第56話 入院生活
《ハオウガさん、あなたはザミダフ緑黄病原体に感染しています。
三矢島 一美さん、あなたは感染していた痕跡がありますが、同病原体は認められません。何らかの措置より死滅したと思われます》
イダフ語では一美にはわからないので、制御体には日本語で説明し直してもらった。
「私が病気だったということは、私の菌がハオウガさんに感染ったということですか?」
一美は心配そうに制御体に尋ねた。彼女は制御体と淀みなく会話しており、戸惑いもない。新しいことへの適応力は高いように見える。以前、入ったばかりの会社を辞めたと聞いたが、どうしてだろう。
いや、今の俺はそれどころではない。
《感染経路はわかりませんが、ハオウガさんの感染が先と考えられます》
「じゃあ、ハオウガさんから感染された…」
一美の瞳が冷たい光線を放つ。
《断言はできませんが、そう考えるのが合理的です》
あきらかにおかしい。わけがわからない。
《では、ハオウガさんは入院の準備を》
看護補助体が俺に迫ってきた。
一美は「病気なら仕方ないですね」という表情で成り行きを見ている。
待て、待て、待てよ
俺が入院するなんて、筋書きとしておかしい。俺は伝文のダプァに憑りうつられてはいない。
「制御体、検査結果を取り違えている可能性はなかったりしないか」
俺は制御体に確認したが、なぜか弱々しい声になっていた。
《ありえません。性別が違います。ハオウガさんが実は女性だというなら取り違えの可能性もありえますが…》
「男です」
《では、入院の準備を》
看護補助体は俺の背後に立っていた。
「あの、たいしたことはできないかもしれませんが、私に手伝えることがあればいって下さい」
一美は看護補助体に訴えた。
看護補助体は、俺を台車に乗せながら、日本語で応じた。
「ぜひ、お願いします。医療的な対応は補助体で行いますが、精神的な支えには人間の、特にあなたのような恋人や親しい友人の助けが必要です」
えっそんな恋人なんてと照れた様子で一美は身体をくねらせていた。あんな動きをするとは俺にとって意外な発見だった。
看護補助体は、俺を乗せた台車を医療区画へ運んでいく。それを見て、我に返った一美は、付き添うように早足で付いてくる。
俺はン・メノトリーの天井を見ながら、台車の上なすがまま運ばれていた。時折、一美の顔が心配そうに覗き込む。
俺は得体の知れない敗北感にまみれたまま、看護補助体に運ばれて、医療区画の個室に入った。
――入院生活1日目
看護補助体の説明によると、発症はしていないので、治癒の氷柱には入らず、発症を抑えながら病原体を駆除する方針だという。
ザミダフ緑黄病は発症すると、1年以内に半数が死ぬ。
だから、まずは発症を抑えなくてはいけない。
数時間前には、ザミダフ緑黄病に罹患した(と思われた)一美の殺処分を俺は考えていた。しかし、今度は俺が殺処分される番だ。
この後退した異世界の日本で、
イダフ暦9678年という
わけのわからない年月に、
マビルのままで死ぬ。
こんなのは間違っている。俺はどうすればいいのだろう。
唯一の救いは寝台の寝心地が良いことだ。
――入院生活2日目
特に何もなかった。食事は医療食を一日三回に分けて食べている。一美は昨日も今日も来なかった。医療区画だから日本人は入れないのだろうか。
朝昼晩と看護補助体がやってきて検査して錠剤を飲んだ。
何か暇つぶしになるものはないか聞いたら、俺の荷物を持ってきた。スマートフォンを使おうと取り出したが、残念ながら電波が届かないようだ。
井田会長(リダリ隊長)や熱海氏と話をしたい。
――入院生活3日目
看護補助体に一美のことを聞いてみた。
彼女一人で地上に戻れるはずはない。だからン・メノトリーの艦内にいるはずだが、どうして来ないのだろう。艦内でも探索しているのだろうか。
発症したら死ぬ。死ぬのは怖くないはずだが、何もできないまま死にたくはない。
――入院生活4日目
俺はあることを思いついた。
ザミダフ緑黄病が発症する前に治癒の氷柱に入っておくのだ。そうすれば発症することはない。そして治療方法が確立できたら目覚めればいい。
どうせ、9000年も寝ていたのだ。
100年、200年追加してもどうということはない。
「制御体、俺の治療について、提案がある」
俺は制御体に呼びかけた。
《はい、なんでしょうかハオウガさん》
「単刀直入に言う、俺を治癒の氷柱に入れてくれ」
《なぜでしょうが》
「ザミダフ緑黄病は発症したら1年以内に半分が死ぬと聞いている。だから、俺は発症する前に治癒の氷柱に入っておきたい」
《1年以内に半分……それはイダフ歴627年以前の情報です》
「じゃあ、今は違うのか」
俺は少し気力が湧いてくるのを感じた。
《イダフ歴627年以降、1年以内の死亡率は4分の3です》
それを聞いて、俺の気力はすぐにしぼんだ。
俺は治癒の氷柱で眠りに付く前にするべきことを考えていた。
記録台にこれまでのことを記録しておこう。
――第2艦橋に全自動の記録台がおいてあったな




