第76話 翌朝のママナーナとその夜の美歩
※本話は前の話を閑話としたので、およそ倍の長さになっています。
午前11時、京都駅の一般車乗降場、俺とママナーナは迎えの車を待っていた。
俺とママナーナは、ン・メノトリーで二日二晩、過ごした。
その帰り、地上まで飛行車で上がったところで、ママナーナがお腹を抱えてしゃがみこんでしまった。
[回復魔法はいらないから]
詳しくは聞けなかったが、下腹部に鈍痛があるという。
病気かと心配したが、そうではないという。
[もしかして、俺のせい?]
[そうよ、それ以外にあるわけないでしょう]
全肯定された。
ママナーナは少し機嫌が悪かった。
16歳の俺が精魂尽き果てるまでしたのだ。58歳の彼女にとって、それを受け止めるのは相当負担だったに違いない。そんなママナーナをよそに、倦怠感はあるものの、俺は身も心もすっかり軽くなっていた。
地上に出た途端、ママナーナの携帯が鳴りっぱなしだった。
地下1,500イダフィ(2,400メートル)の位置に停泊しているン・メノトリーには携帯の電波は届かない。
事情を知らない者からすれば、いきなり二日間連絡がとれなくなったことになる。
「筆頭」女性の慌てぶりが目に浮かぶ。
京都駅は今日も多くの人が行き交っていた。
さすが、日本の「首都(リダリ隊長談)」だけのことはある。
一般車乗降場に停まった車から老夫婦が支えあって降りてきた。一見して、どちらが介助しているのかわからない。どちらが倒れてもおかしくなさそうだった。
再び、ママナーナがお腹を抱えしゃがみこんだ。
俺は歳が離れてしまった恋人に手を貸した。
「いいわね、やさしいお孫さんで」
老夫婦は俺たちにそんな声をかけると、ゆっくりと通り過ぎていった。
俺は違うと言いかけたが、ママナーナは手でそれを制した。
「ええ、いい孫だから安心なんです」
ママナーナはとっさのことながらも日本語で返した。
彼女は同世代の女性よりはずっと若く、綺麗だ。
しかし、明るい陽の下、58歳という年輪が顔や体に刻まれていることまでは、否定できなかった。
「来たようね」
ママナーナの視線の先を追うと、ワゴン車から「筆頭」女性が降りてきた。
確か、井州という名だ。
「代表、いったいどこに行ってたんですかっ?!」
さすがに責める口調になる。俺を見る目もとてもとても厳しい。
「大事な用事があったの。彼は悪くないわ、車ありがとう、次はどこ?」
「○○○です」
井州は有名な企業名を挙げた。
「じゃあ、行きましょう。じゃあ、ハ…五十川くん、私はここで失礼するわね、おつかれさま」
熱海代表の顔に戻ったママナーナは手を軽く振りながら、車に向けて歩き出した。
俺は黙って見送った。
熱海代表を乗せた車が去った後、俺も飛行車に乗って、帰った。
いろいろな意味で俺は軽くなっていた。
思い悩んだこともあったが、終わってしまえば、どうということはなかった。
なんでマビルであることを悩んでいたのだろう。更にマビルであった頃も悪くはなかったと思ったりもした。
夜目が利くとはいえ、俺とママナーナの交歓の全ては暗闇の中で進行した。大切な甘い記憶だが、視覚情報がとても不足している。
無理な姿勢で初めての運動をしたせいだろうか、身体中がすっかり疲れていた。喉も渇いていたし、腹も減っていた。
マンション奧欧に帰ってきた。
階段を上がる気力がなかったので、滅多に使わないエレベーターで7階の自室に戻った。どれだけ疲れていても、ポストを開け、チラシを取り出す動きは自動的に行っていた。
習慣とは恐ろしい。
部屋を見ると、一美に起こされて三日前に慌てて着替えて出かけた、あのままになっていた。
チラシの中から暦をみつける。珍しく今週は全部302だった。一美の部屋番号505は書かれていなかった。
そのままベッドに横になって、夜まで眠った。
夜、俺は寝台で先手 美歩のマッサージを受けていた。
302号室に来るのも久しぶりだ。
普段は柔らかいタオルをかけ、その上からマッサージを行うことが多いのだが、今日は特別なクリームを使って、直接、俺の肌に塗りこんでいる。
クリームの何かの成分が皮膚を通って伝わってくる。魔力が込められているようだ。
「このクリームって、何?」
「わかる?熱海さんが使ってみろって、やっぱり、護はVIPなんだね」
やはり、クリームには治癒魔法に似た力が込められているようだ。
「あのさ、俺よく見てないんだけど、背中とかどう? 傷跡とか残ってない?」
「うーん」
美歩が躊躇いながら口を開いた。
「正直にいうと酷いね、プールや海水浴に行くときは、ラッシュガード着ないと、周りの人は引いちゃうかも。三矢島さんは大丈夫だと思うけど」
どうやら、俺と一美はデキていると思っているようだ。本当はママナーナ(熱海さん)とデキてると知ったらどう思うだろうか。
もちろん、それを口にすることはない。
「美歩はどう思うの?」
「ワイルドだねー、それになんか入院した後の割には身体が男っぽくなったよ、なんでかなー」
やたらと口調が軽い。
「男っぽくって?」
「少しお腹が出てきて、身体が骨っぽくなったといえばわかるかな」
「まだ、腹が出るには早いはずだけど」
「ふふーん、護にはまだ早いかな」
「どういうこと?」
「とぼけちゃってさ、あたしは身体のプロだよ、『大きな変化』があったことくらいわかりますう」
「心肺停止するほどの重傷だったんだ、大きな変化もあるさ」
「まあ、いいか」
一瞬、鳥肌が立った。美歩にはママナーナとのことがわかるのだろうか。
「なんで鳥肌たってるの?エアコン効きすぎてる?」
「いや、大丈夫」
「じゃ、仰向けになって」
俺は言われた通りに身体の向きを変える。マッサージのときは全裸だが、然るべき場所にはタオルを掛けて見えないようにしてくれている。身体が動くときに少し見えることもあるが、お互いあまり気にはしていない。俺の体に異常がないかどうかを見るのも、彼女の仕事のようだ。
天使小隊が出てきて、美歩の役割が減ったようにも見えるが、これからも魔族との戦いが続くことを考えると、健康なときの体調管理はやはり美歩が適している。
仰向けになった俺の胸や腹を見て、美歩の表情が強張った。
文魔十二拳のなんとか拳のコクッブに、腹をブチ抜かれたときの傷痕が盛大に残っている。
ママナーナも見る機会はあったはずだが、照度0にした寝室ではわからなかったかもしれない。
「獣にお腹でも噛まれたの?」
うん、ある意味あっている。
「爆発事故で車の部品が食い込んだらしい」
俺の傷痕を見て、美歩はかなり動揺したようだ。
「ちゃんときれいにしてあげるね」
半泣きのような表情で、美歩は俺の胸から腹にかけて、丁寧にクリームを塗り込んで行った。みるみるうちに傷痕が消える、わけではなさそうだが、そのうちに薄くなっていけばよい。
「ごめん、下も確認するね」
そういって、美歩は掛けてあったタオルをどけた。遠慮が全く無い。
どさくさに紛れて、何をするんだと思ったが、美歩は真剣だった。
さすがに恥ずかしいが、引け目は感じない。我がドロガ三式の凱旋を見るがよい、とは言ったりはせず、平常心を維持する。
美歩はしばらくの間、我がドロガ三式の損傷具合を目視確認した。一美なら、即、目を逸らすが、男の裸を見慣れている美歩は強い。しっかり見た後でタオルを掛け直した。
「いやらしい連中…」
美歩は舌打ちをした。
とても不機嫌そうだ。以前は眼福と言ってくれたのにどういうことだろう。
いやらしい連中ってどういう意味だろう。
「どうしたの?」
「護のことじゃないから気にしないで、あたしが怒っているのは、エンジェルスタッフの連中にだから」
「どういう意味?彼女たちのどこが?」
天使小隊は献身的に治療に当たってくれたと俺は思っている。美歩の目からみると何か違うのだろうか。
「男性のソレは、それはそれはまあ丁寧に修復されたようだけど、人目に触れる上半身や背中はただ直しただけで、手を抜いた感がありありとわかったからよ。あと、キミみたいなイケメンの身体を好きなようにしていたかと思うと、頭にきちゃってさ」
「そうなのか?」
彼女たちはときにふざけていることもあったが、手を抜いているとは思わなかった。
「そうよ、自分たちの興味のあるところは丁寧にやりましたって感じ、機能だけ直すんじゃなくて、見た目も治せよ…って、護に怒っても…困るよね」
「なんと言っていいか、まあ、そこは男として重要な部分だから」
俺的にはそちらのほうが治療方針としては正しいのだ。
「なによ、丁寧にやってくれって、あんたが頼んだの!?」
そういうわけじゃない。
「ほとんど意識もなかったから、俺がどうこう言えないよ」
「それもそうね、勝手に怒って悪かったね、このクリームはそういう傷痕を薄くできるらしいから、今週は毎日来てね」
美歩はいつものように手を動かした。
そして、俺はいつものように眠ってしまった。
幸せなうたた寝から目を覚まして服を着る。
さっきのクリームが肌に少し残っている気もするが、そのままにしておこう。シャワーで洗い流すのももったいない。
食べものの匂いに釣られて、ダイニングに移動する。
食卓に置かれたホーロー鍋で献立がわかった。
「あっ起きた?ご飯できてるよ」
「うん、ありがと」
やはり、牛丼とみそ汁だった。美歩はあまり凝った料理は作らない。
大抵、丼物か麺類だ。それでもカロインは十分なのだから、材料の選び方か料理方法に違いがあるのだろう。
思い返すと、ン・メノトリーでお茶とガナーツ以外、口にしていなかったことに気づく。
文字通り、寝食を忘れて励んでいたのだ。
ママナーナが疲労困憊するわけだ。
うまい。
米と牛肉と玉ねぎの栄養が身体中に染み渡る。
おかわりを聞かれたので遠慮なくお代わりした。
少し食べすぎかなというと、
「17歳が何を言ってるの、また、練習始めるんでしょう」
と美歩に喝を入れられた。
そうだ、剣の練習を始めなくてはならない。美歩のお陰で、ママナーナで失った体力は完全に回復しつつある。
「そういえば、前、塾にいるって言っていたよね」
「塾、うん塾ね」
美歩もおかわりして食べている。
「あんた、塾のことは知らないでしょ」
「だから、聞いてるいるんですけど」
「塾なんてさ、あんたみたいなVIPが気にすることじゃないよ」
美歩の顔から笑みが消える。
そして、初めて会ったときに感じた刺すような視線を浴びせられた。
魔族覚醒した日本人の男女と同じような目だ。
――残り時間で考えると、先手 美歩を先にして欲しいかな
ママナーナがそう言ったことを思い出す。
「なあ、美歩、俺が入院している間、何か変わったことでもあった?」
「……あったよ」
台所にゴキブリでもいたような言い方だった。
そして、後ろにまとめた明るい栗色の髪が、一瞬、紺色に変わった。
――魔族覚醒
美歩が魔族になろうとしている。
「護、助けて…」
俺には美歩がそう叫んだように聞こえた。




