最悪の誤解
ジゼルは石造りのテラスへと出ながらバッグを抱きしめていた。
まさか会いたいと焦がれていたパトリス王子から声をかけていただけるなど夢にも思わなかったからだ。
ああ、自分がどれほど彼に焦がれていたのかどういえば伝わるだろうか、そんなことを考えては頭が真っ白になるのを感じるのだった。
「フォルタン嬢、珍しいブローチをつけているのですね」
「あ、こ、これは母の……」
自分の胸元のリボンを飾るブローチに目を止めてくれたパトリス王子にジゼルは焦るように声をどもらせた。
憧れの人になんと話しかければいいのか、そう思ってのことだったがパトリス王子は口元を皮肉っぽく持ち上げて、その紺色の瞳でじろりとジゼルの顔を見つめた。
その表情はとてもではないが好感、といったものとは程遠くジゼルは一瞬喉をつまらせた。
「これは揺鳴石、この国では取れない鉱石だ。 とても、とても珍しいもののはずですよ」
「そ、そうなんですか? 私、このブローチをつけるのは初めてで」
「舞踏会に来るのも、でしょう。 貴方を社交界で見かけたのは初めてですよ、フォルタン嬢」
「あ、そ、それ、は」
「貴方はどこの密偵ですか?」
「え?」
予想外の言葉にジゼルは呆気に取られたようにパトリスの顔を見つめた。
冷たい視線、引き結ばれた口元、およそ友好的とは言えないその表情にジゼルはうろたえながら、バッグを握った手に無意識のうちに力を込めていた。
「そのバッグの中に秘密があるのですか?」
詰問するような口調、自分よりも年上の男性にまっすぐに睨みつけられる恐怖心は社交界デビューを果たしたばかりのジゼルにとってあまりにも恐ろしいもののように思えて、ついにジゼルの両目からは堪えそこねた涙が溢れ出した。
「わ、私は、パトリス王子の、ファンです!」
泣きながら嗚咽混じりに叫ばれた言葉に今度はパトリスの動きがとまった。
目の前では年下の少女が薄化粧が落ちるのも気にせずにぼろぼろと両目から大粒の涙をこぼして号泣している。
泣きじゃくりながらジゼルはバッグの中から本を取り出してパトリスの方へと突き出した。
「これは、私の詩集……?」
「さ、サイン、してほしくて、今日は……ひ、っく、う、サイン、してくださいぃ……!」
肩を上下に揺らして号泣するジゼルを前にしながら、気迫に押されるように自分の万年筆を取り出して遊び紙に自分の名前を書き入れた。
「ええと……社交界で、あったことがないと思うのだけれど」
「きょ、去年まで、修道院にいて、お披露目の狐狩りで骨折して……」
まだ涙を流しているがパトリスがサインをした本を返すとジゼルはそれをさも大切な宝物であるかのように抱きしめて、か細い声で事情を説明してくれた。
いわく、母が死んだために修道院でレディとしての教育を受けてきて去年実家に帰ったばかりであること。
いわく、去年の秋に狐狩りで落馬したために骨折が治るまで社交界デビューができなかったこと。
いわく、揺鳴石のブローチは自分の母親が若い頃につけていた形見であったこと。
号泣したままのジゼルを前に、パトリスはいっそ今すぐ愚かな自分に隕石でも降ってこないかと考えながら満天の星を見上げていた。