#3
入学から二ヶ月が経とうとしていた。
ポーラの猫がマリにやけに懐いているのが気にかかりつつも、彼女らは仲良くやっている。
マリは最初、二人に気後れしていた。
シャンファは母親がモデルもこなす女優で、資産家の令嬢として育ち、美しさに気品を纏わせている。一目で自分とは世界が違うと感じ、同室でなければ話すこともなかっただろう。
ポーラのほうも金髪に緑の目の、まるで人形のような女の子だ。あまり自分の話をしたがらないが、落ち着いた話し方や食事のマナーなど、ちょっとした所作からすぐにわかった。
ごく普通の家庭で育ったマリからすると、二人とも同じ15歳なのにずっと大人っぽく感じる。二人が会話している様は絵になっていて、とてもそこに入っていけない、とマリは感じた。
しかしシャンファもポーラも話してみると気さくで、英語に不慣れなマリに対しては少しゆっくり話してくれるし、判らないところを教えてくれる。
その代わりに、マリは二人に学校では学ばないことを教えた。
魔人が教えてくれる魔法は学校で学ぶものと、根底の概念から違う。
魔人の魔法を使う点でもマリは他の生徒から異質なものとして見られていたが、シャンファとポーラは好奇心のほうが勝っていた。
契約の呪文こそ教えなかったものの、魔人のサギールから一緒に料理に使う魔法を教わったり、浜へいって泳いだり、三人のうちの誰かが眠れない夜には一緒にホットミルクを飲みながらお喋りしたり……。
シャンファとポーラがそれぞれ自国流のお茶の入れ方を披露したときなど、サギールは興味深々で羊皮紙にメモを取りながら見つめていた。(彼のお茶はいつもアラブ風のきつい一服か、ミントティーだった。)
そんな平和なある日、事件は起こった。
* * *
「マリ、あなたって本当に人間なのよね?」
週末の昼下がりに、三人揃って爪の手入れをしているとポーラが尋ねた。手元ではガラスの爪やすりが小刻みに動いている。
「人間だよ。そんなに私って変かな。」
マリは小さな金属のボウルに張った湯に指先を浸しながら答えた。ボウルの上では薬草畑から失敬してきた花がゆらめいており、辺りに芳香が漂っている。
「この学校はセキュリティが厳しいから、入学前にしっかりチェックされるじゃない。ここに居るって事は間違いなく人間よ。」
シャンファがそっと補足する。彼女は実家から誕生日祝いに贈られてきたネイルオイルを塗っているところだった。
「警報!北の森に異常あり!!」
空気を切り裂くように学校中に響き渡った音声に、三人は思わず飛び上がった。
「な、なに?」
驚いたままの顔を見合わせ、慌てて手元を片付ける。急いでタオルで指先を拭いながら、ほかの部屋の子と話してみようということになった。
廊下のほうから慌しい足音が聞こえる。
真っ先に立ち上がったシャンファがドアを開けた途端に、ちょうど入ろうとしていた上級生とぶつかった。彼は軽く詫びながら手にした名簿を確認した。
「シャンファ・ウォン、マリ・クロカワ、ポーラ・ローレンス。」
返事をする間もなく、三人の名前が読み上げられた。名簿の上で名前が光り、チェックされていく。
「外出していなくて良かった。すぐ食堂へ!」
早口でそう告げると、彼は隣室へと向かった。
食堂には既に大勢の基礎課程の学生が集まっており、担当教官と数人の魔法使いが奥の壁際で何事か話し合っている。
三人は同級生が集まっている席へついた。
「イザベラとケンがいないの。ふたり、今日は浜でデートするって出かけてて…」
涙目になったクラスメイトが話しかけてくる。
シャンファがそっと肩を抱いて慰めている。その隣ではポーラの猫がまたもマリの膝に乗ろうとして、ポーラが慌てて手を伸ばし、自分の膝に載せた。
現在の状況についてあちらこちらで憶測が飛び交っているなか、彼女らのテーブルは静かに二人の無事を祈っていた。
一時間ほど経っただろうか。やがて教官の一人が急遽設えられた演壇に立った。
「静粛に、静粛に!
君たちは、先程警報があってここへ集まって貰った。外出から戻っていない友もおり不安だと思われるが、まずは精神を落ち着けなさい。」
そう言って彼は十字を切り、守護聖人への祈りの文句を呟いた。それを見た生徒の多くが、それぞれ自分の信じるものへ祈りを捧げる。
「――それでは、簡単に現在の状況を説明します。
今日の昼ごろ、北の森で薬草を摘んでいた魔法使いが黒魔術の陣を見つけました。報告を受け黒魔術のベリーニ先生たちが調べたところ、悪魔召喚の陣になっており、既に門が開いた状態でした。」
「悪魔!?」
「禁止されているはずじゃ…」
一瞬にして空気が冷たくなったように、皆ぞくりと身を震わせた。
驚きの声はざわめきとなり、それを抑えるために教官は大きく咳払いをした。
「先生たちにより直ちに門は閉じられましたが、既に何者かが侵入しており、森から戻る途中に襲撃されてチームの一人が怪我を負いました。
わが校の悪魔祓いの4名と研究員が北の森へ向かっています。また、この学校も寮も堅牢ではありますが、念のため皆さんにはここや講堂に集まって貰い、われわれ教員が守ります。」
「友達が南の浜に行ったままなんです!」
シャンファが泣いている同級生の肩を抱いたまま、声を上げた。彼女も小さく震えている。
「南の浜と東の岬には出かけている学生が居るとの報告を受けており、専門課程の学生のチームが迎えにいっています。補助魔法の得意な魔法使いがメンバーにおり、すぐに連れ帰ってくるはずです。
皆さんはとにかくここで待っていてください。決して一人にならないこと!以上!」
教官が演壇から降りると、食堂は再びざわつきだした。
とはいえ、いつもの明るいにぎやかな喧騒ではなく、重く沈み、おびえた群れがさざめいている。
百名ほど居る基礎課程生は皆、不安そうに肩を寄せ合っては時折窓の外を伺う。しかしそこにはいつもどおりの草原が広がるばかりだ。
鎮静効果のあるハーブティが供され、「甘いものは不安を和らげるから」との気遣いでお菓子も並んでいる。
マリはお菓子を一つ手に取ると、南側の見える窓のほうへ歩いていった。
外は晴れていて、すがすがしい天気だ。この空の下に悪魔がいて、それに怯えているなんて信じられない。
ところがその様子を誰かが見咎め、次第に噂はマリの方へと矛先を向けていた。
「悪魔召喚なんて、魔法使いの中でも黒魔術師と、後は悪魔祓いしか許可がされていないはずだ。図書室の本も借りられなくなっている。」
「だいたい悪魔を召喚してどうしようとしていたんだ?」
「悪魔と契約しようとしたに決まってるわ。」
「……やりかねない奴が一人居ないか?」
「普段から杖も無しに魔法を操る、得体の知れない奴だ。」
「それに私たちの知らないような魔法を沢山知ってるわ。」
「いまも平然と菓子をつまみながら、窓辺で外を眺めてる。何故あいつだけ暢気に構えてるんだ?」
マリは一心に草原の向こうを見ようとしていた。浜へ行った二人はどうしているだろう。早く戻って来ると良いが……。
愛想の無い彼女だが、友達のことはとても心配していたのだ。
「マリはそんなことしない!」
シャンファの声が食堂に響き、マリは振り返った。皆の冷たい、あるいは憤怒の視線が突き刺さる。
彼女は立ち上がって言葉を続けた。
「それに、私たちずっと一緒に居たもの!ねぇ、ポーラ。」
ポーラは真っ青な顔で頷いた。しかし周囲からはマリを疑う声が上がり続ける。
「静まりなさい!」
教官の一喝には魔術が込められていて、騒いでいた学生たちもマリやシャンファも、指一本たりと動かせなくなった。
「陣に残っていた魔力の痕跡から、マリではないことは判っています。その学生には厳罰が下りますが、さしあたっては処罰よりも皆さんの安全を優先します。
悪魔がやってきた場合、精神力が一番たいせつです。
気をしっかり持つこと。疑心暗鬼になって不安が大きくなれば、我々はそれだけ不利になるのです。」
教官が否定した後もまだマリを疑う声が漏れ聞こえたが、大方の学生はマリを信用したようだった。謝ったものも何名かいた。
「『マリではないことは判っている』って、やっぱり先生たちもマリを疑ったのかしら。」
そう呟いて眉根をぎゅっと寄せるシャンファのところへ、マリが歩いてきた。
「サギールのことを申告してあるから、そのせいかな。それよりポーラ、顔色がかなり悪いけど大丈夫?」
ポーラは弱々しく口角を上げたが、ますます色を失っていた。