第77話 頭の中の友達
「何があった?」
俺は一美に起こったことを思い出していた。伝文のダプァがザミダフ黄緑色病を一美に感染させた一件だ。結局、現代の抗生物質で簡単に駆逐できたが、もし、美歩に同じようなことが起こったとすれば、以前よりもずっと手強いに違いない。
しかし、そうではない。今語っているのは美歩だ。
「あのね、あたしの中に魔物がいるって言ったらどうする?」
「ははっ、魔性の女ってこと?」
俺は美歩の言葉に含まれた意味を知りたくなくて、つまらない言い方でごまかした。
「ううん、違うよ。あたしさ、時々さ、自分の中の友達に負けちゃうことがあるんだ」
「友達に負ける?」
「うん、負ける。何度も何度も。負けて、時には悪いこともした」
「…そう」
いきなりの告白だったが、俺にとっては「だから何」という気もある。俺はすでに魔族になった日本人を五人斃している。
「反応薄いね」
美歩は肩透かしを食ったような顔をした。
「そうかな」
「もしかして、護にも『悪い友達』がいるの?」
「悪い友達って」
「空想の友達よ、日頃はおとなしくしているけれど、ここ一番で悪さをそそのかしてきたり、貴重な経験を盗っていったりするわ」
「つまり、最近その友達がやってきたってこと?」
「そうよ」
「何かしたのか?」
「うん、した」
「何をした、いや、させられたの?」
そう聞いた途端に身体が急に熱くなった。
俺の内から得体の知れない、いや、なにか覚えのあるものが湧き上がってきた。そう、俺を昨日一昨日の二日間支配したものだ。
「何をさせられたって?好きな人なら、媚薬を刷り込んでモノにしてこいって言われて、その通りにしたよ」
「まさか、あのクリームって」
美歩は不敵に笑った。
「ううん、熱海さんにもらったクリームには何もできなかったよ。護が眠ったときに媚薬をたっぷり刷り込んじゃった」
やっぱりそうか、と思った途端、俺の呼吸が荒くなった。
(一日に二人ってのもいいじゃないか)
耳元でそんな声が聞こえた。俺にも空想の友達がいるかと思ったが、これはまぎれもない俺自身の声だ。
「媚薬って…」
我ながら情けない質問をする。
「あたしさあ、護のこと気に入ってたんだ。顔とかイケメンだしね」
そういいながら、美歩は俺の手を取る。俺は手を引かれるままについていった。
「お客さんが間違って入らないように、鍵を掛けてるんだ」
鍵を開けるとそこは美歩の寝室だった。何度も302号室には来ていたが、この部屋に入るのは初めてだった。
――このまま進めば、あいつが勝つ
美歩主導で深い関係になるのは避けるべきだ。さっきの魔族覚醒の理由もわからない。今はどっちの美歩なのか、本人か空想の友達なのかどっちだ。
美歩は俺をベッドに座らせると、自分も左隣に座った。左から漂う甘い匂いが鼻腔をくすぐる。俺は歓楽、否、陥落寸前だった。先の問いに答えを出せないまま、事態は進む。
俺は美歩の肩に手を回していた。美歩の身体が跳ねるように一瞬震えた後、ゆっくりと身体を預けてきた。美歩は俺の身体に何度も触っているが、俺から美歩に触れるのは初めてだ。締まった身体だ。
どう動けばいいか、俺は分かっている。もうマビルではない。
どちらが正しいのか。俺のことを気に入っていたというが、そもそも、俺を気に入っていたのは美歩かあいつか。そして、今話しているのが、どちらなのかがわからない。
どこかに打開策はないか、部屋を見回すと、枕元にある写真立てが目に入った。
裏側に立ててあった。
空いている右手で手に取った。
「だめっ!」
俺の動きに気づいた美歩が慌てて写真立てを俺から取りあげようとした。俺の左手をふりほどきつつ、両手で隠そうとするが、俺は左手で美歩の動きを制しながら、表を見た。
「やだっ」
俺が写っていた。
写真を撮らせた覚えはない。少し抜けた表情や背景から、マッサージ後に隠し撮りされたものに違いない。
自分でいうのもなんだが、上手く撮れていた。俺にこんな妖艶な表情があったとは自分でも発見だ。
――本当なんだ
俺は写真立てを元の場所に返す。
「見た?」
刺すような目で俺を睨むが、魔族の目ではない。
「見た」
たちまち、美歩の顔が赤くなる。目をそらして顔を伏せた。
俺はそんな美歩をからかうように、顔を上に向かせていた。
動いているのは自分だが、全て美歩が制御している、そんな気がした。
――他人のせいにしてはだめだ
事に及んだとしても、俺が動いたのでなくては。
そんな使命感が俺を少し落ち着かせた。
「美歩、俺いろいろとあるんだ」
「知ってる、三矢島さんには黙っておくから」
「一美とは別に付き合ってるわけでも、できてるわけでもないぞ」
「うそ」
美歩は自信を持って否定した。
「何を根拠に…」
「男の身体になってたくせに」
「えっ!」
そんなことがわかるのだろうか。女とはそういうものなのだろうか、あるいは日本人がそうなのか、あるいは、美歩だけなのか。
「ほら、あたりでしょう」
美歩は勝ち誇った上目遣いで俺を見た。
「半分あたり」
「半分って何と何よ?」
「大人の階段は上がったけど、一美とは何もない」
「じゃあ、誰? エンジェルスタッフの誰かなの?」
「もっと素敵な相手だ。エンジェルスタッフが足元に及ばないような」
「…まあ、言いたくなければ、誰とは聞かないわ、あたし、そういうドロドロとした話に首を突っ込むのは好きじゃないから」
美歩から何かが失せたような表情になり、その場の空気が変わった。
部屋に満ちていた淫靡な空気が和らいだ。
急に美歩は落ち着きをなくした。
「コ、コーヒーでも淹れようか」
寝室に俺を引っ張り込んだことの重大さを認識したらしい。
俺はもう一度さっきの写真立てを手に取った。
枕元に置かれたこの写真を見て、美歩は何を思い、何を思って、何をしたのか妄想が膨らんだ。
「だめだって」
美歩が抗議の声を上げる。
――戻った、これで俺が動ける
俺は立ち上がろうとする美歩の手を押さえて、ベッドに仰臥させた。
美歩は無抵抗だった。




