パトリス王子
パトリスは深い、深いため息をついてホールの端にある椅子へと腰を下ろした。
本来舞踏会の会場で椅子に座ってよいのは女性だけであり、男性はもし具合を悪くしたならば別室に移動するだとかすべきなのだが、王子であるパトリスを注意するものなどこの場に居合わせているはずもなく、ただ周囲の娘たちはきゃあきゃあと騒ぎ立てながらパトリスの周囲を取り巻いた。
パトリスは女が嫌いだ。
特に化粧をしていて、香水を振りまいて、無遠慮に大声ではしゃぎたててくる女たちは嫌でたまらない。
「パトリス殿下、新しい詩集を出されましたのね」
「とてもよい評判を伺っておりますわ」
「あら、私は早速詩集を買いましたわ」
「以前の作品の解釈をしてくださいませ、パトリス殿下」
パトリスの周囲を取り巻く娘たちは口々にパトリスを誉めそやした。
けれど、その中の誰ひとりとしてパトリスの詩の一節さえ諳んじてくれることはなかった。
買うだけ、揃えるだけ、読んでさえくれていないんだろう。
私の詩を知ってくれている人がどれだけいるものか。
才女を気取る彼女らは自分でも詩を発表している。
けれど、そのどれも前にもっと有名な詩人が発表したものを稚拙に模倣した愛の詩ばかりで、どれひとつとしてパトリスの心には響かなかった。
パトリスには分かっていたのだ、自分を取り巻く彼女らが本当に欲しているのがパトリス本人からの純真な愛情などではなく、パトリスの後ろにある王家というブランドに過ぎないことが。
パトリスは一度ため息をついて、うなだれたまま自分の詩を口ずさんだ。
もしも、もしも誰か一人でも自分の詩集を読んでくれていたならば、あるいは引き続けて詩を口ずさんではくれないかと思いをこめた。
「薔薇の花は曙の頬、紅色にそまり朝靄の中で目を覚ます」
「その台を飾る真珠は空を溶かした朝露だ」
パトリス本人も諦めかけていた希望を繋げたのはか細い少女の声だった。
驚きのあまりにパトリスが顔を上げると、取り囲む婦人たちのドレスの間から栗色の髪をした少女と目があった。
少女は美人、とは言えないまでも素朴な雰囲気のする愛嬌のある顔立ちをしていて、まっすぐな癖のない髪を後頭部にまとめてリボンでゆっていた。
顔はほんのりと薄化粧をしていたがほとんど洗練されていない、野暮な印象を受けるさがり眉に大きく丸い目をしていた。
「君は?」
ほとんど衝動的に名前を聞いたパトリスに少女ははにかむようにして微笑むと腰を折って、深々と頭を下げた。
そしてわずかに顔を上げると恥じ入るかのように小さな声で自分の名を告げた。
「フォルタン家のジゼルと申します」
パトリスは初めて見た彼女の姿を見つめてから、静かに息を吐き出して立ち上がった。
その様子を見ていた他の娘たちはわずかにどよめきながらも、王族の前を塞ぐようなことをするはずもなく、波が引くかのようにパトリスの脇へと下がっていった。
「フォルタン嬢、どうかテラスに。 私はダンスはとても不得手ですから」
「は、はい、よろこんで!」
白い絹の手袋をはめた手を下から上へとパトリスが差し出すと、ジゼルは顔いっぱいに驚きを示しながらも彼の手のひらの上に柔らかな自分の手を載せた。
女嫌いで有名なパトリス王子が女性を誘った、それだけでもホールの中には静かな動揺が走った。
そして、それはパトリス王子の兄、レオナールにしても同じであり、テラスへと向かう二人の姿を目を細めて見守っていた。