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妻は薬師


アルテクトリ国ウルカーバンクル領は、シロガネ森と呼ばれる魔力が豊富な特殊な場所を有していた。

そして『森の入り口には魔女が住んでいる』と、そんな噂が立っている。

魔女とは言っても、悪魔の類の意味では無い。

その証拠と言っては何だが、少し距離のある街やその向こうの幾つかの村から、人々が魔女の元にしばしば訪れる。

時にケガの治療のために。時に病に効く薬を貰うために。


魔女の名はリリアーヌ・シュヴァリエ。つまりリリアだ。

アランが仕事に行くと、二人の家はリリアの職場へと変わる。


「せんせー、おはようございまーす!」


扉のベルと同時に朝の挨拶。声の主は、10~12歳程の少女だ。リリアの元で修行している薬師(くすし)見習い兼助手である。


「おはよう、シルヴィちゃん。今朝は予約のお客様が多いの。だから早速だけど、売り場の方でお客様に商品をお渡してちょうだい。私はまだ出来てない薬を大急ぎで作っていくから。昨日言ってた悪阻の鎮静薬の調合は、お昼過ぎからね」


シルヴィと呼ばれた少女は「はい!」と、元気な返事をしてからエプロンと三角巾を身に付けた。


リリアが営む店は『紅茶屋』という名前である。それは少し前まで、この店がリリアの非常に個人的な趣味から始まったハーブティーとお菓子を出す店だった名残だ。今でも勿論ハーブティーとお菓子は置いてあるが、薬の方が売れ行きが良い。


紅茶屋の薬は、いわゆるオーダーメイドもやっている。リリアが言った『予約のお客様』とは、そういう客を指していた。オーダーメイドを頼む主な客は亜人、つまり異種族間での混血種が多い。その理由は、この国の薬局が人間族用、獣人族用、妖精族用、魔族用、という四種類に分かれて主に展開されているからだ。


別に、人間と獣人の混血がその二種族の薬を服用する事が禁じられていたりするのでは無い。体に異常が出なければ普通に使って良い。が、それが可能な混血種は国全体で見ると60%弱である。大抵は良くて全く効き目が無く、悪くてちょっと死にかける。数字で見ると大変な数が『どうにかしてくれ』と苦情を言っている光景が眼に浮かぶが、それはこの国の科学水準がまだまだ赤子どころか胎児同然で、魔法技術も中途半端である事から非常に難しかった。どのくらいの比率で異種族同士の遺伝子が混ざっているのか分からなくて。


例えば猫獣人と人間の混血である子が居たとする。その子は一見猫耳しか生えていないように見えるため、人間の遺伝子が強いように思えるが、実は内部の見えない所がほとんど猫で、猫の遺伝子の方が強いかもしれない。また親が猫獣人と人間でも、祖父母がピクシーやオーガだったら、そのことも考慮して調べる必要があるのだが、そうなるともう適切な手段がほぼ無いのである。

『皆無』とまでいかないのが唯一の救いだが、そう言った理由から混血種は薬に忌避感を覚えていた。


――聖職者の家系で無ければ、習得困難中の困難と云われる鑑定魔法を使える薬師が作った物以外(・・)の話だが。


「せんせー、私はいつ頃になったら鑑定魔法を教えてもらえるんですか?」


客はまだ来ておらず、木製のレジカウンターに立ったシルヴィが、閉め切った扉の向こうで調合をしているリリアに尋ねる。


「四則演算が出来るようになったらすぐよ」

「……私、割り算って嫌いです」

「掛け算も引き算もそう言っていたけれど、すぐに出来るようになったでしょう? 割り算だって出来るようになるわ。大丈夫、貴女は賢い子だもの」


シルヴィは死に褒められて照れてしまった。そして照れた反動で思わずカウンターの下にしゃがみこんだ瞬間に客が来て、「あれ? お店の人どこ?」という困惑の声が、リリアに届いてしまった。


「もう、あの子は……」


リリアは立ち上がろうとしたが、すぐに「申し訳ございません!」というシルヴィの謝罪の声が聞こえてきて、苦笑を浮かべるだけに留まった。




***




猿の亜人の痒み止め。

この薬を依頼してきた客は、子供が自分の皮膚をずっと掻き続けていて困ってしまった親だ。

かきどおし、よもぎ、どくだみ、びわの葉……色々効くものはあるが、今回は月見草をメインにリリアは調合した。すぐ側のシロガネ森、月見草に限った話では無いが、そこで採れる薬草には、他とは些か違う効力が現れる。月見草の場合は、子供に良く効いた。

これと他の材料を袋に詰め、水精霊(ルサルカ)が編んだ紐で縛る。そこに治癒力増強の魔法をかければ湯に入れるタイプの薬が完成して終いだが、この最後がなかなか曲者だった。


本来なら痒み止めの類には、リリアは塗り薬を勧める。が、塗り薬を作る際に必ず入れなければならない材料に、今回の依頼主の子供の皮膚に合わない材料があった。薬草の効力を高める一種の油だ。それさえ無ければ、その子供は人間用の店で買える物でも効いたに違いないと、彼女は考察する。


「口に入っても腹を下さないように調整、けれども皮膚にはシッカリ効果が出るように……魔族の血もちょっと多めだから聖属性はなるべく弱めて……」


ブツブツと細かく細かく調整してゆき、リリアが薬を作り終えたのは、それから30分後だった。


作り終えると、リリアは、扉の隙間からコッソリと、店の様子を覗き見た。

シルヴィが、若干引きつった様子で客と対応している。声を聞けば一瞬でその客がシルヴィを気に入っている老婆だと分かった。一度話し始めると、とてつもなく長く、いつもシルヴィはその客が帰るとよくヘトヘトになっている。

何度か見かねて「お客様、そのくらいで……」とリリアは助け舟を出したが、それでも老婆は長話を止めなかった。

両手で数えるのが不可能になってきた辺りで老婆にも色々事情がある事を知り、リリアもシルヴィも老婆の話を中断させる試みは諦めたが、


――今日はブルーベリーパイ。


リリアはシルヴィが疲れてしまう日は、彼女を労って必ずパイを焼く事にした。

予約を受けた時点で、今日あの老婆が来る事は分かっていたため、ブルーベリーの仕込みは終わっている。


甘くキラキラしたブルーベリーフィリング。これを朝食を作る際に、混ぜる割合をこだわり抜いた小麦粉と、よく冷えたバターで作ったパイ生地で包む事を思うと、氷室へ向かう足取りが自然と軽くなる。


氷室で1~2時間冷やした生地を打ち粉をした台に乗せて長方形に伸ばす。それから折って、また伸ばす。繰り返した後に、型に生地を入れてフォークを刺し、フィリングも中に入れてしまう。


ふと、上に乗せるパイ生地の作業に取り掛かろうとして、リリアは普段と違う事をしてみたくなった。


「ただ長方形に切った生地を格子状に乗せるんじゃ、面白くないわね」


彼女は生地を普段よりも細めに切り始め、余った生地をハート型にくり抜き始めた。






「さ、最後の予約のお客様対応、終わり……です!」


お昼を少し過ぎた頃。シルヴィがカウンターで力尽きる。


「お疲れ様、シルヴィちゃん」

「せんせー、今日はまた一段と甘い匂いがしますねぇ」

「今日はブルーベリーパイにしてみたの。オススメの紅茶は――」


リリアの言葉が不自然に途切れる。一方でシルヴィは、彼女の声が途切れたのとほぼ同時に真っ青な表情になっていた。

リリアにもシルヴィにもある共通点――体内を流れる魔力の波が、一瞬だけだが早くなったのが原因だ。これは、魔力を持つ生き物が、危機を察知した時に起きる現象だった。


「シルヴィちゃん……」


リリアは小さな声で、震えているシルヴィに言葉を発する。


「音を立てずに、そこの床にある扉をあけて、地下室に隠れていなさい」

「せんせーは?」

「外を確認するわ。いい、絶対に出てきちゃダメよ。私が開けるか、……アランが開けるまで」


『アランが開ける』。それはつまり、リリアが開けられなかった場合という良くない状況を、シルヴィは嫌でも頭に浮かべざるを得ない。


「せ、せんせ……」

「早く隠れて、良い子だから」


リリアは、動く気配を見せないシルヴィを半ば無理矢理地下へ押し込んだ。


大きく息を吐くや、リリアは息を殺して窓の外を伺う。

どこから危険が迫っているのかは不明だが、窓から見える範囲にそれらしき影がない事に安堵して、今度は扉へと向かう。

刹那、背後から視線を感じた。

振り返って見えるのは、厨房の奥にある勝手口。勝手口の向こうにあるのは、森に面した庭だ。庭の出入り口は、勝手口以外にもちゃんと存在するのだが、リリアは厨房を使う事が多いためそちらを使う事が多い。


ゆっくりゆっくりと、震える足を叱咤してそこへ辿り着いたリリアは、ドアノブに手をかけたまま固まる。


居る。

自分にはどうしようもない生き物が。

ゴクリと唾を飲み込むと、死を覚悟しながら、彼女は扉を一気に開けた。


目を奪ったのは、色鮮やかな花々の庭では無い。


森から庭へと侵入している大きな蜥蜴の頭。

蜥蜴のようであるものの、蜥蜴とは明らかにかけ離れた王者の風格。

硬く美しく、同時に恐ろしくてたまらない。

鋭い瞳の奥では、火の海が煌々と輝いている。


「――竜」


竜はリリアにとって――エルフという生き物にとって正真正銘の天敵。

蟻のようにウジャウジャと居る人間など、エルフが一人居れば完全に素通りだ。人間よりも遥かに長い寿命と豊潤な魔力、それを狙って、竜はエルフを食らうから。


そんなものを目の前にして、当然ながらリリアは、生きた心地がしなかった。


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