そして、鳩の夢を見る。
限られた空間に閉じ込められた、小鳥たち。私もその小鳥たちの一員である。
狭く息苦しい教室は、朝目覚めるたびに私を憂鬱にする。学校へなんか行きたくない、と言ってしまったらいいだけだが、私の未来に関わることなのでそれは心の中にしまう。
「Hello.everyone.How are you?」
「ハロー。アイムファイン」
いつもと変わらぬ英語の授業。いつもと変わらぬ生徒と先生のゆるい会話。いつも通りの日常。狭い空間に私たちは密集して、黒と紺に染められて、毎日毎日同じことを繰り返して。時間だけが過ぎていく。
窓際一番後ろの特等席。五時間目の英語の授業は特別眠い。私は窓を眺め、あくびを教科書で隠した。
今日も鳩がベランダに遊びに来ている。私は給食のパンを先生に見つからないように投げて、微笑む。
あれ。と私は思った。鳩の様子がいつもと違うのだ。足になにかくくりつけられている。薄い紙のようなものだ。私はもっとよーく観察しようと思って目を凝らしたけど、鳩は飛び立ってしまった。
「ふあぁぁ。げぷっ」
隣の席の男子。黒羽拓人が噯を漏らす。汚いやつだ。
「でた! 拓人のあくびしながらげっぷする技ー!!」
男子があほみたいに騒ぐ。うるせえ。小学生か。お前らは。
「はいそこ! Be quiet.」
先生の注意が入り、静かになる。拓人はいつも授業中ぼけーとしてて、何を考えているのかよくわからない。髪も瞳も制服も真っ黒で、中学二年生のわりに不思議で大人っぽい雰囲気が漂っている。
拓人と目があった。私はばっと目をそらす。見つめすぎたかな。変な誤解生まなければいいけど……。
そのあとのことは、いつもと同じだ。六時間目が終わって、掃除をして、部活に行く。部活ではクラリネット五重奏のカプリッチョの練習をした。重奏コンクールまで、あと一ヶ月少ししかないからだ。相変わらず私のリードミスは直らない。
部活の帰り。トランペットの優芽と、帰る。
「高音出すのって難しいよねー……」
「そう。クラは高音だそうとすると、力んじゃってついリードミスしちゃうんだよね」
私たちは重奏曲の難しさについて話していた。優芽はトランペットの1stで金管八重奏『文明開化の鐘』を演奏する。ファンファーレのような明るいメロディが勃発するところと、そのメロディを優しく朗らかに、かつテンポは落ちないように支える低音が魅力的な曲だ。『文明開化の鐘』は有名なので、きっと誰もが一度は聴いたことがあるだろう。
「1stは、責任重大だねー」
パートリーダーかつ、トランペットの高音が得意な優芽は、1st主にメロディ、吹奏楽では一番美味しいところをいつもとっていく。だが、そんなメロディにもプレッシャーはあるらしく、いいところでミスってしまったらあっちゃーってなる。
そんな部活のいろいろなことを話しながら、学校の角を曲がったときのことだった。
烏が鳩を突っついていた。鳩の抵抗も虚しく、柔らかい羽毛が飛び散る。黒と白の羽毛が地上に降り立つ。私は目の前の光景をすぐには理解できなかった。
優芽は戦闘中の鳩と烏の元へ駆けていった。私は呆然と立ちすくみ、烏がバタバタと飛び立って行ったときにやっと我に返った。
「どうしよう。先生呼んでこないと……」
声が震える。ゾッとする。これが食物連鎖というやつなのか。
「うち、先生呼んでくるから美羽は鳩のこと見といて」
優芽は冷静な判断を下し、職員室へ向けて駆けてゆく。流石学級委員と執行部の名を背負っているだけに行動も早い。
私は鳩のもとへ恐る恐る近付く。鳩は学校の石を重ねた昔風の塀に体を預け、ぐったりとしている。私は息を飲んだ。鳩の目は充血しているし、横腹にあたる部分からは血がドクドクと流れ、骨も見えかかっている。怖い。刹那に恐怖が頭に溢れてきた。
だが、鳩の足に目を通してその恐怖は薄まった。英語の授業のときに見た、薄い紙のようなものがくくりつけられているのだ。黄緑の蛍光色で防水加工になっている。
唾を飲み込み鳩の足に手を添えた。鳩は抵抗しない。簡単に紙は剥がれた。雨などに晒されて取れやすくなっていたのだろう。この子は、伝書鳩だったのかな。
右、左と誰もいないことを確認し、紙を開ける。
チセコト。そう書かれていた。こういう紙は大体意味不明なことが書かれていることが多い。きっと暗号式になっているのだろう。家に帰ったら解こうと考え、スカートのポケットに突っ込んだ。
「美羽!!!」
いいタイミングで優芽が理科の先生を連れてやってきた。理科の先生は二人いて、うちの学校は理科AとBにわかれている。理科Aは生物、科学、理科Bはエネルギー、化石。などを専門に教えている。今来たのは理科Aの先生だ。
「さぁ。命の授業です」
理科Aの先生は手を叩いて呟いた。この先生はテニス部の顧問で、生徒と親身になって接してくれることで名が高い。
このあと一言、二言言葉を交わし、私たちは帰宅することになった。傷ついた鳩はどうなるのであろうか。
家に帰り、自分の部屋の勉強机に鳩からの紙を置き、真っ白のノートを広げ解読を試みる。チセコト。私は謎解きが好きだが暗号を解読したことはあまりない。チセコト? カタカナで四文字……。どういう事なんだろう。
次の日の朝。スポンジで濁った水をたくさん吸ったような心で目覚める。しとしとと屋根を優しく打つ雨の音。憂鬱な気持ちで制服に着替える。まるでミステリー小説の犯人がわからないときのモヤモヤした気持ちに似ている。鏡の前に立ち、胸辺りまで伸びた髪をとかす私は、いつもと変わらずポーカーフェイスだ。口角を無理やりあげ、薄っぺらい笑顔を作る。
どうか今日も一日やり過ごせますように。
一時間目は数学。文系で数学が苦手な人は顔をしかめるであろう。
私は授業中、悶々とした気持ちで暗号のことを考える。目をぎゅっとつむって考える。
「あの。これ」
隣の席の黒羽が暗号の紙を渡してきた。やばい。
「あっ。あ、ありがとう」
変に声が裏返ってしまったのはしょうがない。なんで黒羽が紙を持ってるんだろう。あぁ。そっか。数学の教科書やファイルを引き出しから取り出したときに落ちたのかもしれない。
「暗号だよな」
黒羽はボソッと呟く。
「シーザー式暗号か……」
そう言ってA、B、Cとローマ字をつらつらと書き。少し空間を開けて、その下にもローマ字をつらつらと書いた。そして少し悩んだと思えばため息をついた。
「解けた」
解けた? 私が夜中まで頭を悩ませ考えた暗号をいとも簡単に解いた?
「ねえ。どういうこと!?」
教室内が水を打ったように静かになる。少し声を張りすぎた。