第64話 アリウス・ホリゾンタルの入り口で
コクッブの拳は、俺の腹を「ブチ抜く」ことはできなかった。
やつの拳は内臓で止まった。拳を更にねじ込もうとして中途半端に俺のはらわたをかき回している。
口から血があふれ、むせかえるが、うまく吐き出せない。呼吸ができない。
――俺、死ぬんだな、せめて一撃だけでも
そのとき、一歩遅れて奇跡がやってきた。
――身体、動くぞ
あと5分は動かないと思っていた身体が動いた。
俺は両手でコクッブの頭をつかむ。
やつの右手は俺の腹にめり込んでいるので、俺の手を防げない。
やつは手を振りほどこうと、俺の腹に右手をめり込ませたまま、地面に俺を叩きつける。
――もう5秒早ければなあ
そんな思いとともに、俺は閃光爆発魔法を発動させた。
網膜が焼きつくほどのまばゆい光が放たれた。
コクッブの頭が光に包まれ、爆散するのが見えた。
ハオウガ=マイダフ最後の魔法だ。
こんな雑魚にはもったいないが、ツォカの努力に免じて許してやる。
一美のぎこちない笑顔が目に浮かんだ。
――夕食すっぽかしてごめん。
そして、闇に包まれた。
夜目がきくはずの俺にも何も見えなかった。
――時が流れた
それが1秒、1時間、1年、100年、1000年だったのかはわからない。
気づくと俺は何もない場所にいた。
――異 界 地 平
初めて来た場所だが、
名前は知っていた。
そこには何も無く、
風と地面だけがあった。
ここを歩いていけば、
現状から脱出し転生できる。
――誰かの声がした
そうだ、さよならを言わなくては。
一旦その場所を離れ、声のするほうへ行く。
「帰ってきた」「帰ってきた」と複数の女性の声がする。
理由はないが、四人だと思った。
イダフの天使だ。
イダフ神話では、女神イダフは子であるイダフ人が死ぬと、
善人には天使を遣わし、悪人には執行人を遣わすという。
天使が俺に遣わされた。
どうやら俺は善人だったようだ。
しかも、天使が四人も派遣されている。
俺は特別なのかもしれない。
そう思った途端に、不意に視点が切り替わった。
俺は自分の身体を見下ろしていた。
俺は全裸で台座に横たわっていた。
四人の女性の天使が俺の身体に手を当てている。
性的興奮を喚起しそうな場面だが、それとは別の厳かな雰囲気に満ちていた。
それに俺の身体はそんなことは程遠い状態だった。
台座に置かれたそれを人間だと思う者がどれだけいるだろう。
血まみれの肉塊だった。
身体のあちこちが欠損し、焼け焦げ、炭化していた。
そんなところに戻りたいとは思わなかった。
ここを離れ、さっきの場所に戻ろう。
そして、この世界を脱出して、別の世界へ転生しよう。
それがいい。
古い乗り物は捨て、新しい乗り物を捜しに行こう。
すると、誰かが入ってきた、乱入だ。
厳かな雰囲気を乱すことを目的としているような、
その場所にとてもそぐわないものだ。
空気を全く読まず、取り乱し、泣き叫んでいる。
見苦しい。どこの誰がこんなバカなことをしているのだろう。
しかし、叫んでいるのは俺の名前だ。
ハオウガさん、ハオウガさんと連呼している。
一美だ。
一美が泣いている。どうして泣いているんだろう。
血まみれの肉塊に取りすがって号泣している。
あんなところに戻っても、ただ面倒なだけだ。
痛い予感しかしない。
でも、一美が泣いている。彼女を泣かせるのは絶対だめだ。
面倒臭いが戻ろう。
一美を泣かすのはいけないことだ。
早く戻って、俺がギュってしてやろう。
俺は戻ることにした。




