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魔女と鉤爪の悪魔  作者: 枕水
魔女と鉤爪の悪魔
1/15

#1

 よく晴れた夏の終わりの朝、一隻の帆船が海の上を滑っていく。

 まるでスペイン艦隊が世界のあちこちへ舳先を向けていた時代のような、随分と古くさいスタイルのその船は、そよ風にも関わらず白い帆をいっぱいに膨らませ、さざ波もたてずに、しかしかなりの速度で進んでいく。

 やがて船は虹のふもとを通り過ぎ、見えなくなった。


 その日は遠い海にぽつんと浮かぶ島にある寄宿学校の始まる日で、東の岬では桟橋に船が錨をおろし、南の浜には幾艘ものヨットが並び、降り立った学生たちは辺りの美しい景色を眺めながら緩やかな坂道を登っていく。

 島の西には入り江があって、そこから島の中心部へは急峻な崖に切り返しの多い階段が長く長く刻まれている。崖の上に立ってみても、只々どこまでも広がる海が臨まれるばかりで華やぎもなく、滅多に使われていないようだった。

 朝のあの帆船がひっそりと西の入り江へ着けると、一人の少女が降りてきた。他には船も人影もなく、少女は独り粛々と階段を上っていく。潮騒と、遠くから聞こえる海鳥の鳴き声だけが彼女を迎え入れた。



 島の高台には修道院を兼ねた寄宿学校がある。祀られているのは水の神なのだが、あまり明確な信仰ではなかった。

 祭られている神そのものの概念が特定の宗教を成さず、学校の教師も学生も、海辺で生まれたからだとか、自国では水の神様によくお参りしていたとか、自分の守護聖人が水に縁のあるひとだとか、そういった様々な信仰を持つ者が集まる。

 もう一つの特徴として、ここには人間として生まれながら、普通の人間とは違い魔力を授かった者ばかりが居る。しかし獣人や吸血鬼といった人間ではないものたちはここには居ない。


 学校では基礎的な魔法や薬草学、料理、農耕、占いといった世の中で必要とされる技術をまず学び、それが認められるとそれぞれの性質に特化した専門的な内容を学ぶようになっていた。

 分野や本人の能力によって習得に必要な時間が異なるため、明確に何年で卒業というカリキュラムは無く、基礎のみ2年を目安としている。原則として各自出身地の義務教育が完了してから入学するため、15歳くらいで入学するものが多い。

 同じような学校は信仰を軸に幾つも存在しており、中には特定の宗教や文化に限定される学校などもある。

 自分自身の内に一定の価値観を持つということは魔法を使う上で非常に重要となるため、信仰や文化が軸になっているのだった。



 さて、先程あの階段を上っていった少女は15分程かけて一番上まで到達した。息も乱れておらず、長い長い階段の途中で休憩することもなく、ただ一定の速度で足を運び続けた。

 階段の一番上には東屋があり、そこを抜けると日当たりの良い草原が広がっている。草原には石の敷かれた細い道が続いていて、そのずっと向こうには修道院と学校、そして付随する寄宿舎が佇んでいる。

 少女はまたも粛々と歩き出した。学校が近づくにつれ、鳥の囀りに混じって和気藹々とした学生たちの声が聞こえだしたが、それでも彼女は只粛々と歩いていた。



 建物が近づくにつれ、その全容が明らかになる。

 ゴシック建築の大きな建物は学校で、遠くからもよく見えていた尖塔は学校の背後に寄り添うように建つ修道院のものだった。

 寄宿舎も学校と廊下で続いているが別の棟になっており、生活の場だからだろうか、幾らか柔らかい雰囲気の装飾がされている。学生たちの流れはこの寄宿舎に向かっている。

 前からの学生はそのまま自分の部屋へ行くが、新入生はここの入り口で部屋を割り当てられ、鍵を貰ってその部屋へ行く。二~四人部屋になっていて、鍵のついたそれぞれの寝室と、バスルームやミニキッチンといった共有スペースが一括りになっている。

 学校が始まるのは翌日からなので、今日は新しい生活の支度と、新入生を迎える日だ。



 彼女は新入生らしく、寄宿舎の入り口で辺りを見回していた。

 扉の少し奥に上級生や教師らしき人々の居るカウンターがあり、周囲の初々しい様子の学生たちの後を追って彼女もそこへ向かった。


「こんにちは。新入生だね?僕は専門課程生のアンドレ。君の名前は?」

「こんにちは。マリ・クロカワです。」


 カウンター越しに話しかけた上級生は、名簿に目を通してまもなく彼女の名前を見つけた。


「魔法使い志望か、宜しくね。部屋はあの階段を上って七階の奥から二つ目」


 マリはアンドレから鍵を受け取ると、礼を言って右手の階段を上り始めた。

 螺旋階段は三、四人が並んで歩ける程度の幅で、オーク材の手すりは長いこと使い込まれたのもあり飴色の艶が美しい。

 下りてくる者より上っていく者のほうが多く、各階のエントランスに屯している者はもっと多かった。

 あちらこちらで久しぶりに会った友人たちが挨拶を交わし、新入生が自己紹介をしている。

 そんなちょっとした喧騒には目もくれずに、マリは階段を上っていった。



 マリは髪が短い。漆黒というよりは墨のような黒髪で、前髪は眉にかからないし、サイドも耳にかけられないし、襟足もすっきりと短くしている。

 魔女はたいてい髪が長い。髪には魔力が宿るので男女とも長い髪が多く、特に女性の髪は魔力の影響が強いため、腰のあたりまで伸ばしているのが普通だ。

 彼女が割り当てられた部屋に入っていったとき、ソファでくつろいでいたルームメイトは長い髪を丁寧に編み込んでいるところだった。


「こんにちは」

「こんにちは。私、シャンファって言うの」

「私はマリ。よろしく、シャンファ」

 

 シャンファの人懐こい笑みにつられるように、マリも小さな笑みを浮かべた。


「とりあえず荷物を置いてくるわ」


 廊下から入ったところは居間になっていて、入り口脇にコンソールとコートかけ、中央にソファとローテーブルが置いてある。

 左手には青いタイルのキッチンが見え、右手にはバスルームのドアがある。

 奥には3つドアが並んでいて、そのうちの一つにマリの名前の書かれた札がさがっていた。


 個室にはベッドと机とクローゼットがあるだけだ。マリの部屋は出窓になっていて、彼女はベッドの足元に荷物を置くと、そのなかから両手くらいの大きさの水盤を取り出して、出窓へ置いた。

 そして水盤に向かって呪文を小さく呟くと、水面には小さな睡蓮がぷかりと浮かんだ。

 それから服を取り出してクローゼットに仕舞い、分厚い本とノート数冊とペンや筆をデスクに並べた。

 ほかには大して荷物を持っておらず、そういう雑多なものは鞄の中に仕舞いっぱなしにして、紅茶の缶だけ取り出すと彼女は自室を出てキッチンへ向かった。


「あなたも紅茶いかが?」


 キッチンから声をかけると、シャンファの嬉しそうな肯定が返ってきた。

 マリはまた小さく何事か呟くと、「お願いね」と付け足してリビングへ戻った。


「私は魔法使いなの。マリは?」


 マリがソファにかけた途端に、シャンファは訊いてきた。


「私も魔法使いとして入学した。」


 そう答えると、シャンファは大仰なほど驚いた顔をした。


「でも、マリ、あなたの髪はそんなに短いじゃない!」

「短いほうが好きなんだ。頭が軽くて肩が凝らないし。」


 シャンファが絶句していると、キッチンのほうから可愛らしい足音を立てながら小さな魔人がやってきた。

 ティーセットを銀の盆に載せ、それを頭に載せている。シャンファの開いた口が塞がらないうちに魔人はソファテーブルまでやってきて、テーブルの上にお茶の支度をした。

 

「シャンファも熱いうちにどうぞ。彼の淹れるお茶、とても美味しい。」


 マリが紅茶を飲み始めても固まったままのシャンファは、促されてティーカップを手に取った。


「……おいしい!」


 先ほどまで表情を失っていたシャンファは、また笑顔に戻って声を上げた。

 隣で給仕をしている小さな魔人はそれを聴いて、嬉しそうに姿勢を正した。


「ところで彼は…ええと、どちら様?」


 紅茶を数口味わってから、シャンファはおずおずと切り出した。


「彼はサギールって言って、去年の春にうちの前で行き倒れてたんだ。」

「おじょう様!」

 

 小さな魔人は顔を赤らめている。マリはそれを見て楽しそうに笑った。


「それでご飯を食べさせてあげたんだけど、命の恩人だといって契約してくれたの。良いひとでしょう?」


 シャンファはため息をついた。


「魔人と契約するってとても上級の魔法でしょう?まだ学校にも入っていなくてそんな事ができるなんて!あなたのご両親は大魔女なの?」

「ううん、普通の会社員だよ。」

「誰か教えてくれた人が居るとか?」

「ああ、契約の呪文はサギールが教えてくれたんだ。他にもいろいろと教わったよ。卵をプリンに変える魔法とか、お魚がパリッと香ばしく焼ける魔法とか」


 シャンファは再びため息をついた。


「サギール、あなたって…なんていうか…ほんとうに…食いしん坊なのね」


 魔人はますます赤くなって、小さく頭を下げた。



 もう一人のルームメイトはポーラといった。彼女も今年入学した新入生で、寒いところから来たらしく、しきりと「この島は暑いわ」とぼやいていた。

 サギールはポーラに氷の入ったミントティーを出してやった。それから静かにそばに控え、三人がお茶を終えると食器をふたたび銀のトレイに載せ、ぺこりとお辞儀をしてそのまま消えてしまった。


 二人はマリに契約の魔法はどのくらい難しいのか、自分たちも使ってみたいという話をした。

 彼女らの年頃でも猫や鴉といった使い魔をもつことは多いが、精霊や魔人、悪魔といった高位の存在と契約している者はごく僅かだ。その殆どが『力を貸して貰う』という契約で、マリのように『魔人を従える』契約をしている者など聞いたことがない。

 

 シャンファとポーラに対するマリの答えは次のようなものだった。


「サギールが教えてくれたのは呪をかける側が優位に立つための呪文。たまたま私が命の恩人だからと彼から申し出てくれて、力の差は歴然だけれども彼が従うという気持ちで居たから成立した。

 もし相手に従う気が無かった場合、反対にこちらが囚われることもある。魔人や悪魔は口約束が好きだけど、すごくひねくれているから結果的に騙されることもある。

 契約の魔法を二人に教えて、それで何かがあったら私はとても悲しい。だから、判ってくれる?」


 残念そうな様子ではあったが、シャンファは素直に諦めた。聡明な彼女は、マリが『異常値』であることに気づいていたのだ。

 普通の人間にとって魔法などの力を持つ者は羨ましいと同時に、嫉妬や異質なものへの恐れを向けられる。

 それと同様に、彼女にはない、恐らく圧倒的な力を持っているマリを羨ましくも思うが、やはり持つ者は持たざる者からの様々な感情を向けられ、根本の部分で孤独な存在なのだ。

 何も魔法に限ったことではない。権力、財、美しさ、知恵、――他者に妬まれる要素は世の中にいくらでもあり、持てる者は持てる者で悩ましいところもある。

 富豪と女優の娘であるシャンファも、要素は違えど"持つ者"の孤独を知っていた。

 

 ポーラのほうは暫く諦めがつかないようだったが、シャンファがやんわりと口を添えてくれたので最後には諦めた。

 彼女の膝の上では使い魔の黒猫が丸くなっていたが、黒猫は目をとじながらも片耳をぴんと立てていて、まるで聞き耳を立てているかのようだった。

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