4 戦力
しばらくユガとの他愛無い雑談に興じてから、イグルシは地上に足を付けた。大地はじゅくじゅくと泥濘み、時折汚泥から気泡が弾けている。
世界は着々と穢れている。
大地の膿みを手で浚いながらユガが問うた。
「これからどうするんだい?」
――うん、まずは諜報と戦力の拡張が必須だね。現状僕たちはこの世界のことを何も知らない。果たしてWToMの世界とどの程度の共通点を持つのか。世界樹を含む邪悪なる樹以外の『樹』は存在するのか。知的生命体は暮らしているのか。僕以外のプレイヤーは飛ばされているのか。知らなければならないことはいくらでもある。そのためには……。
「そのためには?」
――まずこそこそ隠れて周囲の状況を窺い知る。
「ふふ、ボクたちは弱いものね」
――本当にね。
そう。邪悪なる樹を擁するイグルシとユガ、この二柱だけの陣営は戦闘力に換算すると恐ろしく弱い。
通常であれば、使徒は比類なき戦闘力を有している。それこそ補助能力がメインの使徒でさえ、単騎で軍団規模の汎用ユニットと互角以上に渡り合える。
特に邪悪なる樹から生まれる固有の種族、異形種の使徒は一個体の戦闘力が非常に高い傾向にある。中でも戦闘特化型ともなると、一瞬で数万規模の敵ユニットを挽肉に変えることができる。
ならば同じく異形種の使徒であるユガはどうだろう。
結論から言ってしまうと、とてつもなく弱い。
ステータスは全数値が1。
比較的御し易い人類種を相手にしたとて、一対一に持ち込んでも勝てるかどうかははなはだ怪しい。
それも戦闘用のユニットを相手にした場合の話ではない。十歳前後の何の訓練も受けていない子供に対して、である。
当然敵ユニットなど相手にしたら五秒も保たない。
WToMの対戦モードで邪悪なる樹の種を選択するプレイヤーは多く存在するが、初期ユニットとしてユガを選ぶ者はイグルシのような異端者か、ゲーム始めたての初心者か、あるいはネタプレイヤーくらいのものである。
かといってユガは後半戦に強いのかというと別段そうでもない。遍く攻略サイトが導き出した共通見解として、召喚優先度は十一体の異形種系使徒の内最下位。大半のプレイヤーから完全にネタキャラ扱いされてしまっている。
盲目の上戦術を解さず、辞書より重い物は持ち上げられない。虚弱にして貧弱にして脆弱なる少女。
それがユガだ。
邪悪なる樹の影響で汚染された環境下であれば異形種ユニットはステータスの割合上昇補正が受けられるが、それも最低限の数値を有していることが前提である。すべてのステータスが1しかないユガはそもそも土俵にすら立てていないのだ。
本人が九十九の使徒の中で最弱と自称した通り、彼女は本当に弱いのだ。
一方のイグルシはと言うと、やはりこちらも戦力としては期待できない。そもそもWToMにおいてプレイヤーユニットというのはあくまで指揮する者であり、一応幾つかの特殊な能力は持っているが戦闘力はほとんど与えられていない。
現状のイグルシとユガであれば、人類種の基本汎用ユニット、すなわち軽装歩兵三体以上に囲まれた時点で敗北必至である。それも汚染領域の影響でこちらにバフが、相手にデバフが掛かった上での想定だ。
ゆえに本来であればまずは戦力を増やすべきである。現状それを成す方法はひとつだけ。汎用ユニットを生成するのだ。
汎用ユニットの生成には二種類の手法が存在する。
ひとつはプレイヤーユニット、つまりイグルシが邪悪なる樹の力を借りて直接生成する手法。この手法で生まれたユニットを基本汎用ユニットと呼ぶ。こちらはローコストで癖のないユニットを量産出来るというメリットがある。
もうひとつが邪悪なる樹の力をプレイヤーユニットを介して使徒ユニットへ送り、使徒ユニットが自身の眷属を生成する手法。この手法で生まれたユニットを派生汎用ユニットと呼ぶ。こちらは基本的に一個体ずつが強力で様々な特殊能力を持っている反面コストが嵩む傾向にある。無論中には例外も存在するのだが。
そしてその『例外』のひとつがユガの生成する派生汎用ユニットなのである。
現状の邪悪なる樹の成長度合いから見て、イグルシが今すぐ作成可能な基本汎用ユニットの数はだいたい五から六体といったところだろうか。
ちなみに異形種の基本汎用ユニットを生成すると、ケガレムシと呼ばれる節足動物と無毛の哺乳類を適当に組み合わせたような、鮮やかな黄緑の体液を撒き散らす人間大のグロテスクな生物が生まれる。
ケガレムシの特徴は以下の通り。
まず移動すると足跡と共に残る体液が非常に目立つ。また知能が低く他の生物を見つけた瞬間襲いかかる習性を持っている。さらには寿命もあまり長くはなく戦闘力もそこまで高くはない。平地であれば人類種の軽装歩兵ふたりで余裕で倒せる程度だ。一対一でも人類側が比較的有利である。
有り体に言ってしまえば、ケガレムシは他種族の基本汎用ユニットと比べると用途が限られるのだ。
ただししっかりとした強みも存在する。ケガレムシが撒き散らす体液や血液には触れたものを汚染する働きがあるのだ。したがって彼らが広範囲を移動しながら暴れ回り、死ねば死ぬほどに異形種にとってプラスの補正を得られるのである。
また異形種の汎用ユニットは基本的に生成コストが他種族よりも低い傾向にあり、ケガレムシもその例に漏れない。
斥候などの諜報活動には致命的に向かないだけで、恐れを知らず敵兵に特攻し、死してなお異形種に利するケガレムシはこと戦争ともなると非常に驚異的な存在となり得るのだ。
とは言えイグルシには現状他所と諍いを起こすつもりも余力もやいため、生成したところで無用の長物である。
ちなみに最序盤の異形種偵察苦手問題にはしっかりと救済策も用意されている。ラクナクという使徒ユニットの生成する眷属であれば、ある程度の知性を有しており、隠密性に優れ、生成コストも比較的安い部類なので非常に偵察が捗る。
WToMにおいて邪悪なる樹を選択する際は初期ユニットとしてラクナクを生成するまでがテンプレートになっている。
だが残念ながら今のイグルシ達に使徒ユニットを生成するだけの余力は存在しない。
閑話休題、ケガレムシ五体を生成できるだけのエネルギーをユガに渡せば、はたしてどれだけの派生汎用ユニットが生み出せるのか。
答えはなんと圧巻の五百体である。
ケガレムシ自体がコストの低い部類であるにも関わらず、さらにその百倍の数を生み出せるというのはまさに破格の安さと言う他ない。
では肝心の性能はどうだろう。
分かりやすく伝えるならば『シャボン玉』である。
ユガの生成する派生汎用ユニット、その名も『施しの泡』。
平均寿命驚異の一分以下。各種パラメーターはすべてゼロ。唯一耐久値だけが1である。便宜上1と振られているだけで軽く触れるだけで弾けて消えてしまう程度の耐久力だが。
そう、この施しの泡は見た目も脆さも本当にただのシャボン玉なのだ。
かと言って何かとてつも無い破壊力を持った攻撃が出来るだとか、何かに触れると大爆発を起こすだとか、そういうわけでもない。
異形種にとって最重要項目とも言われる、穢れを撒き散らす機能を有しているわけでもない。
知性も無いため当然斥候など出来ようはずもない。
無い無い尽くしである。
そもそもこのシャボン玉、WToMではユニットとして扱われていたが、実際のところ一切の知性がなく能動的に移動することもないため生物かどうかも不明である。
つまるところ現在の邪悪なる樹陣営の総戦力、穢れを撒き散らす小さな芽と、戦闘では役に立たない邪樹の化身と、子供に劣る最弱の使徒と、制御の効かない人間大の人喰い虫を五匹だけ作る権利と、それから沢山のシャボン玉。
以上が彼らの持てるすべてであった。