夫は軍人
大陸の西に領土を持つアルテクトリ国。
かの国のウルカーバンクル領の居城内、柘榴塔。
アラン・シュヴァリエことアランの職場は、その中にある。
正式な名称は、軍部ウルカーバンクル分室。
そこに勤める彼と彼を含んだ十人のメンバーの仕事は、ウルカーバンクル領主一族の護衛と領内で起きた凶悪犯罪の対処。親の七光りや外見だけ良いお飾りの軍人とは違い、完全実力主義で選び抜かれ、理由あって王宮から派遣されている小精鋭部隊だ。
「嫁が可愛すぎてつらい」
そんな事を真昼間から堂々と宣い机に突っ伏す男――アランが、その少数精鋭部隊の室長だ。とても、非常にッ、残念な事に……。
「おい、誰か俺の剣を持って来てくれ。コイツ今すぐ殺す」
「あはははは~、副長殿は大人気ないなぁ。そんなんだから結婚出来ないんだぞー」
「誰でも良い。今すぐ拷問具を有りったけ倉庫から持ってこい。コイツじわじわ殺す」
アランの言動に血管が切れかけている男はヴィム・デューリング。アランとは士官学校時代からの付き合いで、言動は少々荒っぽいが根は良い奴だ。
「今度皆で合コンするか」
「お前、今アホのような愛妻家発言かました口で何を言ってるんだ……」
「安心しろ。俺は近くで一人あぶれたお前を笑って、リリアと美味いメシを食う」
「なんで俺が一人あぶれてんだよッ!」
襲いかかる副長と笑ってあしらう室長。その光景を横に、室内にいた他五名の男女は静かに書類仕事をこなす。一人、二週間前に入ったばかりの新米だけ、若干冷や汗をかいているが。
「せ、先輩方。お二人を止めなくて大丈夫なのですか?」
「いつもの事よ~」
「建物倒壊しそうになったら止めるから安心しろ」
「むぐむぐ……てゆーか、下手に間に入ると最短でも全治三ヶ月もんやからね」
青い顔の新米、ケヴィン。
枕を机に置き、半分寝ながら仕事をしている美女、フローラ。
恐ろしい速さで書類の塔を自分の机から消しては、アランの机にスライディングさせるように飛ばしている有能仕事マン、パウル。
小さな体躯であるためか、クッキー片手に書類とにらめっこする姿にまるで違和感が無いロリっ娘、ステファニー。
上からその順で会話していた四人だったが、一階から執務室まで続く階段を誰かが上がってくる音に、一旦静かになった。ちなみに、上司二人は未だ騒がしい。
「見回りから帰った」
「さして大した事は今日も無かったっスよー」
この部屋には似つかわしく無い、きらきらとしたオーラを纏う美青年が二名入ってくる。
涼しげな目の落ち着いた青年のヘンリックと、子供のような目の明るい青年、レオン。このコンビは、街を出歩かせるとすぐさま女性達の羨望の的になる。惚けた顔と視線を向けれらているだけなら無害だが、そこへ危険物に分類されるような贈り物が賽銭よろしく投げられたりしたのは数知れず……。故に見回りの仕事でこの二人を組ませる事は普段あまり無いのだが、今日は他の全員の手が空いていなかったため仕方なかった。
「大した事が無かったのは良いが、珍しいな」
パウルは声音こそ穏やかで流暢だが、仕事する手はやはり忙しなく動いている。
「シロガネ森で、飛竜が目撃されたらしいッス!」
「そちらに怯えて、誰も彼もが俺たちに構っていられるほど暇では無かった。若者達で討伐隊を結成し、明日にでも森へ行くらしい」
「それって要対処案件だよなっ!?」
ピクリと耳を動かしたアランが、ヴィムと遊ぶのを中断してヘンリックへと詰め寄った。
「あ、そういや室長の家ってがっつり森に隣接してましたっけ?」
『てへぺろ』という効果音がピッタリなレオンの発言に、アランの顔が青くなった事は言うまでも無い。
「リリアー!」
「室長待ってください! 飛竜ですよ!? だから待って……人の話をせめて聞いてー!」
騒々しく執務室を出て行ったアランと、慌てながらその後を追いかけたケヴィンの反応は正しい。飛竜が一匹居れば町二つは平気で消し飛ぶ。それに何より、エルフは竜の好物だ。
……が、
「慌てなくても大丈夫だと思うんだけど~」
「あの奥さんだからなぁ」
まず、フローラとヴィムが至って呑気に席を立った。すると、この二人が全く慌てていなかった事から落ち着いていたが、リリアに直接会った事の無い三名が『アランの奥さんなら何が大丈夫なのか』という疑問を解消すべく、思った事を口にする。
「室長の奥方は、確かに昔は軍に入っていたとは聞いたが……」
「ああ、実績ほぼゼロだぞ」
ヴィムの言葉に、三人は信じられない物を見たような表情になった。
「あの人、剣どころか弓まで下手くそなんだ」
ヘンリックが「エルフなのにか……」と、目元を引きつらせている隣で、レオンが「じゃあ、魔法がめちゃくちゃ得意とか?」と、テンプレに等しい質問をする。
「けっこう出来るけど、竜に対抗すんのは無理だな。そもそも竜は魔法じゃ倒せねーし」
「アイツら蜥蜴の分際で、一度に百以上の術式展開するもんな。こっちのなよっちい魔法じゃ太刀打ち出来んで。……で、大丈夫な要素がちっとも分からんのやけど?」
ステファニーの言葉に、レオンとヘンリックも同意する。
フローラがその様子に「そうね~」と欠伸しながら、「でも――」と口を開いた。
「あの人、ちょっと予想外な事いつもするのよね~」
***
獣人の身体能力を、人間のそれと比べるなど笑われてしまうほどの事である。
獣人が本気で走れば馬など到底追いつけない。
馬に跨るケヴィンは、どんどん距離が開いて小さくなって行くアランの背中を見て思った。
――あのヒト、ケモ耳飾り付けた変な趣味の野郎なんかじゃ無くて、本当に獣人なんだなぁ……。
そうこうしているうちにアランの家が見える。
アランは、扉を蹴破るようにして家の中へと入り、厨房奥の勝手口が開きっぱなしになっているのを見た。
「リリア無事――」
「うるさい」
「――あ、ハイ。スンマセン」
心配して飛んで来たにも関わらず、あまりにも冷たく言い放たれた言葉にシュンと萎むアランだが「……じゃなくてッ!」と、すぐに目の前の光景の異常さに目を剥いた。
「おまっ……それ!」
「静かに。集中が途切れるわ。シルヴィちゃん、毒消しを今の倍持って来てくれる?」
「分かりました!」
パタパタとすぐ横を走り抜けるシルヴィと、目の前の光景ーー(庭の植物全般を踏み潰して)グッタリしている竜を魔法で癒している妻を交互に何度も見て言葉を失うアラン。
「室長やっと追いつい……竜!? えっ、死にかけ――「邪魔です!」――ぶふぇ!!」
そこへ、ケヴィンが駆けつけたわけだが、毒消し効果のある薬草を笊に盛って走り抜けるシルヴィによって、壁に顔面を強打する羽目になった。
「私の言うタイミングに合わせてその子の体内に『溶かす』イメージで魔法を使って」
「はい!」
「3、2……1! はい、お願い!」
彼女の必死な声は、その一度では終わらなかった。リリアが数を数え、指示を出しては竜の腹辺りか 美しい緑の光が溢れ、弾ける。
川のように流れて行く光景に、何がどうしてそうなったのかまるでわからないアランは、混乱を極めた表情で立ち尽くす他無い。
「せんせー、魔法の通りが悪いです。これじゃぁ……」
シルヴィの声は弱々しく、目の前にいる存在が、本来なら脅威の対象である事を忘れそうになる。――否、既にアランもケヴィンも、忘れていた。
『横たわっているのは、最後の力すら振り絞れない手負いの獣だ』という認識になっていた。
「分かってるわ。だから、せめて苦しまないようにしてあげましょう」
表情にこそ出ていないが、リリアの今の雰囲気には、『苦虫を噛み潰したような……』という例えが相応しい。
立ち上がって竜から離れる彼女に、アランがまた「リリア」と、名を呼ぶ。
「一段落着いたのか? どういう状況だ?」
「見ての通り、頭どころか爪一本動かす力も無くなった竜の治療をするつもりだったの」
「……正気か? 治ったら喰われるのが目に見えてるだろ」
「邪竜で無ければ、ほとんどの竜は恩を仇で返す恥知らずでは無いわ。あの竜の鱗には、金と宝石が混じってる」
邪竜と呼ばれる種類は、その固い鱗が黒く錆び付いている。一部の研究者達は、病であると考えているが、実際どうなのかは不明だ。
一方で金と宝石の鱗を持つ竜は、竜の中でもそうとう長生きをしている古竜である事を意味する。実は、知能があまり高くない飛竜とは別の種類だ。立派な翼を持っている事から、数の多い飛竜と間違われたのだろう。
「元々、寿命で力もそんなに無かったんでしょう……可哀そうに。本当なら聖山で安らかに天寿を全うしたかったと思うわ。でもきっと、移動中に強い冒険者か、まだ元気な若い竜に襲われたのね。体内で毒袋が破裂してるの。……手の施しようが無いわ」
その時、シルヴィが驚愕した声でリリアを呼んだ。何事かと思い彼女の元へ駆け寄ると、シルヴィの目の前につい今しがたまで無かった丸い物が転がっているではないか。
「…………シルヴィちゃんが、産んだの?」
「人間からスイカみたいな卵が産まれてたまりますか!」
パチクリと目を瞬かせるリリアの発言に、弟子の身分とはいえシルヴィはツッコミを入れざるを得なかった。
「今、竜が一瞬お腹の向きを変えたと思ったら、ボトっと出て来たんです!」
本当に一瞬の事だったと、シルヴィは己の見た物が信じられないように告げる。リリアはすぐさま竜へと視線を移した。
竜は目を閉じ。
静かに大きな呼吸を繰り返し。
やがて、その呼吸音が止まった。
「卵を産んで死ぬなんて……」
唖然とした表情で、ケヴィンが口を開いた。
「竜の中には、転生によって実質的に不死の存在が居ると聞いた事がありますが……」
「「「え? 不死?」」」
彼の発言にしんみりしていた三名の声が被るや、卵からピキピキと小さな音が聞こえて来る。
そして――
パキ……ッ、パァンッ!!
まるで爆発するように卵が割れた。
一番近くに居たシルヴィはその場に尻餅をつき、驚いて思わずアランの胸にリリアは飛び込み、反射的にリリアを抱き締めたアランだが、彼の眉間には不運にも飛んできた卵の殻が突き刺さり、ケヴィンにも同じように突き刺さった。
そして――
「きゅぅ?」
ほぼ真っ白だが、耳や足など、ちょっとした部分だけチョコレート色の――濡れた何かが顔を出していた。
「くちゅっ!」
「……ッ! せんせー! これは産湯が必要なのでは!?」
可愛らしいくしゃみをした生き物を見て、すかさずシルヴィが振り返ると、彼女と目の合ったリリアもハッ! と何かに気付いた表情になり「そうね」と、同意して動き始める。
「って、あら嫌だ。私ったらアランなんかに抱き付いて……一生の不覚だわ」
動く寸前、かなり酷い事を宣ってるが、ツッコんだら負けだ。
「リリアさーん! いきなり肉体的に傷付いた夫への精神攻撃とか止めてくんない!?」
アランが泣き言を言っているが、気にしたら負けだ。
そして、三十分後。
アランとリリアの家にヴィム達も辿り着き、産湯が終わって乾かされ、ふわっふわの小さな毛玉になったその生き物を全員で囲む形でテーブルに着いた。
領主の城で働いているようなエリート軍団に囲まれて、シルヴィが何とも居心地が悪そうに小さくなっている。そんな彼女を落ち着かせるようにリリアがテーブルの下で手を握ってやると、
「可哀そうだが殺処分だろソレ?」
ヴィムが、事情を聞いた事で頭痛を覚えながら、疲れた声で言った。
無論、生き物が慌ててトテトテとリリアの元まで逃げて来た事は言うまでも無い。
「ヴィムさん、そんな事言わないであげてくださいな」
「そうだぞヴィム、肉を与えなければ人を襲う事も無いだろう」
「それでも、人の味を覚えちまったら取り返しがつかねぇ」
アランとヴィムが真面目に睨み合っている。
その雰囲気はつい先程もめていた時とは全くの別物だ。
アランのすぐ隣にいたケヴィンは『本当にさっきのは、ただふざけてじゃれ合ってただんだな』と、息を呑んでいた。
「俺も、ケヴィンの意見に同意だ」
「パウルまで……」
リリアの淹れた紅茶を洗練された所作で飲んでいるパウルの言葉に、アランは悲し気な表情になる。
「それは転生種なんだろ? じゃあ、前の体の時に何度も人を喰ってるはずだ。もう人の味を覚えてる。……今はまだ歯が無いから大丈夫だろうが、そのうち手に負えなくなるぞ。そうなったら……誰が一番最初に犠牲になるか、室長だって分かっているはずだ」
アランは何も言い返せない。だが、そこに助け船が入った。
「いやいや、生まれ変わったんやろ? せやったら前の体の時の事なんて忘れとるもんちゃうか? もし前に食うてたもんの味覚えとるんやったら、もう奥さんの指を甘噛みくらいしとるやろ」
「そうだな、それにもしも前の事を覚えているなら奥さんに恩義を感じて、それらしい態度を取っているだろう。だがコイツの行動は、恩どころか完全に赤子のソレだ」
「俺も殺しちゃうの反たーい。ちなみにコイツ、もう歯ァ生えてるッスよ。竜の成長早すぎっスね」
ステファニー、ヘンリック、レオン。この三人が、味方についてくれた事が嬉しかったのか、アランの表情がパァァっと若干明るいものになる。しかし残りの一名、フローラがその表情を絶望に変えた。
「わざわざ口から食べない種類もいるって聞いた事が有るわぁ。触れた所から魔力を吸い取るんですって。その子ぉ、やけに奥さんにペタペタしてるから、その類じゃな~い?」
「リリア! そいつを今すぐ――」
「心配ご無用、シルヴィちゃん」
パチン。と落ち着いた表情でリリアが指を鳴らすや、厨房にすぐさま入って行ったリリアが、…………とてつもなくグツグツ煮えている大鍋を持ってきた。
ところで、竜は頑丈さに定評のある生き物だ。それは鱗がまだ無い産毛の状態でも変わらない。だが、誰が想像できただろうか。
虫も殺せないような顔をした美女が、生まれたての生き物をグツグツ煮えたぎって湯気まで出てる鍋の真上にぶら下げるなど……。
「魔力が私の意思と無関係に体外に出て行けば、私も分かります」
冷静に喋るリリアの手に、竜はガッチリつかまれている。竜は、助けを求めて泣いて喚いて、とにかく大変な事になっていた。
「ですから、もしこの子がそんな事をした場合、また人を食った場合は――――責任を持って、薬の材料にします。幸い、竜の体は全て最高の薬になりますからね」
その場にいた全員が、あまりにも非道な光景に言葉が出なくなった……。
組織系の設定が甘くて申し訳ございません。
そしてアランにハイライトかと思いきや、最後はリリアがすべて奪いました(笑)