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魔女と鉤爪の悪魔  作者: 枕水
魔女と鉤爪の悪魔
5/15

#5

 悪魔の鋭い鉤爪に頸をつかまれ、マリは持ち上げられている。


「ふん、こんなものか。持ちこたえたほうかもしれんな。

 ――どうだ、命乞いをして見せろ。気に入れば俺の下僕にしてやらんでもない。」


 悪魔は真っ赤な舌を見せて笑った。

 マリは薙刀を捨て両手で鉤爪を掴んでいた。今のところ喉はかききられていないが、かれの手はびくともしない。その眼はまだ強い光を放ちながら悪魔を見据えている。

 遠くでシャンファの声が聞こえた気がしたが、十分距離があるから大丈夫だろう。

 視界の端で校舎のほうを見るが、人がいるかはよく判らない。


「目を離していないで、自分の心配をしたらどうだ?」


 悪魔の手に少し力がこもった。指に鉤爪が食い込んで血が流れ出す。声が出ないのでサギールを呼ぶこともできない。

 

(……!)


 サギールの教えてくれた魔人の魔法の中に、呪文も唱えず手も動かさずに使えるものがある。

 魔力の消耗が激しいのと、日常で使うものではないため殆ど使ったことがなかったが、これにかけるしかないとマリは思った。

 悪魔の禍々しい笑みをにらみつけたまま、彼女は意識を集中した。


 短かったマリの髪が伸びていく。ぞろりと伸びた髪は、悪魔の目の前で肩くらいの長さにまで達した。

 悪魔が戸惑った一瞬の隙に、マリは大きく息を吸い込んで、吐いた。軽くすぼめた唇から、かぎろいのような鮮やかな炎が噴き出している。

 炎は悪魔を一瞬のうちに包み込んだ。


 声にならない叫びを上げ、悪魔は手を離した。そしてのたうちまわりながら海のほうへと飛ぶような速さで走っていく。

 マリは深呼吸して息を整えると、その後を追っていった。




 不規則な弧を描きながら若い悪魔は走っていく。「ご主人様」とうわ言のように口にするのが時折聞こえてくる。

 悪魔とマリの距離は徐々に縮まっていた。

 

 ふと、影が横切るのを感じて彼女は空を仰ぎ見た。見覚えのある鳶が仲間を連れて旋回している。

 彼女がかれを指差して何事か囁くとその声が聞こえたかのように、飛んでいた鳶たちがいっせいに少年をつつきまわし始める。

 少年は地面を転げ周り、やがて炎が消えた。


「もういいよ、ありがと。」


 マリが声をかけると、鳶たちはくるりと空高くへ昇っていった。


 近づいて見ると、悪魔を包んでいた黒いオーラは殆ど見えなくなっていて、対峙していたときに比べ禍々しさが随分と抜けている。

 こうしてまじまじと見ると美しい若者だ。マリより一つ二つ年嵩だろうか、大人になりつつある少年という印象だ。

 顎の辺りまである赤っぽい髪は緩く波打って草の上に広がり、青白いが端正な顔を飾っている。神経質そうな眉の下で閉じた眼を長い睫毛が縁取っている。鉤爪の外れた手はまるで彫刻のようだ。

 緑の草の上に赤い髪と灰色のコートの対比がなんとも鮮やかだ。

 先ほどまで感じていた仄さや冷たい汗は、いつのまにか明るい太陽と乾いた風に変わっていた。


「おいで、サギール。」


 呟くと、彼女の傍らにあの小さな魔人が現れた。


「まったく無茶をなさりますな、おじょう様。」


 そう言って、サギールはマリの傷の手当を始めた。魔人の傷薬は少し滲みるのだが、どんな傷も早く直るし、何より跡が残らない。


「このひと、死んでないよね?」


 マリが尋ねると、小さな魔人は倒れている悪魔を一瞥して応えた。


「――こいつは烏賊ですよ、おじょう様。こんな姿をしていますがね。

 しかし烏賊といっても、海の深い暗いところに居るやつだから、臭みがきついし身はぶよぶよで美味かありません。何より悪魔なんて食べちゃなりませんよ。」


 マリは苦笑した。食べられるかではない、生きているかを問うたのだというと、魔人は「今はまだ。」とだけ答えた。


「じゃあ海に還したら元気になりそうだよね。勝負に勝って、命を助けるんだもの、こちらが優位の契約を結べるかも。」

「おじょう様、われわれ魔人は馬鹿が付くほど正直ですが、悪魔の奴めは二枚舌です。うまく行かねば貴方がとりつかれてしまいますから、私はお奨め致しませぬ。」


 魔人は反対したが、何しろ主人が気を変えなかったので従うより他無かった。

 それで手当てが終わると、ぐったりしている悪魔を魔法で浮かせ、魔人はマリとともに浜へと歩き出した。

 浜に着くまでも散々サギールは言って聞かせたが、マリの気は変わらなかった。




「さて、着きましたな。」

 

 そう言うと、サギールは浮かせていた悪魔を水面に落とした。乱暴な扱いだが、当然ではある。

 かれは一瞬沈んで、次に浮かんできたときには6フィートはありそうな烏賊の姿になっていた。

 赤っぽい色をしていて、先端の鰭が大きく、いったんくびれて胴体も大きく丸い。長い触腕には大きな鉤爪がついている。


(大王イカ、ってこんな感じだったかなあ……)


 いつかテレビで見た深海の巨大生物を思い出す。しかしこの悪魔がそうだと断定できるほどには覚えていない。

 今度ネットで調べてみよう、と思いながら、マリは水に入るため靴を脱いだ。さすがに服は脱がないが、



 鰭の付け根の少し細いところを抱えてマリが水に入ろうとすると、サギールが言いにくそうに口を開いた。


「おじょう様、その……わたしは水の中が駄目なのです。なので付いていって貴方をお守りすることができませぬ。

 運びやすいよう魔法はかけておきますが……。」

「気にしないで、いつも助けて貰っているし。どうもありがとう。」


 そう言ってマリは微笑んだ。魔人が深く深くお辞儀をして姿を消すと、彼女は大きい浮き輪につかまって泳ぐ要領で、烏賊を抱えたまま泳ぎだした。




 暫く浅いところを泳いでいたが、なかなか悪魔の烏賊は動き出さない。

 魔人が「海の深い暗いところにいる」と言っていたのを思い出し、マリはため息をついた。


「もう疲れたから、これ以上魔法は使いたくないんだけどなぁ。」


 そうひとりごちてから大きく息を吸い、魔人の教えてくれた水の中で息ができる呪文を唱えると、マリは水面を大きく蹴って潜り始めた。

 遠浅の海だが、だいぶ沖まで来ているようだ。あたりは真っ青で、さんご礁の影から甲殻類の脚や大きな魚の尾鰭がのぞく。

 さらに深いほうへ泳いでいくと、彼女の身長くらいありそうな大きな蛸や二枚貝が、じっとこちらを伺っているような気がしてくる。


 突然、烏賊は泳ぎだした。

 マリは慌てて両手で抱きかかえるが、波打つ遊泳鰭が邪魔になって腕が離れそうになる。


「ねえ、気が付いたの?」


 何度か声をかけたが、烏賊は返事などしない。掴まるのに手一杯で顔を上げることもできないが、どんどん速度を上げ、辺りは次第に青が深く濃くなっていくのが判る。

 やがて辺りが闇のようになった。眼を開けても何も見えない、ただの黒だ。時々通り過ぎる何かが身体に触れるが、見えないのでよく判らない。

 随分深いところまで来てしまったことにマリは気づいている。もう手を離しても一人では戻れないだろう。魔法を使っていても息が苦しいし、全身が軋むように痛い。

 意識が遠のくにつれ魔法の効果は薄まっている。気を失えばそのまま死んでしまうだろう。


(気を失ったらダメだ。起きてないと――)


 やがて、マリの手が離れた。虚ろな眼は何も見ていない。見ようとしたところで、あたりはただ暗くて黒いだけではあるが。

 彼女の身体は烏賊の上を滑り――そしてあの鉤爪に引っかかった。

 烏賊はまるで初めて彼女に気づいたかのように、触腕で彼女を絡めとると、さらに速度を上げた。


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