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第67話 距離と距離感

 結局、夕食は夜9時になった。

 退院祝いにしては少し物足りなさを感じた献立だった。カロインは十分だ。しかし何か足りない。


 一美は口にこそ出さなかったが、俺に早く食べ終わって欲しそうだった。

 俺はこの席で言いたいことがあったのだが、とても話せなかった。


 食べ終わると支度の続きがあるのか、一美は早々に帰った。

 彼女の関心が、明らかに俺から熱海さんに移っているのがわかる。


 考えてみれば、一美が週に何度か俺のために食事を作るという好意は、熱海さんの指示で始まったことだ。

 一美にとって、熱海さんの依頼は絶対なんだろう。


 その熱海さんがお忍びでやってくるとなれば、彼女が全力で準備するのも仕方ない。


 俺と一美は気持ちが通じていると思っていたが、壮大な勘違いかも知れない。

 勘違いが多いのはいつものことだが、三ヶ月は少し長い。

 俺の小さな決意は消えかかっていた。


 久しぶりに自分の部屋、自分の寝台(ベッド)で寝た。

 病院のベッドの性能がいいのか、あるいは別の理由からだろうか、

 俺はなかなか寝付けなかった。

 いつものようにテレビをつけたままで横になった。

 今まで見ていた深夜アニメはすっかり入れ替わっていた。

 俺はなかなか寝付けなかった。



――翌日

 俺は急かすような呼び鈴の音で目を冷ました。陽はすっかり高くなっており、12時30分を過ぎていた。


「ハオウガさん、起きてます?」

 一美が起こしに来た。俺は一美を招き入れるやいなや、彼女は支度するよう促した。

 彼女はかなり焦っているようで、勝手にクローゼットを開けると、衣類の少なさに絶句していた。


「服、これしかないんですか?」


 俺は日本でまだ服を買ったことはない。飛行艦ン・メノトリーを出るときに、リダリ隊長が用意しておいてくれた服だけだ。


「じゃあ、このポロシャツとこのコットンパンツで」


 一美が苦渋の選択で選んだ服を、俺は少し寝ぼけた頭で着替え始めると、彼女は悲鳴をあげ、部屋から出ていった。目の前でいきなり着替えはじめたのがよくなかったようだ。

 病院生活で裸を見られることに慣れすぎていた。治療とはいえ、天使小隊の四人には全身くまなく、更には文字通り、腹の中まで見られている。


 隠す感覚が麻痺していたかもしれない。


 俺は部屋の外にいる一美に着替えを終わったことを告げると、一美は俺を上から下まで見て、不備がないかを確認した。


――なんか嫌だ

 俺のためでなく熱海さんに会わせるためなのだと思うと、入院中、愛おしさを感じた髪や襟に触られる行為が煩わしい。

 俺はかなり不機嫌な顔になっていたと思うが、一美は気づいた様子もなかった。


「熱海さんがお待ちです。行きましょう」

 俺は一美に言われたので、仕方なく701号室までついて行く。

 一美は701号室の呼び鈴を押した。以前、菅 カンナがいた部屋だ。


 中から背広(スーツ)姿の女性が出てきた。筆頭秘書とか筆頭執事という雰囲気が漂っているが、一美や先手 美歩(せんて みほ)と同世代に見える。

 一美は硬くなりながらも、あらかじめ決めていたように早口で口上を述べた。


「五十川 護さんをお連れしました」


 「筆頭」女性は俺を一瞥すると、視線を一美に戻した。

 一美は道をあけ、俺に入るように促す。


 俺が玄関に入ると、「筆頭」女性は

「ご苦労さま」

 と一美に声をかける。


「はい、それでは失礼します」

 一美はいってしまった。急ぎ足で振り返りもせずに去って行く。一美が遠く見えた。


「では、こちらへ」

 「筆頭」女性は俺を案内する。同じマンションなら、間取りなど似たようなものだから、奥にリビングルームに熱海さんがいるくらいは容易に想像ついた。

 それでも、「筆頭」女性は、五十川 護さんをお連れしましたと中に声をかける。


「どうぞ」

 返事があった。日本語だった。


 俺がリビングに入ると、ソファに座った女性が立ち上がって出迎えてくれた。


 少しふくよかな体型からは、銃を持った女豹の面影は消えていた。

 長かった髪も年相応に短くしている。

 ただ、何かに挑むような勝気な目には見覚えがあった。


「よく、来てくれました、熱海 幸子(あたみ さちこ)です」


――ママナーナ=ウミサミダフとは名乗らないんだな


 そんなふうに呆けている俺に、彼女は名刺を手渡した。

 東京の住所に、何とかいう団体名が書かれていた。

 彼女の肩書きは女性の社会進出を支援する団体の代表だということだ。


 俺は名刺を手にしたまま、目の前のオバさんを見ていた。


――なんて言ったらいいんだろう。


 あれだけ会いたいと思っていたママナーナと再会した。

 でも、もっと気持ちの晴れたときに会いたかった。

 仕方ない、俺は普通に接することにした。


「申し遅れました。五十川 護です」


「どうぞかけて」


 俺は黙ってソファに座る。

 熱海も続けて座った。

 どちらからも話し出さなかった。

 しばらく沈黙が続いた。


 テーブルの上に置かれた一輪挿しの花が沈黙を嫌うかのように、その向きを変えた。

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