第8話 階段
目を覚ますと、俺は医療室に寝かされていた。
こういうときに目が覚めたら、隣に可愛い女の子が眠っていて欲しいが、それは若い男の幻想である。幻想は幻想だから幻想である。実現に至るには遠い遠い道のりを経なくてはならない。
さて、何かがこちらを見ているような気がしていたので、ゆっくりとそちらに目をやった。
看護補助体が、俺を見てからゆっくりと目を開けた。
《お目覚めになりましたか》
看護補助体の声はよく通る声だった。
――看護補助体
正しくは病気や怪我をした人間の世話をする仕組みを指す。
しかし、多くの人は、患者の介助や薬品の投与のような、患者に接触する行為を行う自律人形のことを看護補助体だと思っている。特に平民のような、召使を使うことのない人に多い。
自律人形は主に魔法で動く人形であり、患者に合わせて見た目を変える。大抵、女性の形を取ることが多い、俺の場合もそのようだ。若い男だからだろう。その看護補助体は、俺と同世代くらいの女の形に造形されていた。
可愛い仕上がりだったので、上級補助体かも知れないと、黙ってなんとなく観察していた。
《あの、ご気分は悪くありませんか》
そうだ、質問に答えなくてはいけなかったのだ。
「はい、起きました。気分は特に悪くない…俺の名はハオウガ=マイダフ、イダフ暦629年4月7日生まれ、銀の羽衣師団 リダリ隊所属」
《まだ、その質問はしておりませんが、回答ありがとうございます》
こういうときに看護補助体がする質問は決まっている。俺は聞かれる前に先回りして答えた。
以前入院したとき、看護補助体とはたっぷり2ヶ月付き合った。どう対応すればいいのかはよくわかっているつもりだ。
《では簡易検査を行います》
看護補助体は何やら機器を取り出し、こちらに向けて操作した。ものの三分とかからなかった。
《はい、終わりました》
そういって取り出した機器をしまうと、俺のほうを向き直る。
《特に異常はありません。任務中であれば、このまま退院してもかまいませんが、お時間があれば、ここまでの経緯を説明します。どうしますか》
「説明を頼む」
《ハオウガさんは、今から7刻前、食堂近くの廊下で倒れていました。制御体より医療室へ運ぶよう指示があって、わたくしがここまで運びました》
「そうか」
《検査したところ、種の着床が連続したことで、ハオウガさんの脳が一時的に情報あふれを起こしたのが、主原因と診断したので、抑制剤を投与しました》
――俺の頭の器が小さくて、種の情報が処理しきれずに溢れたということか
頭はあまり良い方ではないが、はっきり経緯を示されると、気分が悪い。
《現在、4粒まで定着しています。5粒目は、あと半刻ほどで着床します。問題は無いとは思いますが、ここで横になって安静でいることをお勧めします》
「勧めに従うよ」
特に異常はないと言われても、廊下でぶっ倒れた後だ、慎重になるしかない。
「ところで、専用種はどれくらいの間隔で頭に入れるのが普通なんだ?」
《専用種なら普通は1、2刻間隔を置きます》
――そうだったんだ
《ハオウガさんは数分の間に5粒入れられたようですが、やはり、銀の羽衣師団ならではの緊急の任務だったのですか?》
看護補助体は感心したような顔で聞いてきた。
つい、「そうだよ、リダリ隊は特に忙しいんだ」と格好を付けたいところだが、同じ艦の看護補助体と制御体だ。どうせ裏で繋がっている、いや情報を共有しているというべきだろう。
「ただの間違いだ」
正直に答えた。
《そうですか、それではわたくしは待機状態に入ります。何かあれば声をかけるか、こちらを見て下さい》
「わかった。しばらく横になるよ」
俺は目を閉じた。起きたばかりだが、まだどこか疲れていたのだろう。俺はすぐに瞼が重くなるのを感じた。
次に目が覚めたときはすっかり気力が充実していた。
翌日、俺は飛行艦ン・メノトリーの艦首に来ていた。
頭の中に、リダリ隊長の声が聞こえる。俺の脳内に着床した種がリダリ隊長の指令を再生する。
『ハオ殿、まずは艦首の突入口から外に出て、地上へ続く階段を上って…』
――そうか、まずは階段を上るのか
『…階段を上って、上って、上ります』
艦首の突入口から外に出る。一昨日もここから出た。
外にはなんとか立って歩けるほどの通路をしばらく歩く。
唐突に空気が変わった。
浄化されてはいるが新鮮さに欠けるン・メノトリー艦内の空気が、生々しく湿った土の臭いを含む空気に変わった。
おとといは、ザミダフ攻略戦の名の下、武器も装備も万全だったが、今日はそんな緊張感は無い。単純に階段を上るやや地味な任務だ。
そう、これから階段を上るのだ。
この艦、飛行艦ン・メノトリーは地下1,500イダフィの場所に「停泊」している。
制御体によると、地下に埋まっている状態であっても、停泊は停泊であり、沈没とは言ってはいけないそうだ。階段を上って地上に出る。
建物に換算すると地下500階、それを足で上がる。
体力に自信はあるが、暗い階段をただ上がるのは精神上苦しいかも知れない。
次の命令は地上に出てから知らせるそうだ。
階段は真っ暗であるが、俺は夜目が利く、一段目に足をかけた。




