#7
「おかえりなさい、マリ。」
「戻りました。」
教官の一人が声をかけた。マリの担任である熟練の魔法使いだ。
返事を返しながら、彼女は教官のこわばった表情に心の中でため息をついていた。
未だ水を滴らせているマリに向かって教官が呪文を唱え杖を向けると、マリの身体を一陣の風が包み込み、過ぎた後にはすっかり乾いていた。
悪魔を振り返ると、彼の方も同じく乾いている。
黒い炎が見えなくなり、日差しを受けた真っ赤な髪が目に痛い。
「マリ、疲れているとは思いますが中へ入れる前に幾つか確認をしなければ鳴りません。」
教官は毅然とした表情で切り出したので、自然とマリも姿勢をただした。
「まず、何故悪魔をつれているのですか?」
「彼と契約したからです。
低級の使い魔以外は申告が必要ですので、とりあえずそのまま連れて来ました。」
マリも堂々とした様子で答えている。
「その契約内容は?正確に教えてください」
「使役の契約だとは聞いています。
既に申告していますが、私と契約している魔人が教えてくれたもので、人間の言葉でないため正確な意味は判りません。」
「何ですって?」
驚きのあまり、教官の声が上ずっている。
次の言葉に詰まっていると、悪魔が割って入った。
「お前は正確な内容も知らずに契約したのか?ばかなやつだ」
そう言って悪魔はせせら笑った。
心なしか先ほどまでより少し大きく見えるのは、その言葉に周囲の人間が恐れを抱いたからだろう。悪魔に限らず、畏怖は相手の力を強くする。
「お前はあの契約の言葉が判るんだね?
それなら、私たちに判る言葉で説明して。」
そうマリが命じると、悪魔はもっと大きくなった。
「あれは使役の契約といっても、おれの力を使わせてやる代わりにお前の魂を捧げるという契約なのだ。」
得意げに悪魔が話すと、周囲の人間がざわめき、教官の顔色が青ざめた。
マリはというと特に顔色を変えず、悪魔に向き直り、彼女より少し高い位置にある額に手をかざす。
「主人に嘘を吐いてはいけない。
正直に、正確な内容を教えなさい。」
彼女がささやきかけた言葉には魔力が篭っていて、悪魔の額にはあの紋様が鮮やかに浮かび上がる。
それはまるで火傷のように赤黒く刻み込まれていて、彼は低く呻きながら額を手で覆った。
「さあ、話しなさい。」
「あの契約は――確かに使役の契約だ。
被契約者は契約者には決して抗えず、使役は一方的なもので見返りは一切無い。
そして契約者を命を挺してでも守らねばならない。」
悪魔は喉の奥から搾り出すように言葉を紡いだ。まだ額を押さえており、こめかみの辺りには玉の汗が浮いている。
マリは満足げな笑みを口の端に上らせ、すぐに唇を引き結んで教官に向き直った。
教官はまた尋ねた。
「その契約のほかにも、今息を吹きかけて乾かしたり、貴方は魔人の魔法を使いますね。
とてつもない速さで駆けていったとか、火を噴いたという証言もあります。」
「はい、すべてサギール、私の魔人から教わったものです。」
教官はため息を吐いた。
「ふつうは魔人の魔法というのは人間に使いこなせるものではありません。
ごく稀に適性のあるものはおりますが、負担が大きいのでそんなに立て続けに使えるものではない。
そして昼までは確かに短かった貴方の髪が、どうして今は肩までの長さになっているんです?」
「強い魔力を必要とする状況でしたので、宿すために伸びたのだと思います。」
そう答えながら、マリは片手で自分の髪を触ってみた。
「マリ、人間の髪というのはそんな速さでは伸びないのは知っているでしょう。
何かの力が働いているのは確かですが、それがわれわれの魔法であるか今は判断がつきかねます。あなたが自分でやったのでなければ、悪魔の魔力に感化された可能性もあるのです。
貴方が人間であることは入学前に検査済みですが、ふつうではないのは確かですね。」
マリは黙って教官を見つめている。その眼にはやはり強い光が宿っている。
「悪魔と許可無く契約したのは何故ですか?
召喚したのは貴方ではないでしょう?」
「なんとなく、です。
目の前に自分が打ち負かした悪魔が居た。不思議と惹かれるところがありましたし、なにより好奇心が湧きました。」
教官は悪魔にちらと目をくれる。額からは紋様が消えていたが、未だこめかみに汗が光り、眉間に皺を寄せてマリを睨んでいる。
「悪魔というのは人間を惹きつけるものなのです。そうやって取り入ってしまう。
契約内容についてもその悪魔の言葉を信用しきるわけには行きませんし、魔人とのことも今一度審議が必要です。
また許可無く悪魔と契約した行為以外に、待機との指示を無視して勝手な行動をとったことにはそれなりの厳しい罰則が必要です。」
奥の人だかりにも声は届いているようで、シャンファが不安を浮かべてマリを見つめている。
「でも彼女のおかげで風使いは助かったじゃないか。」
「悪魔と闘って勝ったのを確かに見た。」
ちらほらと声が上がるが、教官は振り返りはしなかった。
教官は一つ深呼吸して言葉を続ける。
「しばらくの間は隔離室で過ごしてもらいます。そして魔人や悪魔について造詣の深い学者を呼び寄せ、審議を行います。
安全の確認が取れ、あなたの反省も見られるようであれば元の教室へ戻れます。
万一、貴方が魅入られていることが判った場合は相応の対応になりますが、それは仕方の無いことです。
異論はありませんね?」
皆の目線がマリに注がれる。彼女は臆せずにそれを受け入れた。
シャンファが泣きそうな顔をしていることだけが、マリの表情を曇らせていた。