竜と甘いお菓子
結果として、竜の事は王と領主に報告したが、管理はリリアとアランに任された。
普通はあり得ない処置だが、実は今、アリテクトリは魔石欲しさに大きな宗教国家に胡麻をスリスリしている最中なのだ。そしてその宗教が崇め奉っているのが竜なのである。よって、竜を今殺すのは非常にまずかった。秘密裏に処分出来れば良かったのだが、向こう様はかなり手強かった。
竜がシロガネ森に降り立ち、転生した事が既にバレていた。そして、滞在中の使者からこんな言葉が出てきたらしい。
『新たな神の命の保証。それから神の亡骸から角(一本)の譲渡。其れ等を約束してくだされば、好きなだけ魔石をお譲り致しましょう』
ただし、どちらか一つでも欠けた場合は。
『経済制裁……覚悟してください』
かの国の教えは、あまりにもこの世界に広まっていた。国境にしている国も多いほどだ。アリテクトリは決して小国では無いが、近隣諸国全てを敵に回して無事で済む訳が無い。問答無用で従わざるを得なかった。
ここで意外なのが、竜の赤子の身柄自体を要求されなかった事だが、使者曰く。
『神の意志は神自身が決めるもの。下賎な我らが勝手にその意思を推し量り、触れてはならない』
建前を通訳すると『竜がそこに居たいっつってるんなら、人間の都合で勝手に動かせません。本人の希望が第一です』と、なる。別に竜は成り行きでシロガネ森に来ただけで、『此処に定住したい』とは一言も言っていないし言えないのだが、そんな事はさて置いて、本音はこうだ。
『でかくなった時に暴走されたら困るので、そっちで世話してください』
とてつもなく、ものすっごく、……勝手な話以外のなにものでも無い。
余談だが、この時アリテクトリの有能な宰相は『お前ら崇め奉ってるんじゃないのかオイ』というツッコミを入れたくて仕方がなかったとか、どうとか……。
かくして、リリアとアランの家でしばらく育てられる事になる竜の赤子は……。
「困ったわね……何も食べないわ」
生まれてから約五時間後、そして早馬で竜の管理を任されるという王命を聞いてから一時間後の現在、テーブルの上で伸びていた。……空腹で。
「雑食だと思ったのだけれど」
「肉食だろ」
丁度、外から戻ったアランが干し肉を竜の目の前でちらつかせる。が、竜はプイっと反対側に顔を向け、はたまたお尻を向けてしまった。
お手上げだが、ここで餓死させるなどという事になれば、夫婦揃って首が飛んでしまう。
「そういえば、貴方が此処にいるという事は、外の処理は終わったの?」
「まあな」
リリアが言っているのは、外にあった竜の死骸の処理だ。リリアが既に言った事の繰り返しになるが、竜の体はどこもかしこも最上級の素材になる。国から依頼を受けた解体屋が庭でそれらをバラし、ついでに冒険者ギルドから依頼で寄越された魔術師が庭の手入れをする様子を監督しろと言われ、アランは午後から在宅勤務になったのだ。
「お前が大事にしてる薔薇は全部元通りになってたぜ。良かったな」
「……ええ」
ふと、彼女はそこで疑問を抱く。
なぜ竜は、わざわざ森から顔を覗かせていたのだろうか? と。
重症過ぎて飛べなくなり、落下してしまったのであれば偶然で済ませられる。だが、あの巨体の落下に伴う轟音など全く聞こえてこなかった。揺れもまた然り。
どう考えても、人の近付かない森の奥深くから身体を引きずってやって来たとしか思えなかった。
エルフである自分の気配を探知して、食うために来たのだろうか?
竜を今一度観察する。可愛らしい尻尾を引っ張ってみたう衝動に駆られるリリアだが我慢だ。……と、そんな衝動と戦っていれば、竜が時折厨房の奥を見ている気がした。頭がそちらに少しずつ傾いては耳がピコピコ動いて定位置に戻り、また傾いては戻っている……ように見える。本当に動き具合が絶妙過ぎて、耳の動き以外は確信が持てない。だが、彼女は「もしかして……」と、何かを察した。
「お目当は、あの向こうにあるお菓子かしら?」
ピコッ‼︎ と、竜の耳がピンと立つ。そして竜は「キュンキュンキュンキュン」とリリアに甘えた声で何か訴え始めた。
「マジか……」
「クスクス、本当はシルヴィちゃんに焼いたものだったのだけれど、すっかり忘れて帰っちゃったからね。竜の体に良いかは分からないけれど、すぐに持ってきてあげるわ」
リリアはシルヴィに出すはずだったパイを運んできた。紅茶とクッキーも数枚揃え、テーブルの上がすっかりティータイムの色に変わる。
自分もお腹が空いていたし、アランも食べたがるに違いないと踏んだ結果だ。
彼女が出して来たのは、丁寧に生地を編み込んで蜂蜜でツヤツヤさせた格子の中に、濃い紫のフィリングと優しい黄色が見え隠れするパイだった。
「ブルーベリーとクリームチーズのパイです。どうぞ召し上――」
「きゅんきゅんきゅーん!」
待ちわびたっ! と言わんばかりの怒涛の勢いだった。リリアのセリフをかき消して、皿に切り分けられたパイに竜が被りついたのは。
「あらあら、お口の周りがベタベタ……」
「美味そうに食うなぁ、コイツ」
楽しそうに、竜がパイを食べる光景を眺める二人。欠片一つ残さずペロリとそれを平らげた竜は、おかわりを要求しているのか「きゅん!」ともう一鳴き。
「甘いもんの食い過ぎは体に毒だぞ? 茶とクッキー食ってみて、それでも腹減ってんなら食っていいから」
「きゅん…………きゅ!」
最初は納得していないように見えたが、小さな体で器用にティーカップから紅茶を飲み始めた竜は、どうやらお気に召したらしい。
紅茶とクッキーを交互に口にしていた。
「――名前を決めましょうか」
満足した竜が、仰向けになってふかふかのクッションの上で寝ている姿に癒されながら、リリアがポツリと零す。
「巣立つ時に、手離しづらくなんぞ」
「そうね。でも、きっとしばらくはこの子、家に居ると思うの。名前が無いと不便でしょう?」
この時アランには、竜の頬を指先で突くリリアの表情が何処か悲しそうに見えた。
違う理由があるように感じた。
そしてそれは、自分のせいだという事も……。
「名前……考えてみたいのか?」
「……ええ」
不自然に間が空き、アランの瞳に影が指していた。
「悪ィ。俺の我儘で……」
「何を言っているの? 元々、私は子どもが出来にくいのよ? 例え貴方と……まあ、あれこれ試しても、結婚して四年で出来る確率なんて凄く低いわ」
竜から離れて、リリアはアランの元へ向かう。ジッとテーブルの木目を見ているアランは気付いていない。そんな夫の、これから見られるであろう驚いた表情を想像すると、リリの心は暖かくなった。
アランの両頬に手を添えたリリアは、その顔を自分の方へと向かせる。
無抵抗に彼女の思うままになったアランは、顔の近さに息を呑んだ。距離的に、この後の彼女の行動が予想出来て、咄嗟に目を閉じたが――。
……コツン。
「ふふふ。キス、すると思った?」
触れたのは唇と唇では無く、額と額だった。
悪戯めいた笑い声に、アランは目を開けてリリアの肩を押す。額を合わせているほど近距離の状態では正直、彼女の顔をちゃんと見て話している気がしないからだった。
「不意打ちは止めろって言ったよな?」
「赤い顔で凄んでも効果無いわよ」
「…………」
アランの狼のような耳の先がへしょげるのを見て、リリアは笑みを深くした。
……が、腕が回され、後頭部に手が添えられる。腕には力が込められていた。彼女の表情がキョトンとしていたのは、僅か1秒にも満たない。
唇が、それに触れる。バランスを崩してアランの膝の上に座り込む形になれば、腰にもう片方の腕が回された。
普段よりも深く、噛みつくようなそれからリリアが解放されたのは、実際には数十秒後である。しかし、リリアにはもっと長く感じられた。一時間くらいに思えた。
長々しく錯覚したその行為が終わると、リリアはアランから顔を隠すべく、彼の胸に顔を埋めた。
「さっきまでの余裕はどこ行った?」
必然的に、今度はアランが笑う番になる。
「……年下のくせに、生意気よ」
「たった二つの違いだろ」
顔を隠したままのリリアが可愛らしくて仕方ないらしい。アランがリリアを抱きしめる力を強めれば、リリアの方は、居た堪れない気持ちになった。
「重いでしょう。そろそろ離してくれて良いのよ?」
「 こういうバカ夫婦っぽい事ってあんまし出来ねぇから、思う存分堪能したい」
「私、『バカ』は嫌だわ。貴方一人だけでどうぞ……既にバカ過ぎて手遅れでしょうけれど」
「リリアさんリリアさん。お願いだから空気読んで? 此処で猛毒吐かないで!?」
喧しくなったアランに、そろそろ顔の熱が引いたと判断したリリアが顔を上げる。と、……額にまたしても口付けが落とされる。
「……~~~~っ。何しやがるのよ、もう……」
再び顔を隠したリリアの頭に顎を置き、アランは「そりゃこっちのセリフだよ」とのんびりした口調で返す。
「何で?」
「先に仕掛けてきたのはお前じゃねーか。忘れたなんざ言わせねぇぞ」
「だって、貴方ったら肝心な事を忘れてうじうじしているんだもの……」
「は?」
「何か不愉快だと感じたら、私はさっさと出て行っているわ。そんな事気にしないくらい、貴方を好いているって事よ?」
アランは軽く目を見開き、死ぬまで離さんと言わんばかりにリリアを抱きしめる腕に、今までで一番強く力がこめた。
リリアも、それに応えるように、だが控えめに腕をまわした。
『好き』は言える。しかし、『愛してる』は言えない。
リリアには、これが精一杯だ。
リリアは、自分の想いが軽いと自覚している。
そこから出てくる言葉の力が紙よりも薄いと知っている。
だから敢えて、アランにはっきりと言わなかった。
元来、リリアは臆病者なのだ。
だから、アランに本当に伝えたい言葉は違ったけれど、言えなかった。
その言葉を信じてもらえなかったら、……今度こそ自分は立っていられなくなると彼女は恐れた。
自分の中にまだ居座っている、アランでは無い男を慕っていた存在が消えるまで、言わないでおこうと決めた。
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