。慈愛と感謝と永遠を祈るのだ。
――世界が終わるその時に。
そして邪悪の化身は最後におしまいおしまいと締めくくり、体を捩ってケタケタと笑った。その心持ちはまるで悪戯を仕掛けた少年のように、使徒の帰還を今か今かと待ちわびる。
――ユガ、ちゃんとできてるかな。楽しみだな。早く戻ってこないかな。
WToMのテキストには、こんな一節が存在する。
曰く、異形の主は、異形でなくてはならない。
――お腹が空いた? 邪悪なる樹。土や木ばかりじゃ足りないよね。けど大丈夫。人類種は栄養効率がいいんだ。上手くやれば二体目にも直ぐ届く。
何より、その心根が元より異形でなくては邪悪なる樹は芽を出さない。
――オプラーニァ、ラクナク、ファニークラウン。次はどうしようか。
己が半身の逸る気持ちが伝播したのか、邪悪なる樹も大地より顔を出し、艶かしく蠢いた。
――あぁ、本当に、本当に楽しみだなぁ。
天頂の凶星は祝福に輝く。異形の夜は終わらない。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。大体こういうお話です。