貴方の見る世界
「以前の舞踏会では本当に申し訳ございませんでした!」
「以前の舞踏会では誠にすまないことをした、どうか許して――」
ほとんど同時に、ジゼルとパトリスの口から飛び出た謝罪に、一番驚いたのはレオナールだった。
女性たちの華やかな波のなかで思わず振り返ってしまったレオナールに、ほらね、とばかりに薄笑いを浮かべるエティエンヌが肩をすくめていた。
「ああ、ええ、と、その、わ、私、お詫びをしなくてはいけないと思って、みっともないことをしてしまって」
「い、いや、その、悪いのは、勝手に勘違いした私のほうであって、貴方は非がないのだから」
もだもだ、と表現すべきまどろっこしい言い合いの末に、二人は一度深呼吸を挟んだ。
お互いにどうやら前回の舞踏会での行動に恥じる点があり、また相手に対して申し訳ないことをした、という思いから今日を迎えるに至った、という共通の理解をした後、二人はまたも同時に声を出した。
「パトリス殿下の詩集の感想文を持ってきました!」
「フォルタン嬢、貴方はぜひ詩を発表すべきだ!」
二人同時に言った内容に、レオナールは弟のそれが恋愛感情ではなく優れた才能への敬意であることを理解して遠い目をした。
エティエンヌはごく小さな声で「割れ鍋に綴じ蓋じゃん」と呟いて兄に冷めた眼差しを送っていた。
「え、え、わ、私、詩なんて授業で習った程度しか」
「え、わ、わた、私に感想文を、え、いいんですか」
もたもたとしたまどろっこしい言い合いをしながら、二人はもう一度深呼吸をした。
そしてうん、と頷くと今度はパトリスの方からジゼルへと声をかけた。
「よろしければ、私の部屋でゆっくり話しませんか。 こういった場は苦手で……」
「よろしいんですか!? ぱ、パトリス殿下が、詩を書いておられる部屋に……ぅっ」
小さく咽るような声を出しながらもジゼルは歓喜のあまりに顔を真っ赤にしてコクコクと頷いていた。
パトリスはそんな小さな子供のような純真な姿に笑顔を浮かべると舞踏会が始まったばかりだというのにジゼルを連れ出すためにさっさと回廊の方へと向かっていった。
後に残された二人の王子を顔を見合わせて肩をすくめると大きく頷いた。
「さあ、皆、楽しもうじゃないか」
レオナールがそう声をかけるなり音楽は華やかなメヌエットが演奏されはじめ、エティエンヌは婚約者であるチェチェーリアの手をとって踊り始めた。
パトリスの自室は王族の部屋というには酷く狭い印象を受けた。
しかし、それは部屋の壁一面にぎっしりとある大型の本棚と、床一面に積み上げられた本、そして大きなデスクの上に散らばる書きかけの紙などといった散乱したモノらがあまりにも混沌としているからであった。
「ああ、どうぞここに」
パトリスは無造作に自分の手でスツールの上においていた本を机の上に移動させるとジゼルに進め、自分に至っては大きなトランクケースの上に腰を下ろした。
あまりにも無秩序な部屋にジゼルは一瞬驚きはしたものの、その本のどれもがパトリスの素晴らしい詩句を生み出す元となっているのかと思うと、せめて一冊だけでも同じ本を買っておきたいと懸命にタイトルを目で追っていた。
しかし、スツールに腰を下ろすとはっとしたようにジゼルは自分のハンドバッグから紙束を取り出し、両手でパトリスの方へと差し出した。
その紙束はそれだけで一冊の本かと誤解するほどに分厚く、受け取ったパトリスは思わずその重みに圧倒された。
そして目を通せば、その紙の一枚一枚にいままで自分が発表してきた詩の何が好きかがみっちりと書き込まれていてパトリスは目頭が熱くなった。
『秋の詩で落ち葉ではなく枯れ草に目を止めておられた殿下の視点がとても優しく、小さなものを愛しておられるお姿に胸を打たれました』
『朝の詩が夜の詩よりも多いのは殿下が朝がお好きだからでしょうか、私も朝焼けの優しい色合いがとても好きで殿下のお心に共感を覚えます』
『殿下の目から見た世界はどれほど美しいのでしょう。 私には想像することもできない世界を殿下の詩を通じて教えてくださっているようで胸が暖かくなります』
そのどれも、決して適当なお世辞などではなかった。
自分が何を好んで見ているか、それをパトリス本人が気づかないところまでもジゼルは見つけ、そしてそのどれもに愛着を感じてくれていた。
パトリスは自分の詩が美しいものだと思ったことはない。
寧ろ、地味で素朴なものを題材にしていることのほうが多いのだ。
それをジゼルはパトリスが見ている世界は美しいと、そう言ってくれたことにパトリスは胸の内が揺り動かされた。
「フォルタン嬢、貴方が見ている世界こそ美しいんです」
「そんな! わ、私はパトリス王子の教えてくださる日々の美しさに胸打たれるばかりです」
「私は自分の目から見て美しいかとはあまり、わからない。 ただ好きなものを好きなように書き連ねているだけで」
「それがこんなにも綺麗な言葉になるなら、それは殿下だからできることです」
あまりにも純粋なジゼルの瞳をいっそ眩しいものを見ているかのような思いでパトリスは見つめた。
パトリスの黒に近い青い目は普段舞踏会で見せる時とは違い、情熱的にまっすぐとパトリスの顔を見据えていた。
「貴方は詩を書くべきだ、フォルタン嬢。 分からないならば私が指導します、どうか頷いてください」
パトリスはトランクケースの上から立ち上がると、しっかりと両手でジゼルの手を握り締めたまま顔を見つめた。
ジゼルは憧れの詩人本人からそのようなことを言われてどう答えてよいかわからないまま、真っ白な頭でそれでもパトリスの希望ならばすべて叶えたい、という感情のままこっくりと頷いていた。
「ああ、ありがとうございます! 貴方が頷いてくださってよかった!」
パトリスは珍しくその陰鬱な顔に満面の笑みを浮かべるとジゼルの手をしっかと握っていた。
そして二人はまだ知らなかった。
この瞬間にも結婚に向かう外堀が全力で埋め立てられていることを。