第82話 だなえ
朝10時ちょうどにインターフォンが鳴った。
小さなモニターに女性の姿を認めると受話器を取った。
「はい」
『七条と申します。こちら五十川さんのお宅でよろしいですか?』
「お待ちしておりました、どうぞ」
俺は解錠ボタンを押し、1階エントランスの扉を開けた。
俺は身なりを整えると部屋を出て、エレベーター前で待つ。
――エレベーターが上がってこないな
気づくと後ろに一人の女性が立っていた。階段をあがってきたのなら、かなり速い。
「おはようございます、五十川さんですね。はじめまして、七条 だなえ です。七条は京都の七条、だなえは平仮名です。ギリシャ神話で人気の高い女神にあやかって両親がつけました。これから、しばらくの間、バトルスタッフの代行を致します。よろしくお願いします」
言い慣れたような自己紹介の後、彼女は右手を出した。
「五十川 護です、よろしく」
俺も手を出した。そういえば、握手をするのは随分と久しぶりだった。
彼女の第一印象は「薄い」だった。
髪は長くも短くもなく、身長は高くも低くもなく、体型は太っても痩せてもおらず、顔は整った造形だが、美しくも醜くも感じなかった。とにかく特徴というか、とらえどころが無い。彼女の似顔絵を描くのはむずかしいに違いない。
服装はボタンダウンのシャツに、ジーンズ、靴はパンプスだった。
肩に大きめのスポーツバッグをかけている。
立ち話もなんだからと彼女を部屋に招き入れた。
話を聞くと、一昨日までママナーナの警護をやっていたらしい。
「たまには、若い男性と仕事をしないか、と言われて、即オッケーしました」
そういって、俺を見つめた。
「僕でがっかりさせていなければいいんですが」
「大丈夫、そこまでガッカリはしていません。でも、これほど若いとは思わなかった」
はっきりいう人だ。少しはがっかりしたということだろうか。
「だなえさんって、いくつですか?」
いきなり俺は名前で呼んでいた。
「18」
「なるほど、1歳お姉さんなわけですね」
「ええ、1歳分だけ強いですよ」
冗談なのか、本気で言ったのかわからなかったが、俺はつい鼻で笑ってしまった。
「鼻で笑いましたね、あとで手合わせしましょう。ところで私の部屋は…」
「隣の704号室になります。荷物は届いていないけど、入りますか?」
俺は預かっていた鍵を渡す。
「ちょっと、行ってきます」
そういうと、何を待ちきれないのか、さっと出て行った。
――荷物も置いたままだから、すぐに戻って来るだろう
しかし、昼になっても彼女は戻って来なかった。
俺もそろそろ出かけたい。でも、このままでは出るに出られないので、彼女のスポーツバッグを持って、隣の704号室に向かった。
バッグを渡し、このまま倉庫へ行って練習しよう。
インターフォンを鳴らしたが反応はなかった。気になってドアノブに手を掛けると、鍵はかかっていなかった。ドアは俺を迎え入れるように開いた。
玄関にはパンプスが一足あった。
彼女は中にいるのだろう。
奥に続く廊下に、シャツが脱ぎ捨ててあった。
一声かけて、俺は上がった。
途中、洗面台の縁に水滴がかかっていた。手でも洗ったのだろう。
リビングに入ると、ジーンズまでが脱ぎ捨ててある。
――脱ぎ捨てた女性の衣類を追っていく…何かの罠かよ
と思ったら、彼女は床で寝ていた。
右腕を手枕にして横になっている。
スポーツブラと同じブランドロゴのショーツという下着姿だ。
しばらくの間、俺は静止していた。
彼女の身体を必要以上の長時間、観賞してしまっていた。
同一人物とは思えなかった。「脱いだらすごい」という言葉は知っていたが、実際に目にするのは初めてだった。
伸びた脚と締まった腰周り、豊かな胸元。さっき対面していたときとはうってかわったように放たれる色気が鼻腔の奥を刺す。
俺は息苦しさを感じた、気がつくと息を止めていた。
俺の身体が自動的に動く。膝をつくと、
スポーツブラに俺の指がかかった、俺は眠っている初対面の女性をどうしようとしているのだろう。
――待て、ハオウガ、俺はイダフの貴族だ
イダフ人、ましてやイダフの貴族が女性を襲う、それは決して許されないことだ。イダフでそんなことをしようものなら、男性器と左右のどちらかの手首を切り落とされる刑が待っている。
それは暴力だけでなく、地位や力関係を使った場合でも同様だ。
だから、俺はニュースでセクハラ報道を見るたびに、日本の後退社会ぶりを心の底から嘲っていた。日本は科学技術ばかりでなく人間性も劣っているのだと。
しかし、俺も日本の空気を吸いすぎたのか、あいつらと同じようなことをしようとしている。
――待て、せめて起こしてからだ
女性を襲うことに対して厳しい刑が処せられる一方、口先だけで騙すことには極めて寛容だ。言葉だけで騙して、そういう関係に持ち込むことについては、イダフの男たちの間では、むしろ推奨されるくらいだ。
しかし、俺は無言のまま、ブラの左肩のストラップを外した。
七条 だなえは、さっきと変わらぬ寝息をたてていた。




