0 プロローグ
大陸歴1000年
イドミラ半島南部に存在する闇深き森にその者は降臨し、異形の種を蒔いた。その者、ただ静かに世界を侵す。
大陸歴1006年
異形の種より芽吹きし邪悪なる樹より闇の眷属が生まれ出る。眷属は瞬く間に溢れ、大地に満ち、天を覆った。三つの国家が滅亡し、イドミラ半島は異形の手に堕つ。
大陸歴1022年
世界樹国家マルクトが異形の討伐に名乗りを上げる。邪悪を祓う聖なる力により大きな戦果を上げるが、異形に侵食された地は汚染されており、とても生物の住める状態ではなくなっていた。このことを嘆いた五つの国家が一時的に手を結び、異形の根絶を図る。
大陸歴1028年
連合国軍が異形の根絶が果たされたことを公表。汚染されたイドミラ半島は禁足地としてマルクトの管理下に置かれる。
大陸歴1029年
世界樹国家マルクト消失。同国の擁する世界樹は邪悪なる樹に侵され、邪悪なる世界樹が誕生した。邪悪なる世界樹より地平を覆うほどの闇の眷属が生まれ出る。
大陸歴1036年
大陸は異形に呑まれ、地は穢れ、天は閉ざされた。既存の生物は尽くが滅び、穢れの中でも生きられる僅かな者たちだけが異形に恭順を示し束の間の生存権を得た。天を覆い、海を埋め、地を平らげても彼らの進軍が止まることはないだろう。世界が終わるその時まで。
Unification of world!!
Congratulations!!
◇
エンドロールにて年表という名のプレイ履歴が流れ終えると、暗転した背景にありきたりなフォントで簡素な文字が浮かんだ。
「三十六年か……。運ゲーだけど、今回の内容ならもうちょい詰めれたかな」
ゲーム内時間三十六年。実プレイ時間にして九分と少し。
今し方プレイしていたのはオンラインストラテジーゲーム『Worlds Tree of Mythology』、通称WToMの数ある対戦モードのうちのひとつ。序盤十五分は内政パートと言われる世界樹大戦モード。
その中でも一度のプレイの平均時間が四十分を超える最高ランク帯において、チーミング等の不正無しに十分以下という短時間で決着が付くことはそうそうない。
しかしそれを狙ってなす者が存在する。
自他共に認めるWToM最強のプレイヤー。
プレイヤーネーム、イグルシ。
本名、異來 流司。
オフラインモード継続プレイ時間最長レコードと三種類の対戦モードでのプレイヤーランキング一位のレコードホルダーであり、WToM運営公認のプロプレイヤーでもある。
その圧倒的な実力と、いかなる状況でも『異形種』という、その名の通り異形の怪物ばかりを取り揃えた種族しか使わないために、ファンから向けられたあだ名は『人外』『化け物』『人間卒業』。
実に十年以上もの間WToMにのめり込んできた最強のプレイヤー、イグルシ。そんな彼にもひとつの悩みがあった。
それはモチベーションの低下である。
有り体に言ってしまえば勝ち続ける日々に飽きてしまったのだ。
さらに言えばWToMは十年以上も続いているコンテンツである。すでに衰退期を迎えており、昔ほどの勢いなど望むべくもない。
近頃では目立ったアップデートも随分と減った。昔程のモチベーションを維持できないのも無理からぬこと。
「オフラインモードはオープンワールドとはいえ、さすがに隅々まで開拓し尽くしちゃったしなあ。こんな狭い星飛び出して、いっそのこと宇宙にでも行ければいいのにね、ユガ」
オフライン環境で自由に国を発展させられる建国モードを立ち上げた流司は、ひとつのユニットにそう語りかけた。まだWToMを始めて間もなかったころに、直感的に惚れ込んだ矮躯の固有ユニット。
ユガと呼ばれたその少女を連れ、意味もなく建国モードで作り上げた世界を見て回る。とは言っても国とは名ばかりの荒廃した世界である。
彼の愛する異形種とは、その名の通りの異形、異端、異物。世界を蝕み侵すために生まれたと設定付けされた理外の怪物ばかりである。
そんな彼等に人類の想像する国家など形作れるはずもなく。汚泥に染まった大地。塩の凍土で覆われた海。黒い虹のかかる赤い空。人工物などどこにもない。そこはまさに未来の終えた世界。
それを何が楽しいのかひとつひとつ、ゆっくりと見て回る。
だがさすがにそれにも飽きたのか、ログアウトしようとメニュー画面を開いたその時。ふと運営からのお知らせアイコンにエクスクラメーションが点っていることに気付いた。
「珍しい。メンテかな?」
サービス開始から数年の間は頻繁に来ていたお知らせも頻度が減った今日この頃。封筒を象ったアイコンをクリックした流司は、まずその異様さに眉を潜めた。
通常であれば本文の概要が書かれている件名欄が空白。その上送信時間も文字化けしており、正しい数字が表示されていない。
初めての事態に困惑しつつ、スクリーンショットの撮影は忘れない。
そうして気になる本文に目を通すべく、何も描かれていない件名をクリックする。
内容はこうだ。
―――――――――――――――――――
イグルシさん、
新しいばしょに行きます、
はいですか? いいえですか、
いいえ。 はい。
―――――――――――――――――――
「なんだこれ」
思わず声に出して呟いた。まるで日本語に不慣れな外国人に書かせたかのような、公的企業が自社コンテンツのお知らせに載せるにはあまりにも稚拙な文体。小学生でももう少しまともな文章を書くだろう。
クラッキングでも受けたのだろうかと乾いた笑いを零しながら、その画面も先程と同様にスクリーンショットで保存する。
それらをSNSに載せようとブラウザを立ち上げて――
「………………」
一旦思い留まって再びゲーム画面に視線を戻した。
いいえ。 はい。
そう提示されたふたつの選択肢。
この時流司は例えば『選択肢の尻に句点を付けるな』だとか、『はいは左側、いいえは右側に配置しろ』だとか、そんな他愛のないツッコミを胸中で浮かべながら、何の気無しに右側のボタンをクリックした。
ただその心には確かに、ここではないどこかへ行きたいという、そんな誰もが持つ微かな祈りが存在した。
拙作を手に取っていただき誠にありがとうございます。どうかひとりでも多くの読者様のお暇を潰すことが叶えばと願うばかりでございます。