3 不具の仔
夢を見た。十一の使徒と、無数の僕を従え、世界を平らげる夢。その隣では白い娘が笑っていた。いつもの無機質な表情で。そうだ、彼女の名は、
――ユガ。
「なぁに?」
目覚めると視界一杯に真っ白な顔が飛び込んできた。肌も髪も眉も睫毛も、そのすべてが純白。その中にあって瞳だけは真っ赤なので、まるで白い紙に血の二滴を溢したかのようだ。
「おはよう。いい朝だね。愛しいボクの主」
――夢じゃなかった。
「夢? 何がだい?」
――なんでもない。おはよう。
「うん、おはよう」
そう言って白貌の使徒は太陽よりも眩しく虚な笑顔を浮かべた。
――種は芽吹いたんだね。
ふと下を見やると地面がドス黒く膿み、その中心でとくんとくんと小さな芽が脈打っていた。
――僕が眠ってから、どのくらいの時が経ったか分かるかな?
「え? それはボクに聞いているの?」
きょとんとした表情で尋ねるユガに対し、そうだとイグルシが応えを返すと、彼女はカラカラと笑った。
「あはは、分かるわけないよ。今が昼か夜かも分からないのに。おかしな主。ボクをなんだと思っているんだい?」
――そうだよね。
予期していた返答にイグルシはある種の安堵すら抱いた。ユガに普遍的な時間の概念は存在しない。盲目であるとかそういうことを抜きにしても、そもそも時間を認識する機能が備わっていないのだ。
おはようと、いい朝だと言った彼女の言葉にも、大した意味はないのだろう。何せお天道様はすでに中天に浮かんでいるのだから。
とにかく彼女に時計やカレンダーの役割を期待するのは間違いだ。
「ああ、そうだ。ねえ、愛しいボクの主。ひとつ聞きたいことがあるんだ。答えてくれるかな?」
――いいよ。何でも答えよう。
朗らかな顔で乞うた使徒に対し、イグルシは気安く応えた。ユガのことだ。特に意味のある質問は投げかけてこないだろうと想定してのことだ。
だが彼女の問いは彼の想定の範疇を大きく越えたものだった。いや、ある意味では想定して然るべき質問だったのかもしれない。
なぜなら彼女は自称した通り『不具の仔ユガ』であり、それを一番よく理解しているのは他ならぬイグルシなのだから。
「ふふ、ありがとう。博識で寛大なるボクの主。ボクが聞きたいのはひとつだけ。邪悪なる異形の樹の化身、混沌にして虚無なる王。
……主の名前を聞かせて?」
イグルシは絶句した。
――いや、忘れ……ないって……。
「????」
彼女はどうしたんだい? とでも言わんばかりに、まるで仔栗鼠のような純粋さで首を傾げた。
その態度にイグルシは自身の不明を恥じ、深く息を吐いた。
――いや、分かってた。分かっていた、はずだ。憶えてるはずない。不具、不明、不変、不滅。それがユガだ。これでこそユガだ。こんな基本も失念するほど、僕はこの状況に浮かれてたのか。
「唐突に深刻そうな声を出して、何か辛いことでもあったのかい? 大丈夫だよ。この世界には辛いことなんて何ひとつないんだよ。だってほら、全部ボクたちが平らげてしまうんだから。だから思慮深い主、どうか嘆かないで」
――うん、ありがとう。ユガは優しいね。
「くすくす。何だい急に。おかしな主。ボクが優しくないことなんて知っているクセに。なんて言ったってボクは悪辣なる破綻の徒。不具なる厄災、ユガなんだから」
――うん、うん。そうだね。……因みにユガ。さっき君が僕に問うた質問の内容、憶えてる?
「……? ボクは主に何か問うたのかい?」
――そうだよね。……あのねユガ。僕の名前はイグルシって言うんだよ。
そうするとユガは、まるでその名を初めて耳にしたかのように。自らの胸に手を当てて、イグルシ、イグルシとゆっくり幾度も呟いてから、「覚えたよ」と朗らかに笑った。